衝立て越しのお見合い
「何…これ?」
入室した部屋にて目に飛び込んできたソレは、とんでもない存在感を発揮していた。
高さは自分の身長より高く、恐らく170センチくらい。
横の長さは2メートル程だが、数枚を繋ぎ合わせて部屋の殆どを仕切っている。
恐らく同じ部屋にいるであろうお相手の姿を隠すこれは…
「衝立て…?」
そう、衝立てであった。
意味の分からない光景に、伯爵令嬢であるフェリーツェ・クラレンスはただただぽかーんとしてしまう。
何か間違いがあっただろうかと、フェリーツェはここに至った経緯を思い返した。
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「できたー!」
自身の住む屋敷の庭園で、ライオンの形をしたぬいぐるみを掲げ喜びの声を上げるフェリーツェ。
頬を上気させて「うん、上出来上出来」と自らを褒め称える。
そう、これはフェリーツェの自作。
ぬいぐるみを作るのが趣味で、毎日のようにせっせと作製しているのだ。
「さすがお嬢様。相変わらず見事な腕前ですね」
フェリーツェを褒めたのは、専属メイドであるカティア。
黒に近い焦茶色の髪を1つに纏めて凛々しめの顔立ちをしている。
基本無表情で愛想が無いように見えるが、フェリーツェの為に臨機応変に動いてくれるとても優秀なメイドだ。
「えへへ。ありがとうカティア」
カティアを心から信頼しているフェリーツェは、心底嬉しそうに笑う。
しかしこの直後、どん底に落とされようとは思いもしなかった。
「あらフェリーツェ、こんな所にいたのね?部屋にいないから探したわよ」
「お母様!」
声を掛けてきたのは、母親であるドロシーだ。
作品が完成したテンションでニコニコとしながらフェリーツェはぬいぐるみを見せる。
「お天気が良かったので外で作ってたんです。ほら、上手く出来たと思いません?」
「まあ本当ね。とても可愛らしいわ」
リアルな造形ではなくデフォルメした姿のぬいぐるみは見ているだけで癒され、ドロシーも頭をナデナデしてしまう。
母親にも褒められて上機嫌になりながらフェリーツェは質問をした。
「ところでお母様、どうして私を探してたんですか?」
「ああ、それなんだけれどね…とっても良いお話を持ってきたのよ」
「良いお話?」
満面の笑みで朗報の持ち込みを伝えてくるドロシー。
少しワクワクしながら内容に期待するフェリーツェに、勿体ぶらずストレートに告げた。
「おめでとう!貴女、明日お見合いする事に決まったわよ」
「…………え?」
一瞬母の言葉の意味を理解出来ずに間が空く。
いや、正確には理解するのを脳が拒否していた。
しかし何度頭の中で繰り返しても内容は変わらず、フェリーツェの気分は一転して奈落に落ちた。
「お見合い!?どういう事ですかお母様!」
情けなく眉を下げて半分涙目になりながら迫る。
そんなフェリーツェにニッコリと笑って、母ドロシーは花を愛でながら答えた。
「どうも何もそういう事です。ユーリ・シュナイゼル公爵令息が結婚相手を探しているそうなので、申し込みしましたのよ」
「で、でも、私は男性が苦手で…」
語尾を尻すぼみにしながらゴニョゴニョと訴える。
そんなフェリーツェを見て、ドロシーはハァと溜め息を吐いた。
「そんな事を言っていたらいつまで経っても結婚できませんよ?貴女はもう18歳で、既に行き遅れ手前でしょう?ただでさえ、社交界で不利な噂を流されているというのに…」
「う…」
反論出来ずに口籠るフェリーツェ。
実はフェリーツェは、男遊びが激しく沢山の殿方を弄んでいるという根も葉もない噂を立てられてしまっているのだ。
おかげで夜会などでも遠巻きにされるか下心丸出しの男性が寄ってくるかのどちらかである。
(それもこれも、こんな身体だからいけないんだわ)
フェリーツェは恨めしそうに自分の身体を見下ろした。
そこには小柄な体格に似つかわしくない、視界の半分を隠すほどの豊満な膨らみがある。
顔は水色のパッチリとした目をして少女のように可愛らしく、緩いウェーブの掛かった桃色髪が更に幼さを強調しているのだが…身体だけ見れば立派な女性。
つまり直球で言えば、童顔なのに身体はエロいという容貌なのだ。
だからこそなのか、社交界デビューした直後からその容姿で男達を惑わせているとあちこちで囁かれてしまったのである。
しかし、実際の彼女はというと…
「奥様、至急確認していただきたい事が…」
「ひえ!?」
ドロシーに用があり急足で来た執事を見て、近くの茂みに飛び込むフェリーツェ。
そう、彼女は極度の男性恐怖症。
男遊びなんて出来るはずもない。
「あ!お嬢様すみません!」と慌てて下がる執事の横で、ドロシーはもう一度溜め息を落とした。
「本当に…酷いわね。せめて公爵令息様の前では、そんな醜態を晒さないで頂戴ね?」
