結婚生活の始まり
食事に向かうと、すでにそこにルーズベルト様がいた。
「起きたか?」
昔ルーズベルト様と会った時の夢を見たばかりだったので、人はこうも変わるものかと感心した。背筋を伸ばし、堂々としている。言葉も堅いし、全くもって昔の弱々しさを感じないのだった。
ルーズベルト様の言葉に私は頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。寝坊してしまうなんて!」
「いや、疲れていたのだろう。構わない」
ルーズベルト様は本当に気にしていないようであった。
というか、私が寝坊しようがどうでもいい、というような感じである。
「それより食事にしよう」
「はい」
貴族の食事というものは、平民に比べればそれは美味しいものである。
弟妹たちにも食べさせてあげたかったと私は思う。
いつか、こっそりと家族に会いに行ってもいいとお許しがでないかしら?
……いいえ、そんな希望は持たない方がいい。
「君は」
「はい?」
ルーズベルト様の声に私はハッと我に返る。
「君は今まで平民であったようだけれど、食べ方が綺麗だな」
ルーズベルト様は驚いたようにそう言った。
「伯爵家で教育を受けました」
「それでも1カ月間程度だろう」
「そうですね」
正直、前世の日本で過ごした記憶があることによるところが大きい。
この世界の平民は、マナーやそういうものを気にすることはない。
敬語を喋る機会はないし、食べ方も自由で、男なんかはかなり粗雑である。
それに比べて、日本人は礼儀正しかったのだと思わされた。
また前世で私は極めて優等生であったし、学校で表彰される機会も多かった。
社会人になってからは基本敬語で話していたし、敷居の高い食事処などで接待をしたことも何度かある。
ルーズベルト様からすると、声を掛けてしまったのは思わずこぼしてしまった不本意のものだったようで、ルーズベルト様からその後言葉はなかった。
食事が済むと、ルーズベルト様は執事とメイド長、料理長を紹介してくれた。
料理長は優しそうな人であった。
執事とメイド長は、きちんとした自己紹介、挨拶をしてくれたが、どこか私を探るような目を向けていた。
そして紹介の後、ルーズベルト様は言う。
「基本的にそこのミオに言えばいいが、私がいないときに何かあった時は、執事とメイド長も頼るとよい」
「分かりました」
それから執事とメイド長が仕事に戻ると、料理長に、料理について好きなもの、嫌いなものを聞かれた。
私はとりあえず言う。
「今日の昼食とても美味しかったわ」
「ありがとうございます、奥様。
あの、好きなもの、嫌いなものはありますか?」
「ええっと、あまり好き嫌いはないのだけれど……。
そうね、辛いものと酸っぱいものは少し苦手かしら」
「では、そのような味付けは控えますね」
「ありがとう」
「具体的な食材で嫌いというものはありませんか? お野菜などは……?」
「ないわ」
「それは、素晴らしいです!」
「それほど凄いことでもないと思うけれど」
「いいえ、旦那様なんて、アレが嫌い、コレが嫌いとうるさくて……」
もう、これは昔と変わらないわね。
私は内心でクスッと笑った。
ルーズベルト様はゴホンとわざとらしく咳をすると、私に言う。
「気を遣わなくていい。
誰にでも嫌いな食べ物はあるのだから、今のうちに言っておいた方がいいぞ」
「本当にありませんから」
「そ、そうか?」
「はい」
私が頷くと、ルーズベルト様は気まずそうに目を逸らすのだった。
料理長も仕事に戻ると、私は聞いた。
「ルーズベルト様、私は何をして過ごせばよいのでしょうか。
私には、何かしなければならないことはあるのでしょうか?」
ルーズベルト様は、面倒くさそうに私を見てから言う。
「君の好きにしていていい。
刺繍とか、読書とか。ミオに言えば何でも用意してくれるだろうし、この屋敷にある本は好きに読んでいいから」
「なるほど!」
ほ、本が読めるなんて……!
私が思わず声を上げると、ルーズベルト様はビクッとして私を見た。
私は何もなかったように頷く。
「なるほど、分かりました」
「あ、ああ」
ルーズベルト様は執務室で行き仕事に戻った。
今日は屋敷にいるけれど、明日からはまた王宮に仕事に行くと言っていた。
私は与えられた自室に向かった。
「ここが奥様の部屋です」
ミオがそう言う。
私はひとまず窓際の椅子に腰掛けた。
広くて豪華で、平民だった私には、そして元日本人の感覚からいっても、自分の自室とは思えない。
く、くつろげないわ……。
ま、まあ、そのうち慣れるかしら……。
夜、昨夜と同様、ルーズベルト様の部屋に向かった。
私は寝る前に言う。
「明日から、ルーズベルト様は王宮へお仕事に向かわれるのですよね?」
「ああ」
「明日は寝坊などしませんから」
「そう」
「寝坊などしたのは生まれて初めてでした。
私は寝坊をするような人間ではありませんから」
「そ、そうか」
それだけは一応言っておきたかったのだった。