死にかけで幽体離脱してるはずの婚約者が生き生きしてる
(あらやだ、私、死んだのかしら)
「お嬢様!お嬢様!」
「医官はまだか!」
「毒見はどうなっておるのだ!」
「城内第三区を封鎖!誰も出すな!」
(うーん、まだギリギリ生きてるわね?)
眼下には、血を吐いて倒れている自分がいた。一応、まだ呼吸はしている。
(身体に戻ることはできない、か……はあ、幽体離脱なんて本当にあるのね)
先程まで静かだった晩餐会場は、他の参加者達が血を見て気絶したり、集まってきた騎士達が方々に走り回っての大混乱。
(それにしても、浮いてると全体がよく見えるのね)
天井付近にふわふわ浮いている彼女からは、会場の人々の動きがよく見えた。
だから、一人の侍女の不自然な動きに気づいて近付くことができた。
(あらあら、この人…サティウス公爵家の縁者だわ。あそこの令嬢、私が殿下の婚約者になってからあたりが強いのよね。ふーん、怪しいわね。胸元に何度も手を当てて、何か隠してるの?
どれどれ、ああ!万年筆の中に毒を隠してるのね!確かに、もし万年筆が見つかってもそこは調べないわ。なるほど!)
幽体離脱した彼女は、物体に干渉できない事を逆手にとり、適確に犯人と証拠を見つけた。
犯人の侍女も、幽体離脱した被害者に服の中まで覗かれるとは思っていなかっただろう。
が、しかし、彼女にはそれを他者に伝える方法がなかった。
毒に倒れた彼女の名は、マーガレット・リューイス。
リューイス公爵家の三女にして、アレギオン王国フェルディナンド王太子殿下の婚約者である。
そんな彼女の趣味は、“ 推理小説を読む事 ”だった。
(あぁ…!!いま目が覚めたら犯人を暴けるのに!証拠も見つけたのに!くやしいわ!)
彼女は、見た目は美少女だが、中身はかなり残念だった。普段はたっぷりの猫をかぶり、しっかり貴族令嬢に擬態していた。
そんな彼女も、この有り得ない状況にかぶっていた猫は行方知れずだ。
(あら…?もしかして…?)
目の前で、婚約者が血を吐いて倒れた。
駆けつけた護衛に守られながら、事態の収束を待っていた。
しかし、不意に視界に映った光景に唖然とした。
なんで…
なんで…
なんで…
半透明の婚約者が空中に浮かんでいる上に、笑顔で私に手を振っているんだ!?
(やっぱり、フェルディナンド様は見えてらっしゃるのね!)
「嘘だろ…」
叫ばなかった私を褒めてほしいッッ!!!
周りを見渡すが、自分以外に彼女の姿は見えていないし、声も聞こえていないようだ。
なんでこうなったッッ!!!
「どうされましたか、殿下?」
(ちょっと、フェルディナンド様!聞いてくださいまし!)
この状況でまだ話しかけてくるのか…。
動揺し過ぎて、既に護衛に怪しまれてるのに。
いま君に返事をしたら、独り言にしか見えないだろうがッ!
婚約者が倒れて精神が可笑しくなったなんて言われかねないぞ!?
「少し壁際で休んでも良いだろうか?」
「あ、申し訳ございません!まだ移動は出来なさそうなので、こちらでお休み下さい!」
壁際に椅子を用意してもらい腰掛ける。
護衛から少ししか離れられなかったが、口元を隠して小声で話せば変に思われないだろう。
「メグ、いまの君は他の者には見えていないし声も聞こえていないのだから、迂闊に話しかけないでくれ」
(なるほど。まあ、そんなことより、犯人はあの侍女です。胸元に隠してある万年筆に毒が入ってます。ほら、さっきから無意識に胸元に手をやっているでしょう?)
犯人!?
彼女の指し示した先には、確かに胸元を何度も確かめている侍女がいた。
「その情報、間違いないのか?」
(覗き見たので間違いないですよ!サティウス公爵令嬢からの指示だと思います。彼女も婚約者候補だったので)
ああ、なるほど。確かにあの令嬢は権力志向だったな。
ギラギラした野心家の目が怖かった記憶がある。
(殿下!)
「なんだ!?」
(私、気づいてしまいました。いま、サティウス公爵邸を覗きに行けば、報告を今か今かと待ち侘びている黒幕の姿がみれると…!)
「………………は?」
マーガレットは気づいてしまった。
フェルディナンド以外に見えていない自分なら、サティウス公爵邸にコソッと行って覗きができる事に。
推理小説では描かれない黒幕の姿が鑑賞できる事に。
(もしかしたら、犯人の独白とか聞けちゃう!?)
