打ち明けられる過去
「…遅いな」
「そう、ですね」
毎度対面している応接室でつぶやくユーリとキナード。
最近は約束の時間より早く来るフェリーツェに合わせてそろそろだろうと待機していたのだが、いつも来る時間を過ぎても馬車が来ず首を傾げる。
カティアと話すのを近頃の楽しみにしているキナードも時計を確認した。
「まあでも、まだ面会予定の時間を過ぎた訳では無いですしね。そろそろ来るんじゃないですか?…あ、ほら。言ってる側から来ましたよ」
窓から外を見たキナードが、馬車の到着を確認して教える。
少し不安に思っていたユーリもホッとして、迎えに行きたい気持ちを堪えながらフェリーツェが部屋に来るのを待った。
「失礼します」
「ああ、来たか」
さも自分も今さっき部屋に来ました感を醸し出すユーリ。
手人形で手を差し出し、フェリーツェ人形が応えるように手を握った。
一方でキナードもカティアに挨拶しようとしたが、目を合わせた瞬間に口を閉じる。
姿勢を正して壁際に控え、主人達を静かに見守った。
「ギリギリの時間になってしまってすみません」
謝りながら頭を下げるフェリーツェ人形。
ユーリ人形がすぐに首辺りを左右に振る。
「いや、遅刻した訳でもないし気にする事はない」
「ありがとうございます」
と、ユーリも即座に違和感を覚えた。
フェリーツェの声に元気が無く、手を握る力もいつもより弱々しいと感じたのだ。
「…それより、何かあったのか?」
聞かれてフェリーツェは「え!?」と驚きの声をあげた。
会って早々に気付いてくれるだなんて思っておらず狼狽える。
昨日の手紙のことで一晩悩んだもののユーリに言うべきかの答えは出せず、未だに迷っていたのだ。
その為つい動揺が態度に出てしまった。
「あの、えと、はい。ちょっと…色々ありまして」
それでも正直に内容は言えず、誤魔化すように笑って答える。
頼られない事に悔しさを覚えユーリは更に踏み込んだ。
「良かったら話してくれないか?私にできる事なら力になろう」
ユーリの言葉で、不安でいっぱいだったフェリーツェは泣きそうになった。
俯いて涙を堪えながら質問する。
「…ユーリ様は女性嫌いなのに、どうしてそんなに優しくしてくれるんですか…?」
このままでは甘えてしまいそうで、そんな言葉を投げ掛けてしまう。
ユーリはフェリーツェに届くようにと誠心誠意答えた。
「確かに私は女性に嫌気が差しているが…フェリーツェのことはそんな風に思っていない」
「ぇ…」
「寧ろ好ましいとさえ思っている」
「…へ!?」
思いがけない言葉にフェリーツェは耳まで真っ赤になる。
自分の言葉を信じてもらえるようにとユーリは告げた。
「そもそも私だって、『女なんてみんな同じだ』などと短慮なことを考えている訳ではない。まともな女性だって沢山いると理解はしているんだ」
女性全般が嫌いなんだと思っていたフェリーツェは更に驚く。
ユーリは少し暗い声で話を続けた。
「だが…私に近付いてくる女は大抵が公爵夫人の座を狙うか私の容姿に惹かれた者ばかりだった。何がなんでも自分のモノにしたいと、媚薬を混ぜた飲み物を口にさせられそうになった事もある」
「…!」
酷い話にフェリーツェは片手で口を覆う。
まさか薬まで盛ろうとするなんてと。
「まともな女性もいる筈だと頭では分かっていても…そんな事が積み重なる内に嫌になってしまった。女性だというだけで、近付いてこられると嫌悪感を覚えるようになってしまったんだ」
当然のように思えた。
ユーリのような立場にいれば、確かに自分から近付くのは強かな女性ばかりだろう。
淑やかな女性は押し除けられて近付けなかっただろうし、ユーリが女性嫌いだと広まった後はまともな人なら気遣って必要以上に話しかけたりしない。
結果的に我が強い女性ばかりに寄ってこられ、女性嫌いに拍車がかかったのだろうと想像できた。
「でも、君は違う」
