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5.呪い付き男爵令嬢と監視人

「おはようございます。エヴァン殿下」


 学園の卒業パーティから2週間ほど経った日の朝。フローレス男爵家の屋敷の応接室である。


 アリシアは優雅な動作で笑顔を浮かべながらカーテシーをしている。


「おはよう、アリシア。おい、いい加減、堅苦しい言葉も仕草も止めろ。エヴァンと呼べよ。俺はとっくにアリシアとお前を呼んでるだろ」


 一方、第1王子エヴァンはソファに座って出されたお茶を飲んでいる。

 

 その表情には学園で女生徒にいつも見せていた優しげな微笑みは無い。

 口調も一国の王子とは思えない乱暴なものである。


 その悪戯っぽい目つき、にやりと笑う口元。

 王子というよりむしろ、やんちゃな男の子といった感じだ。


 卒業パーティ翌日の朝、突然、エヴァンはフローレス男爵家の屋敷を訪れた。

 それ以来、三日にあけず監視人という名目で屋敷を訪ねてくるようになった。

 

 屋敷を訪れる回数が増す度、エヴァンは変わっていった。

 

 まず、上まできっちりと留めていたシャツのボタンをはずした。

 次に乱暴な口調で話し始めた。

 あっという間に私と言っていた自分のことを俺と言い、アリシア嬢がアリシアになった。

  

 アリシアは戸惑ったがすぐに理解した。


(ははぁ。これが王子の本性だな。あたしと同じで地を隠していたね)


 でも、流石に自分はジルベール王国の第1王子である人に地を出すわけにはいけない。

 

(ちっ、あんたが来ると気を遣って疲れるんだよ)


 心でぼやきつつ、アリシアは王子が屋敷を訪れる度に笑顔で迎えるのであった。


 アリシアは堅い表情で口を開く。

 今までは、戸惑いも緊張もあり聞くことができなかったことを尋ねるためだ。

 

 婚約者候補については不思議なことばかりであるが、本人である第1王子エヴァンを前にアリシアはどうも調子が出ず、疑問を聞けずにいた。

 少しずつでも聞こう、そう決めての質問である。


「あの、エヴァン‥‥‥様が、この屋敷にいらっしゃるようになって数日経ちますが、1つお聞きしてもよいでしょうか?」


「なんだ?」


「はい。あの、陛下がおっしゃっていたように密かに見守るのが監視人ではないのでしょうか? それに、婚約者を探している殿下自らが婚約者候補の監視人で良いのでしょうか? 公平ではないと言われないか心配しております」


「そのことか。俺がここに来ることは、父上や他の者の了承も得ている。だから気にするな。公平でないと言われてもこれには理由がある。その理由を言う訳にはいかないが、とにかく大丈夫だ」


「はい。それなら良いのですが‥‥‥」

 

 答えながらアリシアの左手の白手袋を見るエヴァン王子の視線。

 その視線に気が付いたアリシアは推測し、納得した。 


(なるほど。呪い付きが原因ね。宮殿の誰も私の監視人をやりたがらなかったのね。噛ませ犬に私を選んだのはもしかしてエヴァン様かしら? 仕方なしに呪い付きの監視人をしているといったところね)


「ところで今日は何を? またごみ拾いか?」


 お茶を1口飲み、エヴァンは言った。

 

 その言葉にアリシアはふぅっとため息をついた。

 そう、これが問題なのだ。


 第1王子エヴァンの婚約者候補を1年の仕事とする。

 婚約者候補の審査課題である善い行いを手当てを貰う以上しっかりとやり遂げる。


 そう決めたのはいいが、善い行いというのはなかなか難しい。


 卒業パーティでの出来事をエヴァンは善い行いだと言った。確かにあの出来事は人助けであった。

 だが、あんなことはそうそうできるわけではない。

 

 卒業式から数日間、アリシアは屋敷周辺のごみ拾いを無償で行ってみた。

 しかし、貧乏男爵家といえども一応貴族。貴族の住む地区にあるフローレス男爵家の屋敷周辺にはそれほどごみは落ちていないのだった。


 いくつか考えていることもあるが、すぐには実行できそうもない。

 不吉だと言われる呪い付き。人目を気にしなくてはいけないのですんなりいかないこともある。


 そんな訳でアリシアはとりあえず、今日もごみ拾いへ向かう予定である。

  

