ストーカー
「…こういった物に詳しくはないが、よく出来ているな。まるで職人が作ったようだ」
改めてフェリーツェの作った手人形を見て、その精巧さに気付いたユーリ。
縫い目の曲がりや布のおかしな歪みなど全く無く、素人が作った物とは思えない出来だった。
「そ、そうですか?嬉しいです」
と答えながらフェリーツェ人形がモジモジとした動きをする。
ああやって使うのか…と思いながら、ユーリは取り敢えず前回の続きを話そうと屋敷の見取り図を掲げた。
「では、改めて屋敷の区画分けの話をさせてもらおう」
「はい」
ユーリの切り出しにフェリーツェ人形がこくりと頷く。
ついユーリもフェリーツェ人形に目を向け話し出した。
「屋敷の向かって右側、2階の一番端の部屋が君の部屋になる予定だ。ここだな」
ユーリ人形によって1つの部屋が指し示される。
フェリーツェ人形もコクコク頷きながら部屋へと視線を向けた。
「見て分かると思うが、君の部屋もある桃色の部分が女性のみ出入りできる区画だ」
「なるほど。それじゃあ、反対側の空色で塗ってある区画が男性のみ出入りできる場所なんですね?」
「その通りだ。これを守れば然程気を張らずとも異性と遭遇せずに済むだろう」
「わぁ、それは有難いです!」
自分の部屋から出る時にいつもカティアに外を確認してもらっているフェリーツェは人形で喜びを表現する。
それからフェリーツェ人形で、男女区画の境目に仕切りのようになっている灰色の部分を指した。
「それじゃあ、この部分は何ですか?」
「あぁ、ここは男女関係なく入れる区画だ。主に使用人達が交流する場所になるだろうな。我々が異性と関わりたくないからと言って、使用人達にまでそれを強要するのはおかしいだろう?」
「はい…それはしたくないです」
色々と不便だろうし、場合によっては使用人同士の恋路まで邪魔するかもしれない。
自分のせいでそんな事態になったら悲し過ぎる。
フェリーツェがすぐに理解を示してくれた事に安堵しつつ、ユーリは一応捕捉した。
「この区画も作っておけば何かあった際の報告・連絡・相談もスムーズに行えるし、我々が移動する時なども気を付けるのはこの区画内にいる者だけで済む。使用人達の負担も軽減できるし色々と利点があるんだ」
「すごいです!そこまで考えられてるんですね!」
フェリーツェ人形がパフパフと拍手しながら賛辞を贈る。
素直にまっすぐ分かりやすい感情表現をしてくれるフェリーツェ人形は、話しやすくなるし気持ちが良かった。
(案外…悪くないな)
初めは人形を使うなど馬鹿げているようにも思ったユーリだが、フェリーツェが怯える心配も無いし声だけの時より反応も確認できて気が楽だ。
話し合いも円滑に進められるし、事故に見せかけて触られるなんて状況も警戒しなくて済む。
今回限りのつもりだったけれど、今後も手人形でのやり取りの方が良さそうだと思い直した。
「因みに、今のように我々が会わなければならない場合も灰色の区画内になる」
「なるほど!この応接室も確かに灰色になってますね」
「ああ。灰色の区画にある部屋には基本的に衝立ても置くようにするから、緊急で会う事になっても大丈夫だろう」
「助かります!あ、置くだけじゃなく携帯用の衝立ても用意しませんか?マジックバッグで持ち運べば邪魔にもなりませんし」
「ふむ…それは良い案だな。何があるか分からないしそうしよう。次回までに用意しておく」
ユーリがそう告げると、フェリーツェ人形はアタフタし出して止めに掛かる。
「え!?いえっ、私も自分で用意しますよ!」
自ら提案しておいてユーリにばかり負担を掛けるのはおかしいと感じたのだろう。
全く欲が無いんだなと思いながら首を振るユーリ。
「遠慮しなくていい。元より部屋に置く為に追加で発注する予定だったからな。1、2枚増えたところで大して変わりはない」
「あ、ありがとうございます」
少し申し訳なさそうにペコリと頭を下げてお礼を言うフェリーツェ人形に、ユーリも真似して手人形を頷かせた。
人形効果か、こうして互いに自分の意見を出し合って相談もできる。
その後も話し合いは滞りなく進み、結果的に手人形のおかげで想定以上に良い内容となったのだった。
「お嬢様、ご機嫌ですね」
