60 例の夢の件について 2
「笑わないでほしいな……」
「だって、そんなに焦ったリュシアンを見たのって初めてだったから。ローランドに言いがかりつけられたって時も、冷静だったって聞いたのに」
実はセレナが目撃していたのだ。
見送ったはずの南の辺境伯様に、伯爵様が剣を抜いた、と。
それを告げたのは、リュシアンの話を受けた後のことだけど。
セレナとしては、ローランドの行動に驚いたのと、私にそれを教えたらショックで閉じこもるのではないかと心配したらしい。
それで、少し後になったようだ。
でもリュシアン本人から『どうふるまうのが、君に都合がいいのかな?』と問われたりした結果、それを知った私が呆れているようだったので……。これなら大丈夫だろうと話してくれたのだ。
「ああ、剣を突き付けられるぐらいは別に。私の方が確実に勝てるから」
とんでもない強者感のある返事が来た。
「いやまぁそうだけど。そういう時は冷静でも、ああいう質問にはびっくりしちゃうんだなって思って」
「私だって人だからね」
ややすねたように言われて、私は「まぁまぁ怒らずに……」となだめに走る。
「怒ってはいないよ?」
「でもすねたでしょう。ごめんなさい」
「素直だね、シエラは」
微笑んでから、リュシアンは扉の近くに置いていたソファに座る。
なんとなく私もその横にいく。
「信頼できる人には、素直に生きていくつもりだから」
そう返事したら、リュシアンがふわっと私の頭に手を載せる。
軽くなでられて、ちょっと不思議な感じがした。
私にそうしてくれた人って、本当に少ないから、急にまだ幼くて乳母に守ってもらえた頃の自分に戻りそうな気がするのだ。
「それなら素直に、話してくれるよね?」
リュシアンにそう言われて、今まで逸れていた話が本題に戻される。
私は一度、ゆっくりと呼吸して心を落ち着けて言った。
「その……。前に崖崩れの夢を見たでしょう?」
「ああ、覚えているよ。まだ一か月も経っていないからね」
それぐらいしか時間が経っていなかったのか、と言われて改めて気づく。
王都を出発してからなら、約一か月くらいだろうか。
本当に、怒涛の日々だった。
主にその原因は、あの夢なのだ。
「実は、あの後も夢を見てて」
「実現化してしまった、と?」
リュシアンの問いにうなずく。
「火竜が出てくることは、夢で見てたの」
そう言うと、リュシアンは「やっぱりね」と言う。
「君が火山の話を聞いたからって、すぐに山に登りたがるのは変だと思ったんだ。しかも火山に行こうとしたら、たまたま火竜の件を目撃するとか……。偶然にしてもどうかと思っていたんだ」
リュシアンは「それに」と続ける。
「他にもおかしいとは思うことが多かった。火竜が出る前から、君は趣味というにはあまりにも根を詰めて採取と調合ばかりしていた。そうまでして薬を作ったりしたがったってことは……。君が見た他の夢は、火竜の一件よりも酷いことだったんだろう?」
あまりにもお見通しすぎて、私はあははと笑いが漏れてしまう。
「うん、リュシアンが考えた通り。実は、ハルスタットにベルナード王国軍が来る夢を見て……」
さらっと言えたと思った。
そこでぐっと言葉に詰まる。
……私が死んじゃう夢だった、と言うのがこんなに難しいなんて。
言おうとすると、泣きたい気持ちになる。
(どうして私がこんな目に。どうして、どうして……)
そんな気持ちがぐるぐると渦巻くのだ。
唇を噛みしめていたら、ふいに指先が触れる。
私のじゃない。
リュシアンを見れば、真剣な表情をしていた。
だけど指先は、私の唇をゆっくりとなぞって、それから離れていく。
「大丈夫。だいたいわかったよ」
その言葉で、ほっと肩から力が抜けるのを感じた。
「ベルナード王国軍の軍勢は見えた?」
「あまり、よくは……」
「沢山いたっぽい?」
そう聞かれて、うなずく。
沢山いるのだけわかった。だけど軍とか戦争とか見たことがないから、数もはっきりと言えないのが悔しい。
「視界に一杯いる感じ? 見ていたのは城壁の上かい?」
もう一度うなずくと、「大丈夫、それで私には予想ができるから」と言ってくれる。
「敵の情報が欲しい時にね、近くから逃げて来た村人とかから話を聞くんだ。もちろんみんながみんな、数を目測できるわけじゃないから、ある程度予想をつける方法があるんだよ」
「よかった……」
リュシアンに戦争経験があることを、これほどありがたいと思ったことはない。
私だけでは、何人来るのかもわからないから。
ここまで話が通ると、言葉もするっと出て来るようになった。
「ハルスタット領にはほとんど兵力がないから、もし本当に起きるなら籠城しかないって思って。それで、一番困るのが薬だろうから、それを作って。余剰でお金をつくって少しでも守ってくれる兵士を雇えればと思ったんだけど……」
「それで採取と調合ばかりしていたんだね。それで、薬はどうにかなりそうなのかい?」
「材料はけっこう見つけたから、集めてもらえばある程度……。一か月あれば、領地の人が二年はかわるがわる怪我をしてもなんとかなる量は作れると思う」
「そうしたら、足りないのは領地を守る兵士の人数だね。そのあたりは、私の領からいくらか斡旋してもいい」
「リュシアンの申し出は嬉しいんだけど、お金はどれくらいかかるの?」
貧乏ではないけど、ハルスタット領は莫大な資産を持っている領地ではない。
伯爵夫人だった頃のお金はそのままローランドの好意でもらっているけど、だからといっていつ始まるかわからない戦争の始まりから終わりまで、ずっと雇えるお金かと言われれば不安が残るくらいだ。
しかしお金の心配をする私に、リュシアンは優しかった。
「大丈夫。これはあの心臓石を渡してしまった分のお詫びと、君を保護するためだから、こちらが提供する。あとは情報代だと思ってくれたらいい」
「情報代?」
「ハルスタット領を通るとわかっているなら、ベルナード王国軍が来る時の進軍ルートに予想をつけやすいから」
「あ」
そうか。その時になって、ずっと斥候を出して監視させなくても、ある程度はどこへ行くのかわかっている状態になるのか。




