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9.お仕事3・虫を捕まえる(前編)

(てっきり、善い行いをしたと騒ぐと思っていたわ。診療所の手伝いのことを話す度、毎日、それは善い行いだと煩いくらい言っていたのに)


 アリシアは、ヘンデル公爵家での出来事を聞いたエヴァンの様子を不思議に思った。


 お茶会の終わる時間を知っていたかのようにエヴァンは屋敷へやって来た。

 早速話を始めたのだが、エヴァンの反応は思っていたものとは違った。

 エヴァンは静かに話を聞いていたのである。

 そして、話が終わっても、何かを考えこんでいる様子だ。

 

 話の途中で口を挟まなかったところを見ると、監視人から聞いて知っていたのではないかとアリシアは思う。


 監視人が見ていたのだとしたら、自分がメイドを問いただす際に地に戻ってしまったことも知っているのだろうか。

 ドミニクとグレースの2人には、少しきつい言葉でメイドを問いただしてしまいましたと言ってはおいたけれど。

 ふとアリシアは不安になった。

  

 黙ったままのエヴァンにアリシアは思い切って話しかけた。


「あの、これは善い行いではないでしょうか? 背信行為についてドミニク様と協力して探れば、もう1つ善い行いになるかと」


「善い行い。そうかもしれない。だが、これは‥‥‥。婚約者候補審査に差し支える。この件には今後関わるな。他家の問題でもある」


 やっと口を開いたエヴァンの予想外の言葉にアリシアは驚いた。

 しかし、第1王子エヴァンに反論することは憚られる。


(それなら卒業パーティの事も一緒よね。この件と何が違うのかしら? ただ、婚約者候補を1年の仕事を決めた以上、従うしかなさそうだわ。やっと慣れてきた診療所の手伝いも辞めたくはない。明日にでもグレース様とドミニク様に今後の報告は不要と謝罪の手紙を出そう。でも‥‥‥)


 アリシアの心に幼い頃の出来事が蘇る。


「大人は喧嘩したらダメだってひたすら言うけどよ、喧嘩をするのにも、吹っ掛けられるのにも理由がある時があるぜ」

 アリシアの師匠的な存在、ガキ大将のジョイの言葉である。

 

 やたらとアリシアに攻撃的な農民の男の子がいた。

 会うたびに喧嘩になる。

 ある日、その子と喧嘩をして泣いていたアリシアへジョイがそう言ったのだった。


 ジョイがその子にアリシアに喧嘩をふっかける理由を聞いたら、「いつも山菜を1人で全部採っちまう。出しゃばるな」だった。

 アリシアは山菜採りの名人だ。どちらにせよ村の皆に分けるのだからと思っていたがそれがダメだったらしい。


 その子がアリシアや村の皆を助けたい気持ちをアリシアが奪ってしまっていたのだった。

 一方から見て理由がないようでも人の行動には理由がある。

 周囲を見ていなかった自分に反省すると共に、アリシアはそう学んだ。


(若いメイドはともかく、メイド長は長年、ヘンデル家に仕えてきたでしょうに。何故、あのような行為をしたのかしら?)


 当然、子どもの喧嘩とは違う。罪は罪だ。

 どんな理由があるにせよ、メイド長が罰せられなくてはいけないことは分かっている。

 だけど‥‥‥。

 エヴァンの言葉に頷きつつも、アリシアの心は曇った。






 王都にあるフローレス男爵家の屋敷である。

 ヘンデル公爵家のお茶会から2週間ほど経った5月の晴れた日だ。


 今日は、アリシアの休日だ。

 

 手伝いは週に3日間ほどという話で始めた。

 しかし、季節外れの風邪が流行っているせいか今週は患者が多く、アリシアは休みなく働いていた。

  

 昼食を食べ終わり、さぁ、これから何をしようと庭に出たアリシアが深呼吸をした時。

 当然のような顔でエヴァンがやって来た。


「疲れは取れたか、アリシア」


「エヴァン様‥‥‥」


 エヴァンは初日を除いて、診療所に来ることは無かった。

 だが最近では、アリシアの診療所の手伝いが終わる夕方頃、毎日のように屋敷へやって来るようになっていた。

 1時間ほど屋敷でお茶を飲んで帰る。これが彼の日課になっている。

 