帰りの馬車の中で、ニコニコとしているフェリーツェに話しかけるカティア。
フェリーツェは嬉しそうに話し合いで使った手人形を動かした。
「うん、なんだか楽しかったわ。家族以外の人とこんなに話せたの初めてかも」
「しかも相手は男性ですから尚更ですね」
「そうなの!全然緊張せずに済んだし、人形を作って本当に良かった」
今日のMVPであるフェリーツェ人形をぎゅっと抱きしめる。
今後もたくさん活躍してもらおうとフェリーツェは手人形の頭を撫でた。
そんなフェリーツェに、カティアが何食わぬ顔で質問する。
「ところでお嬢様、気付いてらっしゃいますか?」
「え?何に?」
唐突な問い掛けに首を傾げるフェリーツェ。
理解していないだろうと分かりきっていたカティアは言葉を濁しもせずにサラッと告げた。
「お嬢様は公爵令息様の認識を衝立てから人形に置き換えただけで、前回と同様の失礼な行為を繰り返してるんですよ」
カティアの言葉でフェリーツェは固まり無言になる。
何度も脳内でセリフを反復した。
よくよく思い返してからサーっと青褪める。
「ねえカティア!何で!?何で実行する前に教えてくれないの!?」
「非常に面白そうだったので」
「カティアぁあーっ」
止めるどころか公爵令息はどんな反応をするだろうかと嬉々として手伝ったカティアである。
フェリーツェは自分のアホさ加減に崩れ落ちた。
穴があったら入りたい…という状態のフェリーツェにカティアがフォローを入れる。
「まあでも公爵令息様も受け入れてくれましたし、結果的に良かったじゃないですか」
「うぅ…」
実際、この手人形を使っていなければここまでちゃんとした話し合いも出来なかっただろう。
失礼だろうと拒否されない限りは続けたい。
ルンルン気分から一転してしょぼくれたフェリーツェを乗せた馬車は、程なくして自邸へと到着した。
しょんぼりとしながら馬車を降り、「ただいま戻りました…」と元気なく告げながら中に入る。
と、何かにピクッと反応したカティアが即座にフェリーツェを制止した。
「お待ちくださいお嬢様。こちらへ」
「え?」
いつもの無表情の中に険しさを覗かせたカティア。
その反応を見てフェリーツェももしやと察した。
「もしかして…彼が来てるの?」
「ええ、恐らくですが。気付かれないように出来るだけ静かにしてください」
フェリーツェの言う彼とは、とある侯爵令息の事だ。
1年程前からずっとフェリーツェに付き纏って婚約を迫ってくる人物である。
そして、フェリーツェが男性恐怖症になる決定的な原因になった人物でもあった。
カティアの指示を受け、出来るだけ息を潜めながら移動する。
廊下の角からそっと覗くと、ちょうど応接室に入る男性の姿が見えた。
もしフェリーツェが屋敷に入った際に大きな声を出していたならば気付かれていただろう距離にゾッとしながら、こっそりと2人は応接室の隣の部屋へと入室する。
足音を立てないように気を付けながら急いで壁際に移動し耳をそば立てた。
「先触れも無しに突然来られては困りますわ、ラークソリッド卿」
毅然と言ったドロシーの言葉で、予想は確信へと変わる。
先程遠目に見えたのはフェリーツェにとっての要注意人物、ホアノ・ラークソリッドで間違いなかった。
聞こえてくるだけで鳥肌の立つ声が後に続く。
「そうは言っても、何度手紙を出しても断ってきたでしょう?ならば直接伺うしかないではありませんか」
完全にそちらに非があるという言い方をするホアノ。
ドロシーは淡々と言葉を返す。
「直接来られたところでフェリーツェには会わせられませんわ。男性と会う事で婚約者に勘違いされては困りますもの」
「婚約者、だと?」
驚いている様子が、声だけでも伝わってきた。
少し焦りを滲ませながらホアノが口を開く。
「ご冗談を。彼女に求婚する者などいるわけないではありませんか」
「あら、冗談ではありませんわ。今だって婚約者のところへ行っているので留守なんですよ?」
「何だって!?」
ドロシーの口振りから真実なのだと漸く信じたホアノ。
張り上げられた声に、目の前にいる訳でもないのにフェリーツェはビクリとしてしまう。
横にいたカティアが直ぐに背中を撫でた。
