従者達の見解
「それにしてもお嬢様、先日はよく公爵令息様に触れられましたね」
「うん、自分でもビックリしちゃった!」
自室で出掛ける準備をしながら話すカティアとフェリーツェ。
フェリーツェは当時の心境を思い返した。
「…貴族の人って相手が平民だと、ましてや孤児なら尚更ひどい態度を取ったりするでしょう?表向きには良い顔してても、裏では悪態ついてたりとか」
「ええ、そうですね」
あちこちの孤児院に頻繁に通っているフェリーツェは稀に他の貴族の訪問者を見掛ける事もあるのだが、明らかに貴族相手とは態度が違うのだ。
大抵は見下しているか可哀想な子を見る感じで、対等に接してなどいなかった。
「でもユーリ様は全然そんな感じ無かったから。この人なら怖くない、大丈夫だって思えたのかも」
お金だけで済ませたりせず、子供のことを考えて絵本を用意してきたユーリ。
文句を言われた時だって生意気だと憤ることもなく、どうにか要望に応えようとしていた。
危害を加えるような人じゃないだろうと思ってはいたものの、あの時フェリーツェは心底ホッとしたのだ。
同時に、この人は信じられると確信も持てた。
「それに、人形同士だったのも良かったわ」
「あぁ。直接手を見た時は大変でしたもんね」
「そっ、それはもう言わないで…!」
以前の失態を思い出して恥じ入るフェリーツェ。
その間に、カティアはフェリーツェの装いを整えた。
「さあお嬢様、準備できましたよ。とてもお綺麗です」
「! ありがとう、それじゃあ早く行きましょう!」
今日も今日とてユーリの所へ向かうフェリーツェは、見せるわけでもないのにいつも以上に格好にも気合を入れていた。
準備が整うや否や足取り軽く馬車へと向かう。
その様子を、カティアは黙って見ていた。
しかし屋敷を出てルンルンとフェリーツェが馬車に乗り込んだところで、いよいよ教えてあげようと口を開く。
「ところでお嬢様」
「ん?なあに?」
フェリーツェはご機嫌なまま首を傾げる。
「この間まで行くのを嫌がってたのに、随分と嬉しそうですね」
早く乗ってとばかりに急かしていた手をピタリと止めるフェリーツェ。
それからカァッと赤面した。
(え?え?私いつの間にか、ユーリ様に会いに行くのを楽しみにしてた??)
頬を押さえて顔の熱を両手に逃がそうとするが、火照りは治まりそうにない。
完全に無自覚だっただけに余計に恥ずかしくなる。
でも、ほんの少し考えてから眉を下げた。
(そんなの…女性嫌いなユーリ様にとっては迷惑でしかないのに…)
身の程知らずだなと反省しながら深呼吸する。
気持ちを落ち着かせて、ユーリを困らせないよう気を付けなくてはと自分に言い聞かせた。
一方で、迷惑どころかソワソワしながらユーリはフェリーツェの到着を待ち侘びていた。
「…フェリーツェは、まだ来ないのか?」
「え?あー、まだ約束の時間には早いですね」
キナードの返しに「そうか…」と答え、執務室で書類の処理をしながらハァと溜息を吐くユーリ。
その様子に、キナードはまさかと鼻息を荒くした。
「あれ?あれれ?先日怪しいとは思いましたけど、ユーリ様もしかして…!?」
「……」
詰め寄られても否定せずに書類を見つめるユーリのそれは肯定だ。
キナードは更に興奮する。
「うわぁ〜っ!まさかユーリ様にこんなめでたい日が来るなんて!いや分かります!フェリーツェお嬢様はとても可愛らしいお方ですもんね!」
「…何だと?」
「大丈夫です!ボクの好みはカティアさんの方です!」
殺気を感じ取って即座に身の安全を確保するキナード。
ちょっとした言葉にまで嫉妬するとは本気なんだなと実感した。
「けど、どうするんです?このまま行けば婚姻は結べますけど、形だけの結婚になりますよね?」
「ぐ…っ」
反論できず口籠るユーリにキナードは現状を立て並べる。
「今は結婚式を無事に乗り越えるために努力してますけど、式が終わった途端に衝立て生活に戻るんじゃないですか?ユーリ様も極力会わないのを婚約の条件にしてましたし、フェリーツェお嬢様の条件も衝立てありきでしたよね?」
「…」
「それに結婚してもお飾りの妻だって断言してましたしね〜。あ、情夫を連れてきても良いって言いましたっけ?そうなると男性恐怖症が治ったとしても違う男性と恋仲になるかもしれないですね〜」
「…」
ーーピキッ ピキピキ
