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第六話『きみは近づきになる世間話のたね をさがさなければならない。そして最初の言葉は一般の、ありふれた言葉をいうことだ。』

「え、あ、は...?」


少女と視線が交差する中で、弘乃は再び混乱に陥っていた。異国の言葉が耳に響いたためである。

英語にはある程度自信があった彼であるが、これほどまでに発音や文法が分からない言語となるとお手上げである。しかし、今彼にできることなどない。相手と会話する以外には術はないのである。


そう混乱が収まるまで、大体三十秒ほどか。中津弘乃は混乱の回復から、現状の把握へとシフトした。もちろん、この状況を受け入れられてはいない。

色々な衝撃に撃たれた結果、分からないことが多すぎて逆に落ち着いてしまっただけである。


まずは、少女の態度を見た。

(警戒、は、されていない感じか……?)

普通ならば、弘乃が何をしても即時に対応できるよう武器やらバリケードやらを用意していてもおかしくはないが、彼女はそういった類の物は一切用意していなかった。

しかし、警戒をしていない、というわけでもなかった。その点で弘乃は間違っていた。

それは、弘乃がいつ暴れてもなんとかできる絶対的な手段を確保している、という安心感からくる態度であった。


「......」


互いにダンマリを決め込んでいる。

少女は、返事を待っている、と言うべきか。

その髪と同じ色をした眼は弘乃の顔を捉え続けている。目つきはジトっとしており、今弘乃と対面しているからなのか、常にこれなのかは、今の彼からは判断できなかった。

そう観察しているうちに、少女は再びその小さな口を開く。


「Ymmärrätkö kieltä?」


「…いや...え...」


分からない。理解ができない。

言葉が通じないというものは、人にかなりの恐怖を植え付ける。海外旅行に行ったことのない弘乃はこの時に初めてそれを実感した。

弘乃はどうにかして、現状の解決を図ろうと、頭の中の記憶をくまなく吟味する。使えるものはどれか、もっと効果的なのはどれか。


まず思いついたのは、英語で喋ることであった。

世界共通言語として、世界中の人間から全幅の信頼を置かれている英語であれば、最低限の意味は通じるであろう。


「あー、C、Can you understand my saying...?」


高校生の、付け焼き刃の英語だ。

だが、先ほど言ったように弘乃は英語に自信があった。喋ることには不慣れであるが、文法といった受験教科としては、しっかりとした成績を収めていたからだ。


実際、彼の放った英語は、英語を勉強した人間であれば理解ができるものであった。片言ではあったが、言おうとしていることは誰でも分かるものだったのだ。


しかし――


「...?」


『何を言っているのだこいつは』といったふうな視線を向けられてしまった。公用語の敗北である。


再び思考。言葉が以外の方法を考える。考えて、言葉が通じないのであれば、ジェスチャーがあることを思い出した。


思いつけば実行あるのみである。

弘乃はまず、つい先ほどまで締め上げていた自らの喉を指差した。同時に口をパクパクと動かす。それらの動作の後、手をバツの形にして『言葉が分からない』ことを伝えようとする。


「......Ah, en ymmärrä sanoja...」


伝わったのか否か、少女は短い言葉を呟くと、再び手元の羊皮紙に目を移し、メモをし始めた。

弘乃は何をしたらよいか分からない。しかし、何かしらのアクシデントは起こせたことに、少しの達成感を得ていた。


―――――――――――――――――――――――


対話を試みてから二分ほど経過した。

中津弘乃はまだ、ここにきた時と同じ場所に立っていた。棒立ち、待ちぼうけ、である。


何を待っているのか。

一気呵成に動き続ける少女の小さな手をである。


少女は、時々弘乃を見た。

見る場所は毎回違っていた。

最初は全身を見られた。

次に、顔を見られた。

そして次は、胴体周辺を見られた。

その度に、何かしらのメモを取っていた。


ここまでくれば弘乃も理解した。

自分は実験室のモルモットであるのだと。

少女はさながら研究者のようで、呼吸の回数といった細かな情報も絶対に見逃さないといったふうであった。

互いに黙ったままの二分間、過ごす時間が長くなればなるほど、意識する箇所も変わってくる。

まず、少女の呼吸を意識するようになる。だが、そんなものはすぐにどうでもよくなった。次に長いまつ毛、これもどうでもよくなった。目の前に謎の少女がいるという事実も、次第に自然なものとなっていった。


