52 あなたが来てくれたから
信じられなかった。
だから夢だと思ったけど。
「何かあったら連絡をって言っていたけど、自分で頑張ろうと思ったんだろう、君。まぁ、私の方もあちこち移動してて、直近だと受け取れなかったかもしれないけど」
まさか、本当にいる?
いや、夢でもリュシアンは色々しゃべってそう。
最近はやたらと皮膚感覚まである夢を見てたせいで、なんだか区別がつかない。
――本当に夢だったら悲しくなってしまうので、どうしても目を開ける気に慣れなかった。
するとリュシアンの方も、私がぐっすり眠っていると思ったのかもしれない。
ちょっと黙ってしまった。
「シエラ?」
優しく名前を呼ばれる。
とはいえリュシアンは声音や口調が優しい人なので、屈強な兵士に対してもそんな感じなのだけど。
ああ、でもこの声で話しかけられたら兵士の方が戸惑いそうだなと思う。
たぶん厳しい訓練や環境で叩きあげられてきたうえに、ふわっと包み込まれるような話し方で微笑まれたら、一瞬、仕事場にいるのかどうかわからなくなりそうだ。
そんなリュシアンは、対応を変えたようだ。
「眠ってるのかな?」
そう言いながら、なぜか頭をなでてくる。
しかもくすくすと笑いだした。
「起きてる時は、大人しそうなのに内面では牙をむいてるみたいな勢いがあるから、今しかできないかな。怒られそうだからね」
人を狂犬みたいに言うなんて。
でも、実際にそうかもしれないと思うので、怒る気にもなれない。
だって必死だった。
幼少期はずっと、なんとか生きていかなくちゃいけないのに、ずっと先が見えないままだった。
結婚後は安心できるかと思ったら、命の危機を遠ざけるために常に気を張っていた。
その後は、いよいよ自分らしく生きられるかもしれないと思った。
せっかく新しい人生が始まるなら、より心地よくできるようにしたいし、色々と夢を実現させたいと息巻いていたのだ。
「ほんとに起きないな。でもこんなところにいたら、肩こり腰痛で目を覚ました後でひどいことになるよ?」
リュシアンが心配そうに語りかけてくる。
妙に爺むさいことを言うあたり、リュシアンは祖父母にでも育てられたのかもしれない。なんて想像する。
ちょっとそれが面白くなって、つい笑ってしまう。
「あ、起きたねシエラ」
仕方なく目を開けると、ランプ一つを灯した部屋で、目の前に膝をついてのぞきこんでくるリュシアンがいた。
「リュシアン」
「うん」
「おかえりなさい」
とりあえず、思いついたので出迎える言葉を口にした。
リュシアンが嬉しそうに微笑む。
「ただいまシエラ」
「……ほんとにリュシアン?」
「疑うのかい? まさか、夢を見過ぎて現実だと思えなくなった?」
「見過ぎたわけじゃないんだけど、だって、夢って意外と現実感がすごかったから」
すると、リュシアンが私の手を握ってくる。
「手を握っても疑う?」
「ええと」
館に来たばかりなのだろうか。リュシアンの手が冷たい。
「外は寒いの? 手、冷えてる」
「夜明け前だからね」
「どうしてこんな時間に……」
「急いで戻って来たんだ。もしかしたら、君がまた怖い夢を見てるんじゃないかと思って」
リュシアンは、以前のがけ崩れのことも疑わなかったな、と思い出す。
だからこそ、夢に怯えて焦り続けていた自分を理解してくれるかもしれない。
そう思うと、どうしても目の前が涙でにじんでくる。
思わず顔を覆ってしまった。
泣き顔なんて見られたくない。
でも、寝不足も相まってなんだか気がおかしくなりそうだったのだ。
こんなにがんばってきたのに、ようやく得た自由が短くて、すぐに死んでしまうかもしれないと思うとずっと怖かった。
そんな気持ちが、おさえきれない。
「シエラ……大丈夫」
リュシアンが、抱きしめてくれる。
夜風のような冷たい匂い。
そこに潜む甘さに、なんだか落ち着くような気がする。
真夜中を馬で走らせてきたらしいリュシアンは、最初はひんやりとしていたけれど、泣く私と一緒にいると少しずつ生気を取り戻すように温かくなる。
春に、暖かい布団の中にいるような、そんな気分だ。
そんなことを考えていると、少しずつ落ち着いてくる。
ポケットからハンカチを出して、顔を拭いた。
「ごめん、帰って来たばかりなのに」
「迷惑に思わなくていいよ。それだけ喜んでくれたってことだろう」
「うん、喜んだ。すごく嬉しい」
そして私は顔を上げて言った。
「リュシアン、あなたを雇うにはどれくらいの代価が必要?」
生き残るために、領民を助けるために必要な物。
雨キノコを増やしても、不安はまだあった。
火ネズミが、ちゃんと全部運んでくれないかもしれない。
その時どうやって運べばいいのか。
(そもそも、火ネズミの行動を待つ間に、火竜が暴れ出したらどうしよう)
なるべく素早く、雨キノコを届けたい。
そして失敗した時に倒せる人が、この領地にはいなかったのだ。
テオドール一人では、彼が犬死するだけになってしまう。
唐突な申し出だったのに、リュシアンがなぜか笑みを深めた。
「それなら一つ。お願いを聞いてくれるかな?」
「わかった」
私は即決した。
どんなお願いでも受け入れるつもりだ。
彼に魔術を使ってほしいというのは、彼の命を削ることになるのだから。
そのためなら、命以外の物はなんでもと思ったのに……。
腕や肩、足に触れられて驚く。
えっと思った時には浮遊感とともに、抱えあげられていた。
「ちょっ、リュシアン?」
間近に見えるリュシアンは、楽しそうに答えた。
「私のお願いはね、君を部屋に連れて行って寝かしつけすることだね。もちろん嫌とは言わないだろう?」
一瞬迷った。さっきまでの実験の結果の記録を書いたかどうか確認したいし、他にも試したいことがある。
でも。
「う……約束だから、うん」
「それじゃ、これ被って」
いつの間に外していたのか、彼のマントを渡された。
「泣いた顔を見られるのって、君は嫌だろう? シエラ」
「よくわかっていらっしゃる……」
私が大人しく被ると、リュシアンがくすくすと笑う。
なんて人だ、と私は思う。
でもこんなに理解してもらえていることが、とても心地よくて……また少し、目に涙がにじんでしまった。




