別れ
私はこの街を出て行く前日、通いつめていた本屋に行っていた。
「おう、根暗女」
そこにはこの本屋でよく会う男がいた。
「あら、陰険メガネ」
「おい、お前もメガネだろうが」
「フンッ」
「また、買いもせずに立ち読みをしに来たのか」
「お金がないのだもの。
ここの店主もいいと言ってくれているわ。私は特別だって」
「お前が立ち読みもできないなんて、ああだこうだ、と店主を言い負かしたのだろう」
それから少しお互いに本を物色して読んでいると男は言う。
「俺はもうすぐこの街を出る」
「え?」
「俺は実は貴族で、まあ色々あって王都から離れたこの街にいたが、まあ色々あって戻ることになったのさ」
「フーン」
「信じてないだろ」
「信じてるわよ。この街から出るんでしょ?」
「ああ、それと俺は貴族だ」
「あっそう」
「お前なあ、本当だからな」
「うるさいわね。なんとなく、分かっていたわよ」
私は言う。
「だって、服装は地味だけど汚れが全くないし、乱雑な言動を見たことがない。
この本屋以外では見たことがない。何か探られたくない雰囲気がある。
私が弟妹の話などをしていても、私はちゃんと貴方の家族の話を聞いたりしなかったでしょう?
気を遣って名前も聞かなかったわ。
それなのに、バレていないと思っていたの?」
男は驚いたように私を見る。
それから男は真面目な顔をする。
「リリアナ、君はとても頭が良い。
一緒に王都に来ないか?
勉強をする援助をする。
君の家族にもお金を支援しよう。
こんな街でくすぶって、君の頭脳を活かさないのはもったいない。
将来、王宮に勤められるように推薦をしよう」
男はそう言って私の手をとる。
「これからは不便のない生活をさせてやる。
もっともっとたくさんの本を読ませてやる」
男が強く私を見てくる視線に決してひるまずに、私も見返した。
これが、本当は一番幸せだったのに……。
ほんの数日前に話してくれれば良かったのに……。
いえ、それでも駄目ね。
私がこの瞳を持っていることは変えられない。
きっと私は何かしらの問題になって、迷惑をかけることになる。
私は苦笑して言う。
「残念だけど……」
「……は?」
男は唖然としたように私を見る。
「でも、ありがとう。とっても嬉しかったわ。
私の家族のことまで考えてくれて、私の頭脳をそこまで評価してくれているなんてね?」
「何故だ!?」
「実は私ももうすぐこの街から出て行くの。もう、お金の当てがあるのだわ。
だからごめんなさいね」
「何を言っている? 金の当てとは何だ? いくらだ?
何故俺の誘いを断ってそっちを優先する?」
「貴方に色々あったように、私にも色々あるのよ?」
私がそう言うと、男は怪訝な顔をする。
「今までありがとう。
本の話は貴方としかできなかったから、貴方と話すのはとても楽しかったわ。
じゃあね」
私が本屋を出ようとすると、男は私の腕を掴んで止めた。
「訳が分からない」
「ええ、貴方は私が貴方の誘いを受けると、絶対的に思っていたようね。
これ以上ない提案で、何故断るのか分からないわよね。
そこまでしてくれようとした貴方に私も話したいわ。でもそれはできない。
そして言えないけれど、私は貴方の誘いを受けることができない事情があるわ」
「そう、か」
「ええ」
「答えられないことは答えなくていい。
幾つか聞いていいか?」
「ええ」
「それは君の望んだことか?」
「いいえ」
「君は幸せになれるのか?」
「分からないわ」
「では不幸になる?」
「分からないわ」
「君の家族は?」
「きっと楽な生活ができるようになるわ。
幸せになれる、そう信じているのよ」
「そうか……」
「ええ、そうなのよ?
心配してくれるのは嬉しいけれどきっと大丈夫よ。
貴方は、自分のことを考えた方がいいわ。
貴方にも色々あるのでしょう?」
「ああ」
「それじゃあね」
「ああ……、それじゃあ……」
でもまあ、同じ貴族の世界にいるのなら、いつか会うこともあるでしょうけれど……。
その頃には私も、貴方も、どうなっているかしらね……。
◇◇◇
別れの時、相変わらずミミは私から離れない。
むしろ、離れてたまるか、と今まで以上の力で私に抱きついている。
仕方がないので、皆で無理矢理離す他ないのであった。
案の定ミミは泣きわめく。
私は思わず泣きそうになった。
今まで、陰で一人で泣いてきた。
なんとか堪えて、笑顔で手を振って別れたのだった。
うん、これでいい。
笑顔で別れられて、本当に良かった……。
私はお姉ちゃんなのだから、泣いた顔など見せられない。
でも、本当にどうしようもなく悲しくて、もう……、嫌になるのだわ……。