1 念願の離婚です!
――今日を限りに、私は伯爵夫人ではなくなる。
「本当に離婚してしまうのね……」
ため息をついたのは、国王の隣の椅子に座っていた王太后だ。
地味な老婦人という雰囲気があるのは、白くなった髪は単純にひっつめた髪型で、ティアラなどの飾りがないからか。
王太后に話しかけられたのは、私の隣にいる男性。
黒髪を左右にきっちり二つ分けにした二十代後半の彼は王太后の親族、ローランド・グレイ伯爵。
今日離婚したばかりの元夫だ。
艶のある絹地で作られた灰色に銀糸の刺繍が細かくほどこされた上着を着ている彼は、顔のつくりこそ良いのに、表情が無い。
でもこれが、ローランドの標準表情だ。
「王太后陛下には、ご配慮をいただきながら申し訳なく……。しかしこの結婚を継続はできません」
ローランドはきっぱりと言う。
「この結婚は、シエラ・レーヴェンス子爵令嬢の両親によって騙されての結婚でした。もともとレーヴェンス子爵家では不正が行われており、それを暴いて処断しましたが……。そのような係累を持つ人間を、次期当主の母にはできませんので」
そこでようやく、中央の椅子にちんまり座っている国王が口を開いた。
国王もごく普通にそのあたりにいそうな顔立ちの中年男性だ。でも略式の冠をして、赤いビロードに金の飾りのマントに金の頸飾勲章を身に着けているので、国王だとわかる。
「そうですよ、母上。白い結婚の状態であったことは幸いでした。だからこの離婚を認めたのです」
そう、離婚は決定済み。
受理したという連絡を受け、私と元夫ローランドは、最後の挨拶に王太后に挨拶しに来ただけなのだ。
「かわいい姪の子であるローランドには、早く結婚してほしいとは思っていたけれど、こんなことになるなんて」
王太后は恨めしそうな目を私に向けた。
「容色はたいしたことはないけど、せっかくローランドが結婚する気になったから認めたのに……」
ひどい言われようである。
まぁ、私も自分がはっとするような美人だとは思っていない。
それに髪はさえない金茶色。瞳の色は昨今褒めそやされる澄んだ青ではなく、緑色だ。
が、国家権力の中枢にいる人に反論するわけにもいかないので、忘れるしかない。
私はこっそり深呼吸して、計画通りの言葉を口にした。
「申し訳ございません。ひとえに私めの努力が足りない結果でございます。つきましては両親が預かっておりました子爵位を返上いたします」
「……は?」
「子爵家の土地も王家に返上いたしますので」
「え? そこまでしなくても……?」
王太后がびっくりするのも当然だ。
貴族が爵位や領地を失っては、約束されていた税収もなくなり、国王から下賜される年金もなくなる。
私自身が犯罪者なら、命乞いの一環として納得したんでしょうけど。
「いえ、両親が不正を行っておりましたので」
「なんとまぁ……。そこまで責任を感じていらしたのね」
王太后が気の毒そうな表情をする。これで私への悪印象はなくなっただろう。計画通りだ。
しかしこのままではやりすぎになる。
両親が犯罪者の人を妻にしたと聞けば、嫌がるのが人だ。
けれど本人が罪人ではなく、しかも両親の犯罪で離婚までされ、土地も名誉も全て失ったと聞けば、同情するのも人である。
ここで問題なのは、助けようとする人が続出することじゃない。
自分は手を差し伸べる気はないけど、中心人物達を『心がない』と非難する外野だ。
世論がそのせいで『シエラ元伯爵夫人がおかわいそう、グレイ伯爵ったらひどい』という風潮になったあげく、押し流されて再婚させられては困る。
そこで発言したのは、元夫になるローランドだ。
「私の方も、彼女の家の状況を見抜けなかった失点があります。なのに元伯爵夫人が平民にまで落ちるのを見過ごすのは人としていかがなことと考え、我が領地の端の方を一部割譲と、子爵位を一つ彼女に譲ることとしました」
「まっ」
たぶん王太后は、ここが一番驚きポイントだったはずだ。
「人の心が……と言われていたあなたが、そんな暖かな配慮ができるようになったなんて。あなたの母もさぞ喜んでいるでしょう、ローランド。本当にやさしい子になったわねぇ」
王太后の発言を聞いて、たぶんすべての人が心の中で突っ込んでいただろう。
――二十七歳に『やさしい子』と言うのはちょっと、子供扱いすぎないか? と。
でも王太后は実子を二人亡くして以来、親族の子供にはだいたいこの調子なのでみんなが黙っている。
私も、速やかに手続きが進むように、うかつなことは言わない。
(ようやく契約結婚が終わるんだもの)
そもそも伯爵夫人になると決まったのは、ある日突然のことだった。
裕福な家じゃないのに、金銭感覚がゆるい両親が承認欲求から買い物依存になって、パーティーで目立とうとばかりしていたあげくに、借金が重なった。
それを解消するため、私を結婚させて、婚家からお金を引き出そうともくろんだ。
一方、当時のローランドは親戚である王太后から結婚するよう迫られていた。
けれど生来、人の感情がわからないタイプの人間であるローランドは、亡き両親から『結婚などしたら相手が自死しかねないので、やめておくように』と言い聞かされていた。
問題なければ遺言通りに独身を貫くつもりだったらしい。
でも、母の言いつけは秘匿せねばならない。
おおっぴらになったら、伯爵家そのものの評判が落ちるからだ。
そうして王太后の圧力に追い込まれたローランドは考えた。
――困っている貴族の令嬢なら、最初から別居を申し出ても大丈夫なのでは? と。
それで、折よく私の話を持ち込んだ私の親にうなずいてしまったらしい。
結果、私は身一つで追い出されるように嫁がされた。
まだ十六歳だった未成年の私に、親に決められた結婚に抵抗するすべはない。
(家出して独りで生きていける技術があったら良かったんでしょうけど。あの当時は無理だったわ)
いくら田舎貴族らしく野山を歩くことを知っていても、畑仕事ができる体力があるわけじゃない。
お金にがめつい両親が、私におこずかいをくれるわけではない。
もちろん、口を出されたくないからと、家計のことに口を出すのは禁止されていて、そういった方面の知識も深くないので、平民として雇われることもできない。
そして魔術師の端くれにすらなれない、魔力しかない私は、唯々諾々と従う道しかなかった。
そうして始まった結婚生活。
しかし初日のうちに、ローランドの側から「白い結婚を通させてもらうため、契約しよう」と聞いた時は、心底ほっとしたのだけど……。
(なるべく早く終わらせないと、私の命が危なかったのよね)
新しい作品はじめました。
副タイトルをつけるかどうか、まだ迷ってます。