4 錬金術師になろうとしたわけ
馬車に乗って出発すると、リュシアンがふっと雰囲気をやわらげた。
「それにしてもシエラ、あの堅物グレイ伯爵が嫌がるような、何をしたんだい?」
それが気になってしかたなかったんだろう。
早速尋ねてきた。
「その、錬金術の錬成中に失敗したのよ。それで、とんでもない煙と異臭が出て」
「異臭?」
「たとえるなら腐敗臭に胡椒を混ぜたような」
想像したのか、リュシアンが苦笑の表情になる。
「しかも、用があって私の別邸にローランドがやってきた瞬間だったのよ」
「それはまた、ずいぶんと良いタイミングだったようだね」
「おかげで、ローランドがさらに離婚に積極的になってくれて、色々な手配を急いでくれたのよ。人生何が幸いするかわからないわよね」
私は笑みを浮かべてそういった。
リュシアンもうなずく。
「そうだね。あ、まだ言っていなかったけど、離婚おめでとうシエラ」
「ありがとうリュシアン。ようやく解放されたわ……。正直、契約上の結婚生活が、あんなにキツイと思わなかった」
思わず漏れる愚痴。
原因を知っているリュシアンが笑った。
「私もこれから、君のところを訪問する時に色々気を回さないで済むことにほっとしているよ。まさか訪問したら、帰り道に険しい表情で誰何されることになるとは思わなかったし」
リュシアンが私と出会ったのは、例の王太后に頼まれて様子を見にやってきた公爵が、彼を同行させてきたからだ。
それまでに二回、その大臣はわざわざ私の元に派遣されていたのだけど、王太后はその報告がどうも気に入らなかったらしい。
――結婚してくれて嬉しい。でもなぜあの令嬢と結婚したの?
――しかも別居状態? どうして?
混乱した王太后は、私がつつがなく平穏に暮らしていると聞いたうえ、ローランドも『穏やかに暮らしております』としか言わないので、ついに色々と妄想してしまったらしい。
私が悪い魔術師で、ローランドに呪いをかけているのではないか? と。
で、魔術師のリュシアンに声がかかった。
たまたま王都へ来ていたリュシアンは、私が呪いをかけていないか検証してくれと頼まれたのだそうな。
(なんかこう、息子に結婚してほしかったけれど、結婚したら息子を一人占めにする嫁を敵視する姑みたいな、不安定な人よね王太后って)
王太后は、呪いなんてありませんでしたと聞いて、さらに混乱していたそうだ。
でもまぁ、混乱しても仕方ないと思う。
普通の結婚ではなかったのだから。
むしろ依頼されて行ったのに、妻に近づいたのではないかと言いがかりをつけるローランドに迷惑をかけられたリュシアンも災難だった。
まぁ、私の浮気に関する説明が足りなかったせいだ。
ベイリー公爵は既婚で、奥様や子供を裏切ることはそうそうないだろうと説明したから。
リュシアンが独身なので、浮気の範疇に含まれるのではないかと、ローランドは勘違いしたらしい。
おかげで私は、いかに自分が魅力がないかを語らなければならなくなった。
ローランドのように『契約結婚でも文句を言わない娘』というのは、たとえ顔が良かろうと結婚相手や浮気相手にするには厳しいこと。
だって背後に、うちの両親のような金をたかりかねない人間がいるのだから。
名誉も権力もあるリュシアンが、そんな女と浮気なんてするはずもない。
なにせリュシアンは容姿も権力も、魔術師として個人的にも力を持っている人物だ。
わざわざそんな女を選ぶ必要はない。
そもそもそれを乗り越えるほど、私に魅力はないのだ。
「私、人を惑わすような美人じゃないし、色気もないでしょう?」
と言ったら、
「そうだな」
と即肯定されたのは、良いんだけど、複雑な気分がするものだったなと思い返す。
リュシアンはそんな裏事情は知らない。
「事情は聞いて理解できたけど、普通とはちょっと違い過ぎて私も混乱したなぁ。……元夫殿はまぁ、純粋なんだろうね」
「純粋……まぁそういう言い方もできるわよね」
元夫のことをそう表現するのは、リュシアンぐらいだろう。
でもその時、リュシアンが話題に出していたことがきっかけで、私は離婚しても大丈夫だと心強くいられるようになったのだ。
「でも、リュシアンがめげずに再訪問してくれて良かったわ。一人で生きていくなら、今後役に立つだろうし。老後あたりまでずっと続けていけそうな手に職とか、なかなかないもの」
私の言葉にリュシアンはうなずく。
「役には立つだろう。薬、魔道具的な物、果ては日常の物や鉱物に関してまで、何にでも関係してくるからね、錬金術は」
私が結婚後に手を出し始めたのが錬金術だ。
錬金術は、様々な物を他の物と融合させたり、変化させたりして新しい物を作り出す技術だったりする。
最初は、鉄から本物の金を作ろうとして編み出された物だとか。
その過程で、普通の人でも魔力を変化させることによって、さまざま物を組み合わせることができ、他の物を作れるとわかったらしい。
――リュシアンは、錬金術を探していた。
でも、錬金術は衰退していたんだよね。
生活必需品のうちぱっと使える物は、錬金術より魔石を使う方が、簡単に作れるし簡単に使える。
その結果、錬金術に目を向ける人も、買う人も少なくなってしまったのだ。
薬の分野では、錬金術でなければ作れない物もあったりして、そちらは珍重されてきたようだ。
けれど、錬金術師が高価な薬のみを売るようになった結果、衰退に拍車をかけたのだ。
高価な品を作れるからこそ貴族に囲われ、逃げようとすると殺される、なんてことが繰り返されて。
だから錬金術師はほとんど見かけなくなっていた。
でも、わけあって錬金術師を探し続けていたリュシアンは、王都で見つけたらしい。
その錬金術師は表向きは商人として暮らしていた。
しかし引退寸前だったのだ。
高齢で調合もおぼつかない状態だったので、やむをえないことだったんだけど。
それなら、とリュシアンは後継者を探した。
少しの時間だけでも、指南してほしい。それまでは引退を思いとどまってほしいと頼んで。
リュシアンが探していたのは、すぐに錬金術に時間を使える人だ。
さらに、ある程度お金がある人。
加えて必要な素材を集める体力がある人。
そんなリュシアンが、私と出会ったという感じだ。