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1.呪い付き男爵令嬢は求職中(前編)

 ジルベール王国は平和な国だ。


 過去には、天界に住む神が造ったとされる人間に対抗して魔界の神、魔王とも呼ばれる存在が造ったと言われる魔物の攻撃に晒されたこともある。


 しかし、ここ300年ほどは魔物達の勢力が弱まり、ジルベール王国は繁栄の時代を迎えている。

 もちろん、今でも魔物が現れ人を襲うことはある。

 しかし、それは過去のような大軍勢ではなく少数の群れといった感じだ。


 平和な世が続き魔法を用いた戦争が減ったせいか、次第に魔力を持つ魔法使いは減っていった。

 今では、少数の魔法使いが各国の王や裕福な貴族に雇われているのみである。


 魔法使いの数が減ると共に魔物側の魔法使い、黒魔法使いも姿を現さなくなった。


 黒魔法使いとは魔物の持つ魔力に魅了され、その穢れた魔力を身に付けた魔法使いのことを言う。彼らは魔物の使う魔法と共に呪いを操り、人間を攻撃した。


 呪いは、黒魔法使いが使う魔法の一種だ。


 普通の魔法は直接的に災いや不幸を起こすものではない。それに魔法の効果は、魔法をかけ続けない限り永久に続くことはない。

 

 しかし、呪いは対象とした人物に災いや不幸が起きるようにかけるものだ。そして、その効果は永久に続くとされる。


 呪いをかける際、黒魔法使いが対象者の体内に呪文を唱えながら穢れた魔力を注ぐ。体内に注がれた穢れた魔力は血のように体内を巡り消えることは無いと言われている。だから、呪いはずっと続くのだそうだ。


 呪いをかけられた者の左手の甲には呪いの印が浮かぶ。神話にも登場する禍々しい印、逆五芒星である。


 その印を持つ者は呪い付きと呼ばれ、古来より不吉な存在だとされてきた。


 黒魔法使いが姿を現さなくなっても、それは変わらなかった。

 

 呪い付きにまつわる恐ろしい昔話や『悪いことをした子どもは、黒魔法使いに呪いをかけられる』といった迷信が残っているからである。





 

 繁栄の時を迎えているジルベール王国には、誰もが存在を知っている貴族の少女がいる。


 その名は、アリシア・フローレス。ジルベール王国の男爵家の娘だ。

 

 平民なら名前までは知らなくても、彼女にまつわる話を知っている。

 彼女と同じ貴族なら当然、彼女の名前を知っているだろう。


 それは何故か。

 それは、彼女がこの王国でたった1人の呪い付きだからである。


 これはこの国の多くの者が知る話。


『ある時、王都で貴族の娘が黒魔法使いに襲われた。

幸いなことに怪我は無かったが、娘は意識を失ったまま7日間眠り続けた。

眠り続ける娘を看病していた両親はあることに気が付いた。

なんと、娘の左手の甲に黒い線で描かれた逆五芒星が浮かんでいたのだ。

目を覚ました娘を宮殿の魔法使いと神殿の神官が調べた。

彼らは古い文献を念入りに確認した後に言った。


「この呪いは忘却の呪いのひとつ、幸福忘却の呪いだ」


その日以来、呪い付きとなった可哀そうな娘は呪いの印を隠すように左手に白い手袋をしている。

その手袋は聖水で清めた聖なる色、白い色の手袋だ。その手袋には呪いを抑える効果があるそうだ』


 貴族から平民へ、商人や旅人から村々へと広がったこの話は、本当にあった出来事を伝えている。

 

 アリシアは8歳の頃、王都の屋敷で黒魔法使いに襲われた。

 そして、幸福忘却の呪いをかけられてしまったのだ。


 幸福忘却の呪いは、最も幸せな記憶を忘れ去るという残酷な呪いである。

 

