エミリア様の事情
それから数週間後であった。
――――エミリア様が家出をしたと聞いたのは。
その日、ルーズベルト様は珍しく早くに帰ってくると、エミリア様が家出をして、それからすぐに捕まって引き戻されたことを話した。
そしてエミリア様を少しの間この屋敷においても良いかと私に聞いた。
「エミリア殿は家族と……、両親と妹との仲が悪い。
家出したことに加えて、その後引き戻されたエミリア殿が、今までの品行方正な性格では考えられないような暴言を家族にぶつけられたようで、なんていうか、より一層険悪な様子だ。
それを見かねた王妃殿下から、少しの間ここにエミリア殿をおいてあげて欲しいと頼まれたのだ。
王妃殿下と今は亡きエミリア殿の母はとても親しかったらしく、王妃殿下はエミリア殿を大層可愛がっている。
それにエミリア殿の母は私の母とも仲が良かったようで、母からも頼まれている」
「なるほど。ええっと、現在のライセント公爵夫人は後妻なのですね?」
「そうだな」
「エミリア様の妹のアイラ様は……?」
「現在の夫人の娘だ。エミリア殿と血の繋がりはない」
「そうだったのですか」
少し複雑な家庭環境である。
そしてエミリア様が両親、妹と仲が悪いということで思いつくことは……
「血が繋がっていないエミリア様のことを夫人は可愛がらず、自身の娘であるアイラ様を可愛がった、そして実の父である公爵もまたそれにつられているような感じでしょうか……?」
「ああ、大体合っている。
しかしそれ以上にエミリア様は冷遇されている。
夫人はエミリア殿に嫌がらせなどをしているようだし、公爵もアイラ殿に比べてかなりエミリア殿に厳しい様子だ」
血の繋がりのないエミリア様に嫌がらせなどをする夫人にはもちろん、血が繋がっている娘であるのにエミリア様を蔑ろにする公爵は、なんて酷い親だろう……。
「このことは周知されていることなのですか?」
「ああ、見ていれば分かるからな。家ではもっと酷いかもしれない」
「あの、エミリア様のお母様が亡くなられたのは、エミリア様が何歳の時なのですか?」
「確か2歳くらいだっただろうと思う。
エミリア殿の母が亡くなってからすぐ、現在の夫人がやってきたのだ」
「それは……、辛かったでしょうね」
私はさらに聞く。
「エミリア様はアイラ様とも仲が悪いのですよね?」
「ああ、そうだな。まず2人が話しているところを見たことがない。
仲が悪くなければ普通に話すことはするだろう。
それにアイラ殿は時々、遠回しにエミリア殿を悪く言うこともあるらしい」
ルーズベルト様はエミリア様を同情するように言う。
「きっと……、今まで溜まりに溜まったストレスが爆発したのだろうな。
エミリア殿はとても思慮深く、あまり感情を出さない人だ。
いつでも完璧な淑女であり、弱みを見せたり、失態を晒したりしたことはない。
我慢していたのだろう」
それからルーズベルト様は思い詰めたように言った。
「そして一番重要なのは、エミリア殿は王太子ユリウス殿下の婚約者、次期王妃となる人だということだ。
家出をしたということは、次期王妃ということも捨てるつもりだったのだろう」
私は頷く。
「そうですね……。もしかしたらエミリア様は王妃になることにそれほど強い気持ちはなかったのかもしれませんね。
ユリウス殿下とは上手くいっていたのですか?」
「それは…………」
ルーズベルト様はとても言いづらそうに、いつもよりもさらに眉間に皺を寄せる。
そして溜め息を1つ吐くと、話し始めた。
「エミリア殿はユリウス殿下をどう思っているかは分からなかった。
殿下といる時のエミリア殿は、微笑んではいるが頬を赤らめたりしない、いつも通りの完璧な淑女だったから。
一方ユリウス殿下は、エミリア殿ではなくアイラ殿のことが好きなのだという。
またアイラ殿もユリウス殿下のことが好きなのだ。
アイラ殿を可愛がる両親は当然アイラ殿をユリウス殿下の婚約者にしたいと思っている。
しかし先ほども述べた通り、王妃殿下はエミリア殿を大層可愛がっている。
そして王妃殿下はアイラ殿のことを毛嫌いしており、王妃になるのは絶対にエミリア殿でなくてはならないとおっしゃっているのだ」
「な、なるほど…………」
私の絞り出したように声にルーズベルト様は苦笑する。
それから私は愚痴るように言った。
「それにしてもユリウス殿下も酷い方ですね、エミリア様という婚約者がいながら。
エミリア様はあれほど美しく、また品行方正で完璧な淑女でもあったのでしょう?
不満など有りようもないと思いますけれどねえ。
それほどまでに妹のアイラ様は素晴らしい方なのですか?」
「うーむ、勉学やマナー、ダンスなどにおいては、アイラ殿よりもエミリア殿の方が格段に優秀である。
単純にアイラ殿はユリウス殿下の好みのタイプだったのだと思われる。
アイラ殿は明るく、活発で人懐っこい性格だ。
そういう性格に惹かれたのではないだろうか……?」
「ユリウス殿下がアイラ様を好きだということは、エミリア様がご家族と仲が悪いこと同様に、周知されていることなのですか……?」
「周りにいる者は分かっているだろうな」
「それは、あまり良くないことなのではありませんか?」
王太子が婚約者ではない人を好きになるなど、醜聞になり得ることだ。
ルーズベルト様は苦い顔をして頷いた。
「しかしそうですか……。
ユリウス殿下は極めて真面目で誠実な方で、信頼も厚く、期待もされていると聞いたのですけれど、そのことは本当ですか?」
失礼ながら、私は思わずユリウス殿下を疑ってしまう。
「そうだな、それはその通りの方だ。
恋愛以外のことで言ったら、王太子としては何の問題もない方だろう」
恋愛だけが欠点……。
いや、この恋愛からは、ユリウス殿下が婚約者でない人を好きになるという無責任さが分かる。
精神的に未熟であることが欠点といえるかもしれない。
「恋愛以外は王太子としては何の問題もない方……、ではないかもしれませんね」
私は小さく呟いた。