「ユーリ様!冗談ですから!!部屋を凍らせるのはやめてください!!」
ユーリの体から魔力が漏れ出し室内が凍りついて吐く息も白くなる。
恐怖のせいか寒さのせいか体を震わせて、キナードは必死にユーリを宥めた。
「例え契約結婚だとしても、フェリーツェお嬢様は浮気するような性格じゃありませんよ!それに、誠心誠意気持ちを伝えればきちんと聞いてくださるお方の筈です!」
「確かに…そうだな」
キナードの説得で室内の温度が再び上昇する。
ホッとしていると、部屋の扉がノックされた。
「失礼します。クラレンス伯爵令嬢が到着されたようです」
ーーガタタッ
「うわぁ。ユーリ様今のは痛そうですね」
「〜っ」
慌てて立ち上がり机の角に足をぶつけたユーリに対し気の毒そうに声をかけるキナード。
だがユーリは直ぐに復活して、急いで応接室へと向かった。
ーーガチャッ
「待たせたな、フェリーツェ」
キナードが開けるのも待たず自ら扉を開いて声を掛ける。
素早いユーリの登場に、フェリーツェは慌てて立ち上がった。
「いっ、いえ!予定より早く着いてしまってすみません」
「構わない。ちょうど手も空いていたところだ」
うわぁ、サラッと嘘を…とキナードは半笑いする。
処理途中の書類を放り投げてきただなんて思いもしないフェリーツェは「それなら良かったです」と素直に喜んだ。
フェリーツェの声を聞いただけで可愛いなと癒されるユーリ。
早速手人形を装着して、衝立ての上に差し出した。
「…先日は握手に成功したが、今も大丈夫だろうか?」
時間が空いたことで振り出しに戻ってはいないかという不安があり、再会して早々に手を伸ばすユーリ人形。
ユーリの方から積極的に近付いてきた事に驚きつつ、フェリーツェは同じように手人形で近付いた。
少しドキドキとしながら手を伸ばし返す。
「…っ」
しかし、一度成功したとはいえまだどうしても怖々とした動きになってしまった。
もしここでユーリが痺れを切らして動いたならば、フェリーツェは反射的に逃げてしまっただろう。
けれど根気よく待ってくれるユーリのおかげで、その手にどうにか辿り着けた。
「…!良かった、大丈夫みたいです」
そっと重ねられた手にフェリーツェもユーリも安堵する。
このまま進展できるようにと、ユーリが更に提案した。
「その…ひとつ良いか?」
「はい、何でしょうか?」
「今の様子だと、いきなり次のステップに進むのは却って悪手のように思う。だからまずは、慣らすのに集中してはどうだろう?」
出来るだけ無理をさせまいと気遣ってくれてるのが伝わり、じんとするフェリーツェ。
朗らかな気持ちで頷きながら返事をした。
「はい!その方が助かります。えっと…具体的にはどうしたら?」
フェリーツェ人形が首を傾けながら内容を求める。
こほんと小さく咳払いしてユーリは告げた。
「この手を…出来るだけ離さないようにしてはどうかと」
「ぇ…ひへえ!?」
つまりは人形同士の手を繋いだ状態で過ごそうという事だ。
このまま触れ続けるなんてとフェリーツェは真っ赤になって口をハクハクとさせた。
「もちろん、無理強いをするつもりはない。嫌ならやめよう」
フェリーツェの動揺を感じ取って即座に補足するユーリ。
心の静けさを見失ないつつも、フェリーツェはなんとか声を絞り出した。
「ぁ、い、い、嫌じゃ、ないです…っ」
「…良いのか?」
「はははい!」
フェリーツェのように全面に感情を出したりはしないが、了承を得てユーリは嬉しさを滲ませる。
いっぱいいっぱいになっているフェリーツェが逃げ出さないうちに話題を変えた。
「では結婚式の詳細などを話し合おうか。いや、婚約発表が先だな…。フェリーツェが着るドレスを贈りたいが、希望などはあるか?」
「ど、ドレスですか!?え、えぇっと…」
婚約者からドレスを贈るのは定番だが、今までそんな経験の無いフェリーツェはただアタフタする。
とにかく何か答えようと必死に口を開いた。
「い…色は、青みがかったシルバーやグレーが良いです…」
「!そ、そうか。わかった」
もちろんそれは、ユーリの色だ。
ちゃんと希望色として挙げてくれた事にユーリは少し頬を紅潮させ、フェリーツェは恥ずかしくて更に真っ赤になった。
そんな2人の様子を見ていたキナードは半目になって思う。
いやもうこの2人両想いじゃね!?と。
(うわぁ、ウズウズする…!この気持ちを誰かと共有したい!!)