ユーリの取り巻く環境に心を痛めていたフェリーツェに、優しく言葉が掛けられる。
ユーリ人形が両手でフェリーツェ人形の手を握った。
「君はいつだって嘘をついたり騙そうとしたりせず、素直でひたむきだった。私の爵位や容姿で判断する事も無かった。時には気遣い、助けてもくれた。フェリーツェが私の婚約者になってくれて…本当に良かったと思っている」
こんなにも真っ直ぐに想いや感謝を告げられて、フェリーツェは胸が熱くなり瞳を潤ませる。
それから、打ち明けてくれたユーリに自分も応えるべきだと思った。
「私も……元は男性恐怖症なわけではありませんでした…」
知っていた事実だが、決して言ったりせず静かに耳を傾けるユーリ。
ぽつぽつとフェリーツェも過去のことを話し出す。
「父や弟とも仲が良かったし…貴族の娘なのに、いつか素敵な男性と恋をしてみたいなんて夢を持ったりもしてたんです」
両親の話に憧れ、自分も必ず恋愛結婚をしようと心躍らせていた少女時代のフェリーツェ。
当時は恋愛系の本を読んでは胸をときめかせていた。
「でも、成長と共に…知らない男性の目に嫌な感じを受けるようになりました」
理由はユーリも予想できた。
他の令嬢達よりも女性らしい身体つきに、いやらしい視線を向けられたのだろう。
向けた奴ら全員の目を潰してやりたいと憤る。
「それでちょっとずつ、男性を苦手に思うようになったんです。それでもまだ苦手の範囲に収まるくらいだったんですが…覚悟を決めて社交界デビューをしたら、母親のように身体で男を籠絡していると根も葉もない噂を立てられてしまいました。不躾な視線に、更に男性を怖いと思うようになったんです」
苦しげな声で語られ、ユーリ人形は今一度フェリーツェ人形の手をギュッと握った。
フェリーツェ人形から震え出したのが伝わってくる。
「で、でも…そんな中で……その…」
「…フェリーツェ。無理して話さなくても良いぞ?」
「い、いえ…、だ、だいじょう…」
言い掛けて、フェリーツェ人形がバッとユーリ人形から離れた。
驚くユーリの前に別の手人形が掲げられる。
「ぶじゃないので、人形で話させてください!」
唐突な人形劇開催の報せにポカンとするユーリ。
恐らく人形を使った方が話し易いのだろう。
それはそれでフェリーツェらしいなと思い、ユーリは1つ笑って頷いた。
「わかった。それで続けてくれ」
了承を得て、フェリーツェは両手に手人形を嵌めて話し直す。
「そんな中で1人だけ、私に優しく接してくださる男性が現れました。ホアノ・ラークソリッド侯爵令息様です。金髪碧眼という程ではないですけど、金に近い茶髪と青っぽい瞳だったので当時の私にはまるで勇者様のように映りました」
フェリーツェ人形の前に、孤児院での人形劇でも使った勇者人形が現れた。
親しそうにする2人の人形。
「噂も気にせずに話し掛けてくださり、とても素敵な人だと思ったんです。独りきりで寂しかった私は簡単に惹かれてしまいました」
一緒にダンスを踊る姿が再現され、ユーリはモヤモヤとした気持ちになる。
それでも我慢して黙って聞くユーリにフェリーツェは話し続けた。
「その内に、ラークソリッド様から正式に婚約を申し込みに行きたいと言われました。私は舞い上がって彼を屋敷へと招いてしまったんです」
フェリーツェのいる屋敷へとやってくる勇者人形。
2人は向かい合って座る。
と、直後に勇者人形が引っ込められた。
「…でも、それは間違いでした。ラークソリッド様は色々と理由をつけて使用人達を部屋から出したんです。そして2人きりになった途端…ソファへと押し倒されました」
勇者人形がウェアウルフを模したオオカミ人形へと変貌する。
オオカミ人形がフェリーツェ人形へと覆い被さり、ユーリも息を呑んだ。
「結婚するなら身体の相性も大事だろうと言って、婚前交渉を持ち掛けてきたんです。幸い、私の悲鳴を聞いて駆け付けたカティアが助けてくれて未遂に終わりましたが……本当に…怖く、て……」
