第30章
第30章
「ところで、世界の歴史はご存知かしら?」
イリューシアはティーカップを皿に置きながら言った。
しかし、誰も答えられない。
司祭に神話を聞いたが、実のところ内容をあまり覚えていなかったからだ。
「では、魔王領に伝わる歴史をお話し致しましょう。こちらの神話とは大きく異なる歴史ですので、混乱させてしまうかもしれませんが…」
イリューシアは静かに語り出す。
-遥か昔……人と魔族に区別はございませんでしたの。
皆が共に暮らし、森を敬い、空を仰ぎ、海と共に生きておりました。
ですが、人間は他種族に比べて、とても脆弱な存在でしたの。
病に倒れ、災いに怯え、命の灯がすぐに消えてしまう…その儚さが、時に美しく、時に哀れでございましたわ。
そんな折、世界樹の賢者たち…
世界樹と心を通わせる、世界樹の代弁者…
現代で言う『魔王』が人とその他を明確に見極め、弱き者を守る術を考え出しましたの。
それが、あなたたちがおっしゃる『神器』の始まりですわ。
神器はただの判別具ですのよ。
色を示すだけの…
えぇ、魔力の色は、数え切れないくらい、人の数だけ異なりますもの。
指紋と一緒ですわ。
赤は人間、白は人間の中でも体の強い者。
黒は……人間以外の多様な命の証。
神器が示す魔力の色はただそれだけ。
ただ、『境界』を示すだけのもの-
そこまで語ると、イリューシアはチラッとカイルを見た。
カイルはその視線につられ、イリューシアから目が離せない。
イリューシアは庭園を眺めながら、更に続けた。
-多種族で暮らしている以上、混血は避けられない。
しかし、それが災いを呼びましたの。
人間の母体は、多種族の子を宿すと高い確率で死を迎える…。
だからこそ、人間とその他の種族は完全な棲み分けが選ばれましたの-
静寂が落ちる。カイルの表情がほんの少し曇るのを、イリューシアは見逃さなかった。
「そして今は、世界樹を中心に、それぞれが自分たちの領土を治め、平和の均衡を保つ世界となりましたわ」
イリューシアは微笑む。しかし、その紅水晶の瞳はどこか憂いを湛えている。
「……不可侵条約…。これは、戦争で誓った誓いではなく、本来は人間を保護する目的で定められた条約ですのよ」
意味深な笑みと共に、イリューシアはミナへ視線を投げたが、ミナはキョトンとしながらスケッチ帳をいじっているだけだった。
「しかし、人間は短命なためか、この歴史の解釈がずれ、今の神話になったのでしょう」
そう言い残すと、イリューシアは紅茶を口に運んだ。
すると、アルヴィスがおずおずと手を挙げる。
「魔力の色は関係ない…と言ったが、光属性は人間の王家特有の力だ。これでも関係ないのか…?」
アルヴィスの不安そうな顔を見て、イリューシアはクスリと笑う。
「わたくしも光属性魔法を使えましてよ。神器で魔力が黒と判定されているにも関わらず。ただ、白い魔力の人間は光属性の使い手を多く輩出しておりますの……答えはこれでいいかしら?」
「アルは闇属性なんじゃなかったのか?」
カイルが半笑いでアルヴィスを覗き込む。
「そ、そうだぞ!我は闇のプリンス!光などでは決してない!」
「アルらしいや」
そう言って笑うカイルから、アルヴィスは目が離せない。
そんな二人を見て「尊い♡」とニヤニヤしながらスケッチをするミナ。
そんなミナを愛おしそうに見つめながら、イリューシアは誰にも聞こえないような小さい声で呟いた。
「よかった。今が幸せですのね、ルビー…」