人が変わったかのようなユーリの甘々な空気に自分の中だけでは収めきれなくなる。
そして、ハッと1人共感してくれそうな人物を思い出した。
気配を消してさり気無く衝立ての端の方に移動し、チラッと視線を送る。
その視線にできるメイドカティアは即座に気付いた。
ーースッ
素知らぬ顔でキナードの隣に音も立てず移動したカティア。
互いに主人の方に視線を向けながら小声で話す。
「ちょっともうボクには相思相愛にしか見えないんですけど、カティアさんはどう思います?」
「同感です。我々は何を見せられているんでしょうね」
「いや本当それです!カティアさんが話の通じる人で良かった…!」
直立で壁際に控えながら心の中で握手を交わす2人。
その日同盟を組んだ従者たちは、その後も主人たちの恋路を生暖かく見守る事となった。
「フェリーツェ、よく来てくれた」
「いえ、いつも時間を取ってくださってありがとうございます」
ーーキュッ
再会すると共に自然な流れで手を繋ぐユーリ人形とフェリーツェ人形。
ずっと繋いでいる作戦が功を成して、何度目かに会う時には躊躇なく触れられるようになっていた。
なんなら手を繋ぐを超えて腕を絡めるに近いところまでいけるようになっている。
どちらにせよ、人形無しで考えれば指を絡めている段階だが。
「毎回フェリーツェにばかり足を運ばせて悪いな」
「ユーリ様はお忙しいんですから、気にしないでください!それより驚きました。まさかあの有名なマダム ヘザーを屋敷に寄越してくださるなんて…!」
マダム ヘザーとは、王都で一番人気の服飾師だ。
素晴らしい腕前を買われ王室御用達であり、貴族でもなかなか予約の取れない有名な人物である。
そんな人物がデザインと採寸の為にと屋敷に現れ、フェリーツェは驚きと共に恐縮しきりであった。
因みにマダム ヘザーの方はフェリーツェを見て、『この素晴らしい体型を活かしつつ清楚に見せるドレスを…!』とやる気に漲って現在もデザイン画に燃えていたりする。
「公爵夫人になる予定の君が着るドレスを作るんだ。それくらい当然だ。もちろん、ウェディングドレスもマダム ヘザーが請け負ってくれる事になっている」
「そそ、そうなんですか…!な、なんだか申し訳ないです…っ」
本当に良いのだろうかと目を回すフェリーツェ。
気後れしているのを感じて、ユーリ人形はフェリーツェ人形の手を少し強めに握った。
「私が、君の為にやれるだけの事をしたいんだ。遠慮なんてしないでくれ」
ユーリの言葉でフェリーツェはボッと赤くなる。
(そ、そんな事言われたら…勘違いしてしまいそうだわ…!)