怒りのあまり手を握り込むユーリ。
他の貴族にホアノは自分が襲われたかのように言っていた。
けれど襲ったのは自分の方ではないかと殺意さえ覚える。
「後に調べて、1つの事実が判明しました。そもそも、私の悪い噂を流した人物こそラークソリッド様だったのです。孤立してしまったところを助けて口説き落とすというラークソリッド様の策略に、私はまんまとハマっていたのだと…」
悲しそうに俯くフェリーツェ人形。
カタカタと震え、話す声も涙声になった。
「力の強い男性に組み敷かれた恐怖と、信じていたこと全てが嘘だったと分かったショックで…私は、もう男性に近付くことができなくなりました…」
「…っ」
あまりに不憫で、ユーリは顔を歪める。
しかし話はここで終わらなかった。
「…でも、今も策略は続いてるんです」
「!今も…?」
信じられず目を見開いて聞き返す。
フェリーツェ人形は震えながら頷いた。
「はい…。自分を被害者と偽って私の悪い噂を広めて…誰も私に近付かないようにしてます。そうして他の男性達を排除して、悠々と求婚してきてるんです。私がラークソリッド様と結婚するしかない状況を作ってるんだと思います…」
なんて卑怯な男だと、ユーリの怒りは膨らむばかりだ。
もしも今回ユーリと婚約を結んでいなければ本当にホアノに嫁ぐしかなかったかもしれない。
フェリーツェの恐怖は計り知れなかった。
こんな目に遭ってるフェリーツェを助けたい。
そう考えてユーリは、フェリーツェを怯えさせないようにゆっくりと人形で寄り添った。
「…フェリーツェ、話してくれてありがとう」
お礼を言ったユーリ人形に顔を向けるフェリーツェ人形。
ユーリ人形は優しくその手を包み込んだ。
「いま君の婚約者は私だ。ラークソリッド卿と結婚など絶対にさせない。必ず、私が守ると誓う」
「ユーリ様…」
ユーリが断言してくれたおかげで随分と恐怖が薄れる。
けれどユーリはまだ足りないと、更に提案した。
「そうだ。当時の君を助けることはできないが…せめて記憶を上書きしてみないか?」
「記憶を上書き…ですか?」
「ああ。起きてしまった事実を変えることは無理でも、記憶を置き換えることはできるだろう?君が危機に晒された瞬間、私が助けに入ったと想像してみてくれ」
想像しろと言われて戸惑うフェリーツェ。
どうすればと迷っていると、ユーリ人形が動いてフェリーツェの嵌めているオオカミ人形を抜き取った。
ユーリが逆手にオオカミ人形を嵌めて、フェリーツェ人形へと近付く。
「君にラークソリッド卿が襲いかかる前に、私が間に割り込むんだ」
フェリーツェ人形を守るように颯爽と現れ間に入るユーリ人形。
そしてラークソリッド卿に見立てたオオカミ人形をぽかりと殴った。
パッとフェリーツェ人形に振り向いて言う。
「『無事か!?フェリーツェ!』」
まるで、本当に助けてくれたような状況が脳内で再生された。
感極まり、反射的にフェリーツェ人形はユーリ人形へと抱き着く。
まさか抱き着いてくるなんて思わなかったユーリは驚いて一瞬硬直したが、優しく抱きしめ返した。
「…ありがとうございますユーリ様。なんだか本当に、記憶が書き換わった気分です」
「そうか…それなら良かった」
絵本の読み聞かせも上手くできなかった筈のユーリが、柄にもなく自分の為に演技をしてくれた。
未来の自分だけでなく過去の自分までも助けようとしてくれた。
その優しさに胸がいっぱいになって、フェリーツェは堪えていた涙をこぼした。
「…もう暫く、こうしていても良いですか?」
「ああ。もちろんだ」
現実で見れば手を握り合っているだけの状態。
でも心の中ではフェリーツェ自身が抱き締めてもらっているようで温かかった。
あんなに男性が怖かった筈なのに、ずっとずっとこうしていたいと思ってしまう。
しかし、暫くしてフェリーツェ人形はプルプルと震え出した。
