エピソード0
状況を整理しよう。
矛盾するようだが、そのためにはまず整合性はこの際捨て置き、身に起こった事をとにかく並べ立てていこう。
俺はタナカ。
タカユキタナカ。
俺はたしか3日ほど前から、旅行でタイに来ていた。
たしか。3日。
そこんとこの記憶があやふやなのはシコタマ酒を飲み、裏路地の売人から買った葉っぱを焚いたりして、四六時中酩酊していたからだ。
カンナビノイドのもたらす優雅な意識体験にもさすがに飽き
市場に繰り出し、
友人らへのお土産を買い漁り、
歩き疲れて腹の減った俺は目についた適当な店に入り、ほうれん草とキノコのパスタを注文した。
マッシュルームともシメジともつかぬおかしなキノコが入っていたが、さすがに毒キノコを客に出すなんてことはあるまいと、気にせず完食。腹の程は満足。
思えば、このキノコはマジックマッシュルームの一種だったのだろう。
食後のコーヒーでひと息入れている時だ。
二人掛けの小さなテーブル。
俺の目の前には化け物が腰掛けていた。
そいつは概ね人型で、
筋肉質な巨躯に、蛸の顔。
おまけに、まるで鮫のハラワタをぶち撒けたような、まったく吐き気を催す、未消化の魚の臭いを纏っていた。
勿論幻覚だ。
昨晩ホテルのテレビでピザを食いながら見たホラー映画の怪物の強烈なビジュアルが、頭のどこかにあったのだろう。
無論、咄嗟にそんなことは思い当たらず
「釣りは取っといてくれ!!」
と、一握り残ったなけなしの冷静さで以ってテーブルに100バーツ札を叩きつけ、
食い逃げ犯になることはせめて回避しつつ(そもそも足りるかはこの際知らんが)
店の外に飛び出した。
俺は路地を走る。
奴はついてくる。
追いかけてくるわけではない。
まるで夜空の月の様に、何処に行こうとそこにあるだけだ。
目を瞑れども、まるで網膜に焼きついているかのように浮かんでくる。
思えば当たり前だ。幻覚なんだから。
だが、その時の俺は正に半狂乱。
世界がサイケデリックに崩壊し、その真っ只中自分だけが正常なつもりでいる。
省みて、俯瞰して漸くはじめて、己の認知が狂っているのだと自覚できるのだ。
世界は空であり、その在り様は自分自身を写す鏡である。
色即是空って奴だな。知らんが。
まあいい。
今となっては、いやはやまったくもってその論理を説明できないが、なんらかの"合理的判断"に則り、俺はズボンを脱ぎ去り下半身を露出し、地面に放尿した。
その尿を用いて"陣"を描いた。
昨晩見たホラー映画の悪魔払いが、悪魔を退けるために用いたものを真似たのだ。
するとどうだ。ウルトラQのオープニングのような、作りかけの練り菓子のような薄気味悪い総天然色の暗闇に一筋の光が差すではないか。
いや、単に開けた通りから路地に陽が差し込んでいるだけなんだが、完全にラリっちまっている俺はそこに救済を見出したんだろうな。光を求めて通りに駆け出した。
その瞬間、俺は吹っ飛んだ。
衝撃によりトリップから目を覚ました俺は、自分がトゥクトゥクに轢かれて跳ね飛ばされたこと、そして打ちどころが悪く、助からないことを悟った。
濁流のような痛みに呑まれて遠のく意識の中、自分の体が冷たくなっていくのを感じながら、
「マジックマッシュルームを食い幻覚を見て下半身を露出しトゥクトゥクに轢かれて死亡。最悪ダーウィン賞にノミネートされちまうかもな」
などとくだらないことを考えているうちに視界は暗転し何も見えなくなり、
気づくと俺は、つい先程まで横たわっていた仄かな放射熱をもったアスファルトとは異なる、硬く冷たい石の床に寝そべっていた。