歩み寄る2人
「昨日の今日ですまない。早めに相談したい事ができてな」
「だ、大丈夫です。相談って何ですか?」
婚約発表についてどう相談しようかと悩んでいる間に、逆に相談される事となったフェリーツェ。
毎度ながらの応接室で、衝立ての上のユーリ人形は封筒を持って見せた。
「実は、昨日母から手紙が届いたんだ」
「公爵夫人から?」
「ああ」
人形の扱いに早くも慣れてきたようで、こくりと頷くユーリ人形。
首を傾げるフェリーツェ人形に手紙の内容を教える。
「私はこの婚姻を書類だけで済ませようと考えていた。しかし、母からの手紙にこう書かれていたんだ。『結婚式は盛大に執り行うように。もちろん、その前に婚約発表もするのよ』と」
溜め息を吐きながらユーリ人形は額に手を当てた。
「恐らく私の考えを読んでいたんだろうな。『それが出来ないんなら爵位の継承も出来ないわ』とご丁寧に追記までされていた」
爵位継承を人質に実の息子を脅すとは、公爵夫人もなかなか豪胆な人なんだなと思うフェリーツェ。
しかし好機とばかりに人形の両手をパタパタとさせた。
「あっ、あの!実は私も母から婚約発表をするように言われたんです!」
「君も?なら、尚更断るのは難しいか…」
無事に伝える事が出来てホッとする反面、さてこれからどうしようかとフェリーツェも頭を悩ませる。
互いに困りつつ先にユーリが質問をした。
「会場の準備等は良いとしても、やるとなればエスコートなども必須だろう?私は最悪、一時だと思えば我慢もできるが…君はどうだ?」
「そ…それは…」
無理です!と心では思うが声には出せず口籠もる。
とはいえ答えられない時点で充分答えになっており、ユーリもやはりかといった具合に嘆息した。
おずおずとしながらフェリーツェも質問する。
「あの…婚約発表も結婚式も、衝立て越しじゃダメですか?」
「…正気か?」
「ですよね」
そんなの前代未聞であり許される筈がないかと沈むフェリーツェ。
と、頭を悩ませる2人を見ていたキナードが唐突に提案した。
「ユーリ様、その手人形を使って予行演習をするのはどうですか?」
「予行演習…だと?」
急に話に割り込んだ形だが、叱る事なくユーリは耳を傾ける。
ピッと指を立てながらキナードは続けた。
「はい。いきなり接触は無理でしょうから、まずは人形で慣らしてみるのはどうかと。それから慣れてきた頃に実物との接触を試みるんです」
「段階的に距離を詰められるようにする…という訳か。時間は掛かるが、式を回避できないならその方向で行くしかないかもな」
気は乗らないが、今の段階では一番堅実的だと感じる。
ユーリ人形はフェリーツェ人形へと体を向けた。
「という事だが、君はどう思う?受け入れられないなら遠慮せず言ってくれ」
強制することもできる立場なのに、きちんとフェリーツェの意見も聞こうとしてくれているユーリに胸が温かくなる。
嫌がっているばかりでは駄目だと、フェリーツェも意気込んで答えた。
「いえ!やってみます!上手くすれば男性恐怖症も治せるかもしれないですし!」
フェリーツェだって、ずっとこのままでいたい訳ではない。
積極的に男性に近づきたい訳ではないが、恐怖症を治せるならばそれに越した事はないと考えている。
フェリーツェも同意した為、ユーリもやってみるかと覚悟を決めた。
男性を怖がっている相手が頑張ろうとしているのだから、自分も女性だからと忌避してはいられない。
「…では、手始めに軽いエスコートからどうだろうか?」
スッとユーリ人形が手を差し出す。
手の平を乗せるだけのとても簡単なものだ。
最初の段階としてはピッタリだろう。
「はっ、はい。では…」
フェリーツェ人形も手を重ねようと距離を詰める。
しかし、手を持ち上げようとすると共に体に異変が起きた。
ーードクンッ ドクンッ
心音が耳の奥で大きく鳴り響き、嫌な汗が流れだす。
人形で、ほんの少し触れるだけ。
そうと分かっているのに、体が硬直して全く動けなくなった。