「フェリーツェ?大丈夫か?」
異変を感じ取って心配して聞くユーリ。
フェリーツェは小さな声でまごまごと答えた。
「その…こんな雰囲気の時に言いづらいんですけど…」
一体何だろうとユーリは首を傾げる。
恥ずかしそうに迷ってから、フェリーツェはもう無理だと白状した。
「う、腕が…そろそろ限界で…!」
重い内容を想定していたユーリは思わずポカンとする。
言われてみれば、フェリーツェ人形だけはここに来てから一度も休むことなく衝立ての上に出っ放しだった。
ある程度慣れているとはいえ、フェリーツェの細腕では耐えきれないだろう。
甘い雰囲気が一気に崩れ去り、ユーリはつい笑ってしまった。
「すまない、配慮が足りなかったな。ではこれならどうだろう?」
「?」
フェリーツェ人形を抱きしめたまま横に移動し始めるユーリ人形。
引っ張られる形でフェリーツェ本人も衝立ての端の方に移動する。
そして抱きしめた状態を維持したまま衝立てのサイドに人形の場所を移した。
相手の姿は見えないけれど、腕だけは下ろされた形だ。
「ここなら腕も疲れないだろう?」
「…っ」
離したくないけれど諦めて一度手を離すしかないかと思っていたフェリーツェは、また喜びに満たされた。
どうしてこうも自分の願いに応えてくれるのだろう。
こんなの好きにならずにはいられないと、自身の想いを素直に受け入れた。
「…ユーリ様」
「ん?」
「私も…ユーリ様が婚約者になってくださって、本当に良かったです」
「!」
フェリーツェの言葉にユーリも幸福感に包まれる。
互いの想いを確かめ合った2人は、時間が許される限りずっとずっと人形を抱きしめ合わせ続けたのだった。
「…さて」
フェリーツェが帰った後、執務室にてユーリは血管を浮き立たせながら手を組んだ。
「とんだクソ令息がいたもんだな」
「ええ、同感です」
キナードも青筋を立てながらユーリに同意する。
ホアノの行動はとても許されるものではなかった。
「お前が調査してくれた内容と、ほぼ一致しているし間違い無いだろうな」
「そうですね」
頷きながらキナードは改めて手元の資料に目を通す。
フェリーツェの調査結果が記された資料だ。
「噂の発端自体は、昔伯爵夫人にフラれた男性を父親に持つ令息や令嬢だったみたいです。それを耳にしたクソ卿が、使える噂だと利用したんでしょうね。自分がフェリーツェお嬢様を手に入れる為に」
「聞けば聞くほど腹立たしいな」
一時はその噂を鵜呑みにしていた自分にも腹を立てながら、ユーリはフェリーツェを守る為にどうすべきか考えた。
やはり一番手っ取り早いのは、婚約者は公爵家の人間である自分だと発表してしまうことに思える。
決心し、ユーリは顔を上げた。
「…キナード。来週王室主催の夜会があるな?」
「ええ、ありますね」
「その夜会で、フェリーツェとの婚約を発表する」
ユーリの発言に仰天して一歩後ずさるキナード。
「うわ、ユーリ様思い切りましたね!王室主催のイベントでやっちゃおうなんて!」
「一番早いのがそれだからな。どうせ今回のは貴族達との親睦を深めるための大して重要では無い夜会だろう?イベントを1つ追加したところで問題無い筈だ」
そんな事を言えるのは次期公爵の貴方くらいだろうとキナードは苦笑いする。
それと、可能だと断言する理由はもう一つあった。
「まずは王太子殿下の許可を貰う。手紙を出すから届けてくれ」
実はユーリは王太子と学生時代からの交流がある。
爵位を継ぐために色々学びたいと通った学校で、たまたま知り合った殿下と仲良くなったのだ。
気さくな性格なのを把握しているので、必ず了承するだろうと確信を持っていた。
「はぁ…本気なんですね。分かりました。直ぐに手配します」
ユーリの考えが変わりそうにないと窺い知れ、キナードも腹を括って動き出す。
フェリーツェを守るため、婚約発表の日程をとんでもなく直近に設定したのだった。