「そ、そう思うならお見合いなんて取り消してください!」
「あら、公爵家との約束を反故になんて出来るわけないでしょう?」
「うっ」
母の言う事はもっともで、爵位が下である伯爵家が公爵家との約束を破る訳にはいかない。
例え具合が悪かろうが這ってでも赴かなければならないだろう。
フェリーツェは観念すると共に絶望しながら項垂れる。
そんなフェリーツェの様子を伺ってから、ドロシーは悪戯な笑顔を浮かべて言った。
「まぁでも、貴女は私に感謝することになるわよ?」
「え?それってどういう…」
「ふふ、行けば分かるわ。それじゃあ明日のお見合いに向けて、しっかり準備しなさいねー」
ひらひらと手を振って執事と共に屋敷へ戻っていくドロシー。
その後ろ姿を見送りながら、フェリーツェは脱力してヘタリと座り込んだ。
先日まで母は自分の男性恐怖症にも理解を示してくれていた筈。
それなのにこんなのとんだ裏切りではないかと途方に暮れた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
黙って事の成り行きを見守っていたカティアに言葉を掛けられ、ふにゃりと顔を歪ませる。
「大丈夫じゃないよぉ…どうしよう?」
「こればっかりは、どうしようもないかと。それにしても…お相手がユーリ・シュナイゼル様とは驚きましたね」
「そう!それも意味がわからない!何かの間違いじゃないの!?」
2人がこんな反応をするのには理由があった。
知らぬ者などいない公爵家の嫡子で二十歳のユーリ・シュナイゼル。
彼は青みがかった美しい銀髪にグレーの瞳でとんでもなく端正な顔立ちをしていて、女性達の間で結婚したい男No. 1と言われている。
しかし、それだけで有名なのではない。
せっかくの素晴らしい容姿と高位で女性など選び放題だというのに、彼は筋金入りの女性嫌いなのだ。
因みに貴族から平民まで皆魔力を有していて何かしらの魔法が使えるのだが、公爵令息は氷魔法を得意としているため難攻不落の様子から『極寒の氷壁』なんて呼ばれていたりもする。
そんな彼が結婚相手を探しているなんて不可解すぎて、2人揃ってうーんと首を傾げてしまった。
「とにかく、奥様の言っていた通り行けば分かるのでしょう。さぁお嬢様、時間がありません。明日に向けて準備に取りかかりましょう」
「い、嫌だよぉ…」
「嫌がってもダメです。さ、行きますよ」
考えるだけ時間の無駄だと判断したカティアに半ば強引に連行されるフェリーツェ。
急な日程に衣装選びなどでバタバタとし、目を回している内にあっという間に時間が過ぎ去る。
そうして心の準備もままならないまま、公爵邸へと赴くことになった。
「わぁ…!なんて大きなお屋敷」
馬車の扉が開かれて最初に出た感想がそれだ。
決して貧乏ではない伯爵邸も大きかったが、公爵邸は比べ物にならなかった。
白を基調とした高く聳え立つ建物はまるで城のようで、広大な敷地にあっても存在感が薄れることもなく佇んでいる。
広々とした庭もしっかりと手入れが行き届いていて、整えられた草木や色とりどりの花にほぅ…と感嘆の息が漏れた程だ。
「お嬢様」
と、感動して呆けているフェリーツェの背中をポポンとカティアが叩いた。
これは男性が近付いてきた時の合図であり、一気に緊張感を高めたフェリーツェは背筋をピンと伸ばして前を向く。
「フェリーツェ・クラレンスお嬢様ですね?お待ちしておりました。私は執事のキナードと申します。僭越ながら、私めが案内を務めさせていただきます」
現れたのは二十代と思われる若い男性。
オレンジに近い茶色の髪で顔も整っており、優しげな微笑みを湛えている姿は非常に女性ウケしそうである。
もちろんフェリーツェは格好良いなんて感じる余裕など無く、伯爵家の初老執事と違ってこんな若い方が公爵家の執事だなんてよっぽど優秀なんだわ!と驚きに思考を向けて必死に恐怖を誤魔化していたが。
取り敢えずフェリーツェは「は、はい。よろしくお願いします」と答えながら女性御者の手を借りてドギマギと馬車を降りた。
不自然にならない程度に距離を取ってキナードの後に続く。
(女性の御者とは…珍しいな)
一方で、キナードの方も物珍しさに驚いていた。
男性の手を借りたくないフェリーツェが無理を言って講じた手段だが、基本的には男性がする職業なので当然の反応だろう。
それともう一つの疑問。
噂では男に目がないご令嬢と聞いていたが、自分に色目を使ってくる様子もない。
寧ろ怯えているようにすら見える。
(まあ…これから公爵令息とお見合いなんだから、緊張もするか)
公爵家の執事として顔には一切出さないが、そんな風に注意深く観察しながらキナードは大きな扉に手を掛けゆっくりと開いた。
フェリーツェは恐る恐る中を見、即座に意識が飛びそうになる。
(なっ、何で男性の使用人ばっかりなの…!?)