「…クラレンス伯爵令嬢?」
あまりに動かないフェリーツェ人形に、違和感を覚えたユーリ人形が僅かに動く。
その瞬間、ビクッとしたフェリーツェ人形は衝立ての奥へと引っ込んでしまった。
「ご…ごめんなさい…っ。例え人形でも…触れるのは、やっぱり…」
声だけでも震えているのが伝わり、ユーリはたじろぎキナードも駄目かぁと額を叩く。
一先ず落ち着かせようとユーリは口を開いた。
「良いんだ。無理はしなくていい。私も事を急ぎすぎたようだ」
そんな事はない…とフェリーツェは心の中で萎縮する。
急ぐどころかとても簡単なところから始めようとしてくれていた。
それなのに出来ない自分が不甲斐ないと落ち込んでしまう。
この流れは良くないなと思ったキナードは、不意に思い出したように衝立ての向こうに呼び掛けた。
「あ、そうだ。そちらのメイドの…えっと…」
名前が分からず言葉が詰まったキナードに対し、静かに見守っていたカティアは直ぐに答える。
「カティアです」
「カティアさんね。貴女は何か意見などありますか?」
先日フェリーツェの援護をしていたカティアなら、何か打開策を考えられるのではないかと期待して聞いたキナード。
突然質問を振られたカティアだが、動揺もせずに淡々と喋り出した。
「そうですね。実質的な距離よりも、まずは心の距離が大事だと思います」
「心の距離?」
キナードの聞き返しにカティアは説明を重ねる。
「はい。お嬢様はご家族とは触れる事まではできなくても、その姿をある程度近くで見て緊張せずにお話できております。それはつまり、家族ならば大丈夫だという信頼感があるからだと思うのです」
「つまり…まずはユーリ様が信頼される男にならなければダメって事ですね?」
「率直に言えばそうなりますね」
なんて失礼な従者達なのだと、フェリーツェは慌てふためきユーリはそういう方向に持っていったキナードを睨みつけた。
カティアは更に意見を述べる。
「少しずつでも良いので親交を深めお嬢様が心を許せれば、衝立てが無くても至近距離で会話等が可能になると思うのです。そこまで行ければ、触れる事はできなくともある程度誤魔化して式を執り行えるのではないでしょうか」
この際触れる事は諦めて衝立てを取り払えるようになる事を目指すというのは最も実現可能な意見に思えた。
それに、相手に触れずに乗り切れるならば寧ろその方が助かる。
「ふむ…そうだな。まずはそれを目指してみるか」
ユーリの受け入れた発言を聞き、申し訳なさそうにフェリーツェ人形がヒョコリと衝立ての上に顔を出した。
「あの、面倒をお掛けしてごめんなさい…」
「いや、例え契約結婚だとしても夫婦となるならば信頼関係を築いておくに越した事はないからな。それに、君との婚約を破棄して条件を受け入れてくれる新たな婚約者を探す方が遥かに面倒だ」
そんな風に言われると、フェリーツェの心も軽くなる。
(優しい人だなぁ)
改めてフェリーツェはユーリをそう認識した。
女性を嫌いだと言いながらここまで気遣ってくれるんだから、根が優しいのだろうと。
感動しながらユーリ人形を見つめていると、キナードが話を前に進めた。
「それで、親交を深めるとして何をします?会話するだけなら今と変わらないでしょうし…カティアさん、何か良い案ありますか?」
カティアなら何にでも応えてくれそうと思ったのか再び案を求める。
僅かに考えながらも直ぐに答えるカティア。
「でしたら…孤児院へ共に訪問するのはいかがでしょう?」
「孤児院に?」
「はい。お嬢様は定期的に孤児院を訪問されておりまして、近くまた足を運ぶ予定です。それにご一緒なさるのはどうかと」
なるほど、とユーリも脳内で考えた。
孤児院への訪問ならば貴族のお茶会のように変に格式を気にする必要もないし、近付きすぎる事なく交流するにはちょうど良いかもしれない。
それに、孤児院の状況を自分の目で見てみたいという気持ちもある。
「クラレンス伯爵令嬢、どうだろうか?邪魔でなければ私も同行しようと思うのだが」