「……メグ、君、そんな性格だったか?」
(あ、あら。フェルディナンド様以外に見える人がいなかったので、つい。…まあ、もうバレてしまいましたし!いいですわ!)
「なにが、だ?」
(私、推理小説が好きなのです!いつ死ぬかわからない状態ですし、好きにしますわ!もう殿下には隠しません!)
「お、おう?」
(私の大好きな推理小説にも王族の婚約者が毒殺されるお話があるのです!“アルセーヌ侯爵夫人の事件簿〜血塗れの花嫁〜”の出だしとそっくり!小説での犯人は横恋慕した令嬢でしたけど、今回はどうでしょう?公爵も関わってそうですわね?)
フェルディナンドは、今までとかなり違う婚約者の勢いに飲まれた。混乱の中、畳み掛けられたとも言える。
(ちょっと私、サティウス公爵邸を見てきますわ!あっ、侍女の捕縛お願いしますね〜〜〜)
「あっ、待っ……………行ったか」
フェルディナンドは混乱した頭を振り払い、冷徹な王太子の仮面を被り直す。そして、護衛に指示を出す。
「ふぅ…アルマンド、あの侍女を捕縛し所持品を検査しろ。先程から胸元を何度も確かめてる」
フェルディナンドの指摘から犯人は捕まり、証拠も確保された。その後も、フェルディナンドの指示で動いた暗部からの情報で、黒幕のサティウス公爵を追い詰め、マーガレットの毒殺未遂事件は解決した。
と、周囲は思っているが、実際は幽体離脱したマーガレットからの情報を元にフェルディナンドが動いていた。
サティウス公爵邸から帰ってきたマーガレットは、とても慌てていた。
(殿下、殿下!あの侍女の息子が人質にされてますぅ〜!しかも、私が死んでないって報告がきて、人質の始末と、騎士の協力者へ侍女の殺害の指示が出されました〜!)
「なんだと!?」
自室に戻って休んでいたフェルディナンドは、慌てて王家の暗部に指示を出し、人質の救出と犯人の侍女の確保をした。
騎士団長に話を通し、偽の侍女を用意し、裏切り者の騎士を炙り出した。
人質を救出した事により、犯人の侍女はサティウス公爵と令嬢から脅迫されていたことを認め、翌日にはサティウス公爵邸に騎士団が踏み込んだ。
公爵と令嬢は貴族牢に入れられ、何も知らなかった夫人は離縁が許され、幼い子息と実家に戻る事となった。
サティウス公爵家は伯爵位へ降爵後、遠縁の者に引き継がれた。
婚約者の危機にフェルディナンドが本気を出した、と周囲から評価が上がり、フェルディナンドは複雑な思いをした。
(メグの手柄を奪ったみたいだ…)
そんな落ち込むフェルディナンドを横目に、マーガレットは一人盛り上がっていた。
(フェルディナンド様は凄いわ!名探偵ジェームズが騎士に協力して犯人を追い詰めた時みたいだったわ!)
その後、味を占めたマーガレットは日中にフラフラと出かけて、夜になるとフェルディナンドの元へ見つけた問題を解決させる為に戻った。
(殿下〜!人身売買に手を出している貴族を見つけました〜!)
(殿下〜!盗賊団のアジトを見つけました〜!)
(殿下〜!コヨーテ伯爵が愛人から渡された毒を夫人に盛ってます〜!しかも愛人が隣国の工作員です〜!)
(殿下〜!違法カジノを見つけました〜!)
(殿下〜!マービン侯爵が国庫を横領してます〜!)
(殿下〜!ゴンザレス辺境伯領の村が隣国に占拠されてます〜!)
