3 新領地への出発
王宮のエントランスを出て、人がほとんどいない王宮前から門へと伸びる長い白の石畳の上に立ったところで、私は言った。
「無事に終わりましたね、グレイ伯爵様」
「うむ。協力に感謝する、夫人……いや。今日からはシエラ殿か」
律義なローランドが、さっそく呼び方を考えている。
夫婦として一緒にいられない危険人物だけど、真面目であるところはこの人の美質だったなと、私は思う。
(私も、そうそう再婚なんてしないだろうし、これが最後の結婚になるかもしれないから感傷的になってるのかもしれないわ)
でもすぐに思い直すことになる。
「ところで、領地へ行ってもまだ……あの錬金術というのをやる気なのか?」
ローランドが嫌そうな顔をしている。
私は即うなずいた。
「もちろんです。趣味をおおっぴらに実行できる環境になって、伯爵様には感謝しております、うふふふふ」
上品に笑ったつもりが失敗。
ニヤニヤ笑いをしてしまう私に、ローランドは引いていた。
「またあの異臭を発生させるのか……。迷惑な」
ぼそっと付け加えたのも無理はない。
私が最近始めた錬金術の実験で、異臭を漂わせたのはまごうことなき真実だ。
そのせいで、ローランドがむせることになったのは申し訳なかった。
(領地に行けば、錬金術も好きなだけし放題よ!)
未来に胸を高鳴らせ、私はやってきた馬車に乗って伯爵家へ戻る。
そして到着したのは、私が一年を過ごした子爵家の敷地内にある別館の前だ。
白漆喰の別邸は、本邸に比べるとこじんまりとしたものだ。
部屋も八人分ほどしかない。
従僕と警護のための兵士が常駐する場所、メイド二人分の部屋以外はいらなかったので、狭くて困るということもなかった。
別邸の前には、荷物がまとめられて馬車二台に積み込まれていた。
すぐに、私の領地へと移動するためだ。
貴族夫人の引っ越し荷物としては、かなり少ない。
でも結婚の時は馬車一台でもスカスカだったので、増えた方だろう。
そのほかに一台、目立ちにくいながらもしっかりとした黒塗りの馬車がある。
こちらは私が乗って移動する物だ。
途中、旅程によっては馬車の中で寝泊りする可能性も考えて、やや大きめになっている。
王宮から乗って来た白い伯爵家の馬車から降りると、その黒い馬車の横で待っていた人物が話しかけてきた。
「シエラ。無事に離婚が成立したみたいだね」
淡いベージュ色の髪を首元で結んだ青年がいた。
きらきらしい金色の髪でも銀髪でもない分、彼の印象をやわらかく感じさせる。
伸びた前髪からのぞく瞳は夏空のような青。
誰もが美青年だと言う顔立ちの彼が微笑むとどこか艶っぽさすらある。当然ながら彼に微笑まれたら、頬を染める女性は多い。
背はローランドよりわずかに高い。
そんな青年は、きっちりとシャツやジャケットを着ている上から、長い青のマントを羽織っていた。
そのうえ長剣を腰からベルトで下げているので、一見すると騎士に見える。
ローランドが青年に一礼した。
「お久しぶりです、偉大なる魔術師、リュシアン・レイ・ジークリード辺境伯殿」
青年は魔術師だ。
さらには貴族として、辺境伯の地位を持ってもいる。
二つともを持つ人は非常に珍しいので、貴族でリュシアンの名を知らない人はいないだろう。
「久しぶりです、ローランド・グレイ伯爵殿。今日は、シエラ殿を迎えに来ました」
「シエラ殿のご友人だと伺っていましたが、領地に同行されるのですか?」
「ええ、物騒ですからね」
王都の外に出れば、山賊や魔物だって出てくる。
だから私も、護衛として雇う兵士を増やそうと思っていた。
けれど「西に用事があるので同行しないかい?」と声をかけてきたのが、私が最近友人になったリュシアン・レイ・ジークリードだったのだ。
「それに、西の国がなにかと騒がしいので。ちょうどそちらの様子を見に行くことになったので。そのついでですよ」
リュシアンの続けた言葉に、ローランドが納得したようにうなずいた。
「確かに。シエラ殿に譲った土地は西の辺境伯家に接しております。割譲を決めた時は、飛び地でもあるので譲りやすい場所で、戦争の気配がなかったからそこに決めたのですが……。それほど危険な状況なのですか?」
責任を感じたのか、ローランドが尋ねた。
異臭を漂わせる謎の実験を繰り返す名前だけの元妻とはいえ、さすがに戦火に近い場所へ行かせるのは不安だったのだろう。
「始まってしばらく経ちますが……詳細がまだよく伝わってこないのですよ。でも陥落しても、併合するのと軍の再編に時間がかかることでしょう。その後、こちらの国まで来るかはまだわかりませんから」
そういわれて、ローランドはうなずく。
「戦場をご経験になっている辺境伯殿に、そのあたりのご判断はゆだねるしかありません。大変迷惑を被った相手ではありますが、シエラ殿の移動についても案じていましたので、よろしくお願いいたします」
託す相手への言葉にしては、内容がちょっとどうかと思う。
リュシアンは笑いそうになりながらうなずく。
「承知いたしました。……それでは行きましょう、シエラ殿」
「はい、道中よろしくお願いいたします」
私は一礼し、すでに準備されていた馬車に乗り込む。
休む間もないけれど、こうすることは決めていた。
のんびりとしていたら、王太后が「やっぱり離婚を取り消しましょう?」と迫ってくるんじゃないかと不安だったし。
私のことが気に入らなくても、結婚さえしてくれれば……なんて言う人だもの。
今後ローランドが結婚しなさそうな気配は感じていると思うので、別邸でゆっくりしていたら『まだ気持ちがあるのでは?』と勘違いして、元鞘にならないかと画策しかねないとも思ったのだ。
私の印象が悪いままであれば、そんなこと考えないだろうけど……。
領主をするのに、王太后から嫌われていては何かあった時に困りそうだった。
なので印象を良くしたけど、同時につまづきの石にもなるのは困ったところだ。
でも、他の貴族男性にエスコートされて王都を出たと聞けば、押し付けられなくなるはず。
他の男性と長距離旅行をする女とよりを戻すなんて、ローランドの名前に傷がつくと判断するに違いない。
しかも、腹いせに悪口を言いたくても、同行相手は王国にとっても大事な魔術師。
ただでさえ国防において重要な辺境伯家であり、先代国王の兄弟がその家に入って、辺境伯家の娘と結婚しているという完璧な血筋だ。
難癖をつけると、王太后の方が非難されかねなかった。
(うーん、完璧な同行者だわ)
こんな素晴らしい人と気が合って友達になれたのは、幸運だった。
(色々と一年間、沢山大変な思いをしたり、夫のせいで肝が冷えたこともあるけれど、良いこともあったな)
そんな風に統括できる一年間だったなと思いつつ、私は王都から出て行ったのだった。
ヒーロー候補1登場です。
そして錬金術は衰退しています。