「大丈夫ですかお嬢様?部屋へ戻りますか?」
「い、いえ…大丈夫よ」
怖くてここから離れたい気持ちと、相手の出方を確かめたい気持ちがせめぎ合う。
体に震えが走る中、ホアノの反応を伺った。
「こ…侯爵家嫡男である僕を差し置いて、一体誰と婚約したと言うんです?」
「公爵令息である、ユーリ・シュナイゼル卿ですわ」
「ユーリ・シュナイゼル…だと?」
もし相手の家の爵位が自分より下だったならば、何かしらの手段で婚約破棄させようとしていたかもしれない。
でも、格上の公爵家には簡単に手を出したりできない筈だと自分に言い聞かせるフェリーツェ。
心臓が嫌な音を立てているのを我慢して、耳を澄ませる。
すると、少しの間が空いてから唐突にホアノの笑い声が響いた。
「ハ…ハハハハ!なんだ、やっぱり冗談じゃないですか!彼が女嫌いという事は誰もが知るほど有名ですよ!?婚約なんてそれこそあり得ない!」
どうやら完全に嘘だと決めつけたようで、笑い声には余裕まで感じる。
僅かばかり声に怒りを滲ませるドロシー。
「いいえ、本当に婚約しております。なんなら証拠をお見せしましょうか?」
「ハハハ、わかりましたわかりました。今は騙されておきますよ。では、次回はちゃんとフェリーツェ嬢に会わせてくださいね?」
全く信じていない様子でホアノは笑いながら席を立つ。
これは言っても無駄だと判断したのかドロシーも止めようとせず、そのまま部屋を退室していった。
足音が徐々に遠ざかっていくのを確認して、フェリーツェは力が抜けて溜め息と共に肩を落とす。
と、応接室からホアノとは別の足音がツカツカと近付いてきた。
ーーバァン!
「きゃあ!」
いきなり激しく扉が開いて思わず悲鳴をあげるフェリーツェ。
ドアを開けたのはドロシーで、青筋を立てながらフーーーと怒りの籠った息を吐く。
フェリーツェ達が来ていたのも分かっていたようで、驚きもせずツカツカと歩いて目の前まで来た。
「…聞いたわね、フェリーツェ?あのアホ令息は性格も悪ければ頭も悪いわよ。家格が下なら捻り潰してやったのに」
相当にお怒りである。
どう答えたら良いのか分からず曖昧に笑うフェリーツェを真っ直ぐに見据えた。
「フェリーツェ。近々婚約発表の場を設けましょう」
「え……ぇえ!?」
それはつまり、パーティーを開いて大々的に発表しようという事だろう。
フェリーツェは慌てふためいて拒否した。
「むむむ無理です!男性も沢山集まるじゃないですか!それに、女性嫌いのシュナイゼル様だって嫌がる筈です!」
必死に説得を試みるフェリーツェ。
けれど怒り心頭なドロシーも退こうとしない。
「なら、どうするの?このままだと婚姻するまでアホ令息に付き纏われる事になるわよ?もしシュナイゼル卿に誤解されれば、婚約破棄される可能性だってあるわ」
「う…」
確かに、ユーリも虚偽があれば即婚約を解消すると宣言していた。
フェリーツェが否定しようとも、それを信じてもらえるだけの信頼関係を築いた覚えもない。
反論する材料が少な過ぎてフェリーツェは早くも手詰まり気味になる。
「ど…どちらにせよ、シュナイゼル様に相談しない事には…」
なんとか絞り出した言葉は半分了承しているようなものだった。
少しばかり怒りが鎮まってきたらしきドロシーは嘆息して口元に手を当てる。
「まあ…そうね。独断で決められる事じゃないわ。それなら、次にシュナイゼル卿に会った際にお願いしなさい。これは貴女の身の安全の為でもあるんだから。良いわね?」
「……はい…」
気が重いが嫌とは言えない。
ユーリがどんな反応をするだろうかと不安になりながら、フェリーツェはトボトボと自室へ戻ったのだった。
「あっはっはっは!ユーリ様、さっきはなかなかサマになってましたよ!手人形作戦、実に良いですね!」
心底楽しそうにキナードは2人の話し合いを振り返る。
自分を模した手人形をそっと机に置きながら、ユーリはキナードへ氷のような視線を向けた。
「…随分と愉しそうだな?無駄口を叩く程に余裕があるようだし、お前の仕事を5倍に増やして…」
「あー!そうそう!!クラレンス伯爵令嬢についての中間報告をしますね!!」
不吉な単語を遮るべく慌てて声を上げるキナード。