「じゃっ、邪魔だなんてとんでもないです!きっと子供達も喜んでくれると思います!」
自分ではなく子供達目線で答えるフェリーツェに心が緩むユーリ。
「では、そうさせてもらおう」
ユーリの言葉に「はい!」とフェリーツェが返事をして次回の訪問を共に行く事が確約された。
続けて当日の詳細を少し決めてから本日の面会は終了となる。
そして数日後、あっという間に孤児院訪問の日を迎えた。
「シュナイゼル様、今日はよろしくお願いします」
「ああ。こちらこそよろしく頼む」
行きの馬車の中で、2人は対面しながらそう挨拶した。
ただし、間に衝立てを挟んで手人形での対面だ。
公爵家の用意した馬車はそれなりの広さがあるのだが、衝立てを置くとかなりの圧迫感がある。
けれども限られた時間で親交を深めるに当たって、同じ馬車を使うことにしたのだった。
「うぅ…狭い…暑苦しい…。ユーリ様、ボクとカティアさんは別の馬車で良かったんじゃないですか?」
「文句を言うな」
ユーリの横でぶつくさと文句を言っているのはキナード。
フェリーツェの横では、抗議する素振りも無くカティアが佇んでいる。
衝立てで仕切るとはいえ、いきなり狭い空間に2人きりはフェリーツェへの負担が大きすぎるだろうと判断しての配慮だ。
因みに、孤児院への訪問という事で皆平民が着るような動きやすい格好をしている。
「ところでクラレンス伯爵令嬢は定期的に孤児院訪問をしているとの事だったが、何か理由でもあるのか?」
自身の評判の為に寄付をしている貴族は多くいるが、直接訪問までする者はあまり居ない。
相手が孤児というだけで見下して毛嫌いする者も居るくらいだ。
そんな中で貴族の令嬢が頻繁に通う理由が気になったユーリの質問に、フェリーツェは手人形の両手を広げて答えた。
「えっと、私こういう人形やぬいぐるみを作るのが趣味なんです。でも沢山作り過ぎちゃったせいで置き場所に困ってしまって…。それで、作ったぬいぐるみを孤児院へ寄付する事にしたんです」
広い屋敷に住んでいる筈なのに置き場所に困るとなれば、本当に相当な量を作ったのだろう。
それだけの数を製作したなら職人のような腕前なのにも頷ける。
「最初は喜んでくれるか心配だったんですけど、私が思ってる以上にみんな大喜びしてくれて…それで嬉しくって、沢山作ってはあちこちに寄付するようになったんです」
手人形は表情が変化する訳ではないが、それでもフェリーツェ人形からは嬉しそうな感情が伝わってきた。
平民だからと下に見たりせず純粋に浮き立っている様子は好感が持てる。
素直に感心しながら「なるほど」と返すユーリに、フェリーツェも質問をした。
「あ、シュナイゼル様は何か寄付をするんですか?」
「ん?ああ。何が良いか分からなかったから、取り敢えず絵本をいくつか用意してみた」
「絵本ですか!」
この世界では識字率が高く、平民でも読み書きくらいは出来るのが当たり前だ。
孤児院も同様で、院長が子供達に文字を教えるのが定番となっている。
「文字を覚えやすいし良いですね!それに絵本なら、まだ文字を読めない小さい子でも絵で楽しめますし!」
決しておだてようとしているのではなく本気で絶賛するフェリーツェ。
安堵しながらユーリ人形は持ってきた絵本を掲げた。
「それならば良かった。色んなジャンルを持ってきたんだが、君から見てどうだろうか?」
「えーっと、『うさぎのねぐら』『やくそくのゆびわ』『ゆうしゃのぼうけん』…わあっ、どれもこれも私の好きなお話です!きっと子供達も気に入ってくれますよ!」
フェリーツェはにこにことユーリの選出を褒める。
それを隣で聞いていたカティアが不意に口を開いた。
「お嬢様、それだと自分の感性が子供と一緒だと言ってるようなものですよ?」
「え!?」
途端に恥ずかしそうにワタワタ動くフェリーツェ人形に、キナードは吹き出しユーリも軽く咳払いする。
