68 テオドールの誤解 2
「はい?」
わけがわからないテオドールに、リュシアンは丁寧に教えてくれる。
「シエラは、逃げないんだよ。そして万が一の時には援軍を要請された」
「そんな……。こ、こんな小さな領地、雀の涙ほどの数の兵士では!」
無理だ。
大軍の前に、踏みつぶされ、荒らされて終わる。
シエラ自身もどうなるかわからない。
殺されるだけならいい。
気が立った荒くれ者ばかりの兵士に、蹂躙されるようなことがあったら……。
想像するのも気の毒すぎて、テオドールは逃げるよう説得してくれと言うつもりだった。
その前に、リュシアンは言う。
「先に兵士をいくらか融通する。シエラ自身も近隣から兵士を募集しているんだろう?」
「そうでした。でも訓練もされていない兵士を少数集めても……」
とても戦争ができる人数にはならない。魔術師でもいない限りは。
でもリュシアンは、この後南の辺境伯領へ戻るはず。
領地を守る準備をしている間に、ハルスタット領が攻撃される可能性もあるのだ。
「シエラは籠城を考えているよ。私もそれしかできないと思う。あと、錬金術でお金を稼いでそれを食料購入なんかに当てるつもりらしいね」
「籠城ですか。迎え撃つよりは望みはありそうですが。周辺の領地をベルナード王国軍が占領してしまった時が怖いですね。いつまでも籠城ばかりはしていられません。食料が尽きて悲惨なことになるでしょう」
飢えるか、食料の奪い合いで醜い最後を迎える前に、死ぬために外へ出るのかどちらかしか道はなくなる。
「逃げることも一度検討したようだし、希望者は別の土地へ行ってもらうつもりみたいだね。それらについてはもう検討済みみたいだよ。どちらにせよ、領主が決めたことを支援するのが君の仕事だ。兵士についてシエラは明るくないから、多少は私が手伝っているだけで」
「逃げないのですか……」
「逃げた先でも未来がない人は多いからね。少しでも先のことを想像できれば、逃げても無駄だと思うのは当然だ」
ここは、引っ越せばそれでいい世界ではない。
領主が足元を見て、その人達を小作農になどしたら生活はかなり苦しくなるだろう。
それどころか、土地も得られず、職人も足りているから受け入れられず、生活ができずに野垂死にする可能性もあった。
(民はどちらかを選べる。領主様も選べるはずだが……責任感が強すぎるのか)
火竜にも立ち向かうことを決めたシエラ。
どんなに不可能そうに思えても、一歩も引かなかった。
だから事情を知る兵士達が絶望感でうちひしがれても、戦わないと言う者はいなかったなと思い出す。
(火竜なんて無理だぁよ)
(まさか伯爵夫人についていったら、火竜と戦うことになるなんて……)
(王都の別の貴族家に仕えれば良かった)
そんな声も最初は出ていたけど、みんな決意したのだ。
自分達よりも若い女性が、戦うと決めたのだ。
そのために知恵を絞っているのなら、自分達もどうにかするべきだと。
テオドールにできるのは、山賊狩りの時の功績を思い出してもらうことだけだった。
(領主様は、またあの時みたいな爆発物や、他の錬金術の品を作っているみたいだ。なんとかなる算段があるんだろう)
それだけでみんながやる気を出したのは、彼女が無理を言ってでも山賊狩りについてきたからこそだろう。
爆発物で有利に戦えた。
眠り薬のおかげで、怪我一つせずに山賊の住処を占拠できた。
そして子供を救い出して、孤児だというのにやさしく介抱することを命じている。
怪我が少なく済む方法で、火竜を退けられるかもしれない。
怪我をしても、あの領主なら薬を作り出して治してくれるだろう。
そんな信頼が、シエラの元で挑戦するという気持ちを支えていたのだ。
そして成功した。
一方で、彼女が苦悩しもがいていたことをテオドールは知っている。
思い出すのは、リュシアンが戻って来た日のことだ。
大人しくリュシアンに抱えられたシエラは、顔を隠していた。
彼女がそんなことをするのは、たぶん泣いた時だけだろう。
無骨者のテオドールでも、それぐらいは想像がついた。
あの時、いつも気丈にふるまっていても、苦しくて辛い気持ちを抱えた自分の主のことを、テオドールは初めて痛ましいと感じたのだ。
今までは、主従とは、騎士とはそういうものだからと思ってシエラを守ろうとしてきた。
そして普通の領主であろうとするシエラの行動に、女性貴族らしくなさから混乱したりもしていたけど。
あれを見て、本当なら誰かが守ってあげるべき人が、それでもと行動していると感じた。
自分が思う以上の責任感と覚悟を感じたから――彼女が突き進むと決めた時に、一番頼ってもらえるようにしたい。
「左様でございますね。私も誠心誠意、領主様のご意向に沿うよう努める所存です」
テオドールはそう言ったのだけど。
(この方は、どうしてこんなにも領主様に肩入れなさっているのだろう)
シエラへの忠誠心が高まるほど、テオドールはかつての主にそう感じるようになっていた。