次に、外部を意識し始めた。

この部屋には窓が二つある。どの窓も木造りのシンプルなものだ。ガラスは年季があるのか、少しひび割れており、ガタついていた。

窓の色は真っ暗だった。流れるような白い斑点が所々にあったが。

そしてこれが、外の風景であり、時間は夜で、天気は雪なのだと弘乃は理解した。

そこまで強いものではなく、ガラスを打ちつけるような威力もない。数だけはそれなりに多かったが、それでも部屋にまで音が聞こえるほどではなかった。


無音なこの部屋と、音が降る外界。

この部屋だけが、この世界から抜き取られているかのように、弘乃は感じられた。


カリッとペンの音が止んだ。

今までになかった動作に、弘乃は事態が動き出すことを悟る。互いに無言でありながらも、互いが互いを意識下に置き始めていた。存在の認識ではなく、一人の人間として、意識し始めたのだ。


まず、少女が立ち上がった。

反動で後ろに下がった椅子が、無造作に投げ置かれる。少女は弘乃から見て右側へと歩いていった。その先に目をやってみれば、小さめの棚が置かれている。

写真といった類はない。置かれている品は三つほどしかなく、棚としての役割が果たされているのかは疑問であった。少女は棚の前につくと、その中の一つ、何かしらのペンダントを手に取り、こちらを向いた。


目を合わせる。やはりジト目であった。どうやらこれが普段通りの表情であるらしい。

そのまま、歩を進める。

机に? いや、弘乃にである。

弘乃は少し驚いた。初めての急接近であったからだ。

目の前にあった薄いガラス板を、いきなり粉砕されたような気分であった。

しかし、少女は歩みをやめない。

誰とも知らぬ人間が自分に近づいてきていることに恐怖を感じたのであろう。弘乃は無意識に後ろに下がり始めていた。今までは干渉されることがなかったのだ。このように何かしらの接触をしようと近づいてこられれば、どんな人間でも怖い。


後ろに下がる弘乃に、少女は少し眉を顰めた。怯えられていることが不服なようであった。ともすれば、先ほどの二分間は現状を受け止めるために少女がくれた時間であったのかもしれない。

少女からすれば満足な時間かもしれないが、現状を何も知らない弘乃からすれば、一時間あっても足りないものであろう。


しかし、少女もそれが想定内であるかのようだった。次は少女が軽いジェスチャーを始めた。両手を胸あたりにまで上げて、掌を下に向け、上げ下げしている。『落ち着け』ということであろう。


弘乃はそれを見て、互いに初めて取れたコミュニケーションに謎の感動を覚えていた。感動というものは偉大である。あらゆる負の感情を軽減することが可能な心の緩衝材になる。


弘乃もその例に漏れず、勇気を出してその場に立ち止まった。少女は変わらず歩み寄る。互いの距離は次第に近くなる。あと五歩、四歩、三歩、二歩。

そこまできたところで、少女は立ち止まった。

手を伸ばせば届く距離だ。

先ほどよりも少女の姿が鮮明に見える。

身長は150台半ばといったところか。

口は小さく、小鳥のような形をしている。

表情の変化はあまり見られないのだろうなと、顔を見ただけで判断ができるほどの仏頂面であった。

まるで、人形のようなイメージを抱かせる少女であった。


「...?」


少女は無言で腕を伸ばしてきた。

握り拳の中には、あのペンダントが入っている。

弘乃は自分の手を少女のものより下にした。少女はそれをポトリと弘乃の手に落とす。見た目に反してそれなりの重さをもっていた。

弘乃は指でつまむようにして、ペンダントの宝石部分を見る。淡い緑色をしていた。紐は麻でできており、ザラザラとした触感を持っている。綺麗なひし形に彫られており、ランタンの炎の光が反射して、真っ赤な色が少し揺らめいていた。