女性嫌いのユーリが自分を好きになるなんて考えていないフェリーツェは邪念を振り払おうと必死だ。
実際は勘違いでもなんでもないのだが。
そんな2人のラブラブな様子を、あの日から定位置と化した衝立ての端で見守るキナードとカティア。
やれやれといった具合に肩を落とす。
「いやぁ、相変わらずお熱いですね〜」
「そうですね。お茶のおかわり要りますか?」
「あざまーす」
主人達が2人の世界に入っているのを良い事にサイドテーブルを真ん中に置いてお茶まで啜っている始末である。
まあ気付いたところで、フェリーツェもユーリも咎めたりはしないが。
「それにしても、案外早く打ち解けてますねあの2人。フェリーツェお嬢様の症状を見た感じ、もっと時間が掛かるかと思ってました」
カティアが注いでくれた紅茶に舌鼓を打ちながら、キナードが感想を告げる。
自分用にも紅茶を注ぎながらカティアも同じように所見を述べた。
「シュナイゼル卿の匙加減が良いんですよ。積極的でありながら強引ではない…お嬢様にちょうど良い距離の詰め方をしてるんです」
慎重になり過ぎては距離も縮まらないし、逆に一気に近づき過ぎては怯えられてしまう。
その難しい対応をこなせている事にカティアは感心していた。
キナードも納得して頷く。
「なるほどねぇ。半分無意識だろうから、元々の相性が良いんでしょうね」
「ええ、私もそう思います」
見解が一致して2人は同時に紅茶を啜った。
飲みながら互いに自分の主人を見つめる。
「この調子なら、フェリーツェお嬢様の男性恐怖症も早く治るかもしれないですね」
「…そうですね。そう…願います」
ずっとユーリから目を離していなかったキナードが、初めてカティアへ視線を向けた。
顔には出していないけれど、声に心配する感情が滲んでいたからだ。
すぐにまた視線を戻し言葉を掛ける。
「なんだかんだでカティアさん、フェリーツェお嬢様のこと大好きですよね」
「それはお互い様でしょう」
「ははは」
普段主人を弄りまくっている従者達はそろそろ時間だとお茶のセットを片付け、自分の本来の定位置へと戻ったのだった。
「お嬢様、足元に気をつけてくださいね」
「うん。ありがとうカティア」
邸宅へと戻り馬車を降りるフェリーツェとカティア。
ユーリとの時間を思い出してポヤポヤしながら、フェリーツェは明るい気持ちで邸内へと入った。
と、自室に向かう途中で書斎の方が騒がしいことに気付く。
「何かあったのかしら?」
「そのようですね。向かいますか?」
「ええ」
気になって書斎に立ち寄ることにした2人。
カティアが先行して男性の使用人に立ち退いてもらってから中を覗くと、父クライブと弟グレミオが暖炉の前におり少し離れた所に母ドロシーが立っていた。
全員が全員で憤りを見せている。
「こんな物こんな物!」
「さっさと燃やしてしまいましょう父上!」
クライブがビリビリと紙を破り、千切った先からグレミオが暖炉へと放り込んでいた。
何事かと中に入るフェリーツェ。
「ど、どうしたんですか?」
「あらフェリーツェ、おかえりなさい」
笑顔でドロシーが出迎えるが、怒りのオーラが見て取れる。
クライブ達もおかえりと言いながらも書類を処分する手を止めようとはしなかった。
「えっと…あの紙は?」
「ああアレね。どこぞのアホ令息が婚約契約書を送ってきたのよ」
「え!?」
驚きと同時に青褪めるフェリーツェ。
ドロシーがアホ令息と呼ぶ相手なんて1人しかいない。
「わ、私は…ユーリ様と婚約して…」
「ええそうよ。それなのに全く話を聞かなくって、次に伺う時までにサインしておいてくださいって手紙と共に同封されてたの。何をどうやったらあそこまで自意識過剰になれるのかしら」
キレながら説明するドロシーの背後で「この手紙もこうしてくれる!」「塵と化せ!」と父子が手紙も処分している。
フゥと息を吐き怒りをできるだけ鎮め、ドロシーはフェリーツェに改めて質問した。
「やっぱり正式に婚約発表しないとあのアホ令息は信じないようね…。進捗はどう?」
「あ、えっと、日取りまでは決まってないのですが準備は進めてます」
フェリーツェの状態に合わせて決めようとユーリが配慮してくれ、日程は未定となっている。
口元に手を当てて思案しながら、ドロシーはフェリーツェを案じて目を向けた。
「そう…。あなたに無理はさせたくないけれど、できるだけ急いだ方が良いわ。もしくは事情を話して、シュナイゼル卿の力を貸してもらいなさい」
「…はい…」
返事はしたものの、ユーリにあまり迷惑を掛けたくないと思ってしまうフェリーツェ。
こんな面倒事を抱えているなんて知られたら嫌われてしまうんじゃないかという不安も出てくる。
幸福な気分から一転して、フェリーツェは深く沈み込んだのだった。