雷の申し子 I 《序》
はじめまして
森の奥、一角だけある開けた場所。そこに無人の小さな家が一軒ポツンと建っていた。そこに掃除道具を持った少年が一人。
少年は銀色に金と青の二本の筋が左側に入った髪に、蛇のような縦に長い瞳孔をし、左右で異なる瞳の色をしており、左が青で右が金の瞳を持ち、そしてその金の瞳は見る角度によって色が変化する美しい眼を持っていた。
彼の名はシリウス。ここはかつて、彼の祖父が一人で暮らしていた家だ。その家の脇に建てられた小さなお墓が二つ、墓石には彼の祖父母の名前が刻まれている。
「だいぶ汚れているな」
鳥の囀りを聞き、鼻歌を歌いながら、彼は祖父母の墓を磨く。綺麗になった墓石に持参した花とお供物を添えて、手を合わせた。
「じゃあね、じいちゃん ばあちゃん。また来るよ」
立ち上がり、墓に一言挨拶を済ませて帰路に着く。
森を進むと木でできた門と塀が見えてきた。シリウスの住む村は森の奥にあり、木を切り拓いてできたそこそこ大きい村である。
シリウスの家は村の入り口から見て奥の方にある。そのため門から結構歩かないと家まで辿り着かない。
「ん? よぉ、おかえり、シリウス。また爺さんの墓参りか?」
門を通ると門番が声をかけてきたので立ち止まり答える。
「ん? あぁ毎日じゃないが、習慣だからな」
「かぁ〜、お前はホント偉いなぁ。うちのガキにも見習ってほしいもんだ。最近は変な悪戯をするようになって困ってんだよ」
「まだ小さいからな、そのうち飽きたらやめるんじゃないか?」
「そうだといいんだがな…。……そういえば、今日は狩りに出るのか?」
家へと帰ろうと足を進めようとすると門番が思い出したようにシリウスに尋ねる。
「ん〜、まぁ父さん次第だな。父さんが畑仕事をするならそっちを手伝うし、狩りに出るなら着いて行くし」
「そうか、狩りに出るなら気をつけろよ。なんせ今朝、森の中で土に埋まった鹿の死骸を見つけた奴がいたからな」
「…てことは熊が近くにいそうだな」
「お前は強いから心配はしてないが、念のため警戒はしておけよ」
そう言って門番は仕事に戻る。
「忠告ありがとう。外に出たら警戒しておくよ」
シリウスは門番に一言礼を言うと帰路へとついた。
村の中を歩いていると老人が集まって話をし、大人が畑で仕事をしたり、狩りの準備をしている。村の子供たちが色んなところで走り回り、遊んでいた。さっきも数人の子供達とすれ違った。
騒がし過ぎず、かといって静か過ぎるわけでもない、なんて事のない日常。
しかし、家の付近に来ると凄まじい違和感が襲ってくる。そしてその違和感は家に近付くごとに大きくなっていく。静か過ぎる。
(いつもなら弟が外で友人と遊んでいるはずだ。静かなのはわかるが、俺は今日、弟を村で見ていない。父さんも普段なら家の近くの畑にいるはずなのにいない)
ふと目線を家の奥へと向けると村の塀が破壊されていた。シリウスは嫌な予感がして家に急いだ。
家の前に着き、ドアを静かに開けたシリウスを真っ先に出迎えたのが吐き気すら覚える濃い血の匂い。吐き気を我慢し、シリウスは慎重に音を立てず廊下を歩き、部屋へと歩を進める。
部屋のドアが開いていたのでゆっくり覗き込むとシリウスの目に飛び込んできたのは床や壁、天井一面にぶち撒けられた臓物と血液、そして噛みちぎられた家族達の死体だった。
(は?…なんだこれは? 犯人は?)
