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毒色の茶会

 白銀髪の少女に案内されて辿り着いたのは、屋敷の奥にある一つの部屋だった。

 其処は男が先程眠っていた部屋よりも狭く、銀の燭台には黄金色に揺れる不思議な炎が灯っている。

 見回した部屋の中は、家具と呼べるものは中央に置かれたテーブルセットのみで、生活感をまるで感じられない。

 魔物達が人と同じ営みを行う必要はないのだから、当然なのかもしれないが。


「多少綺麗にしていても、薄汚い生き物には変わりないわね。お茶が不味くなりそうよ」


 テーブルの向こうで、赤いウイングバックチェアに腰掛けた一人の少女が、そう呟く。

 見た目だけなら、白銀髪の少女より少し年上だろうか。

 長いストロベリーブロンドの髪を黒いレースのリボンで二つに結い、フリルやリボンで豪奢に飾り付けられた漆黒のミニドレスを身につけている彼女は、少女より大人びた顔つきをしているが、背中には蝙蝠のような小さな羽が生えている。

 殆ど人と変わらぬ容姿ではあるけれど、彼女も魔物なのだろう。

 白銀髪の少女の後ろで男が警戒して見つめていると、彼女は気怠そうな表情で頬杖をつき、深く長く溜息を吐き出していた。

 白いテーブルクロスをかけられたテーブルの上には、三段のケーキスタンドが置かれていて、小さなサイズに作られた軽食や洋菓子が、美しく並べられている。

 魔物の少女が厚いヒールの爪先を床に三度当てると、空中に白いカップやティーポットやカトラリー等が何処からともなく現れ、ふわりふわりと踊るようにテーブルの上へと並んでいく。

 驚いて口を開けたまま呆けた顔をしていると、白銀髪の少女は席に着くよう促してくれるので、男は恐る恐る近づいて、よく使い込まれているのに傷一つ見当たらない、上等な椅子へと腰掛けた。

 白銀髪の少女は慣れた様子でテーブルに降りてきたポットを手に取ると、一つ一つの動作を間違えぬよう、丁寧に紅茶を淹れている。

 可愛らしく飾り付けられた容姿をしているとはいえ、魔物と同じ部屋の中で、それも、同じテーブルへと着いているという事に、男は息苦しさを感じるが、白銀髪の少女は少しも気にした様子はない。

 よくよく見てみると、部屋の中はこの洋館の中でも比較的明るく、燭台に灯された炎も、柔らかな色をしていた。


「メイシア、ありがとう。食事を用意してくれたのだな」


 メイシアと呼ばれた魔物の少女は、白銀髪の少女の言葉に肩を竦めると、綺麗に並んだティーカップの縁を、そのほっそりとした白い指先でなぞった。


「貴方が言うから。仕方無く、よ」


 金色の瞳は長い睫毛に縁取られ、燭台に灯された炎の揺らぎに合わせて揺れている。

 その瞳をゆっくりとした動作で自分へと向けられて、男は喉が引き攣り上手く呼吸が出来ず、眼を合わせたまま動けなかった。

 情けなく指先から震えが走り、非現実的な目の前の状況にただただ耐えなければならない。

 白銀髪の少女はその緊張を見て取れたのか、小さく笑うと頷いて見せた。


「メイシアの用意してくれる食事はどれも美味しい。安心するといい」

「……、だけど、」


 怯える男の様子を見た魔物の少女は、形の良い眉を跳ね上げて口元に手を当てると、くすくすと声を零して笑っている。


「お前のような小汚い生き物如きに、わざわざ毒を入れるような小細工をする必要があるとでも? 自分を過大評価しすぎではないのかしら?」


 可笑しそうに笑うメイシアは、漸く機嫌を良くしたらしい。

 少女の淹れた紅茶のカップを優雅に持ち上げると、満足げにその香りを楽しんでいる。

 極限まで精神を張り詰めていたからなのか、男は目の前に置かれた食事を視界に入れ、漂ってきた匂いを嗅ぐと、途端に空腹を覚えてしまった。

 どうぞ、と優しく少女が言うので、男は早速手を伸ばそうとしたが、ケーキスタンドには軽食や洋生菓子が美しく並べられている。

 こういった場面でのマナーなど、記憶が曖昧になっているからか、元々の経験の乏しさからか、今の男には到底備わっていない。

 うろうろと視線を彷徨わせて戸惑っていると、白銀の髪の少女がナイフとフォークを使って、丁寧にサンドイッチを取り分けてくれる。

 目の前に小さなサンドイッチを乗せた皿が置かれると、二人の視線が一斉に向けられているのを感じながら、男は意を決してそれを掴み、一思いに頬張った。


「美味い!」


 口の中いっぱいに、上等な小麦で作られた柔らかなパンの甘味と、バターの芳醇な香りとなめらかさ、新鮮な野菜や卵の旨みが広がって、傷ついた身体の中へとじんわりと染み渡るようだった。