「あぅ…」と小さく声だけこぼして何も言えなくなったフェリーツェに、キナードが援護射撃した。
「そういえば孤児院は男の子もいっぱいいると思いますけど、平気なんですか?」
「あ、はい。私が苦手なのは大人の男性なので、子供なら大丈夫です」
「そうなんですね」
成人男性に限定されるとなれば、尚更予想が的中していそうだなと考えるユーリとキナード。
そうこう会話をしている内に、馬車は街から外れ林道へと入った。
「あ、シュナイゼル様。もうそろそろ到着しますよ」
「そうか。さすがクラレンス伯爵令嬢、通い慣れてるな」
窓の外の景色を見てフェリーツェが呼び掛け、ユーリが感心しながら答える。
すると、カティアが何かに気付きフェリーツェに教えた。
「お嬢様、その呼び合い方だと子供達が混乱するのではないですか?」
「え?あ、そっか!」
フェリーツェはハッとした様子だが、ユーリとキナードは何の事だか分からず疑問符を浮かべる。
少し後ろめたい感じでフェリーツェ人形が手を合わせた。
「あの、平民の人達って苗字が無いじゃないですか」
「ん?ああ、確かにそうだな」
「なので、私もそれに合わせて子供達には名前だけ名乗ってるんです」
そこまで聞けばユーリも直ぐにピンとくる。
「なるほど、それなのに我々が苗字で呼び合えば子供らは混乱するという事か」
「はい。ある程度大きい子達なら理解できるでしょうけど、小さい子達は何で名前が2つあるんだろうってなっちゃうかと」
苗字があるのは貴族や王族だけで、平民は名前のみだ。
普段名前でしか呼ぶ習慣の無い子達が急に苗字を聞いて困惑するのは容易に想像できる。
「ですので…孤児院では名前で呼んでいただけますか?」
「ああ、構わない。子供達を困らせるのは本意では無いからな。君も私の事は名前で呼んでくれ」
すんなり了承したユーリと違い、フェリーツェは「な…名前で…!」と一気に緊張し始めた。
やり取りを聞いていたキナードが面白そうにニヤニヤと提案する。
「ユーリ様。到着する前に呼ぶ練習をしておいた方が良いんじゃないですか?フェリーツェお嬢様、ぶっつけ本番はマズい雰囲気ですよ?」
ちゃっかり自身も名前呼びに切り替えながら言うキナード。
半分揶揄って言っていると分かっているが、フェリーツェが固くなっているのは事実でユーリも少し心配になった。
これは本当に多少慣らした方が良いかもしれない。
ユーリ人形で、改めてフェリーツェ人形に向き直った。
「…フェリーツェ」
「ひゃい!?」
動揺し過ぎて飛び上がるフェリーツェ人形。
もし子供達の前でやっていたら何事かと思われたかもしれない。
「子供達が驚くだろう?自然にしてくれ…フェリーツェ」
「はははいっっ」
改めて呼んでみるが動揺が激しく不自然だ。
そこに追い打ちを掛けるようにカティアも言う。
「お嬢様。お嬢様も呼ぶ練習をした方が良いですよ」
「わ、私も!?」
「当然です」
促されたフェリーツェは「ゆ…ゆゆ…ゆゆゆ」と必死に呼ぼうと試みる。
あまりの必死さに「が、頑張れ!頑張れフェリーツェお嬢様!」とキナードが衝立て越しに応援したくらいだ。
勇気を振り絞り、フェリーツェはどうにかこうにか声を絞り出した。
「ユーリ…様」
恥ずかしさのあまり手を握り込んだ事で、俯いて顔面を覆ったような仕草になるフェリーツェ人形。
呼ばれたユーリも、何かが込み上げてきて少々頬を紅潮させた。
「んん」と返事とも咳き込みとも取れる曖昧な返しをしてしまう。
そしてそれを聞いたキナードとカティアは同時に『お?』っと思った。
存外この2人、良い雰囲気なのではないかと。
「ユーリ様、まだまだ不自然ですよ。到着ギリギリまで呼ぶ練習をしましょう」
「は?」
「賛成です。お嬢様、恥ずかしがらずに呼べるようになりましょう」
「えぇっ」
従者達の誘導により、名前の呼び合いを何度かさせられる羽目になるユーリとフェリーツェ。
精神がゴリゴリに削られた状態の2人を乗せた馬車は、摩耗し切る直前に孤児院へと到着したのだった。