28 トーカの薬
「でも領主様は勇気がありますよね。ゼリーみたいでもありますけど、錬金術で作った物ですよね? ちょっとだけジェリムに似てるとお考えにはならなかったので?」
「あー。うん、まぁ」
ジェリムというのは、ゼリーみたいにぷるぷるした魔物だ。
桶一杯分ぐらいの大きさで、形はぼてっとしている。
たいてい水場に出るのだけど。
そういえば、湖では見かけなかった……。
(魔物が少ないっていうのは、本当なのね)
あんなに見かけやすい魔物もいないとは。
(てことは、私がひょいひょい採取に行っても、心配するのは山賊の方かもしれないわね)
ハルスタットは他の町から遠い場所にあるけど、だからこそ、街道を進むと逃げ場が少ない。
ようするに、襲撃しやすいのだ。
そんなわけで、山賊はたまに出るらしいと聞いた。
もしかしたら、これから行こうと思っている森や山に棲みついている可能性もある。
「そうだ、山狩りしないとね」
これは採取ついでに騎士や兵士を連れて行って、山狩りをしてもいいだろう。
領主もついていくなら、城の警備の兵士も連れて行ける。
ベルナード王国軍の問題が起こる前なら、城の警備に穴をあけてもそれほど問題は起きないはずだ。
家令のギベルに頼んで、町の人に城の方を気にかけてもらえるだけで大丈夫だと思う。
(次の採取は森、そして山の順番にしよっと)
心の中でそんな算段をしたところで、私はミカに言った。
「重い物を扱う調合はもうないから、休憩していつものお仕事に戻ってもいいわ」
「かしこまりました」
ミカは錬金術に興味深々なのか、ちょっと残念そうにしながらも一礼して工房を出たのだった。
「さて、ここからね」
いよいよ薬作りだ。
正直、初心者でしかない私が集中するため……。あと、失敗するのを見られ続けると心の中が涙で洪水が起きそうなので、ミカには退室してもらったのだ。
小心者なので、仕方ない。
「基本の傷薬を作って、次にトーカの傷薬を作ろう」
まずは標準的な薬を作る。
これは、傷にいいセリみたいなクラレンスと、ジョンズワートを使う。
どちらも洗って刻んでもらった物があるので、それをすりつぶす。
クラレンスは緑色の汁を絞ってガラスの器に入れる。
ジョンズワートは赤い汁が出て来る。これが傷にいい成分が入っているのだ。
「クラレンスを3、ジョンズワートを2、ハル湖の水を1」
これをガラスのマドラーで混ぜ合わせる。
このマドラーには、ところどころ薄青の綺麗なアクアマリンが混ざっている。
きっと、アクアマリンだけのマドラーがあればいいのだけど、それこそとんでもない値段がつくものだし、普通の錬金術師がほいほい買える物でもない。
でも水の魔力を使うので、アクアマリンを混ぜたガラスで、マドラーを作るのだ。
不思議と、ガラスは魔力の伝導を邪魔しないので、錬金術師の器具でよく使われている。
またこのマドラーのおかげで、私が込める魔力も水属性に染まるのだ。
軽く混ぜたところに、先ほどつくった水の触媒を人匙追加する。
そうしてさらにぐるぐるかき混ぜると、魔力が濃い部分とない部分に分離していく。
やがてできたのは、黄色のもったりとしたクリーム。
魔力がない部分は、赤い水分になるので、それだけを除き、クリームは用意した容器に入れて完了だ。
「よし、できた」
教科書通りの色のクリームだから、間違いなく傷薬になっているはず。
ただ、掌に載るちょっと大きめの容器一個分なので、量産するなら、混ぜる割合をそのまま、量を増やして一気に作った方がいいかもしれない。
「……まずそっちをやるか」
私は一気に五個分の傷薬を作ってみた。
「やった、できた」
五個分の傷薬ができて、ほくほくした気分になる。
そこで一度休憩を入れて昼食にして、さらに量産しようとしたけど……。
「あ、やば」
魔力の込め方が足りなかったのか、水の触媒を入れてもなかなかそれぞれの魔力がまとまらない。
だけど魔力の反応だけはするので、それぞれがどろっとした粘性の液体になって混ざって、なんともいえない毒沼色のクリームになる。
しかも、妙なすっぱい臭いまでした。
「……捨てよう」
薬どころか、傷を悪化させてしまうかもしれないし、実際にどうなるのか調べるのは時間がかかる。
それよりは、他の調合をしたかった。
粛々と、謎色のクリームを、水分を吸わせるための砂と一緒に麻袋に入れてゴミ箱へ。
これは土に埋めておけば、いずれ土になってしまうのだ。
「五個分の材料、もったいなかったな」
採取も楽なわけじゃないし、いつでも大量にあるわけじゃない。
季節によって生えてる物も変わるから。
特に冬なんて、植物系の材料は乾物しかないので失敗度が上がるのだ。
「調子に乗らないようにしなくちゃ。でも、油断しなければ作れるから、材料はフレッドやニルスにお願いして、特別手当をあげて採取して来てもらおう」
幸い、私が一人で全てをしなくてもいい。
フレッド達には迷惑かもしれないけど、お給料と引き換えに依頼できるから。
「んむ? これを町の人の仕事にしてもらうのってどうかな……って、だめだわ」
人に頼んでまで大量の採取をしてもらうのは、ベルナード王国軍のことがあるからであって、通常の錬金術の調合をするだけなら、そこまで必要はない。
傷薬だけの工房を新たに建てて、それを町の特産品にするのなら、町の人の新しい仕事として色々依頼できるだろうけど。
恒常的な仕事じゃないと、畑仕事の邪魔になってしまう。
「早く、戦争のこととかなかったことにならないかな……」
『先が見えることは不安か?』
ぽつり、と声が聞こえる。
あ、カールさんだ。
と思ったら、ポケットからふっと青白い煙が出て、カールさんの姿が目の前に浮かび上がる。
煙でできたようなカールさんは、やや寂し気な表情といい、希薄な印象があった。
「先が見えた方が、対策はできますよ」
返すと、カールさんはほっとしたように言う。
『それならば良かったのじゃ。以前、未来を見せた男はえらく嘆き悲しんでおったからな……』
命が係わる未来を見たから、怖がったんだろうか?
「自分が死ぬかもしれないと思ったら、怖いのかもしれませんね。私も崖崩れの夢の時は、やっぱり怖かったですし」
『いや、その時は妻の浮気を教えてやった』
「は?」
え? 浮気してる夢見て、それを教えたの?
『親切のつもりだったが、その男は『知りたくなかった……』と言って病んでしまってな。それ以来、わしの心臓石が危機になるようなとんでもない未来以外は、なるべく教えないようにしている』
「…………うん、その方がいいかもしれませんね」
人によって受け入れられる物というのは違うけど……。
たぶん命の危機の方が、裏切りよりは教えてもらってすっきりするし、役に立てようという気持ちが湧くのかもしれないと思った私は、同意しておいた。
 




