遭遇
お久しぶりです。
そういえば本編とは全く関係はないのですが、去年の夏、妹の言った「熱帯夜で眠れない」を「熱帯魚で眠れない」と聞き間違えたのですが、そりゃあ水槽に頭を突っ込めば眠れないだろうと思い、返答すると噛み合わず、そこでようやく間違いに気づきました。
これはどっちが悪いのでしょうか? 多分私でしょうね。
それでは本編へどうぞ。
エリオ達は先日のグリフォンの件と現在調査中の謎の魔物についてをハリオットに報告をしにシンフォニア邸にやってきた。
衛兵に門を開けてもらい、中に入り、ドアの前で待つ。チラッと目線を庭の方に向ければアリスがいた。
「ん? あそこにいるのはアリス様と……誰だ? 教育係…は別の奴だったよな」
庭でアリスが魔法の練習をしているのは普段通りだが、見覚えのない少年がアリスと一緒にいたことを不思議に思い、声が出てしまう。
「新しい教育係ですよ。アリス様と年齢は然程変わりませんが、魔法の腕は確かですよ」
答えを期待していないただの独り言に衛兵が答えを返してくる。
「なるほどな、あの若さでハリオット様が教育係に選ぶほどだ。相当の実力者に違いはないのだろうな」
「ええ、実際、我々も彼には助けられましたから」
「ん? それはどういう…」
「エリオ様、お待ちしておりました」
声のした方を見ると執事が出迎えてくれた。エリオは軽く会釈をする。
「旦那様がお待ちです。どうぞお入りください」
エリオは頷くと、行くぞ、と部下に呼びかけて屋敷のドアを潜る。
執事に案内され、応接室で待つ様に言われてしばらく座って待っているとドアが開く音がする。
全員が立ち上がり、ドアの方に向くとハリオットが入ってきた。
「そう畏るな、楽にすると良い」
楽にせよと言われても相手との地位の差のためか全員直立の姿勢をキープしていた。ハリオットは諦めて椅子に座り、全員に座る様に促す。
「では、急かすようで悪いが、本題に入ってもらおうか」
「はい、わかりました。報告書を」
エリオは部下に指示を出し、報告書をハリオットに渡させる。ハリオットは軽く全体に目を通すと目を伏せてため息を吐く。
「一つ聞かせてくれ。この情報は確実なのだな?」
「まだ調査段階ではありますが、正体不明の何かがいるのは確実かと」
「そうか……それで? ここに来た理由は報告だけでは無いだろ?」
エリオは驚き、思わず目を見開くがすぐに元の顔に戻す。その様子を見てハリオットは吹き出してしまう。
「おそらくは例のグリフォンの素材売却から私の元に手練れがいると判断して、討伐した者に調査依頼を出したいので許可と仲介を頼みたい。こんなとこかな?」
「…はい、今現状 調査に向かった者たちよりもランクが高い者たちは長期の依頼をこなしており、依頼を任せられる者はいません。なのでお願いできますか?」
エリオは机に頭を擦り付ける勢いで頭を下げ、部下もそれに追随し、ハリオットに頼み込む。
ハリオットも腕を組み、少し考えてから、口を開く。
「…紹介するのは構わんのだが、一つだけ問題があってな…」
「問題…ですか?」
「会ってみればわかる。今の時間だと外にいるだろう。着いてくるといい」
そう言うとハリオットは立ち上がり、ドアの方へと歩き出す。エリオ達もハリオットに着いていき、ドアを潜る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
三日後…
「あれ? 結局、エリオさんだけなんですか?」
待ち合わせ場所にシリウスが着くと大剣を背負って、全身に鎧を纏った完全武装のエリオが一人だけで立っていた。
「仕方ないだろ。Aランク超えの依頼に子供を連れて行ってくれるという条件で信頼できる人間など、ほとんどいないわ!… 強いて言えば一組だけ条件に合うパーティーもあるが、そいつらは今、別の依頼でこの街にはいない。なら俺一人で引率した方がまだマシだ」
まぁ、確かに子供を連れて依頼に行きたいと快諾するようなやつを信用も信頼もできる気はしないな。と一人で勝手に納得する。
「まだ行かないんですか?」
合流したらすぐに行くものだと思っていたシリウスはまだ腕を組み、一切動こうとしないエリオに思わず聞いてしまう。
「ん? 聞いてなかったのか? 後一人メンバーがいるって」
「……聞いてないですね…」
「あ〜、すまん。言ってなかったぽいな。最後のメンバーはお前も…」
「すみません、遅れました」
「ん? アリス様?」