疑問が真っ先に飛び出したのは、得体も知れない何かが近くにいるかもしれないという不安と恐怖を感じないようにしたかったのか、それとも無残な家族を見たくなかったからだったのかはわからない。
それでも頭を疑問でいっぱいにすることで悲しみと怒りで我を忘れそうになる自分を押さえていた。
部屋からさらに奥を覗くと犯人はすぐそこにいた。食糧庫に頭を突っ込んで何かを咀嚼している。
(熊? ……いや、何か変だ)
その熊の大きさが通常の熊よりはるかに大きく、色も普通の熊の体毛とは異なる色をしていた。
シリウスは即座にしゃがみ込み、自分の影に手をついた。手は影に飲み込まれて次に手が現れた時にはシリウスの身長ほどの棍が握られていた。棍は帯電し、バチチッと火花を散らしている。
その音に気づいたのか熊がゆっくり後ろを振り向き、熊はその目にシリウスを捉える。互いに目が合った次の瞬間、ゴガァァァと熊が吠えて向かってくる。
テリトリーに入った侵入者、あるいはエサを狩るために。
(チッ、家の中じゃ避けきれねぇか。なら!)
シリウスは即座に周囲を見渡し、逃げ道がないことを確認すると棍に魔力を込めて熊を迎え打つ。棍は熊の頭を捉え、そのまま振り抜き、よろけさせるが、すぐにシリウスを睨み、腕を振り抜いてくる。咄嗟に棍で塞いだものの勢いは殺しきれず、後ろの壁を突き破って家の垣根まで吹っ飛ばされてしまった。
「ぐっ」
(痛え…、てかなんだアイツは? 並の熊ならあれで頭蓋が砕けるか陥没する。だが、アイツはよろけるだけでダメージがまるでねぇ。…まさかアイツが、じいちゃんが言っていた魔獣ってヤツか!)
『魔獣』…長い年月を生きた獣が後天的に魔石を体内に宿した獣の総称(発生条件や原因は厳密には解明されていない。魔石を食べたという説や魔力に当てられたという説もある)。
身体能力を始め、魔力保有量や操作性、果てには魔法を行使する個体も現れることもあり、元の獣を遥かに凌駕する怪物である。
「えっ? どうしたの? 大丈夫?」
突然、家の玄関の方から声がする。目を見開き、そっちを向くとそこには薄い青色の髪を肩甲骨くらいに切り揃えられた同世代くらいの女の子が心配そうにこちらに駆け寄ってきていた。
「バカやろう! こっちにくるんじゃねぇ」
普段とはまるで違うシリウスの様子に少女の足が止まる。そしてすぐに彼女は理解する。
シリウスの目線の先を見るとバキバキと音を立て、魔熊が壁の穴を広げながらシリウスの方に向かっている。
「ひっ、くっ熊!? あぁあ危ないから、ははっ早くこっちに」
声に反応し、魔熊は少女に気がつくが、腰が抜けて少女は動けなくなっている。すぐに狩れそうな獲物は後回しにして、まずは目の前の獲物を狩ろうとシリウスに向かってくる。
(…ありがたい! 向こうに向かうより断然いい。すぐに終わらせてやる)
瞬間、シリウスの解放された魔力が全身を包む。全身から溢れる魔力は雷の属性を有しており、全身の魔力がパチパチと弾けている。腰を落とし、棍を水平に構えて先端に魔力を集中させる。魔熊が目前にまで迫った瞬間に槍のように前方を突く。
刹那、雷が槍となり、魔熊の眉間を捉る。雷槍は眉間から背中までを貫き、雷の高温に晒された血液を爆ぜさせる。
「ふぅ…」
魔熊の死亡を確認し、傷口から体内に手を入れ、魔石を引っ張り出して回収した後、すぐに影の中に棍と魔石を収納する。直後、地面にへたり込んでしまった。
「ゆっくり眠りたいところだけど、まだやることが残っているなぁ…」
そう呟き、立ち上がるとシリウスはフラフラっと家の中に戻る。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
空が赤く染まり、冷たい風が頬を撫でる。周囲にいた人もほとんどいなくなった頃に俺はようやく涙を流した。
一悶着あった葬儀も終えて、今家族が三人、俺の前の墓に眠っている…。ぐちゃぐちゃになっていて誰が誰かわからず、同じ棺桶に入っている三人の家族。なんて事のないこの世界ではありふれている獣害の一種、『魔獣』と化したクマが突然家に襲撃してきた。俺はその時、祖父母の墓参りをしに森に入っていたから、家にはいなかった。『たられば』は好きではないが、家にいれば結果はまた違っていただろう。