「はい。その予定です。あの、ごみ拾いの前に先ほど来た庭師へ挨拶をしに行ってよいでしょうか? 代々、この屋敷の庭の手入れをしてくれている者ですので」

 

「わかった。少し待っていよう」

 

 アリシアは再びカーテシーをし、応接室を出る。


「まったく、何時まで猫を被っているんだ。小さなガキ大将のくせに」


 アシリアが出て行った応接室では、1人残されたエヴァンが呟いた。 

 


 



「おはよう。エド」


 アリシアがそう声をかけた時、エドは庭木の剪定をしていた。


 エドの家は代々、王都のフローレス男爵家の庭の手入れを頼んでいる庭師である。

 元々は、エドの父親が来ていたのだが、数年前にその父親は別の屋敷の専属庭師となった。その代わりに今は、修行を終えたエドがフローレス男爵家へと来ている。

 

 なお、フローレス男爵家は庭師を専属で雇うことが無理な経済状況の為、エドには数カ月に1度、頼んで来てもらっている。


 エドの父親はアリシアの呪いについてアリシアの父、マックスから説明を受けていた。エドは、自身の父親から説明をされているのだろう。彼は、アシリアを怖がる素振りを見せたことがない。

 

「お嬢様、おはようございます。さっき門ですれ違ったんですが、屋敷に出入りしているのは商人ですか? もしかして、嫁入り道具でも買われるんですか?」


 エヴァンは質素な馬車で屋敷に来ているが、4人の護衛が付いている。

 4人は商人や料理人、庭師など貴族の屋敷に出入りするのに不自然ではない格好を装っているのだ。

 彼らは騎士の中でも精鋭とされる王家の警護を専門に担当する者である。


 エヴァンは公務も行っている為、監視人と言っても来る時間も屋敷に滞在する時間もまちまちである。来ない日ももちろんある。

 屋敷にエヴァンが来ない日は、別の監視人がアリシアを見ているとエヴァンは言っていた。

 おそらくこういった騎士が気配を消して監視人を務めているのではないかとアリシアは思っている。


 そして、こうも思う。

 騎士達は呪い付きの自分と話すことは嫌がる。だから呪い付き(アリシア)と話すのは自分を噛ませ犬に選んだエヴァンの役目なのだと。


「えっ‥‥‥。違うわよ。えっと、ちょっと家具を買い替えようと思って相談をね」


 首を横に振り、アリシアは慌てた。

 彼らが騎士だということもそうだが、第1王子のエヴァンがここにいるなんて知ったら、エドは青くなるに違いない。


「そういえばエド、前に聞いた診療所のお手伝いの件はどうなったかしら? 知り合いの方とはお話ししてもらえたかしら?」


 これ以上、エドに商人の話はさせてはダメだ。

 急いでアリシアは話題を変えた。


 エドの知り合いに貧しい人の為に街で診療所を開いているミーシャという女性がいる。

 彼女は今は勘当されているが元々は裕福な商家の娘だ。

 医者になる為の学校はなく、師匠である医者について修行を積み独立する。

 これがこの国の医者である。薬を作る薬師も同様だ。

 ミーシャもそのように医者になり、傷の手当てや病気の治療を安価に引き受けているという女性である。

 

 アリシアは、自身の左手の白手袋を気にしている。

 平民に自分の名までは知れ渡っていないとしても、白手袋をした少女の話を知っている人は多いに違いない。

 貴族なら呪いについて正しい知識を持っている人もいるし、手袋さえしていればよいと思っている者が多いことはアリシアは知っている。


 しかし、平民にはどんな恐れを持って見られるかはわからなかった。

 平民と関わるのであれば、人目につくような仕事や人と話す善い行い(仕事)は避けようとアリシアは思っていた。

 

 表に出ないよう診療所の裏方、例えば薬を煎じることやベッドの準備などを無償で手伝う。それを1年間の仕事にするつもりで、エドを通じてミーシャに聞いてもらっていたのだった。


