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7.お仕事2・薬についての2つの改心(後編)

「いつもありがとうございます。ミーシャ先生」

「ミーシャ先生、おかげで怪我が治りました」


 午後からの仕事中、アリシアは何度か診察室へ薬を届けた。

 その度に、ミーシャにお礼を言う声を聞いた。


「ミーシャ先生は、本当に感謝をされているんですね」


「それはそうさ。あたしも薬師を長くやってきたけど、あんな優しくて良心的な先生はなかなかいないよ。儲けなんて考えてない。まぁ、あたしたちも給料は安いが、やりがいがあるよ」


「そうですね。私も早くもっと手伝えるよう頑張りますね。‥‥‥あの、シェリーさんは長く勤められているのですか?」


「シェリー? あぁ。ミーシャ先生はここを開く前に、少しだけ別の診療所の手伝いをしていたらしい。その時に出会って、先生の貧しい人達を助けたいという気持ちに感動して付いて来たって言ってたよ」


 だったら何故。

 アリシアは出かかった言葉を飲み込んだ。






「た、大変よ。あの男が来たわ」


 調合室に青ざめた顔で駆け込んできたのはシェリーだ。


「シェリー、どうしたんだい? 大けがの患者でも来たかい?」


「ち、違うのよ、ルナさん。アリシアさん、私が怪しいって言っていた男、あの男が患者としてきたのよ」


「怪しい男? どれ、あたしが様子を見に行こう。あんた達は、陰から見てな。なにかあったら人を呼びに行ってくれ」


 ルナは2人を調合室へ残し、待合室へと向かう。


「‥‥‥」


 なるほど。

 扉を少し開けて覗いて見ると、男はどう見てもエヴァンだ。


 商人風の服を着ているせいか、いつもの煌びやかな雰囲気はない。

 顔は化粧なのかどこか薄汚れている。

 しかし、その美しい顔立ちを完全に隠しているわけではない。

 それに、かぶり慣れていない帽子からは銀色の髪が出ている。


 つまり、近くで見れば見るほど、いかにも変装といった感じなのである。


(ったく、何考えてるんだ。こんなところまで来やがって)

 

 アリシアは苛立つ。 

 自分を監視しに来たのには違いない。


 だが、この国の第1王子であろう人が診療所に来たとしたら。

 しかも、自分の監視をしに来たと診療所の人々に分かったなら。


 やっと始めた善い行い(仕事)がダメになってしまうではないか。


 アリシアは今、エヴァンに対して乱暴な言葉を我慢できる自信はない。


「胃が痛いと言ってるんだけど、もしかして、盗みの下見? それとも合い鍵で何度か盗みに入っていて、明るい所で物色‥‥‥」


 シェリーがまた恐ろしいことを言い出す。


 しかし、昼間からシェリーの様子はおかしい。

 やたらと怪しい男を泥棒にしたがっている。


 ルナにエヴァンに声を掛けられでもしたら、まずいかもしれない。


 アリシアが考えていると、シェリーが声を張り上げた。


「あ、あれ見てよ! あの男の持っているカバン。あそこに入っているのは、ルナさんが乾燥させた薬草を入れている袋じゃない? 患者さんに渡しているものではないわ。調合室にしかないはずよ。やっぱり合い鍵を持っているのよ。ルナさんに言わなくちゃ」


 そういうことか。

 アリシアは思った。


 幸いなことに待合室は人でごった返している。

 扉を少しだけ開けて話しているアリシアとシェリーの声は届いていないようだ。


 シェリーは出て行こうと扉に手をかける。

 しかし、その手はアリシアによって掴まれた。


 アリシアはシェリーの手を払いのけると、扉をバンッと閉めた。

 

「な、なにを?」


 驚いたシェリーは目を見開く。 


 扉の前に立ち、アリシアは静かに言った。


「ねぇ、シェリーさん。貴女、ルナさんが薬泥棒に気が付いていることを知っていますね? 朝の私達の会話を聞いていたのですね。それを隠そうと‥‥‥。こんな雑な方法じゃ、すぐにあなたがした事だとわかりますよ? こんなことは止めて、素直に謝ったほうがいいのでは?」

 

 シェリーが考えていること。


 それは怪しい男、エヴァンに濡れ衣を着せることだ。

 ルナの使っている袋をエヴァンのカバンに入れ、この男が前から盗みに入っていたとでも言うに違いない。


 だから、しきりに怪しい男がいる、合い鍵を持っていると言うのだ。


 ただ、それは浅はかな計画だ。

 