フェルディナンドは、今まで大して使っていなかった暗部をフル活用することになった。
暗部の報告書を元に、今までは公務で少し関わるくらいだった騎士団長や宰相とも連携を取ることになる。
「殿下が調査して下さったおかげで隣国の企みを尽く潰すことができましたな」
「いや〜騎士団はこの二週間大忙しですぞ!」
「マーガレット嬢にも殿下の活躍をお見せしたいですな」
「医官の見立てではそろそろ回復されるとか」
「ハハ、メグが元気に目覚めてくれるだけでいいさ。しばらくは大人しくしてて欲しいよ……」
フェルディナンドは、苦く笑った。
皆には見えていないが、マーガレットはかぶりつきでフェルディナンドの活躍を見ていた上に、当事者でもある。今もどこかで新たな問題を見つけているかもしれない。
宰相は、隣国に抗議する用意で多忙を極めているが、目はギラギラと殺る気に満ちていた。きっと、この機会に隣国を徹底的に叩くつもりだ。
騎士団長は大捕物が続いた為か、テンションが高い状態が続いている。
騎士や文官には没収した資産で褒賞を出そう、とフェルディナンドは誓った。
マーガレットに報告されて解決した問題は、調査後に実は全てが隣国の企みだった事がわかった。
人身売買の行き先は隣国だったし、盗賊団は人身売買組織の隠れ蓑で、アジトには人身売買の被害者が囚われていて運び出される寸前だった。
コヨーテ伯爵の愛人は、隣国の工作員のハニートラップで、夫人を殺害後に後妻に入って何か問題を起こす予定だった。
違法カジノは隣国の資金調達を兼ねていたし、マービン侯爵はこのカジノで息子が借金を負わされた為に脅されて、国庫に手を出したところだった。
占拠された村は、盗賊団との商品の受け渡しに利用される予定で、村人達も数日中に連れ去られるところだった。
(メグが報告してきた問題全てが隣国絡みだったのは偶然だったのか?)
目覚めないマーガレットのお見舞いに向かいながら、フェルディナンドは幽体離脱中のマーガレットに思いを馳せる。
フェルディナンドがマーガレットが療養している客室に近付くと、ドタバタと慌ただしい音がした。
「殿下!リューイス公爵令嬢がお目覚めに!」
「まことか!」
フェルディナンドが客室に入ると、ベッドに座ってお茶を飲むマーガレットがいた。
「メグ…」
「まあ、フェルディナンド様。この度はご心配をおかけしました」
「メグ?」
「…どうかされましたか?」
フェルディナンドは、久しぶりにみた貴族令嬢モードのマーガレットに混乱した。
この二週間、毎日みていたマーガレット。コロコロと表情が変わり、問題を見つけては自分を頼りにし、ふわふわと浮かびながらずっと近くにいたマーガレット。
もしかして、今の彼女にはこの二週間の記憶がない…?
「フェルディナンド様とお話があるから、少し二人にしてくださる?」
黙り込んだフェルディナンドに痺れを切らしたマーガレットが人払いをした。
「もう。フェルディナンド様がそんな態度だと怪しまれちゃうじゃないですか〜」
「メグ!」
「他の方に普段の私を見せるつもりはないのですから、これからはちゃんと合わせてくださいね?」
「いや、この二週間の記憶が君にないのかと思って…」
ホッとしたフェルディナンドは、ベッドサイドに置かれていた椅子に座り込んだ。
「ああ!それで!ちゃんとありますわ!フェルディナンド様の勇姿を忘れるなんてあり得ませんわ!」
「勇姿…?」
「指示を出して問題を解決していく姿は名探偵ジェームズのようで、何度惚れ直したかわかりませんわ!」
「惚れ直す…」
「とっても格好良かったです!」
フンスフンスと興奮しながら、フェルディナンドがどれだけ格好良かったか語るマーガレット。
フェルディナンドとマーガレットは、母親同士が仲良かったこともあり昔から交流はあったが、婚約者になってからも距離が近くなることはなかった。
フェルディナンドはマーガレットが淡い初恋の相手だったこともあり、婚約者になってからは愛称で呼ぶなどの努力をしていたが、マーガレットに愛称を呼んで貰えることはなかった。
「マーガレットは私のことを好いてくれていたのか?」
「?勿論です」
「そうか…。私もマーガレットのことが好きだ」
「知ってますよ〜。私が倒れた時、真っ青な顔で拳を握り締めて駆け寄りたいのを我慢して下さっていたでしょう?」
「ああ、あの時は肝が冷えた」
「ふふっ。その姿を見ていたら、浮かんでる私の方を見上げて目を見開くんですもの」
「アレは誰だってビックリするだろう!」
「「プッ」」
「ハァ。メグが無事に目覚めてくれて本当に良かった」
「ええ、急に身体に戻って驚きましたわ」
フェルディナンドとマーガレットの距離は、この時からグッと縮むこととなる。
周囲も、マーガレットが倒れてからフェルディナンドがどれだけ頑張っていたかあちこちで話し、二人を温かく見守るようになった。
フェルディナンドに漸く静かな夜が訪れた。
しかし、すぐに飛び起きる事となった。
(フェル様〜!自由に幽体離脱できるようになりました〜!お散歩してきますぅ〜〜〜)
「待てコラッ」
マーガレットは小説のネタと同じようなことがどこかで起きてないか彷徨いてただけです。
隣国ドンマイ!