弘乃は少女を見る。

またジェスチャーをしていた。

ペンダントをつける動きだ。

意味はジェスチャーの通りであろう。弘乃はそれに従って、自らの首に潜らせるように通し、かけた。

ザラザラとした紐が痒かったためか、少し顔を顰めたが、すぐに慣れたようである。

ペンダントは少しだけ揺れた後、ピタリと動きをやめて停止した。


ペンダントをつけた後、弘乃は少女の視線に気がついた。この数分間で何度も交わした視線だ。その髪色と同じ白い瞳にも、すでに慣れてきていた。少女は再び右手を伸ばして、人差し指と中指でペンダントの宝石に触れた。弘乃はすでに少し警戒を解いていた。彼女が自らに危害を加えることはないと考えていたからだ。


この油断が弘乃を後悔させることになった。


「Voi vähän särkeä」


「ん……?」


少女は彼の瞳を見つめながら何かしらを呟いた。

言っていることは分からなくとも、これまでの言葉とはニュアンスが違うことに、弘乃は気づいた。気づいて――


――脳内に火花が駆け巡り、散った。


「ッッッッッッッッッッ!!?」


読者の方々は、小学生のころに死んだカエルに電気を流す実験をしたことがないだろうか。流された電気に筋肉が反応し、ビクンビクンとなるアレである。

今の弘乃を例えるのなら、そのような状態であった。


手足が痙攣し、打ち上げられたように全身が跳ね、身体は無意識下で動き背後へと跳躍した。背中から地面に激突し、痛みの発生源である頭を必死に押さえつける。

脳みそに直接デコピンをされたような激痛が弘乃を襲っていた。痛みは頭から身体にまで余波を巡らせ、身体が異常自体を警告していた。


今の彼に怒りはなかった。後悔はあった。困惑はあった。そして噛み砕くことのできない悲しみがあった。

同時に今日が人生最大の厄日であると確信した。


酸欠状態に陥り、見知らぬ人間に観察され、脳内の激痛に苦しめられる。


「あ、が、……! ……!」


おそらく人生で経験することのないであろう激痛、そして厄日。今の彼にはこの世の全てを責める権利があった。

しかし、先ほども言ったが、彼は少女に怒ることはなかった。怒れば、その人間に嫌われてしまうかもしれないからだ。弘乃にとって、それは何よりも避けたいことであった。


「あら、そんなに痛かった? ごめんなさい。私も使うの初めてだったから」


「ははっ……だ、だい、じょ、うぶ……だよ」


少女の声かけに返答し、頭の痛みが引いてきていることに気付いた。どうやら激痛は一瞬のものであったようだ。

どこかへ飛んでいってしまいそうな意識をしっかり仕舞い込んだ後、弘乃はふらっと立ち上がり、頭を片手で押さえながらも、なんとか少女の方に向き直した。


そうして、痛みが引く安心を感じ、疑問を感じ、逡巡し、再び困惑に陥った。


「え、あれ、いま、喋って――」


「……会話成功ね。その様子だと、やっぱりまだ現状を受け入れられてないようだけども」


「え、は……」


困惑、困惑、困惑、困惑、困惑。

もはや弘乃に、何かを理解するような思考力は残っていなかった。あらゆる異常が彼を押し潰さんとしていた。しかし、考えることはできなくとも、人間には直感というものがある。彼は無意識下でなぜ急に対話できようになったか探り、すぐにネックレスが原因であると確信した。


「……!! ……!?」


ネックレスと少女を交互に見る。

先ほどの激痛はネックレスによるもので、いま喋れているのもネックレスによるもので、つまり、全てこのネックレスをつけさせた少女によるもので。


困惑は思考の流れを正常なものへ回帰させることを許さない。現実と当たり前が噛み合っていないが故にこそ起きる脳のエラーであった。


「貴女が知りたいであろうことを三つ、簡潔に言うわ。

一つ、喋れるようになったのはネックレスの効果。

二つ、ここは貴女が元々いた世界ではない。

三つ、貴方を呼んだのは私。召喚したのよ。」


簡潔さはときに更なる混乱を呼ぶ。

一つ、喋れるようになったのはネックレスの効果。

どうやって喋れるようにした?

二つ、ここは貴女が元々いた世界ではない。

ではここはどこなのか?

三つ、貴方を呼んだのは私。

なぜ召喚することになったのか。


疑問は枝分かれし、その先で新たな疑問という花を咲かせる。聞きたいことはいくつもあるし、納得できないこともいくつもある。どれから聞けばよいのかは、分からない。


彼はあまりの情報量に頭痛のことなどさっぱり忘れてしまっていた。そして、こう返答したのだ。


「……はぁ?」

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