ぐるぐると思考を繰り返し、魔熊と自分へのやり場のない怒りと失望で魔力が漏れ始める。
火花が散る音が徐々に遠くなっていき、どんどん思考の海は沈んでいっていると…。
「ねぇ、そろそろ帰ろ? これ以上いると風邪を引いちゃうかも」
後ろから声にハッと我に返り、後ろを振り返る。そこにはさっきの薄い青髪の少女、昔からずっと一緒にいた幼馴染がシリウスを心配そうに見つめて立っていた
「ティアか…、先に帰っていてくれ。家族との別れだ、もう少ししたら俺も帰るからさ…」
そう呟くとすぐに墓に向き直る。
「嘘よ、前におじいさんを亡くした時もそう言って倒れるまでずっとお墓の前で立ち尽くしてたじゃない」
「はは…いつの話だよ」
「去年の話よ!」
会話が途切れて時間だけが過ぎていく…。沈黙を破ったのはティアの方だった。
「……明日からどうするのよ?」
「……どうしようかな…」
ティアの言葉を聞き、思わず呟く。
「もし行く宛がないなら私の家に住まない? パパやママも一緒に暮らそうよって言ってたよ?」
「ティアやティアの家族にも迷惑をかけるわけにはいかない…。…俺は明日にでもこの村を出るよ」
「なんで? 迷惑なんて思わないよ? 一緒に暮らそうよ」
辛そうで今にも泣きそうな顔をしてシリウスを見つめる幼馴染。シリウスは向き直り、目を見て話す。
「ありがとう。でも元々やりたいことがあって、いつかは村から出る予定だったんだ、その予定が少し早まっただけだよ」
「そっかぁ……」
静寂が周りを支配している。二人の間にも気まずい空気が流れている。
「とりあえず帰ろう、ティア。風邪をひいてしまうかもしれないし、それにおじさんたちが心配しているだろうし」
「うん…」
帰り道も一度も話をせずにティアの家に着いてしまった。シリウスの家は半壊していてとても住める状態ではなかったので、一日だけお世話になることにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「お世話になりました」
シリウスは昨晩泊めてもらった幼馴染一家に頭を下げて礼を言う。
「本当に行くのかい? 遠慮しなくてもいつまでもいていいんだよ?」
「いえ、ティアにも言いましたが、いつかは村を出る予定でしたし、その予定が早まっただけです」
「そうか…、寂しくなるねぇ…。でもまたいつでも帰ってきなさい。ここを自分の家だと思って」
「ありがとうございます。また近くに来ることがあれば伺います」
ティアの父と話していると今度はティアの母が話しかけてきた。
「そんな軽装でホントに大丈夫? 上着が必要なら持ってくるけど…」
「大丈夫ですよ。こう見えて、この服は魔法武具ですし、旅に必要そうなものも影の中に入っています」
「そう…じゃあ気をつけてね。…ほら、ティアも何か言わなくてもいいの? …もう会えないかもしれないのよ?」
黙って様子を見ていたティアに母親が聞く。やはり別れは辛いのかもしれない。
そう思っているとティアが一歩前に出て、バッと顔をあげて、シリウスを見上げながら口を開く。
「……さよならは言わないから…。また会いにきて!」
涙で目を濡らして、そう一言だけ言って家に逃げるように入っていった。
「全くあの子は…。シリウス君、気をつけて行くんだよ」
シリウスは二人に頭を下げて村の出口の方に歩いていく。
「…あぁそうだ。危うく言い忘れるところだった」
「…? 何かありましたか?」
シリウスは足を止めて振り返るとティアの両親が頭を下げていた。
「ティアを守ってくれてありがとう」
「…熊が俺を狙っていただけです。意図して守れた訳じゃありません」
「ならその偶然にも感謝しよう。娘が無事に帰ってきてくれてよかった。本当にありがとう、シリウス君」
シリウスは改めて門に向かって歩いていく。自身の目標の達成のためにまずは冒険者になることに第一の目標に据える。そのために森の奥にある村から出ていく必要がある。
道は狭く、途中で途切れており、年に一度、村人が外の街に出るかどうかってほど立地の悪い村。近くの街はどこにあるのかもわからない彼はこの先どうやって街まで辿り着くのだろうか? かなり時間はかかるだろう。
なんてったって本人は、まぁ適当に歩けば道に出るだろうとしか考えていないのだから……。
ありがとうござました