116 私達の結果
「ところで、私は間に合ったかい?」
「うん。十分」
来ないかと思った。
間に合わないだろうとも思った。
だからこそ、ぎりぎりのところでジークリード辺境伯軍の旗を見た時の感動を、どう言い表したらいいだろう。
とにかくお礼を言わなくては。
「必ず来るって約束、守って、くれ、て……」
だけどしゃべろうとすると、急に言葉に詰まる。
本当に緊張する必要がないとわかったからだろうか。
涙が出そうになって、泣きたくなくて、ぐっと喉の奥に力を入れたら、言葉が出なくなった。
お礼を言いたいのに、それよりも先にあふれてくるのは、恐怖の感情と安堵と、もう、我慢しなくてもいいかもしれないという気持ちが混ざり合った物だ。
自分でもどれを優先していいのかわからないぐらいで。
うつむくと、少しだけ波のある水面に、一瞬だけ私の口を引き結んだ顔が映る。
だけどやるべきことをしないと。
その一念で、ありがとうと、そう言おうとする前に。
「ごめん、シエラ」
リュシアンが私の頭を抱え込むように抱きしめた。
「無理に言わなくていいんだ。私だって君のおかげで助かったし、そうでなければ、ここに今たどり着けなかった。君がベルナードの手先があちこちに入り込んでいるのを教えてくれたり、魔石をくれたおかげだ。なにより……生きていてくれて、ありがとう」
言われたとたん、私はこらえきれなくなる。
「うん、絶対死ぬと思った……」
「うん」
「きっとリュシアンは来られないと思った、前に見た未来の夢みたいに」
「うん」
「誰にも助けてもらえずに、みんなが死んでいくのを見るしかないって、そう思ってて」
静かに聞き続けてくれるリュシアンに、ずっと抱え続けていた不安をこぼす。
でもその度に、私は心が軽くなっていく気がした。
だから息継ぎをして、ようやく言いたかった言葉が口をついて出る。
「私も、誰かに助けてほしかったから……。リュシアンが間に合ってくれて、嬉しかった」
私を守ろうとしてくれた人達はいる。
でもどんなに恐ろしくても、死ぬ確率が上がろうとも、兵士が城に残る限りは領民と一緒に逃げるわけにはいかない。
私はそう決意していた。
自分にしか責任がとれないから。
私は未来の夢を見てからずっと、その重圧から助けてほしかったのだ。
でもこれだけは、テオドールだって、セレナだって、ロージー達だって私の代わりににはなれないのだ。
責任を負う名目がないから。
逆に私は、場合によってはこの首一つを引き換えに、誰かを助けられる可能性がある。
それが何よりも重くて辛かった。
でも真っ最中は、そんなことを意識してたら何もできない。
だから見て見ぬふりをしてきた。
そしてリュシアンの約束さえ、私にとっては安心できる物ではなかった。
なまじリュシアンが来ない未来を見てしまったから、それを希望にしてすがるなんてできない。
なにより彼は、自分の領地に責任を持つ立場で。
私を助けるためだけに動けないのは、わかっていた。
一方でこんな弱音を、リュシアン以外には吐けないとも思った。
(みんなはきっと一時的に甘やかすか、聞かなかったことにするだろうから)
彼ら自身も、私と同じ責任は負えないとわかっている。だから逆に、甘い見通しを語るなんてできないと思うだろう。
ただ私の心が、一瞬でも浮上できるようにするしかない。
そんなことをさせるのも、私は嫌だったのだ。
リュシアンは一通り私が吐き出して、静かになるのを待ってくれた。
そうして言う。
「シエラ、よく頑張った。領主として立派だったよ」
一人で立って、進み続けたと認めてくれる。
私が頑張ったのは、それがほしかったから。
生き残って、やり遂げたと認めてもらえば……。
(私、自力で生きられるようになったんだって、その証明になるから)
ようやく望みの物が手に入って、私はようやく自分が危機を切り抜けたんだと実感した。
顔を上げて言う。