 呪い付きを恐れて、他の監視人は姿を現さない。当然、話をしたこともない。

 呪い付きを噛ませ犬に選んだ責任でエヴァンだけが、アリシアに直接、善い行いの確認をしているのだ。

 アリシアはそう思っている。


 だが毎日やって来なくても、別の監視人がアリシアのことを見ているはずだ。

 何故、毎日やって来るのだろう。

 

 アリシアは不思議に思い、こう結論を出した。


 噛ませ犬の様子を毎日確認して、本命の令嬢が婚約者となる事を確信したいのだ。

 毎日そう確信したいほど、本命の令嬢のことが好きなのだろうと。


「あら、エヴァン様。丁度良かった。お茶を淹れようと思っていたところです。お2人とも、中へお入りください」

 

 屋敷の窓から顔を覗かせたカーラが言う。

 カーラにとっても、エヴァンが屋敷に来ることが当たり前になっているようだ。


 カーラは、当初、エヴァンに緊張していた。

 しかし元々、小さなガキ大将アリシアに慣れているカーラだ。

 エヴァンの王子としては乱暴な口調や態度に「貴族というものは誰でも裏表が激しいのかしら」と言ってあっという間に慣れた。

 今では、エヴァンのことを親しみやすい王子と言っている。




 


「今日はお伝えしていた通り、診療所がお休みの日です。善い行いはしない予定ですが‥‥‥」


 アリシアは、心の中で苛立つ。


(昨日休みだと言ったよな。休みなのに何の用だ! 休ませろよ!)

 

「あぁ、知っている。今日はアリシアに用があってきたんだ。最近、お茶会のこともあって曇った顔をしていることが多かったからな‥‥‥」


 アリシアはエヴァンと話しながら時折、顔を曇らせることがあった。

 お茶会の出来事が引っかかっているからだ。

 何か事件の進展についてエヴァンが口にしないかをアリシアは毎日、気にしていた。

 

 エヴァンは、それに気が付いていたのだった。


「私、曇った顔など‥‥‥。それより、どうされたのですか?」

 

 カーラが用意した紅茶を飲みつつ、2人は話している。


 エヴァンの用があるという言葉に、アリシアの表情は強ばった。

 

(先ほどから、エヴァン様はそわそわしているわ。いつも強気な感じなのに珍しい。まさか、本命の令嬢と早く婚約したいから審査は終了と言いに来たとか‥‥‥? 私が善い行いを積極的にしていると思っているはずだから、言い出しにくいのね)


 そう、先ほどからエヴァンはそわそわとしている。

 いつもはゆっくりと飲む紅茶をもう飲み干し、出されたお茶菓子も、もう食べてしまっている。

 そして、アリシアの顔を見ては目を逸らす。

 どうも、落ち着きがない。


 アリシアはエヴァンの次の言葉への覚悟を決め、緊張した面持ちでエヴァンを見た。


(婚約者候補としての善い行い(仕事)も終わり‥‥‥)


 その硬い表情を見たエヴァンは肩を落とした。 


「ふぅ‥‥‥。なぁ、いつになったらアリシアは俺に心を開くんだ? あの卒業パーティで見せた目や診療所での態度とは違うようだが? 学園で聞いていた勉強はできるが陰気な令嬢というのは仮の姿なんだろ?」


「えっ、学園でそんなことを? ‥‥‥診療所?」


 あれからアリシアは、診療所では丁寧な口調を心がけている。

 

 だからエヴァンが言う診療所での態度とは、初日のシェリーへの態度だろう。

 もしかして、監視人に聞かれていたのか。

 では、やはりヘンデル公爵家でも‥‥‥。

  

 冷汗を流しながらアリシアは考える。


 なお、あれ以来、診療所の薬が減ることは無くなった。


 あの出来事のすぐ後、昼食時にシェリーと2人きりになった際。

 シェリーは「()()()乱暴な言葉を使って、私を戒めてくれてありがとう。目が覚めたわ」と目に涙を溜めながらアリシアに言った。


 薬が飲めるようになったミコが、アリシアのことを言っていたという話も聞かない。


 だからあの日、アリシアが乱暴な言葉を使ったことは誰も知らないはずなのだ。


「あぁ、学園では皆が言っていたぞ。アリシア・フローレスは、頭がいいが陰気で話さないと」


「そ、それは、気を遣っていたからです。侍女として働くつもりでしたから。雇い主となるような令嬢、令息の方々に失礼があってはいけないと思いまして。それにしても陰気‥‥‥」