 咄嗟に考えての計画なのだろうが、調べればすぐにわかること。 

 しかも、相手はこの国の王子だ。


 そもそも、エヴァン、いや人に濡れ衣を着せるということは許せない。

 

 だが、ミーシャは薬泥棒の改心を待っているのだ。

 シェリーが人に濡れ衣まで着せて自分が泥棒ではないと見え透いた嘘をつきたい理由。

 それもアリシアには予想がつく。


 すぐに解決してやれ。

 アリシアの中の小さなガキ大将が叫ぶ。

 

 いや待て。せっかく始めた仕事だ。

 ここは、落ち着いて穏便に。

 

 アリシアは自分に言い聞かせる。


「アリシアさん? どうしたの? すぐにルナさんに伝えないと」

 

 シェリーは白々しく、目をパチパチとさせる。


「初めは怪しい男がいると散々言って、あの男が犯人に違いないとしらばっくれるつもりだった。でも、男がここに来たから計画を変えた。‥‥‥貴女、彼に疑いの目を向けさせるつもりですね? それで、ルナさんの使っている袋を彼のカバンに忍ばせた。座っている彼に病状を質問するフリでもして入れたんじゃないですか?」


 アリシアの言葉を聞いて、シェリーの顔つきは豹変した。

 焦り、怒りがにじみ出た醜い顔だ。


「ふん、なにを言っているのよ。証拠は?」


「皆が昼食に出ている間、貴女は1人だった。昨日まではお弁当持参は貴女だけだったはずですから。その間に調合室に入って薬を少しずつ持ち出す、それが貴女の手ですね? 今日は、私が先に休憩室にいることを確認して調合室に入ったのでしょう。貴方は休憩室にはずいぶん後で来ましたから」


「だから、証拠は? 何もないのに言いがかりもいいところね」


 なかなか折れないシェリーの偉そうな態度にアリシアは苛立った。


 ルナがエヴァンのカバンに入っている袋を見つければ、面倒なことになる。


 アリシアの苛立ちが強くなる。

 もう、我慢の限界だった。


「ったく。こっちが静かにしてれば、証拠、証拠とうるせぇな。証拠は、あたしがこの目で見たもんだよ!」


 そう言ったアリシアに睨みつけられたシェリーの顔はこわばる。


 しかし、アリシアはそんなことはお構いなしに続けた。


「昼休み、あんたの手に掻いた跡と湿疹があるのを見たんだ。あんた、ルナさんが置きっぱなしにしたモモに触ったね? ルナさんは種から薬を作る下ごしらえ途中で食事に出たんだ。そこに種も置きっぱなしだと思ったんだろう。モモを触るとかゆみが止まらなくなったり、湿疹が出る人間がいるんだ。あたしの村では昔、細々とモモを作っていたから知っているのさ」

 

 モモは、アリシアの父親が育てていた。領地の為に高く売れるものを育てる、そう考えていたようだ。

 数年後、数個の実がなったが、気候のせいかそれとも育て方のせいか、多くの実がなることはなかった。

 

「あ、あんたの言う事なんて、誰も信じないわよ。そんなの証拠にはならないわ」


 シェリーは悔しそうな顔で言う。

 扉から出る隙を窺っているようだが、アリシアに遮られていて出ることはできない。


「あたしは、あんたを捕まえるつもりも責めるつもりもないよ。ルナさんの話を聞いていたんだろう? ミーシャ先生は薬泥棒が改心するのを待っている。それは先生が、まだあんたのことを信じていて、正しい道に戻ってくることを待っているってことだ」


 ミーシャの言葉。それがシェリーの心を揺さぶった。

 シェリーの顔からは怒りが消え、苦悶の表情が浮かぶ。


「これは‥‥‥、違うのよ、私が考えたことじゃない。前にいた薬師見習いにこづかい稼ぎになると誘われて。だけど繰り返すうちに後戻りできなくなって。どうしたら‥‥‥」 


 どうやら、シェリーの悪あがきの理由はアリシアが思った通りのようだ。


「やっぱりそうか。できることなら、戻りたいと思っているんだろう? 濡れ衣を人に着せようとしているのも、盗みを知られたくない、ここに残りたいという気持ちがあるからだろ? 違うか?」