声のする方を見るとアリスが走ってきていた。いつもと違うと思ったら、至る所に防具をつけていた。
「最後の一人はアリス様だったんですね。屋敷で言ってくれればよかったのに。でも、よくハリオットさんが許してくれましたね」
「何事も経験だってさ、それにシリウス君がいれば安全だろうとも言ってたよ」
なるほど、合点がいった。安全が保証されつつ経験が積めるなら行かないほうが損だろう。
「そんなことよりもシリウス、お前防具は? グリフォンを倒したんだ。その時の装備とかないのか?」
「えっ? 今着てますけど?」
「えっ?」
「あの〜、エリオさん? シリウス君のその服、魔物の皮とか毛でできた服で並の装備よりも防御力があるよ?」
「…マジ?」
「はい、マジです」
魔獣の素材で装備を作るのは一般的だが、流石に服のような見た目はあまり一般的ではないのだろう。不思議そうにシリウスの周りを回りながら、シリウスの服を見る。
「なら、いいか…。じゃあ行くぞ。依頼の詳細は向かいながら話す」
そう言ってエリオは近くに停めてあった馬車の荷台に乗り込む。それに倣い、二人も荷台に乗り込んでいく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「今回の調査は謎の魔物の捜索と危険性の判定、そして危険因子の排除だ」
「捜索や危険性の判定はわかるけど、排除……」
不安そうにアリスがこぼす。
「あぁ、調べてみたところ行方不明の冒険者が最近明らかに多い。その魔物に何人もの冒険者が襲われている可能性があるんだ。狩れるうちに狩っておきたいってのが本音だな。
危険性があまりにも高く、荷が重いと判断した場合は撤退して討伐隊を組む予定だ」
「ギルドとしても早めに討伐したい魔物なんですね。ところで本当に白い魔物という以外情報はないんですか?」
「あぁ、ギルドも調査を進めたが、全く進捗がない。そもそもあの報告以来、誰も帰ってきていないからな…」
「えっ? どうして?」
「ギルドは結論を急ぎすぎたんだよ。その魔物の危険性を測り損ねたんだ。それどころか危険なのはその白い魔物なのか、それとも別にいるのか、それすらも未だに掴めていない」
悔しそうに下唇を噛むエリオ。シリウスはチラッと横を見るとアリスも少し顔色が悪くなっている。魔法の練習をして強くなった実感があったとしても怖いものは怖い。
軽く頭を撫でると驚いたように目を見開くが、すぐに気持ちよさそうに目を細めた。
「もうすぐ着くがどうする? 俺はこのまま向かうが、お前たちは二人はほとんど部外者だ。怖いなら帰ってもいい」
最後に装備の点検をしながら聞いてくるエリオ。答えはもちろん決まっている。
「俺は着いて行きますよ。そのために来たんです。それにどんな魔物か気になりますしね」
シリウスはさも当然のように答える。
「わ、私も行く」
少し間を空けて、震え声でアリスが答える。
「わかった。でも危なくなったらすぐに逃げろよ。…見えてきたぞ、ここで降りてあそこから森に入るぞ」
エリオが指す方には人が通れそうな木々の隙間が空いていた。
「馬車を停めてくれ。よし、ここから森の奥を目指していく。途中、何か異変があったら、なんでもいい、すぐに知らせてくれ」
エリオが馬車から降りながら二人に話す。シリウスとアリスはそれを聞いて頷く。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
森の中に入り、一同が感じたことは普通すぎるだった。ゴブリンや狼とは出会ったものの、今のところ異変が見当たらない。
「平和ですね。今のところ異変の片鱗すら見えませんよ」
「あぁ、そうだな。だが油断はするなよ。いつ襲って来るか、わからないからな」
「えぇ、わかってますとも」
三人は警戒を怠ることなく、森の奥へと進んでいく。
「あれ…、なにかな?」
アリスが指す方に顔と意識を向けると確かに何かある。
警戒しながらその何かに近づいてみると、そこには折れた剣と歪んだ鎧の一部らしき物が転がっていた。
「…装備でしょうか? 死体の方は獣か何かに持っていかれたのでしょうね」
「さっき話した帰ってこなかった冒険者の物で間違いないだろう…。これで何かいることは確定したな」
エリオは屈んで何かを拾い、シリウス達に見せる。
それは冒険者ギルドのライセンスだった。
「ここから森の中心に向かって行きますか?」
「そうだな、進めば更に何かあるかもしれん」