「あ、えぇ。聞きました。最近、辞めた人がいるらしく猫の手も借りたい状態だそうです。いつでも構わないから、一度、お会いしたいと言っていました」


「ありがとう。嬉しいわ。エドが暇な日に一緒に診療所へ行って、ミーシャさんを紹介していだだける?」


「いえ、それはできそうにないです‥‥‥」


 エドは下を向きうつむいた。


「エド? どうしたの?」


「えぇ。実は、ミーシャは俺の恋人なんです。でも、先日泣かせてしまってどうしたらいいのだか‥‥‥」






 エドとミーシャは3年ほど前、ミーシャが診療所を開いた時からの恋人同士である。

 忙しさのあまり結婚を気にしたことはなかった。

 だが、今年23歳を迎える年となった2人はさすがに結婚を意識するようになった。

 

 ミーシャは、エドと一緒に住みたいと結婚を意識した言葉を口にするようになった。

 しかし、元々は裕福な商家の娘であるミーシャにエドはプロポーズすることをためらい、その言葉への返事をいつも誤魔化していた。


 勘当されたとはいえ、貧乏暮らしが嫌になって実家に戻ってしまうのではないか。

 時折見せるミーシャの育ちの良さ。それはただの庭師である自分とは釣り合わないのではないか。

 エドは不安だったのだ。

  

 しかし先日、意を決してエドはミーシャにプレゼントと共にプロポーズをすることにした。

 

 彼女は宝石やアクセサリーを付けることを嫌っている。そんなものを付けるなら代わりに病人の為の薬が欲しいと日頃から口にしている。

 そもそも、高価なアクセサリーも宝石もエドにはすぐに買う事はできない。

 

 でも、心からのプレゼントを渡してプロポーズをしたらきっと彼女は喜んでくれるはず。エドはそう思っていた。


 しかし、彼女の反応はエドが思っていた反応とは真逆のものであった。

 

 その日、エドはミーシャの仕事が終わるのを待って、夕方の公園の花壇の前でプレゼントを渡した。

 自分なりに考えた精いっぱいのロマンチックな演出のつもりだった。


 だが、エドが渡したプレゼントを見るなり、ミーシャは泣き出してしまったのだ。


 わけがわからず必死でなだめるエドの声は彼女には届かなかったようだ。

 しばらく泣きじゃくった後、「貴方の気持ちはよくわかりました」と言って、ミーシャはエドに背を向けて帰ってしまったからだ。






「一体、何を渡したの?」


「ハンカチです。白い生地にオレンジのカレンデュラの花が刺繍されているものです。以前、ミーシャは美しいのに傷や肌荒れの薬としても使えるカレンデュラの花が好きだと言っていたので」


「カレンデュラに白いハンカチ‥‥‥」


 確かに、カレンデュラの花はオレンジ色の美しい花だ。

 乾燥させたものを薬用として用いることも多い。

 

「あぁ、エド、それは最悪の組み合わせだわ。彼女がプロポーズを期待していたのなら、泣いてしまうのは当然よ」


 アリシアはエドの失敗に気付き、深いため息をつく。


「えっ?」


「カレンデュラの花言葉は「別れの悲しみ」、そして白いハンカチの意味は「別れ」なのよ。エドが結婚を迷っていることを感じていた彼女がそれを渡されたなら、エドは自分と別れたいという以外には考えられないわよ」


「そんな。ハンカチはいつでも身に付けてもらえるからいいかと思って。花言葉は俺の不注意です。知らなかったんです。でも、白い色は聖なる色なんじゃないんですか?」


 エドは頭を抱えた。

 

「この国では、人が亡くなった時は故人が一番好きだった服や死後に着る為にと用意した服を着せて葬るわよね。‥‥‥それは貴族も平民も同じなのよね」


「はい。うちの爺さんは庭師に誇りを持っていましたから、仕事着を着せて棺に入れました」


「職人は仕事着で葬られることを望む人も多いわよね。‥‥‥貴族には呪いや悪い魔法を退けるため、聖なる色の白いハンカチを故人に着せた服のポケットに入れる習慣があるの。だから白いハンカチは別れを意味するとされているのよ。ミーシャさんは裕福な商家の出身なのよね? 貴族の習慣をご自宅では行っていらしたのかもしれないわ」


