29 トーカの薬2
「そもそもカールさんは、石になった後でどのあたりを旅してたんですか?」
ふと気になって聞いてみる。
私が経験した旅というのは、実家から王都の伯爵家。そこからハルスタットまでの道のりの二つだけだ。
昔は旅をしてみたいと思ったこともあった。
両親から逃れたかったから。
今も本当は逃げたい。
(逃げて終わらせられるものなら……)
でも、勧められて断れなかったとはいえ、領地を持つことの利点を考えてうなずいたのは私。
できるだけ領民を、領地を守る責任があるし、それを捨てる気はない。
(自分たちのため、借金をして、領民を無下にした両親みたいにはなりたくない)
だけど、話を聞いて旅の気分をちょっとだけ分けてもらうぐらいならいいだろう。
本を読んで、遠くの国に思いをはせるようなものだ。
「旅か。元々、わしのいた小国はもっと北でな。大山脈を越え、東へ行き、それからこの王国へやってきた。そこまでは弟子が所持していたな」
カールさんは思い出すように話す。
私はそれを聞きながら、トーカの実を使った薬の作り方を探して、本をめくる。
「その後、弟子の子孫が三代目までは所持していたが、魔術師をしていた者が急死した。運よく他の魔術師の手に渡ったのだが、その者は大事にはしてくれるものの、けっこうあちこちへ放浪する癖があったのでな。そこから西へ行き、隣国へ渡ったりもした」
「隣国へ行かれたんですね」
私はトーカの実の薬、のページを固定して、乳鉢を出してすりつぶしつつ、カールさんに相づちを打った。
「そうじゃ」
「何か印象的な土地とかありましたか?」
「そうじゃのぅ。西の辺境伯領には黒の谷がある。そこの魔物討伐に持ち主が行った時に、魔石替わりにしようと思ったのかわしまで連れていきよった」
黒の谷は聞いたことがあった。
植物が黒く染まった品種ばかりだと。
「本当に、何でも黒い場所だったんですか?」
「そうじゃ。木の幹は茶色だったのが幸いだが、葉も、花も黒い」
「それだけ珍しいのなら、きっといい錬金術の材料が見つかりそう……」
同じ植物でも、やはり株ごとに魔力の多い少ないはある。葉の一つ一つでも微妙な違いがあるものだ。それなのに色まで変わっているとなれば、その変化を起こす原因……たぶん、魔力が変質している等があるはず。
たいていはかなり魔力が強くなっている。
「お前さんは本当に錬金術が好きなんじゃな……。まぁ、魔術師になれるほど魔力はないようだが」
「石になってても、それがわかるんですね」
石になってというか、魂になってから、と言うべきかもしれないが。
「魂だけになった方が、見ればわかるようになるもんじゃ」
「そうなんですね……」
話している間に、身をすりつぶす作業が終わった。
そこに砕いた翡翠を入れ、魔力を込めてマドラーで混ぜていく。
魔力は物質の境界を溶かし、赤と青の色が混ざり合った。
そこで混ぜるのを止め、一度布を使って濾す。
さすがに石の成分全てが混ざるのは難しいので、こうして翡翠の石は取り除くのだ。
残った不透明の紫色の液体に、水の触媒と他に刻んでいた薬草を混ぜ、もう一度魔力を融合させていく。
最後にまたろ過して、落ちた液体は、透き通った青紫色をしていた。
ブルーベリーのような色をした液体は、縦に長い瓶に入れた。
「よかった。トーカの実の薬、第一段階はできたみたい」
『第一段階?』
不思議そうに聞くカールさんにうなずいた。
「そうなんです。トーカの実の薬は、これでも多少効果があるんですけど、基礎の薬でもあるんです。一番効果があるのは、ここからさらに各症状に対応する薬にした、トーカの薬にした時です」
擦り傷の塗り薬、体の中の炎症を消す飲み薬、やけどの薬に、深い切り傷に特化した薬。
それぞれを作るのが、最も大変だ。
特に切り傷に特化した薬は、作るのが難しいと聞いている。
でも、何度失敗しても作りたい。
戦争が起きた時に、一番使うだろう薬だから。
「明日は、そのための材料を探しに行きます」
『探す当てはあるんか?』
「おそらく森か、火山の方へ行けば大丈夫かと思うんです。どちらも行けば、おおよその材料は見つかるんじゃないかなと。調合の方が難しい薬なので、材料はそこまでひどく希少なわけじゃないはずなんです」
それから私は指折り数える。
「森は三日ぐらいかけて探して……、山は行って帰るのに五日は見た方がいいかもしれないと思っているので、それをして、調合練習するだけで二週間はかかるかな……」
本当にこの先の調合は難しいのだ。
師匠も、自分では教えられない。とにかく加減を体得するのみだとふごふご言っていた。
なぜなら分量の問題ではないから。
(魔力……)
自分の魔力を呼び水にして、調合するのが基本的な錬金術だ。
だけど、素材の魔力を呼び起こすのに、加減が必要な素材がある。
そういうものになると、魔力量が多い方が簡単にできたりもするのだ。
トーカの薬は、込める魔力の強弱が必要になる。
でも私は魔力が少ないから、強めるのは苦手だ。
でも、やらなければ。
「とりあえず、明日は採取について調整をしよう。ギベルから報告も聞かなくちゃ」
小さな町の領主だから、忙しくなるほどの仕事はそうそうない。
災害とか、飢饉とか、問題さえなければ、収穫期以外で書類を作ることもたいしてないのだ。
月に一度、収支に目を通して、巡回して様子を見て歩けば十分。
だから老齢のギベルに細かなことを任せておけるし、ギベルも家で、陳情を待ってから行動するだけで十分にやっていけるわけで。
だからギベルの引っ越しはゆっくりだし、それまでは週に一度、報告にだけ来てくれることになっている。
明日は、先日の大雨の報告があるはずだった。
それを聞いて、ギベルだけで対応できる範囲なら、すぐにでも森へ行こうと思っていた。
のだが……。
「山賊!?」
報告を運んできたのは、ギベルの使用人の男性だ。
彼は居住まいを正していたけれど、走って来たらしく、少し髪がはねている。
「レドの森のあたりで、街道を通ろうとした商人が襲われたそうで。護衛が撃退したようですが、まだ仲間が潜伏しているようです。ギベル様が、ご領主様は城から出ないようにして、お気をつけいただきたいとのことでした」