「ですね。いつでも戦闘に入る準備はしてる方が良さそうですね」
「そうだな……。…ん? なんだこの跡は……」
二人がエリオの方に目を向けると足跡と何かに握りつぶされた様な痕が木に残っていた。
「オーク…か? だが、オークの手より明らかに大きい…。それにこの足跡も見たことがないものだ…。オークが何かを追いかけていたのか?」
何か違和感を感じつつも、エリオはそう結論付ける。
「でもそれなら何か変ではありませんか?」
「何がだ?」
「オークが仮に何かを追いかけていて、それが仮にこの足跡の主がその何かなら、何故本来より大きいと予想されたオークの方の足跡が残ってないのでしょうか?」
「何故小さい方だけ足跡が残るのか…。ここ最近雨は降っていないのに何故残るか…。……体重が重いからか!」
エリオが漠然と抱いていた違和感。その正体に辿り着いたような気がする。
「小さいのが残ってデカいのが残らないのは考えにくい。二体の痕跡ではなく、一体の痕跡の可能性もあるわけだな。よし、では未知の魔物が一〜二体はいると仮定して動くことにしよう」
エリオは納得がいったかのように頷く。だがまた一つ疑問が浮かび、動きを止める。
「だが、仮にこの跡の魔物が例の白い魔物であると仮定して、正体はなんだ? この辺りの魔物でこんな特徴を持つ魔物など、少なくとも俺は見たことも聞いたことも…」
『ゴガァァアァァ!!!』
森全体を揺らすほどの大きな鳴き声が響き渡る。
「な、なんだ? 今のは一体……」
「あ、あっちの方から聞こえたよ…」
「例の魔物かもしれません。急ぎましょう」
鳴き声の聞こえた方へと三人は走っていく。目の前に少し開けた岩場が広がっていた。
「伏せろ」
エリオは二人にそう指示すると草むらに隠れるようにしゃがみ込む。二人も倣ってしゃがみ込む。エリオが指で前を見ろと合図をすると二人は草むらから少し顔を出し、エリオの指差す方を覗き込む。
三人の眼前、巨大な白い魔物と魔物の群れが向かい合っていた。三人はしゃがんで草に隠れて様子を伺う。
「サーベルウルフの群れとなんだアレは? 」
「…わからない。でも件の魔物に間違いないと思うよ。……でも…」
あの様な見た目の魔物は見たことがない。そもそもアレは本当に生物なのか? そんな考えがアリスとエリオの頭をよぎる。
「動くぞ!」
白い魔物がサーベルウルフの一体との間合いを一気に潰し、殴り飛ばして岩に叩きつける。それを皮切りに残りの四体が一斉に飛び掛かる。サーベルウルフの牙が伸び、大きく鋭い刃となって白い魔物に深々と突き刺さる。堪らず暴れ回るも牙が深くまで突き刺さっていて簡単には抜けない。
白い魔物はサーベルウルフを掴み、肉が裂けるのもお構い無しに強引に引き剥がし、投げ飛ばす。サーベルウルフは地面にぶつかるもすぐに立ち上がり、怯まずに白い魔物に牙を突き立てる。
サーベルウルフは牙を刃物の様に使い、肉を引き裂く。白い魔物は一層暴れ回るが、サーベルウルフの猛攻は収まることはなく、更に激しさを増していった。
やがて力尽きたのか、ゴァアァと声を上げて力なく倒れ込む。額にあった目も閉じてしまっていた。
それを確認したサーベルウルフたちが肉を食べようと近づく。
「終わったな…。しかしなんだったんだろうな、あの魔物は…」
「私は滅多にこんなところには来ないけど、図鑑とかにも載っていない奇妙な生物だなって思ったよ。突然変異とかかな?」
エリオは立ち上がり腰を伸ばす。アリスもそれに倣い、二人はもと来た道を戻ろうとしていた。
「今となってはわかりませんがね。これで脅威は去ったってことで帰るか…。というか、シリウス。何黙ってるんだ? 日が暮れる前に早く帰ろう」
「違う……。アイツは死んでなんかいない。早く隠れて、というかここから離…」
シリウスが焦った様に二人に手を伸ばす。するとキュウゥゥンと断末魔の様な鳴き声がした。慌てて三人は鳴き声の方に目を向ける。
「やっぱり、あの時と同じだ……」
さっきの魔物が目を開けて二体のサーベルウルフの首を握りつぶして持ち上げている。残ったサーベルウルフたちは体勢を低くして尻尾を下げて足の間に隠し、耳が垂れ下がっていた。
「おい、シリウス。アレを知っているのか? アレは一体なんなんだ!」
残ったサーベルウルフに対して持っていた死体を投げつける。高速で自分と似た質量の物が飛んできて、避ける間も無く、ぶつかり絶命してしまう。