エントランスで両サイドに並びながら丁寧に頭を下げている使用人は、全員が男性で女性は1人も居ない。
地獄のような空間に、フェリーツェは回れ右して逃げ出したくなった。
「ダメですよ、お嬢様」
「う」
しかし、できるメイドであるカティアがそれを許さない。
小声で制しながら逃げ道を断たれる。
こうなれば仕方ないと、視界に入れないようギュッと目を瞑ってフェリーツェはキナードについて行った。
本来はそんな芸当をこなす能力など無いが、できるメイドカティアがこっそりとフェリーツェの腕を掴み誘導して不可能を可能とする。
そのまま右へ左へと移動し、応接室らしき部屋の前へと辿り着いた。
「どうぞ。中でユーリ様がお待ちです」
いよいよお見合い本番である。
泣き叫びながら逃げ出そ「ダメですよお嬢様」うとしたかったが許される筈もなく、恐怖で怯えながらも歩を進めた。
せめて公爵令息様と距離がありますようにと切に願いながら、僅かな抵抗も兼ねて薄目で入室する。
が、直後に目も口も開けっぱなしとなった。
そう、例の衝立てとの出会いを果たしたからだ。
(え?え?あ、有難いけど、どういう状況??)
自分の想像するお見合いとはあまりにかけ離れた光景に戸惑いを隠せない。
そんなフェリーツェに、衝立ての向こうから落ち着いていて体の芯に響くような耳心地の良い声が掛けられた。
「そちらに椅子があるだろう?まずは座ってくれ」
「は、はい!」
姿は見えないが、声の主は間違いなく公爵令息だろう。
衝立てと壁の真ん中くらいに置かれている豪華な椅子に慌ててフェリーツェは腰掛けた。
フェリーツェの斜め後ろにカティアが控え、キナードが衝立ての端が眼前に来る位置で壁際に控える。
公爵令息とフェリーツェの両方を見れる場所だ。
全員が配置についたところで早速お見合い(?)が始まった。
「まずは改めて自己紹介をさせてもらおう。ユーリ・シュナイゼルだ。今日は足を運んでくれ感謝する」
「は、はじめましてシュナイゼル様。クラレンス伯爵の娘、フェリーツェです。こちらこそ、本日はこのような場を設けてくださった事に感謝致します」
言いながらペコリと礼をするが、目の前にあるのは白い壁だ。
まるで衝立てとお見合いしているかのようで奇妙な気分になる。
「このような物が目の前にあり、気分を害したか?」
「い、いえ!」
問い掛けを受け強めに否定した。
害するどころか取り払われてはこちらが困る。
ユーリは淡々と言葉を続けた。
「すまないな。女性が好きではなくて、出来れば視界にも入れたくないんだ」
(うわぁ…ハッキリ言うなぁ。気持ちは分かるけど…)
姿は見えないが声がとても淡白なので、恐らくこうして話す事さえ不快なのだろうと予測できる。
しかしつい共感もしてしまうフェリーツェ。
フェリーツェ自身も、キナードがもう少し令息側にズレてくれれば見えなくなって良いのに…と思っていた。
一先ず、会話を途切れさせては失礼だろうとこちらからも質問をする。
「あの…そんなに女性が嫌なのでしたら、なぜ結婚相手をお探しになっているのですか?」
聞いて良いのか分からずおずおずと問い掛けたが、ユーリは案外すんなりと答えた。
「あぁ。私が公爵家を継ぐ予定なのは知っているだろう?」
「はい」
「最近母が体調を崩していて父も付きっきりな為、予定より早く跡を継ぐ事になった。しかし…ここに来て父が爵位を継がせるための条件を1つ出したんだ」
「条件…ですか?」
心底嫌そうにハァ…と溜め息を吐きながらも、ユーリはフェリーツェにその内容を教えてくれた。
「結婚し、妻を迎える事。それが出来ないならばお前に爵位は継がせられない、と」