 最も幸せな記憶は人が生きていれば変わる。

 この呪いはその変わっていく最も幸せな記憶を奪うものだ。


 例えば、昨日ケーキを食べた事が最も幸せな記憶になったとしたら、アリシアはそのことを覚えていない。

 今日、ケーキを食べ、それが最も幸せな記憶となったなら、今日ケーキを食べたことを忘れる。その代わりに昨日ケーキを食べた事を思い出すだろう。

 幸福忘却とはそんな呪いだ。

 

 アリシアは呪いをかけられた時のことを覚えてはいない。

 襲われたショックで忘れてしまったのだと父親は言っていた。


 失った最も幸せな記憶は、両親にはおおよその推測ができた。

 だが、せっかくの幸せな記憶を無理に植え付けたくないという父親の意向でアリシアには伝えられなかった。


 黒魔法使いに襲われた8歳以降、新しい記憶を思い出したことはないから、8歳までに最も幸せな出来事があったのだろうとアリシアは思っている。

 もっとも、何を忘れたかはアリシアにはわからない。

 だから、自分の失った最も幸せな記憶が気になったことはアリシアには無かった。


 黒魔法使いが突然、王都に現れた理由は不明とされている。

 アリシアを襲った黒魔法使いは捕らえられた後にすぐに牢の中で死んでしまったからである。


 平和な時代へと入った300年間において、黒魔法使いが現れたのはこの時のたった1度だけだ。

 

 月日が経つにつれ、人々は黒魔法使いはもういないのだ、やはりルベール王国は平和な国なのだという気持ちを強くしていった。


 しかしその一方で、1人の少女が呪い付きになったという話は広がった。やがて、黒魔法使いよりも古来から不吉だと言われてきた呪い付きの存在を人々は一層、恐れるようになっていった。


 そうして恐れから、真実とは違う噂が生まれた。

 

 「逆五芒星を見ると恐ろしいことが起こる」 

 「呪い付きは不吉なことをもたらす」

 「逆五芒星が人の体に触れれば、魂が穢れて死後に神の元へ行けなくなる」 


 実際には、アリシアの呪いが他人には影響を及ぼすことは無い。幸福忘却は本人の最も幸せな記憶を奪うだけのものだ。


 それに神官がある文献に載っていたと教えてくれた手袋、呪いの効果を抑えるという聖水で清めた白い手袋も左手に毎日している。

 

 しかし、どれだけ両親や理解ある人々が否定しても噂がやむことはなかった。

 アリシア・フローレスは、そんな噂に囲まれたまま成長した。






 寒さが緩んできた3月、王立高等学園卒業式の3日前のこと。


 ジルベール王国の王都には街を見下ろすように壮麗な宮殿が建っている。

 アリシア・フローレス、貴族なら誰もがその名を知っている呪い付きの男爵家の娘は、馬車に乗り、その宮殿へと向かっている最中だ。


 長い金髪を結い、女性の正装であるドレスを着ているアリシアだが、その手は不自然だ。

 左手と右手に不揃いな手袋をしているからである。

  

 それは呪い付きのアリシアにとっては仕方がないこと。

 だから、気に留めるでもない。

 

 いつもしている手首までの短い白手袋しか、聖水で清めた手袋は持っていないのだ。

 今日は正装なので右手には正装時につける二の腕までの長手袋をしている。

 そんな訳で、両手がちぐはぐなのである。

 

 ドレスを着た時、アリシアはしまった、左腕用に白い長手袋を清めてもらえばよかったと思った。でも、ドレスは深緑色だ。どのみち白の手袋は似合わない。

 どっちにしろ、左手だけが白い手袋というのも変なのだからとアリシアは気にするのをやめた。


 そんなことよりも、アリシアは緊張のせいか息苦しさを感じている。

 

 アリシアが緊張するのは無理もない。

 これから、生まれて初めての国王との謁見が待っているのだから。

 

 アリシアの屋敷に宮廷からの使者が来て、「国王陛下直々のお呼び出しです」と告げたのは1週間前のこと。


 初めは宮廷仕えの侍女採用試験に合格したのだと喜んだが、どうやら違うようだった。

 何の用件かと尋ねたアリシアに使者は宮殿へ参上する日時を告げると「詳細は聞いておりません。当日、国王陛下よりお話がございます」と言って、帰ってしまった。

 