「アレは……、魔族です」
「は? 魔族だと!? 冗談も休み休み言え! 魔族は確か四、五十年ほど前に絶滅したはずだろ!?」
「…? 何を言ってるんですか? 魔族を絶滅させることなんか不可能です。できるわけがない!」
「だが、現に歴史で…「ッ! 伏せて!」
シリウスに掴まれ、二人は無理に伏せさせられる。話を途中で遮られたが、それ以上言葉が紡がれることはなかった。
何故なら…、ギュルンと首を反対に向けて、魔族がこっちを振り向いたからだ。
ギョロギョロと一つしかない目で周りを見渡す。
「アイツは恐らく聴覚と嗅覚がないんだと思います。だからあんな風に周りを見渡すんだと思います」
「だが、どうする。去るのを待つか? それとも一気に逃げるか?」
魔族は三人のいる茂みの方にゆっくりと歩いてくる。
(…見られている)
「いえ、ヤツは多分去りません。恐らく俺たちの存在に気づいてます。この状態で逃げるのも得策じゃない。一番はヤツを仕留めることです」
「だが、それができないからサーベルウルフたちはやられたんだろ? 魔物でも再生することはあるが、アイツのはいくらなんでも早すぎる。さっきの傷ももう既に元通りだ!」
「いえ、正確には殺せます。俺もこのレベルとは一人で戦ったことがない…。ぶっつけ本番だが、やるしかない…。
……最悪の事態もあり得ます。俺がアイツの注意を引くのでその隙にアリス様と逃げてください」
魔族から目を離さずに影から雷霆を取り出す。
「おい! 待て! シリウス」
(理想は不意打ちで一撃で方を付けるだけど、こっちに気がついているアイツに不意を打てるかどうか…。いや、本気で倒す気なら隙を作ればいい!)
「《サンダーボルト》」
シリウスと魔族の対角線上に雷が降る。魔族も思わずそっちに意識を向けてしまう。シリウスはその隙に飛び出し、一気に距離を詰め、雷霆を構える。
(殺れる!! 《ライトニン…)
雷霆を構え、後ろから貫こうとした時、背中に突如現れた複数の目にギロッと睨まれる。
「しまっ…」
振り返りながら加速された拳がシリウスを捉る。ボギュっという鈍い音が離れた位置にいた二人の耳にまで届き、シリウスは地面に叩きつけられる。
「シリウス!!!」
シリウスを置いて逃げることができず、隠れていた二人が戦慄する。
「エリオさん…魔族の腕が……」
「んなぁ!? まさか!?」
魔族を見ると肘から先が千切れていた。
「魔法で相殺してやがったのか!?」
シリウスの方を見るとゆっくりと立ち上がり、口元の血を拭いながら魔族を睨みつけていた。
「ふぅ、危なかった……。魔法の発動が少しでも遅れていれば、危うくお迎えが来るとこだったな…」
グルルと唸り声を上げながら、腕を再生させる。
(マズいな…。さっきのを一発でもまともに喰らえば動けなくなる…。確実に狩るには近付く必要がある…。だがそれはヤツの射程に入るも同然…)
──上等。とシリウスは雷霆を握り直し、笑みを浮かべる。
魔族はゴガァアと声を上げ、シリウスとの距離を一気に詰め、拳を振り下ろす。シリウスも拳を避け、懐に潜り込み、魔族の腹に手を添える。
「《スタン》」
スタンを受けて魔族が一瞬、硬直する。動けない間に魔力を纏った打撃を連続で打ち込む。
シリウスの魔力の質は雷属性に変化している。つまり常に帯電している状態だ。その状態の打撃を受け続けると絶えず電気を体内に流し込まれ続けているに等しい。それは常に麻痺状態にさせられているに他ならない。更に魔力を纏っているため、打撃の威力も底上げされているので、相手は動けずに攻撃を受け続けることになる。
シリウスの拳が魔族の回復速度を上回り、ドンドン肉体を削っていく。その間も魔族は動くことすら許されない。
「い、イケる。押し切れシリウス!」
ゴキュッという音を立てて魔族の片腕がもぎ取られる。肉体が痺れているため、声すら上がらない。魔族の肉体は魔力でできているため、魔力が尽きない限り再生はできるが、再生に神経を注いでもそれ以上のスピードで肉体が削られていく。
そしてもう片方の腕も引き裂かれ、地に落ちる。
「やった! 今度こそ!」
シリウスの攻撃が通じ、魔族の回復が追いつかなくなっている。決着の時は近い。二人にはそう感じた。
魔核はまだ見えていない。しかし、再生のたびに一際大きな魔力を発する場所があった。シリウスはそこに魔核はあると確信していた。
(両腕は無くなっている。再生も間に合っていない。今ならイケる!)