 

 そこで、クスクスと笑いながらカーラがお茶のお代わりを持ってきた。

 

「エヴァン様。アリシア様のかぶっている猫は強力ですよ。地を出したアリシア様をお見せできなくて残念です。ちなみにこの前、喧嘩した時なんて…‥」


「ちょっと、カーラ! 余計なこと言わないで!」


 必死の形相でカーラを止めるアリシア。

 カーラはそんな様子を気にもせず、ふふっと笑って紅茶をティーカップに注いだ。


(カーラは、エヴァン様にはすっかり慣れたみたいだけど、私はまだ慣れないのよね。それにもし、監視人に四六時中見られているのだとしたら、気を緩めることはできないわ‥‥‥あ、でもエヴァン様は、審査終了の話をしに来たのかもしれないのよね)

 

 随分と話が逸れてしまったことに気が付き、アリシアは慌てて言った。

 

「あ、エヴァン様。お話が逸れてしまいましたね。ご用というのは何でしょうか?」


「あぁ、そうだった‥‥‥。アリシア、その‥‥‥」


「お話中、申し訳ございません」


「な、なんだ、カーラか‥‥‥。どうした?」


 2皿目のお茶菓子をエヴァンの前に置きながら、カーラが言った。


「私、間もなく出かけさせていただきます。お茶の他にご用はございませんでしたか?」


「あ、あぁ、大丈夫だ」


「そうだったわね。大丈夫よ」


 カーラは2人の言葉にうなずき、部屋から退出した。


 エヴァンはなんとなくバツが悪そうな顔をしている。


「なぁ、カーラは出かけるのか? 買い物か?」


「えぇ。今日は土曜日ですよね。ここ数カ月、必ず木曜日と土曜日の週に2回、午後から出かけるのです。ただ、それが不思議で‥‥‥」


「なんだ?」

 

「はい。買い物は他の日にも行っているはずなのです。野菜などは朝市で買って来ますし。だから決まって木曜日と土曜日に必ず出かけるのは何故かと。ただ、聞いても服屋だ雑貨屋だと誤魔化されてしまいまして。恋人でもいるのかと思っています」


「ふーん。何だろうな? おい、いいことを思いついたぞ。カーラの後をつけて街へ行こう。その‥‥‥俺の用件は、アリシアを気晴らしに街へデートに誘うことだったんだ。丁度良かった」


 エヴァンは照れくさそうだ。

 

 しかし、エヴァンの言葉のほとんどはアリシアの耳には届いていない。

 カーラの後をつける、街へ行くと言う言葉で、しりごみしてしまったからだ。 


 左手の白い手袋をアリシアは見つめている。


「街には行けません。診療所への移動は馬車ですし、手伝いも中でしています。職員の方々には手袋で傷を隠していると嘘をついています。職員の方々は知識がある方々なので、もう少し慣れたら説明をするつもりでミーシャ先生ともお話をしています。ですが‥‥‥」

 

 アリシアは不安だった。


 呪いの話は平民にも広がっている。

 

 貴族は自分のことを知っている。

 積極的に庇ってくれるわけではないが、呪いについて知識のある者もいる。


 だが、平民はどうだろうか。

 平民はただ、呪いの話も呪い付きもただ恐れているだけに違いない。

 

 この国は、貴族や商人以外は字を読めない者が多い。

 だから、旅人が訪れた村でした話、商人が仕入れの合間に農民に伝えた話がどんどん広がる。

 

 王都に来る前のこと。

 アリシアは、領地の屋敷へとやって来た商人が話した噂を聞いて驚いた。

 彼は白い手袋をした呪い付きの娘の話をまるで最近の出来事のように話したのだった。

 

 アリシアが呪い付きとなった話は、まだ平民の間には鮮明に残っているに違いない。


 自分が街に出たら、どんな言葉をかけられるか。

 不吉だと言われる呪い付きだ。人を不快にさせてしまうかもしれない。


 そしてもし、その手袋を取ってみろと誰かに言われたら。なにかの拍子で手袋を取らなくてはいけなくなったら。


 そう思うと、アリシアは街へ出ることにはためらいを感じていた。


「アリシアの心配はわかる。だが実際には、アリシアの呪いは害があるものではない。ただ、最も幸福な記憶を無くすというだけだ」


「そうですが‥‥‥」


「なに、もう、8年も前のことだ。王都にはたくさん人がいる。呪いの話は覚えていない者も多いだろう」


「そうだといいのですが」


「大丈夫だ。何か言われたら、俺が言い返してやる。さあ、行こう」


 エヴァンは微笑んだ。

 アリシアを安心させるような温かな笑みだった。

 