「アリシアさん‥‥‥」


「いいか。薬草って言う言葉は一言だけど、薬草を育てるのは案外、大変なんだ。口に入れるもんだ。虫、汚れ、細かな注意が必要だ。だけど、これが人の命をつなぐ。そう思えば薬草の世話にも耐えられる。農民は皆、口々にそう言うよ。なぁ、あんたにはその心がわかるだろ。あんただって、大変だけど患者さんが元気になって喜ぶ姿を見られれば耐えられる、そう思ってミーシャ先生について来たんじゃないのか?」


 アリシアの言葉は、村の農民の請け売りである。

 ちなみに野菜を薬草に置き換えている。


 村の農民は、一生懸命、農作物を作っていた。

 アリシアはそんな彼らを見るのも一緒に働くのも大好きだった。


 シェリーは泣き崩れた。


「ちょっと、シェリー? どうしたの? 2人で喧嘩でもしたの?」


 その時、ミーシャが調合室へと入って来た。

 

 シェリーは膝を付いて顔を手で覆っている。


「なんでもないです。シェリーさんは、ここにあった桃の実にかぶれたみたいで、目までかゆいみたいです。そうですよね? 顔を洗って仕事に戻るそうですよ」

 

 慌ててアリシアは言う。

  

 その間にシェリーは立ち上がり、涙を拭った。


「大丈夫なの?」


「えぇ。ご心配おかけして申し訳ありません。私、顔を洗ったら、今まで以上に働きますね」


 そう言って、シェリーは調合室から出て行った。

 

 シェリーは涙に濡れた目で真っ直ぐにミーシャを見つめて言った。

 その言葉は心からのものだろう。


(今の会話、ミーシャさんには聞かれてないわよね? 私、また思わず‥‥‥)


「アリシアさん、ミコちゃんが待合室からお母さんが目を離した隙に逃げ出したのよ。午前は無理だったから、午後から薬を頑張って飲もうねと言っていたのに」


 ミーシャの様子は今まで通りだ。

 よかった、乱暴な言葉は聞かれていなかったとアリシアは胸を撫で下ろした。


(シェリーさんにはどうにか口止めしないと。あぁ、我慢できなかった。病弱という設定なのに‥‥‥)


「ミコちゃん? ああ、喉の薬が嫌いな女の子ですね」


 平静を装ってアリシアは答えた。


「えぇ。外へは出ていないみたい。診療所の中に隠れていると思うから、探してくれる? じゃあ、私は戻るわね」


「わかりました」


 待合室からはシェリーらしい声がする。

 ルナを誤魔化す説明をしているのか、なにか理由を付けてエヴァンのカバンから自分が入れた袋を取っているのではないかとアリシアは思った。


 間もなくルナが調合室に戻って来るだろう。

 そうしたらミコを探しに行こうとアリシアが思った時。


「お姉ちゃん、薬草ってそんなに育てるのが大変なの?」


 薬の調合台の下から女の子の声がする。


「もしかして、ミコちゃん?」


「うん。ねぇ、さっきお姉ちゃん言ってたよね?」


 覗いて見ると、台の下におさげの女子が両ひざを抱かえて座っている。

 多分、ルナが待合室へと出た時に入ってきたのだろう。


 ということは、シェリーへの乱暴な言葉はこの女の子に聞かれていたということである。


(まずい。とにかく、私は丁寧なお姉さんということをこの子の記憶に上塗りしないと)

 

 笑顔を作り、アリシアはミコに答える。

 

「え、えぇそうよ。一生懸命に薬草を育てている人もいるし、命がけで貴重な薬草を採りに行く人もいるのよ。だからとっても大切なものなの。そんな大切な薬草で作ったお薬を粗末にすると、神様から怒られてしまうかもしれないわね」


「そうなんだ。じゃあ、頑張って飲む」


「よし。じゃあ、約束ね」


 笑顔でそう言うと、ミコも笑った。


 




「ミコ、泣かずにお薬飲めたわね。もう、おうちでも飲めるかしら?」


「うん。お母さん、私ね、白い手袋のお姉ちゃんと約束したの。だから苦くても飲めるよ。薬草は大切なものだから、お薬をちゃんと飲まないと神様に叱られちゃうんだって」


 午後の待合室の様子である。

 親子連れは、会計を待っているようだ。

 

 待合室で診察の順番を待っていた若い商人風の男は、白い手袋のお姉ちゃんという言葉にピクリと反応する。


 男は親子連れをじっと見た。


「白い手袋。アリシアだな。もう善い行いをしたのか。心配でこっそり見に来たが、大丈夫なようだな。働いている姿を見たかったが、混み合っていて時間もかかりそうだ。報告もあるし、帰るか」


 男は席を立った。

お読みいただきありがとうございました。

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