が、好機はそう長くは続かなかった。次第に魔族が麻痺に慣れていった、というより肉体を魔力で構成された魔族には麻痺の効きが弱かった。
魔族の目が怪しく光るのを見たと思うと、気がついたらシリウスは岩肌に体を預けて空を見上げていた。
「…? 何…起こ……?」
まるで理解が及ばなかったが、痛みだけが攻撃を喰らったということを教えてくれた。一度に出力可能な魔力のほとんどを攻撃に利用していたため、防御が手薄になっていた。そのため普段以上にダメージを負ってしまった。
遠くで二人が呼ぶ声が聞こえるが、徐々に遠ざかってゆくのを感じる。立ち上がろうと体に力を入れるが、上手く入らず手が地面を滑り、背中から地面に落ちる。ガハッと口から血を吐き出し、鮮血が地面を彩る。
(…骨…何本かイってるな。……内臓にも刺さってるか? ……辛うじて体は動くが、立てそうにないか…。どうする? 《アレ》を使うか? アレなら魔族ごと魔核も蒸発させられる。……いや、周囲への被害が大きすぎる。人が近くにいる以上使えない…却下だ。肉体の修復…は待ってくれるわけがないか。……詰み、だな…。…クッソ、判断を間違えたな……)
──だからここで終わるんだろうな…。何も成し遂げられずに…。
世界がスローに見えてくる…。脳裏に今までの人生の景色が巡っていく…。再生を完全に終えた魔族が少しずつ近づいてくる。一秒か、将又一分かわからない時間が過ぎていく。振りかぶられた腕が振り下ろされ、殺されると思い、シリウスは目を閉じようとした。
──本当にそれでいいのかしら? 諦めるなんて貴方らしくないわよ。
音として鼓膜を刺激する声ではない。内に響く…心に直接語りかけてくる『声』。
その声で目を開くと同時にシリウスの魔力が弾ける。雷の魔力が空を裂き、魔族の腕を穿つ。
(…そうだよな、俺らしくない)
雄叫びのような、絶叫のような叫びを上げ、全身に力が入る。身体中が悲鳴を上げ、今にも音を上げたくなるが、それを掻き消すかのように更に声が大きくなる。そこでシリウスは気がつく。
──これは俺の声じゃない。
遠くから聞こえてくる雄叫びは更に大きくなり、どんどん近づいてくることに気づく。
「うおぉぉお!!」
腕を即座に再生し、腕を振り下ろそうとする魔族。その意識は完全にシリウスに向いていた。意識外からの奇襲。
エリオは大剣を振りかぶって魔族の首を捉える。切断された首は宙に舞う。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シリウスが光に飲み込まれたかと思うと吹っ飛ばされて地面に横たわる。エリオとアリスが呼び掛けるも反応はなく、ピクリとも動かなくなった。
「シ……くっ、潮時だ。撤退する」
「……えっ、じゃあ…シリウスくんは……」
「…あの状態じゃもう間に合わない。貴女の安全が第一だ。それにこの事を報告しなければならない」
「そんな! シリウスくんを置いていくって言うの!? そんなことって…」
涙を浮かべながら振り向き、帰ろうとしているエリオの足に縋り付く。
頭上からギリっと奥歯を噛み締める音が聞こえる。アリスがエリオの顔を見ると悔しそうに顔を顰めていた。
(俺がもっと早くに助けに入っていれば……)
「仕方ないんだ。最善ではないかもしれないが、最悪だけは避けられる」
アリスにはエリオが自分にそう言い聞かせているように聞こえた。
エリオはアリスを担ぎ、走ろうとすると、後ろからザリッという音が耳に入る。
思わず振り向くが、魔族の再生が終わり、一歩ずつゆっくりとシリウスに近づいていた。
「くっ…行くぞ」
シリウスが生きている、そんな淡い期待を抱いたが、現実はそう甘くは無い。期待はすぐに打ち砕かれた。再び振り向いて走り出そうとする。