 男はその美味しさに感動すると、作法の事すら気にもせず、次から次へと菓子や軽食へと手を伸ばして口の中へと押し込んだ。

 テーブルクロスの上に食べかすが零れ落ちるのを横目で見ていたメイシアは、その様子に眉を顰めている。


「嫌だわ。食べ方まで汚いのね。最低よ」

「それだけ空腹だったのだろう。ゆっくり食べるといい。此処は安全だから」


 この場所はメイシアの力で安全に保たれているから、と少女は言い、他の魔物が手を出す事はなく、唯一安心して眠れる場所なのだ、と教えてくれる。

 そんな場所を提供してくれた少女に、男は感謝を述べるけれど、彼女は緩やかに首を振ると、メイシアに手を向けていた。

 彼女のお陰で保たれた安全だから、という事なのだろう。

 口の中に詰め込んでいたものを飲み込み、紅茶で流し込むと、男は背筋を正してメイシアへと向き直り、頭を下げた。


「その、ありがとう。ええと、メイシア、さん?」

「気安く名前を呼ぶな。黙れ、ゴミ屑」


 心底軽蔑したような顔で暴言を吐かれ、足まで蹴られ、ぐらぐらと揺れる椅子に慌てていれば、ポットを持った少女が小さく笑みを浮かべて、空になっていたカップへと紅茶を注いでくれる。

 花と果実を混ぜたような、甘やかで不思議な香りのする紅茶に、男は今までの暴食ぶりを恥じ、小さく咳払いをすると側に置かれていたナプキンで口元を拭った。


「メイシアは沢山の知識を持っていて、此処を提供してくれたり、食事の仕方を教えてくれたり、本当に沢山の事を助けてくれている」

「貴方、今日は饒舌なのね」

「そうかもしれない。メイシアの事を褒めて貰えたのが、とても嬉しい」


 少女は嬉しそうに顔を綻ばせて笑うので、男は思わずその柔らかな表情に見惚れて、じっと見つめてしまう。

 感情を表さない彼女はあまりにも完成された美しさからか、その幼さに反して固い口調をしているからか、近寄り難さを感じていたけれど、今の彼女は頑是ない子供のようにあどけなく、愛らしく感じられたのだ。

 思わず目を細めて笑みを浮かべると、再び足を蹴られて男は慌てて肩を縮こませた。

 視線を向けると、メイシアが穢らわしいものを見ているかのように、顔を顰めている。

 メイシアは苛立つように黒と金で彩られた爪でテーブルを叩いていたが、三度叩いた時には、テーブルクロスに銀色の細かな刺繍が施されていた。

 これが、彼女の使う魔法の力なのだろう。

 男が大きく目を瞬かせ驚くと、隣でそれを見ていた少女は嬉しそうに頷いている。

 それにしたって、魔物が人間の安全を保障する、だなんてどういう事なのだろうか。

 男は考えて、密やかに眉を寄せた。

 恐怖に飲まれてしまう森の中に住む異形の彼らは、人間にとって畏怖の対象でしかない。

 魔物にとっても、人間など食料にでもしてしまおうか、と考えているに違いないのだろう、と男は考えていたのだが、どうやらメイシアは違うようだった。

 人間の生態に興味を持っているのは確かなようではあるので、人形遊びでもしているつもりなのだろうか。

 けれど、男の目に映る二人は、何処にでもいる、仲の良い友人同士のようにしか見えなかった。

 戸惑いながらケーキスタンドの隣に置かれたスコーンをひとつ手に取り、テーブルの上に並べられた幾つもの小さな瓶へと視線を向けると、瓶の側面には見た事の無い文字——恐らくナァヴの言葉だろう——のラベルが貼ってある。

 瓶を手に取りながら、ひとつひとつ眺めて中身を確認していると、馬鹿ね、とほっそりとした白い指先が、目の前に赤い瓶を差し出した。

 長い爪は黒と金に彩られ、ジャムの赤さを際立たせている。


「このスコーンにはラズベリーのジャムが一番合うのよ」


 手のひらに乗せられた瓶を開けると、砂糖で煮詰められた赤いジャムが、循環を止めたばかりの血液のように赤黒く輝き、甘ったるい香りが鼻先を擽っていた。

 銀色のスプーンで掬い上げ、ラズベリーの果肉がスコーンの表面に落ちると、酸味を帯びた甘い香りの、その懐かしさに、男は眼を眩ませた。

 そうして男は口を開き、毒のように赤黒く輝くジャムを飲み込んだ。

 ゆっくりと喉の奥へと、落ちていく。

 それはまるで、毒を飲むようで。

 舌の上を転がる、その痺れるような甘さに、男は静かに目蓋を閉じていた。

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