「ありがとう、リュシアン」
泣いた後だけど、ようやく笑顔で言えた。
そのことに満足した私に、リュシアンも微笑んだ。
「じゃあ、もういいかな?」
「何が?」
「君はもう、ちゃんと対等になったから。きっと聞いてくれるだろうと思って」
一体どういうことかと思っていたら、ふいにその顔が近づく。
たぶん疲れ切ってたせいだと思う。
ぼんやりと、相変わらず綺麗な顔だな、なんて思っていたのは。
青い瞳がよく見えると思った時には……唇に唇が重なっていた。
その瞬間は、よくわからなかった。
はっと我に返って、驚いて逃げそうになったところで、そもそも肩も頭もしっかりと抱き込まれている状態で逃げられるはずもなくて。
一方でそれが嬉しくて、優しい感覚に浸されたい気持ちになる。
まるで怖がって逃げようとしたのに、捕まった犬みたいだ、と自分のことをそんな風に考えてしまう。
誰かに拾ってもらいたかったけど、見に来る人は誰もが二度とは戻ってこなくて。
期待するのもつらくなってずっと、優しい手を拒否していた野良犬みたいな。
そんな自分だとわかっていたから、私はリュシアンが優しい理由を、私は考えないようにしていた。
うっかりと間違って、本当にリュシアンにその気がなかったら……。
勘違いのせいで、時々かまいに来てくれることさえなくなってしまいそうで、怖かったのだ。
なにせ私は何にも誇れる者がなかった。
何もないから、売られるようにしてローランドに嫁がされて。
リュシアンがたまたま紹介してくれたから、錬金術が使えるようになっただけ。
しかももらった領地が、早々に侵略されるなんて……。
他の誰にとっても、負債にしかならない存在になってしまったのだ。
また未来を見たからこそ、頼ったらリュシアンの死期を早めてしまうのではないかと怖くて。
だからどんなに優しくされても、領主同士だけど友達だから、という範囲だけで考えておけばいいと思って。
そうしたら、どちらかがいなくなっても、深くは傷つかないと考えていた。
それはリュシアンも気づいていたらしい。
顔が見えるくらいに離れた彼は、私を見つめて言った。
「君が自分の手で頑張るのには、邪魔になるだろうと思ったから、今まで言わなかった。考えないようにしたかっただろうし、負担にもなりたくなかった」
「よくおわかりで……」
「そんなだから、私が助けると言っていたことも、『依頼を全うしてもらうために、私が助けに行くと言った』と考えるようにしてたんじゃないかい?」
ぐうの音も出ない。
しかし意外なことに、リュシアンは「そして私も」、と続ける。
「気の迷いだったと後で思われたくないから、君が受け入れられるようになるまで言わなかった」
それはそうだ。
勢いで決めて、流された気の迷いで返事をしたとわかったら嫌だろう。
そこまで話したところで、リュシアンが問う。
「それで、嫌じゃないなら、良いってことでいいのかな? 君、はっきりと言葉では言いたくないだろう? 恥ずかしがりだからね、シエラは」
そんなところも、リュシアンはしっかりと見ていたようだ。
私の方はもう、どう答えていいかわからない。
けれど恥ずかしさを誤魔化すために、リュシアンを避けるのは嫌だ。
嫌いだと誤解されたくない。
迷った末に思いついて、リュシアンに自分からしがみつく。
もうそれではっきりとわかってくれたらしいリュシアンは、笑いながら抱きしめてささやいた。
「君が好きだよ」
それを聞いて、私はようやくリュシアンにうなずいたのだった。
だけどそれだけじゃだめなような気がして、何か言おうとした時。
「くしゅん!」
言葉より先にくしゃみが出た。
考えてみなくても、火竜を避けるために水浸しのまま、しかも湖から出ていない。
体が冷えて当然だった。
「ちょっと冷たすぎたね。まず、帰ろう」
「うん」
リュシアンと私はそう言って、顔を見合わせて笑ってしまった。