一歩を踏み出した瞬間、ガァぁ、と魔族の苦しむような叫び声が真後ろから上がる。
「まさか」
振り向くと肘から先がない魔族とシリウスが起き上がろうと腕を地面に付けて力を込めるが、上手く入らずに地面に倒れているのが目に入った。
それを見た瞬間、エリオはアリスを下ろし、大剣の柄を握り、走り出していた。
(あぁ、俺は何をやってるのだろうか…。今逃げれば、確実にアリス様は逃がせるし、情報も持ち帰れる。そうすれば、アイツらに依頼と一緒に確実な情報を渡せる。それで何とかできるかもしれない。最悪の場合、国に報告して軍を編成してもらうしかないかもな…。今逃げれば、奴を確実に狩れる未来がある。それでも…それでも……)
腕が再生し、魔族の意識が完全にシリウスに向いていた。
意識外、雄叫びを上げながら走っても耳の無い魔族には聞こえなかった。
ダンッと地面を蹴って飛び上がり、エリオは大剣を振り上げる。
「子供を見捨てて逃げれるかよ!」
エリオの大剣が肉を断ち、魔族の首を刎ね飛ばす。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
魔族の頭が宙を舞い、地面に落ち、シリウスの横に転がる。
若い時から冒険者を続け、Sランクにまで上り詰めた男。そして引退するその時まで数々の修羅場を五体満足で潜り抜けた男。
戦いから離れていて、実力も全盛期には遠く及ばなくてもその姿は正しく英雄と呼ぶのに相応しい姿だった。少なくともシリウスの目にはそう映った。
「大丈夫か? シリウス、立てるか? 」
魔力をダメージを負った部分を中心に全身を巡らせて、少しずつ傷を癒す。ある程度回復した後、エリオに手を貸してもらい、ゆっくり立ち上がる。
「……ありがとうございます、助かりました。ですが、まだ終わってませんよ」
シリウスが睨む先に魔族は立っていた。無くなっていた頭部も下顎くらいまで再生していた。
「嘘だろ!? 首を切っても生きてるのかよ!? 気持ち悪ッ!! 本当に生き物か?」
「えぇ、同感です。ですが、倒し方はあります」
「おい、シリウス。何をする気だ」
エリオの手から離れ、フラフラと魔族の方へと足を進めるシリウス。
「今度こそ、アリス様を連れて逃げてください。アイツは俺がなんとかします」
「シリウス…」
エリオはシリウスの胸ぐらを掴み、自分に引き寄せる。
「シリウス! お前は頑張りすぎだ! 一人で突っ走るな!」
「ですが…」
「ですが、じゃねえよ! そんな足元が覚束ない状態で勝てる程度の奴なのか! 違うだろ! もっと俺たちを頼れ! それともそんなに俺たちが頼りないのか!?」
シリウスは目線を逸らす。逸らした先でアリスと目が合った。心配そうな不安そうな顔をしてシリウスたちの方を見ていた。
少し考え、決意が固まったシリウスはエリオの方を向く。
「……頼ってもいいですか?」
「…! あぁ、もちろんだ! それで? どうすれば倒せるんだ?」
「倒し方は二通りあります。一つは正確な位置まではわかりませんが、体内のどこかに魔核という魔石の様な物があります。それが弱点です。
そしてもう一つは魔核の魔力は再生や攻撃の時に使われます。それが尽きるまでアイツを削り切ることです。こっちはあまり現実的ではありませんが…」
「ということはアレだけの威力の攻撃を回避しつつ、弱点に強烈な攻撃を叩き込むか、死ぬまで斬る必要があるわけだな。想像よりもハードな依頼だったな…」
頭を掻きながら文句をいう。だが、目は覚悟が決まっている者の目をしていた。
魔族側の再生が終わろうとしていた。そして、それと同時にシリウスも再生を終えていた。