 そして立ち上がると、座っているアリシアに右手を差し出した。


 アリシアは戸惑う。

 しかし、エヴァンの言葉は強く、微笑みは温かだ。


(エヴァン様と一緒なら、本当に大丈夫かもしれない。‥‥‥何故か信じられるわ)


 それは、今まで感じたことの無い気持ちだった。

 

「‥‥‥はい」


 アリシアは小さな声で答え、白い手袋をした左手を差し出した。

 エヴァンはその手をしっかりと掴んだ。






 カーラの目を盗んで、2人は準備を開始した。


 アリシアの普段着の質素なワンピースは、平民のものと変わらない。

 

 しかし、問題はエヴァンだった。

 男爵家の屋敷に出入りすることを考えてか、地味な服装ではある。

 だが、どこからどう見てもエヴァンだというのは、前の商人風の変装と変わらない。


 アリシアは兄、アデルが学生時代に着ていた普段着がまだ屋敷のタンスに入ったままなのを思い出した。そして、それを無理やりエヴァンに着せ、帽子をかぶらせた。


 着替え終わったエヴァンを見て、思わず「診療所で見た商人風の変装より完璧です」とアリシアは口にした。

 エヴァンは「なにっ、気づかれていたのか」と言い、噴き出した汗をハンカチで押さえた。

 

 そしてカーラが間もなく屋敷を出るという時のこと。

 邪魔な髪を結んでしまおうとアリシアは紐を取り出した。


「おい、髪を結ぶなよ」


「え? なんでですか?」


「金髪の天使が台無しじゃないか。せっかくのデ、いや尾行か‥‥‥なのに」


 金髪の天使。

 それは、以前カーラが言っていたアリシアが幼い頃の使用人の間での呼び名。


 何故、エヴァンがその名を知っているのか。

 アリシアは髪を結ぶ手を止めた。


(あぁ、確か婚約者候補には1人、金髪の方がいたわね。つまりエヴァン様は金髪がお好みなのね。ということはあの令嬢が本命かしら)


 勝手に納得したアリシアは言った。


「尾行にはこの髪は邪魔です。髪は今度‥‥‥」


 今度、本命のご令嬢に見せていただいたらどうでしょう。

 そう言いかけたところで、カーラが門を開ける音がした。


 フローレス男爵家の門は古くさびている。

 開け閉めする時には、キーッという音が響くのである。 


 カーラが行ってしまう。

 せっかく街に出る決意をしたのだ。見失いたくない。


「行きましょう」


 急いで髪を束ねるとアリシアは走り出し、エヴァンは後に続いた。


「今度‥‥‥? 「今度じっくり見せます」だったら、俺は嬉しくて息が止まるかもしれない」


 エヴァンは小さく呟いた。

 





 2人は、カーラの後をつけた。

 もちろん、4人のエヴァンの警護も一緒だ。 


 到着した場所は、屋敷から30分ほど歩いた王都の中心に近い場所だった。


 そこでカーラは、1軒のカフェへと入った。


「あの店に入ったぞ。お、あの店は、貴族も使う店だな」


 物陰に隠れながらカーラの様子を見ていたエヴァンが言う。


「ご存じなのですか?」


「あぁ。確か、焼き菓子が美味しいと聞いたな。テーブルの間に衝立が立ててあるから、デートに最適だと聞いたことがある」


「デートですか‥‥‥そのようなお店にカーラが。やはり、恋人がいるのでしょうか?」


「俺が入ったのではないぞ。ドミニクから聞いたのだ。いや、下調べとかそんなことは‥‥‥」

 

 エヴァンの頬は赤らんでいる。


「え?」

 

「とにかく、入ってみよう」

     

 赤くなった顔を隠すようにエヴァンはアリシアの前に立った。

 そして、左手を掴むとその手を引いてカフェへと向かった。

お読みいただきありがとうございました。


※(2020.8.26)最初のお茶会についての内容を変更しました。

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