本気で言っていた訳でもないユーリは呆れた顔をしつつ耳を傾けた。
「クラレンス伯爵令嬢は去年、17歳で少し遅めの社交界デビューをしたそうです。しかし、デビュー直後から男にだらしないという噂が広まったようですね」
「直後から?何か切っ掛けでもあったのか?」
「噂の出所などはまだ調査中ですが…母親が沢山の男達を虜にした魔性の女だったから娘であるフェリーツェ嬢もそうに違いない、と決めつけられたみたいです。それに見た目も噂を助長させたようですね」
キナードの説明を受けてユーリは首をかしげる。
「見た目?母親にそっくりなのか?」
「いえ、顔は父親似なのですが…身体がその、とても女性らしいので…」
直接的に口にするのは憚られ、キナードはフェリーツェの姿絵をスッと出して掲げた。
幼い顔立ちとは裏腹の見事なボンキュッボンを表現している全身像に、ユーリも「あー…」と小さく声だけこぼして納得する。
自身もこの容姿のせいで言い寄ってくる女性が多いため少々同情していると、ずいっと身を乗り出しながらキナードが人差し指を立てた。
「さて、面白いのはここからです。そんなクラレンス伯爵令嬢ですが、彼女には交際相手がいたようですよ」
「何?」
信じ難い話に片眉を上げるユーリ。
「男性恐怖症で、どうやって交際など出来るというんだ?」
「それなんですがね、どうやら当初の彼女はまだ男性恐怖症ではなかったようなんですよ」
てっきり昔からなのかと思っていたユーリは少し驚いた顔をする。
話に興味を持ち始めた事を感じ取ったキナードはしたり顔で詳細を話し出した。
「ホアノ・ラークソリッド侯爵令息。悪い噂が付き纏う彼女と唯一会話を交わしていた人物です。ダンスを踊ったのも彼とだけですね。周りから見ても相思相愛で、婚約間近だろうと言われていました」
「ふむ、彼か…」
侯爵家嫡男である為、ユーリも何度か挨拶を交わしており記憶にある人物だ。
自分に過剰に自信を持っているタイプだと認識している。
彼の説明は不要だなと判断して話を進めるキナード。
「周りからあんな女やめておけと言われても、それでも僕は彼女が良いんだと一途さを見せていたそうです。けれど数ヶ月前、事態は一転しました」
続きを促すようにユーリは目を向ける。
もちろんと言わんばかりにキナードはすぐ内容を告げた。
「夜会にて、ラークソリッド卿が『彼女と婚約を結ぼうと屋敷へ赴いたら、彼女に襲われ婚前交渉を持ち掛けられた!あんなの淑女のする事ではない!』と嘆いたんです。それで婚約の話は無しになったと」
聞いたユーリはスウっと目を座らせる。
「…嘘だな」
「嘘でしょうねぇ〜」
数回しか会っていないとはいえ、ユーリもキナードも有り得ないだろうというのが率直な感想だ。
フェリーツェが自ら男を襲うとは到底思えない。
そもそもそんな人間ならば、男性恐怖症になったりもしない筈だ。
「まあしかし我々と違い、皆は元々の噂もあって信じたようですよ。侯爵令息に同情して、その場にいない彼女を散々詰りました」
悪口を言って楽しむ貴族達の醜悪な姿が目に浮かび、眉を顰めるユーリ。
キナードも完全に笑みを消して続ける。
「それからです。彼女が社交の場に一切顔を出さなくなったのは。貴族達の間では恥ずかしくて顔を出せなくなったんだろうと言われてますが…」
「実際は、男に会いたくないから…か」
ユーリの言葉にキナードはこくりと頷いて同意した。
一つ息を吐いて、ユーリは椅子の背もたれに僅かに身を預ける。
「何か、あったんだろうな」
「でしょうね。男性恐怖症になる切っ掛けが」
2人が辿り着いた結論は同じだった。
詳細はまだ分からないが、数ヶ月前に原因となる事柄があったのだろうと。
と、そんな風に考え部屋の空気が重くなった時だった。
ーーコンコンコン
「入れ」
「失礼します」
部屋のドアがノックされ、ユーリの許可を受けて手に何かを持った使用人が入室してくる。
「ユーリ様、お手紙が届いております」
近くにいたキナードが受け取って差出人を確認した。
ピラっと見せながらユーリの所へ持ってくる。
「別邸で療養中の奥様からですね」
「母上から?」
母親からの手紙に嫌な予感を覚えて即座に封を切るユーリ。
そして内容を確認し、頭を抱える事となった。