「全員で狩るぞ。アリス様は遠くから魔法で削ってくれ! シリウスは俺と協力して攻撃を避けつつ削るぞ! 二人とも深追いと油断は禁物だ」
「「はい!」」
魔族の再生が終わった瞬間、エリオとシリウスが同時に駆け出した。魔族を挟む様に立ち回る二人を一つの目では追いきれずに体の至る所に目を生じさせる。
「なんで目が増えるんだよ! どういう仕組みだ!?」
「肉体を魔力で構成している分、俺たちよりも自由が効くんでしょう。こんなの初耳ですけど…。それよりも目に注意してください。光ったら攻撃が来ると思ってくださいね!」
「ああ! わかった!」
エリオは魔族の拳を回避して懐に入り、脇の下に剣を滑り込ませ、肩から先を切り落とす。そして深追いはせず、すぐに離れる。
「すごっ! 魔族の肉をバターみたいに切るなんて…。 流石は元Sランクね。私も負けてられないね! 《トルネイヴ・ランス》」
嵐の槍が地面を抉りながら魔族を襲う。魔族の肉を削り、腹に大きな風穴を開ける。
「ドンドン成長していく…。俺も負けてられないな。《サンダー・スピアー》」
雷の十字型の槍が空から落ち、魔族を貫く。魔族も必死に刺さった槍を抜こうとする。
「逃すか! 《放雷》」
槍が全方位に雷の刃を伸ばし、体内で枝分かれを起こす。
(槍の本体はともかく、枝分かれは出力が低い。魔核の破壊はできないが、確実に動きは止められる)
魔族の体は雷槍によって、完全に固定されて感電によって体を拘束されている。
「よし、そのまま止めておけ!」
剣を振り下ろし、もう片腕も切り落とす。
「エリオさん、離れて!」
アリスの声に反応してエリオは横に飛び退く。
「《トルネイヴ》」
「《ライトニング》」
二人が同時に放った魔法は混ざり合い、雷を纏った竜巻となり、魔族に直撃する。両腕を失った魔族の肉を鉛筆の様に削っていく。魔法から解放され、芯だけのリンゴのような頼りない姿になっていた。
「あの若さでこれ程の魔法を…。二人とも凄まじいな…」
身体を支える肉を大量に失い、魔族はグラッと倒れそうになり、踏ん張りきれず、地面に片膝をつき、項垂れる魔族。その胸の中心に輝いている魔石のようなものが見える。魔核が輝きを放ち、肉体の再生が始まる。
「アレが魔核か? なら!」
エリオは真っ先に飛び込み、大剣で魔核を貫こうとする。その時、胸の上辺りに目が生じ、エリオを捉え、怪しく光る。
エリオは咄嗟に剣を盾にして凌ぐが、次の瞬間には、血を吐き、木に身を預けていた。
(なぜ? ダメージを喰らった?)
エリオの魔法武具は、魔法を弾く退魔の剣。現に魔法が使えないエリオがSランクで活躍できたのは本人の超人的な実力もさることながら、この剣も一役買っていた。
「アリス様! エリオさんを避難させてください!」
アリスに指示を出し、一気に魔族に肉薄する。
(あの目の光…。最初は何かの魔法だと思っていたが、今のを見て確信した。魔力に属性を付与してないんだ!だから俺の腕輪でも防げない)
ただの魔力放出。魔力を操作できる者なら誰でもできる簡単な技術。
本来なら大した威力ではないが、膨大な魔力量を圧倒的な出力で放出することで威力が格段に上がり、その上、魔法ではないので属性耐性や魔法耐性が全く意味を成さない強力な攻撃となっている。
「だが、種さえわかれば!」
魔族の肉体再生は完全には終わっていない。それ故、攻撃手段も限られてくる。
目がシリウスを捉え、怪しく光る。シリウスも魔力を防御にまわして走る。魔力放出が動き回るシリウスに命中する。
(防げないこともないか……。目で相手を追い、放出する瞬間まで捕捉し続けれるのか。その上、目を増やすことで死角を無くす訳か…。厄介だな…。だが!)
