紫の瞳
「――――ごめんなさい!」
「ああ、すまない!」
身なりの良い男の人だった。ぶつかった拍子に外れた私のメガネを、私には見えないだろうと思ったようで拾ってくれた。
その人はメガネを手に持って私の目を何気なく覗き込んだ。
「紫の瞳……?」
小さな呟きが耳に入った。
確かにこの色は珍しいから、思わず呟いてしまうのも無理はない。
私は気にせずに言う。
「メガネ、ありがとうございます」
私の言葉を聞いて、その人は「ああ」と我に返ったように私にメガネを渡した。
「それじゃ……」
私はサッと立ち上がると、未だ不思議そうにしているその人を放ってその場を後にしたのだった。
◇◇◇
ある日、母さんは衝撃の事実を打ち明けた。
「リリアナ、貴方は、父さんの本当の娘ではないの。
私は昔伯爵家のメイドだった。
貴方はその伯爵様との娘なの」
「え……?」
「愛情というものはなかったけれど、それなりに給金をはずんでくれたりした。
でも、貴方ができたと分かったら、奥様にバレてはまずいと、私を追い出した。
それでも、少しお金はくれたから、別に構わないと思ったの。
伯爵様の元で愛人となったなら、それは窮屈であったでしょうからむしろ良かった。
貴方を産んで育てながら、王都からは、伯爵様の屋敷からは遠く離れたこの街の食堂で働いて、充実した生活を送れていた。
そこでお父さんと出会って恋に落ちたのよ。
ごめんなさい、本当にごめんなさい」
母さんは泣きながら私に何度も謝る。
確かに衝撃的で……、その衝撃的過ぎる故にまだ心が追いつかず、割と冷静であった。
私は安心させるように言う。
「どうしてそんなに謝るの? 母さんは何も悪くないじゃない?
父さんも生前は、血が繋がっていないのに、私に愛情を注いでくれたわ」
父さんは、もう亡くなっていなかった。
ただ、弟と妹がいる。
2人は、父さんと血が繋がっているのだろう。
「私はずっと隠したままにいようと思っていたの。
それが一番いいって。
でも、話さなければならない事態が起こってしまった」
「?」
「伯爵様が、今になって貴方をよこせと言ってくるのよ。
それで、何度かやって来ては私は追い返したのだけれど、貴方に知られるのは時間の問題だと思って、話すことにしたの」
「……それで、どうして私をよこせって?」
とても混乱していたが、とりあえず聞いた。
「貴方に、公爵家に嫁いで欲しいと。
公爵家との繋がりが出来るのは願ってもないこと。
公爵家というのは、貴族の中でもとても地位の高いの」
「でも、例え血が繋がっていたとしても、私じゃあ……」
母さんは貴族でも何でもないメイドであった。
その後、私は正式に認知されることもなく、貴族の教育を受けることもなかった。
ほとんど平民と言って良い。
そんな私が、貴族の中でも地位の高い公爵家に嫁ぐなんて……。
母さんと私のことを思い出したとしても、公爵様に釣り合わない私を紹介するなんて、公爵家との繋がりができるよりも、反感を買ってしまうのではないだろうか。
でも、そんなことは伯爵様だって分かるはず……。
母さんは私の両耳に両手を伸ばす。
私の掛けていたメガネをそっと外した。
長い前髪をそっとよける。
そして私の目元を優しく撫でた。
私は視力は悪くなかったが、瞳の色の珍しさから何か嫌なことを言われるかもしれない、と母さんに言われてメガネを掛けていた。そしてこれも母さんの言うことに従って前髪を少し長いくらいに伸ばしていた。
私は別に嫌なことを言われても気にしないのだけれど、というか逆に、そんな野暮ったくしていて幼い頃はよく悪ガキに絡まれていたのだが。
それでも、母さんは言うことを聞きなさいと珍しく厳しく言うので、従ったのだった。ただ教えてはくれなかったけれど、この瞳には何かあるのだろうかと疑問は持っていた。
「この紫の瞳の色は特別なのよ」
母さんはそう言った。
「特別?」
「王族の色なの。伯爵様の祖母は王女様だったわ。
リリアナのこの紫の色はまぐれとかではなくて、確実に王族の血が入っている。
貴方の色は公爵家に嫁ぐに充分値するのだわ」
母さんがこうしてメガネを掛けろと言っていた意味がようやく分かった。
謎が解けて、私は次に思う。
私が伯爵様の元に行けば、お金をもらえないかしら……。
弟は病弱で、薬代がとても高いのだった。
まだ幼い妹もいる。
私も母さんと同じ食堂で働いているが、家計はとても厳しいのであった。
「お金……」
私が思わずそう呟くと、母さんは私を抱きしめた。
「貴方を手放すことはないわ。
ただ、どうせ知られてしまうのならば、私から真実を打ち明けたかっただけ」
「母さん……」
私はその後、数日しばらく悩んだ。
しかし、悩んだといっても、聞き終わった時には、本当はもう私の心は決まっていた。
ただ受け入れるのに時間がかかっただけだ。
「姉さん、どうしたの?」
私がぼうっと呆けながら洗濯をしていると、私より6つ下12歳の弟、ルカが聞く。
ゴホンゴホンと咳をする。
「どうもしていないわ、さあ、貴方は寝ていなさい」
「ちょっとは動いても大丈夫だよ」
「でも咳をしているわ。無理はしてはいけないわよ」
「分かってるって」
そんな会話をしていると、まだ6歳の妹ミミが私の腰に抱きついてくる。
「お姉ちゃん!」
ミミは母さんよりも私に懐いている。
ミミの頭を撫でてやりながら、私がいなくなった後のことを考えて心配で仕方がなくなるのだった。