「国王陛下が一体、あたしに何の用だっていうんだ。‥‥‥ハッ。国王陛下のお呼び出しとは一体、どのようなご用件なのかしら」


 思わず呟いた言葉でアリシアの緊張が頂点であることがわかる。

 言葉が乱れてしまったのがその証拠だ。

  

 アリシアの故郷は、王国の北、森に囲まれた小さな村。

 フローレス男爵家は、森を開墾した土地で領主自らが領民と共に農業に励むような典型的な貧乏男爵家である。

 母親は4年前、父親は2年前に病死した。今は6歳年上の兄、アベルが若いながらに領主として領地を治めている。


 父親と母親は森の開墾、農作業と忙しかった。

 そんな両親に代わって、アリシアの面倒を見ながら遊び相手となっていたのは兄のアベルだった。


 田舎ということもあり、領主の子も農民の子も関係なく、アベルと共に村の子ども達に混じって遊ぶ毎日。


 そんな中で、幼いアリシアは貴族の使う上品な言葉より先に遊び仲間の農民の子ども達の言葉を覚えてしまった。

 特に村のガキ大将、ジョイの影響は大きかった。ジョイを真似たアリシアの言動から小さなガキ大将と村では呼ばれていたほどだった。

 

 父親はアリシアの話し方を笑いながら聞いていたが、母親は違った。

 何度しつけても直らない乱暴な娘の話し方を正す為、10歳の頃、母親はアリシアを屋敷に2週間閉じ込めて訓練を施した。

 

 結果、アリシアは貴族の令嬢らしい言葉遣いで優雅に振舞えるようになった。

 

 しかし、それはあくまで表面上のこと。


 今でも興奮、怒りなど感情のコントロールが効かなくなる時、地の小さなガキ大将のアリシアが表面に現れてしまうのだ。

 

「あぁ、国王陛下のご用件が、素晴らしい成績で宮廷仕えの侍女試験に受かったので直接合格を伝えるということだったら嬉しいのだけど」


 今度は意識的に令嬢らしく呟き、アリシアは大きなため息をついた。


 アリシアは王立高等学園の卒業式を控え、仕事探しに躍起になっている最中なのだ。

 

 ジルベール王国の貴族の娘は16歳の学園卒業までに婚約を決め、数年間、花嫁修業をしてから正式に結婚する者が多い。

 しかし、それは裕福な貴族の娘だけの話。

 

 金銭に余裕がない貴族の娘や婚約者がいない貴族の娘は、箔をつける為に高位の貴族の屋敷の侍女となり、花嫁修業を兼ねて働いた後に結婚する。


 女性貴族の場合は家の為に結婚することが最も大きな仕事だと考えられているから、花嫁修業を兼ねた侍女職くらいしか仕事はない。


 アリシアは学園を首席で卒業することになっている優秀な生徒である。

 仕事を探し始めた頃、アリシアは呪い付きであっても自分の成績ならどんな家の侍女職でも受かるだろうと思っていた。

 それなのに、8度も貴族の屋敷の侍女採用試験を受けたのにも関わらず、すべて落ちたのだ。

 

 どうやら、呪い付きはアリシアが思っている以上に嫌われているらしい。

 学園に通っていた3年間で、貴族達にも呪い付きは他人には影響がないということがわかったと思っていたが、そうではなかったようだ。


 宮殿の侍女職ならば差別はないはず。今度こそ受かるかもしれないと、はりきって面接に行ったのはつい先日のことだ。

 

 アリシアには婚約者もおらず、領地の屋敷へも帰れない事情がある。

 卒業後も王都で暮らす為、どうしても仕事を見つける必要があるのだが‥‥‥。

 

「ちっ、これのせいで宮廷仕えの侍女も落ちたかもな」


 再び緊張が増したのか、侍女採用試験に落ちた怒りのせいか、令嬢らしからぬ舌打ちをしてしまったことに気が付かず、アリシアは2度目のため息をついた。


 その目は、左手の白い手袋を映していた。

お読みいただきありがとうございました。

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