改めて魔族に近づく。魔族もシリウスを捕捉し、魔力を放出しようとする。その前に一気に肉薄し、目を手刀で貫く。クギャアァと叫び苦しみ暴れる魔族。シリウスは一旦距離を取る。
(やはり目をつぶせば、放出できないっぽいな)
体の再生はほとんど終わりかけていたが、腕はまだ完全には再生し切っていない。
「魔核の位置は覚えている。貫ける!」
魔力を雷霆に込めて魔族に一瞬で接敵し、タンッと飛び上がる。
「これで!」
雷霆を前方に突き出し、胸に刺さると思った時、完全に肉体の再生が終わり、魔族は両腕を広げる。腕や体の前方のほぼ全てに目が浮かび上がり、シリウスは全方面を目に囲まれる。
そして、今の魔族は再生に使っていた分の魔力を全て攻撃に当てられる。
「ッ! 避け…」
全ての目が光りを放つ。シリウスが終わったと思うと同時に風が吹き荒れる。
「《ウインド》」
一瞬、魔族の意識がアリスに向くも、すぐにシリウスに魔力を放出しようとする。シリウスの一撃も魔核に迫ろうとしているが、まだ届かない。
「《エアロ・ボム》」
シリウスに完全に集中していた魔族は、直前まで空気の塊が自身の目の前に届いていることに気づかなかった。
しかし空気が爆散する程度では全ての目を潰すことは不可能だ。魔族もそれがわかっているのか、意に返さず、ただ目の前の脅威を葬ろうとする。
だが、アリスも考えていた。予め、空気の塊に小石を大量に詰めておく。しかし、重くなって思ったように動かせなくなる。それをウインドでカバーし、魔族の眼前にまで運ぶことができた。
「シリウス君、耐えてね☆」
アリスの可愛らしい声と共に、空気が爆散し、小石が全方位に散らばる。散弾や釘爆弾のように飛び出す礫が確実に魔族の目を捉える。シリウスも無事では済まないが、逃げ切れないと思い、魔力の放出に耐えようと全魔力を防御に移していたため、ダメージは最小限に留まった。
「ありがとう、アリス様。これで!」
雷を纏った雷霆が魔族に突き刺さり、体内の魔核を砕く。途端に魔族は苦しみ出し、少しずつ塵となって消えていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「すまん、最後の方は全く役に立てなかった」
帰りの馬車の中でエリオは頭を下げて二人に謝った。
「大丈夫ですよ、エリオさん。しかし、不幸中の幸いですね。俺もですけど、受けた魔力放出は全部再生の最中だったので威力が減っていたんでしょうね。まともに喰らえばどうなっていたことか…」
想像したのかエリオの顔が引き攣っているように見える。
「確かに…ならまだ運が良かったな…」
「そんなことよりも魔族ですが…」
「あぁ、辛うじて死ぬ瞬間を見ていたが、あんな風に消える魔物など見たこともない。やはり魔族なのだろうか…?」
顎に手を当てて考えるエリオ。「だが」や「でも」といった言葉が漏れ出ている。
「受け入れ難い気持ちはわかります。今までの常識が間違っていたということになりますからね」
「だが、受け入れざるを得ないのも事実だ……。このことは一部を伏せてギルドを通して世界中に報告を入れることにしよう。二人共今日はありがとう。本当に助かったよ」
雑談や魔族の話をしていると街が見えてきた。門から街の中に入るとエリオは馬車から降りる。
「俺はこのままギルドの方に向かうが、二人はこのまま馬車に乗っているといい。家まで送るように言っておこう。ゆっくりと休むといい。報酬はシンフォニア邸に報告に行くときにでも持っていく」
「ありがとうございます。では失礼します」
「あぁ、また会おう」
お礼と別れを程々にし、帰り道で既に眠っているアリスを横目にシリウスも疲れが込み上げてきたので少し目を瞑ることにした。馬車に揺られて心地よく屋敷への道を行く。
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この日を境に世界の常識が変わり始めた。魔族の出現を信じる者と信じない者、更には過激な思考の者まで現れ始めた。
新たに芽吹く命、魔核の鼓動、魔族が徐々に増えつつあった。奴らはどこから来て、何が目的なのか…。
ありがとうございます。