73 リュシアンが当主になるまで
ジークリード辺境伯家の兵士がついてきているのに。
いや、そうではなくても、リュシアンの血統について何か問題がありそうな話を他人に聞かれてはまずいのでは? と思ったからだ。
でも不思議と、みんな遠いところにいる。
リュシアンにくっついていた人達は、離れた場所で休憩をしつつ周囲を見ているし、そのほかの人は、火ネズミが追ってきていないかを警戒しに行ったし。
(これはわざと……かな)
リュシアンが話したいことがあって、だから人を遠ざけたのかもしれない。
だとしたら、聞いてほしいのはリュシアンの秘密の話なのだろうか。
困惑していると、リュシアンが微笑む。
「周りは気にしなくていいよ。この周辺で気にするのは火ネズミぐらいだし。ついてきてる兵士達は、君の護衛と私の寿命を減らさないためにいるだけだから」
寿命と言われると、重い石を飲み込んだ気分になる。
知っていることだけど、友人の寿命のことを思い出すのは苦しい。
「そんな顔しないでシエラ」
リュシアンは私の隣に座って苦笑いした。
「なるべく長く生かそうとしているだけだから」
「いや、それ重いでしょ。リュシアンには普通のことでも」
「そうかもね。でも昔、テオドールと同じ館で暮らしていた頃は、私は守ってもらえる状態ではなかった。こうなったのは進歩なんだよ」
「ご両親と折り合いが悪かった? それとも……」
母の不義の子だったのか。
辺境伯家の子息が、守ってくれる人もいない状態なんて、それぐらいしか考えられない。
でも直接言葉に出せるようなものではないし、と思っていたら。
「実母が、先代辺境伯の愛人だったんだ」
リュシアンはなんでもないことのように、さらりと言う。
唖然としている私に、彼は淡々と、でもゆっくりと話す。
「前辺境伯は、親や周囲の期待したレール通りに生きて来た人だった。それが、私の実母と出会って全てはじけ飛んだようなものでね。子どもの私からしても、前辺境伯の執着はひどいものだったよ」
少し言葉を切ったリュシアンは、コンの実を一つ食べる。
「前辺境伯は、周囲の反対を押し切って私の実母を城の敷地内の館に囲い込んだ。執着先は実母一人で、子供の私は実母の付属品でしかないって、認識だったな。母と一緒にいると離れろと叱りつけてくるような有様で」
もちろん、前辺境伯の正妻やリュシアンの異母兄達も、そんな事情など加味してはくれなかった。
どこにも助けはなく、前辺境伯がいない間だけ優しい実母を頼るしかない生活。
前辺境伯が長期で外出などしたら、その間は食事も運ばれなくなった。
メイドも近づかず、放置。
そしてリュシアンの母は、なにがあっても泣いて謝るだけで、何かを変えようとはしないまま。
前辺境伯を恐れて、館を出ることもできなかったらしい。
「そういう時、私は本館の台所へ行って、台所メイド達に哀れまれながらパンをもらっていた。でも、異母兄達が私で憂さを晴らそうと探している時は近寄れなくて、館の外へ抜け出して、近くの林の中に生えていたコンの実を食べたりしていたんだ」
それでごくごく庶民的な木の実を口にしていたらしい。
なんとなく、私は似たような感じだなと思ってしまった。
自分も食事が足りずに外へ出て、あちこちの木の実を食べ歩いていたから。
「まさか、私がそんな来歴だったなんて思わなかった?」
リュシアンに聞かれて、うなずく。
「でもどうして、それが嫡子ってことになったの?」
「端的に言うと、嫡子が誰もいなくなったからだよ。戦争で」
それから秘密を打ち明けるように、リュシアンは少し私に身を寄せて続けた。
「戦場で、先に異母兄達が亡くなった。前辺境伯も大怪我で死にかけていた。そして私は、魔術師に覚醒したことで戦争を終わらせた。結果、私の存在を無視できなくなった辺境伯家の親族達が、私を嫡子だったことにしたんだ」
「嫡子だったことに……。そうね、王宮までお披露目に来ない限り、何人子供がいてどうこうとまでは、あまり知られないもの。神殿の祝福名簿も書き換えなんて簡単でしょうし」
貴族達は、そうして親族から罪人が出れば『いなかった者』として扱って連座を逃れたり、養子を嫡子と偽って家を存続させたりすることがある。
神殿に多額の寄進なり、脅しをかけたりする必要はあるけれど。
不可能じゃない。
「前辺境伯も怪我が元ですぐ亡くなって、そのまま私が当主になったって感じかな」
「ああ……。これはたしかに、兵士にはあんまり聞かれたくない話ではあるわよね」
リュシアンが人を遠ざけたのは、こんな内容だったからだろう。
辺境伯家の館に住み込みしていた人達なら、リュシアンの出自はわかっているだろうけど。兵士ぐらいなら知らない者も多いはずだし。
たとえ知られても、リュシアンが戦争から領地を守った英雄で、血縁もあるのだから、反対する人はそうそういないと思うけど。
南の辺境伯も他国と接しているので、いつ紛争や戦争が起こるかわからない。
その時に、リュシアンのような魔術師にはいてほしいだろう。
辺境伯家の親族が引きずりおろそうとしたら、領民が団結して阻止しそうだし……命がかかっているものね。
「でも、そんな話をどうして私に?」
人を遠ざけてまで話すのは、なぜだろう。
疑問に思う私に、リュシアンは言う。
「ベルナード王国軍が来るとしたら、大規模な戦争になる。ハルスタット領で止められたとしても、他の領地が攻撃されないわけじゃない。むしろ西がダメになったら、まず矢面に立つのはうちだろう」
北は軍を越えさせるには高すぎる山脈に接している。
だからあそこは辺境伯は置いていないのだ。防衛の必要がないから。
そして王家の軍が駆け付けるには遠い。
「そして戦うことがある度に、生き残れるのは運が良かっただけだと思うから……。誰かに覚えていてほしいと思うのかもしれない」
まるで、自分が死ぬと思っているような言い方に、私は焦る。
「そんなこと言わなくても、打ち明け話ならいくらでも聞くから! 何か言いたくなった時にでも、適当にケーキつつきながら話してくれれば……」
とそこで思い出す。
(たぶん、今回リュシアンが領地に出発したら、次に会えるのはベルナード王国軍が来る頃になる)
リュシアンもまた領主だ。
私とは比べ物にならないほどの広大な土地と、沢山の臣下がいる領地の。
そこを守るだけでも大変だろうし、戦争の準備をとなれば、リュシアンがちょくちょくこちらに来るなんて無理だ。
この滞在が……会話ができる最後になるかもしれない。




