表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/26

螺旋と待ち人

 夢の中にいるように虚ろで、不確かで歪んだ思考が酷く心地良い。

 アステリアスは廊下の隅でしゃがみ込み、いつの間にか眠っていた自身を思い出して、ゆっくりと目蓋を開いた。

 眼を開けて、暗闇だった事に心底安心する。

 白い世界であったなら、其処はもう、地獄に違いないのだから。

 アステリアスは静かに瞬きを繰り返し、廊下の奥を見た。

 先を歩いていた白銀の髪の少女の姿は、もう其処にはない。


「……、大丈夫。貴方が望むなら、何でもするよ」


 誰ともなく呟いて、アステリアスが顔を上げると、かつりかつりと高い音を立てて歩いてくる人影があった。

 警戒して身構えるけれど、薄暗い廊下の先から近づいてくる気配に気づいたアステリアスは、ゆっくりと身体から力が抜けてくるのを感じていた。

 向こう側から悠然と歩いてくるのは、午後三時にしか現れない筈の、メイシアだ。

 ふんだんにフリルを使った黒いボンネットを被り、レースとリボンで飾り立てられたミニドレスを身に纏った彼女は、屋敷の中だというのに、赤と黒のストライプの傘をさしている。


「そんな所にいたら病気になるわよ。人間は、些細な事で風邪とかいうものに罹るのでしょう?」


 平坦な声でそう言った彼女は、アステリアスを見下ろしたままそう言うと、窓の向こうを見つめている。

 窓は厳重に閉じられているのに、何処からかこもったような深い緑の香りがする気がして、アステリアスは顔を歪め、前髪を掴んで項垂れた。

 一体、どうして何もかもを忘れられずに、思い出してしまうのだろう。

 この身体に残るものは、いつだって苦しくて辛い記憶ばかりだ。

 やさしくあたたかな記憶だって、たくさんあった筈なのに。

 いっそ全てを忘れてしまえたなら、こんなにも追い詰められているような気持ちにはならなかっただろうに。

 顔を上げ、見つめた廊下の先にある扉は、未だ開かれる事はない。


「なあ、」

「何よ」

「逃れられない生き方なんて、なんであるんだろうな」


 唐突な言葉に、メイシアは一瞬顔を歪めると、瞬きの合間には息を吐き出し、視線を俯かせる。


「……、産まれてきたから、かしら」

「産まれてこなければ良かった、って?」


 アステリアスが皮肉げに唇を歪めると、彼女は静かに首を振り、いいえ、と答えた。


「いいえ、違うわ。だって、生きることは戦うこと。そうでしょう?」


 その言葉に、アステリアスは瞬きを繰り返し、言葉を返す事はなかった。

 それはまるで、逃げずに戦わなければ今まで生きてこれなかった、と言っているかのようだったから。

 魔物である彼女が、人間であるフィーネを傷つけず守ってきたのは、そんな自分自身と重ねて見てしまったから、なのだろうか。

 考えて、見つめたメイシアは感情を全て抜け落としたような、無機質な横顔をしている。


「その短剣は、あの子の光が込められている。だから貴方があの子から離れていても、正気を保っていられるのよ。忘れないで」

「……、知ってる。わかってる」


 アステリアスの手にしている短剣は、フィーネが手にしていた時のように眩い光を纏ってはいない。

 ただ、手のひらには確かにあたたかなひだまりにも似た温度があり、清浄な力を否応なく感じている。

 それが何なのかを、アステリアスは良く知っていた。

 誰よりも、誰よりも。


「可哀想ね、貴方」

「お前もな」


 その言葉に、メイシアは僅かに眉を寄せ、何かを言い出そうとしていたが、緩やかに頭を振って口を噤んでしまう。

 微かに震える指先を誤魔化すように、その手はしっかりと傘の持ち手を握り絞めている。


「……、そうね」


 言いながら、メイシアは頰に指先を押し付け、涙の跡をなぞるように滑らして呟いた。

 頭を振り乱して、声を荒げて、小さく蹲って、みっともなく泣き出してしまいたいのに、涙ひとつだって、落ちやしないんだもの。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