 たちまちエドは、今にも泣き出しそうな顔になる。


「あぁ、どうしよう。やっぱり、育ちが違いすぎるのか‥‥‥。もうだめだ‥‥‥」


 エドは庭にしゃがみこんでしまった。

 

(ったく。世話が焼けるな。1度失敗しただけで諦めるなって)


「おい、エド。立てよ」


 エドの泣きそうな顔を見て、アリシアの中の小さなガキ大将が動き出す。

 

 『1度や2度の失敗でへこたれるな。高い木だって何度も挑戦すれば登れるだろうが』

 

 乱暴な言葉を使い、情に厚い小さなガキ大将アリシアに影響を与えた村の本物のガキ大将、アリシアの師匠ともいえる農民の子、ジョイの言葉である。 


 昔、カーテシーを綺麗にできなければ遊びに行くことは許さないと母親に叱られてアリシアは1人、屋敷で泣いていた。

 母親が農作業に出た隙にこっそり覗きに来たジョイがそう言って励ましてくれ、アリシアはカーテシーができるようになったのだ。

 

 今、アリシアの心の中にはその言葉が蘇っている。

 

 その言葉でアリシアの心の大半は占められ、エヴァンがいることも、エヴァンの護衛が見ているかもしれないことも心の片隅にも無かった。

  

「え? あぁ、すみません。仕事、しますね‥‥‥」


 のろのろと立ち上がったエドをアリシアは睨む。

 その目に凄まれたエドは思わず、姿勢を正した。


「仕事? その前にやるべきことをしろ。諦めるな。なぁ、何年も育ちの違いを乗り越えて、彼女と付き合って来たんだろ?」


「は、はい。ミーシャも俺も、食べ物の好みや知っていることが少しずつ違うんです。それで喧嘩にもなるけど、最後は2人でどっちでもいいかってなるんです。それにミーシャは、勘当された身だから俺が貧乏暮らしの先生だって言ってくれていて‥‥‥」


「すっごくいい娘さんじゃねぇか。よし、あそこの花を全部持って、今から彼女のところへ行ってこい。白いハンカチとカレンデュラの件はちゃんと説明すれば、分かってもらえるだろう」


 アリシアの指は、庭の端に咲いている赤いチューリップを指している。

 赤いチューリップの花言葉は、「愛の告白」である。


「お嬢様‥‥‥。わかりました。俺、行ってきます。厳しい言葉で叱責してくださって、ありがとうございます。普段大人しいお嬢様が、俺の為にこんなに熱くなってくれるなんて」


 感激した目でアリシア見るエド。

 彼はアリシアにペコリと礼をすると、チューリップのほうへと向かった。

 

 それと同時に、アリシアは我に返った。


(し、しまった。つい‥‥‥。誰も見てないわよね? エヴァン様は中だから警護の方も中にいるわよね?)


 慌てて周りをきょろきょろする。

 アリシアは大丈夫そうね、と胸をなでおろした。


 しかし、応接室の窓、そのカーテンの陰にエヴァンがいることには気が付かなかった。

 そしてエヴァンの瞳が、庭の様子をずっと見つめていたことをアリシアは知るはずもない。


 その頃の応接室では‥‥‥。


「ハッハッハッ、あの凄みのある目つき。昔のままじゃないか。卒業パーティよりすごいな。このまま、思い出してくれたらいいのに。それにしても、クックックッ‥‥‥」


 そう言ってエヴァンが1人、腹を抱えていた。

 大笑いしながらも、エヴァンは愛しそうにカーテンの陰からアリシアを見つめていた。






「もうお帰りなのですか?」


 しばらくしてアリシアは、応接室へと戻った。


 アリシアが戻ると、エヴァンはすぐに宮殿に戻ると言い出した。

 

 エヴァンが屋敷へ来てからまだ1時間ほどだ。

 なにか粗相でもしたかと慌てたが、そうではないようだ。

 その顔には、笑みが浮かんでいたからである。

 

「あぁ、今日は満足した。またな」


 そう言うと、にやりと笑いエヴァンは屋敷を去った。


(満足? 何が? 公務のことでも思い出したのかしら?)


 アリシアは首をかしげた。

お読みいただきありがとうございました。


※8/22 エヴァンの護衛に関する分を追記しました。

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