なるほど、と漸く合点がいく。
どうりで衝立てを置くほど嫌がる令息がお見合いなんてする訳だ。
「どうやら母が私が独り身である事を憂いているようでな…。跡継ぎが心配ならば養子を迎えると説得もしてみたんだが認めてはもらえなかった。結果、こうして場を作る事になったんだ」
「そう、だったんですね…」
嫌でも結婚しなければならない状況に、フェリーツェは心から同情した。
自分だったなら嫌過ぎて家を継ぐことすら放棄して逃げ出すかもしれない。
そうせずにどうにかしようとするのは立派だなぁと尊敬すらしていた。
「さて、今述べた通り結婚はしなければならないのだが…だからといって私の女性嫌いが治る訳ではない。そこで、私からの条件を飲んでくれる女性と結婚する事にしたんだ。ここに来たという事は、それについては聞いているだろう?」
(え!?聞いてない!)
条件があるだなんて話、母は一切していなかった。
言っていたのは行けば分かるという事だけ。
ドロシーはサプライズが好きなところがあるが、こんな時にそれを発揮しなくても良いじゃないかと思いながら言葉を絞り出した。
「か…確認してもよろしいでしょうか…?」
知ったかぶる威勢はなく、震えながら直接聞く。
ユーリはぴくりと片眉を上げた。
「…聞いていないのか?」
「す…すみません…」
呆れが混ざっている声に恥ずかしさもあって泣きそうになる。
幸い、ユーリは怒り出したりはせずに再度口を開いた。
「ハァ…まあ良いだろう。では条件を話すから、そのうえで結婚を望むのか君が決めてくれ」
「は、はいっ」
見えてもいないのに懸命にコクコクと首を縦に振るフェリーツェ。
カティアはいつも通り無表情で反応しないが、キナードは口の端が上がりそうになるのを必死に堪えた。
「まず初めに言っておく。これは言わずとも予想がつくだろうが、決して夫としての愛を望まないでくれ。私と結婚したならばお飾りの妻になる」
「はい、ですよね」
当然だろうと大きく頷く。
女嫌いな彼に愛してくれだなんてそんなの無理難題だ。
「…同じ邸内に住んでいても、顔を合わせる事もまず無いと思ってほしい。余程重要な場合でない限り、社交の場に顔を出す事もない」
「はいっ」
え?一緒に住んでても会わなくて良いの?夜会とか出なくて良いの?やった!とつい喜びながら明るい返事をしてしまう。
男性と会うのも嫌だしエスコートもされたくないし、悪く言われる社交の場にも極力行きたくないフェリーツェには願ったり叶ったりだ。
「…不満ならば、情夫を連れてきても構わない。お金も好きに使ってくれていい。屋敷の管理なども、するしないは自由だ。任せよう。私の目にさえ止まらなければ、何をしても許すと約束する」
「本当ですか!?」
更にテンションの上がるフェリーツェは飛び跳ねそうになる。
情夫なんてものは要らないが、何でも自由にして良いだなんて素晴らしい。
1人部屋に篭って趣味に没頭する時間が大好きなフェリーツェにとって最高の条件である。
「…以上だが、何か言いたい事はあるか?」
喜びの間に出され終わった条件にフェリーツェは目を丸くした。
自分にとって有利な事しか言われていないではないか。
(お母様が言ってた感謝するって、こういう事だったのね!?)
家族仲が悪い訳でもないのに母がお見合い話を持ってきたのには疑問もあった。
けれども裏切りではなく、本当に娘を思っての行動だったのだ。
目を輝かせ小躍りせんばかりに心の内で歓喜するフェリーツェ。
こんな良い条件の結婚を断る理由など全く無い。
フェリーツェの中の天秤は、一直線になりそうな程に結婚する方に傾いたのだった。