生きるための努力
オイルが切れた金属が、擦り合う音が身体中からする。
さしずめ、医者に診断を受けたら全治二か月程度に診断されるだろうな。
医者っつーのはどうも信用ならない、三日で治る傷にギプスと錠剤を出しやがって一週間は体を動かさないように、とか言いやがる。
必要も無いのに、薬を飲まねーといけねーってのが医療の悪いところだな。
だからこんな傷三日も寝れば完治する。絶対に。
息を吸う。気道に水が詰まって呼吸ができない。むせる。
やっとの思いで、川の岸辺へ辿り着いた。
数分間、気道の水分と格闘してから状況の確認をする。
何事も状況の確認が大切なのだ、時間とともに全ての情報は流転する。
とりあえず、満身創痍だけれど生きてはいるな。
骨折もしていない、内出血や打撲と擦り傷や切り傷は数えられないほどあるが。
顔を上げて周囲を確かめるが、見覚えのある景色は確認できない。
随分流されてきたようだ。
流水に浸された柔肌は、トカゲの腹部と遜色無いほどにひんやりとしていた。
ボロ布の服も、たっぷりと流水を吸っていて異様に重い。
まずは体温を上げなければ。
濡れた髪や服は乾かさないと、低体温症になってしまう。
それから。それから、栄養と水分を取らなければ。
幸いここは川だ、水は腐るほどある。
だが、いくら澄んでいてもこれは真水ではない。そのまま飲めば腹を下すだろう。
体力も衰弱して免疫が停滞しているし、流水の細菌でも命に関わるだろう。
沸騰させなければ、飲めたものではない。火を起こさなければ。
それと熱をよく通す、水の入りそうなモノがあればベストだな。
そんな人工物が都合よくあれば苦労は無い……。
周囲には人工物は無い、大木と、木漏れ日と、岩と、砂と、流水だけ。
まずは、乾いた木材を手に入れなければ。
生木では駄目だ。芯まで乾燥した枝なんかがいい。
周囲に大量の木が生えている。風や嵐なんかで折れた枝や、散った葉は燃料になる。
まだ枝木にくっついている葉は水分が多い、燃料にはならない。
燃えやすく、大量にある落ち葉を拾って燃やそう。
落ち葉は木材よりも燃焼時間が短い分、着火速度が速い。
集めてもよほど余ることは無いだろう。これは後回しでいい。
乾燥した木材を探そう。
小振りな枝はそこそこ落ちているが、全部集めても大した時間燃え続けないだろう。
どこかにデカくて燃えやすい、乾燥した木材があるかもしれない。
すこし、周囲を散策してみるか。
あぁ、体がだるい。
骨が軋む、肌に張り付くボロ布が湿っていて、重いし、寒いし、最悪だ。
行動力を服に吸われるのは、服としての意味そのものが本末転倒だ。
疲れた。喉が砂みたいに乾いているし、胃に穴が開きそうなくらい空腹だ。体力も気力も限界を既に越している。
だが、不思議と危機感は感じない。
なぜだ。
生きる上で、一番大切な恐怖心を失いかけているという事。
それが最後の通告を意味していた。もう後は無い。
とにかく生き残るために、もう手段は選んでいられない。
水を吸ったボロ布を脱いで干しておこう。
日当たりのいい岩の上に、なるべく広げて置いておけば乾くだろう。
本当は手で絞った方がいいのだけれど、そんな握力も体力も無いのだ。
全裸になった分、比較的動きやすくなった。重みが無くなった分、人の尊厳も失っただろうな。
どうせここに文化圏は無いのだ、だから別に恥ずかしがる必要も無いし、その余裕もない。
日照りが良くて本当に良かった、服は乾くし体温は上がる。
風も少ない、肌を露出しても寒くないのだから、無風なのだろうか。
どちらにせよ、長時間全裸だと体温が削れていく。濡れているよりはマシだが。
今は行動力を優先しなければならない。
夜になれば様々な行動が制限される。
サバイバルにおいて、初日は時間との勝負なのだ。そう、別に露出癖のある変態では無いのだ。
誰も見てないし……。
露出癖のある人間は、見られるかもしれないというリスクに性的興奮を覚えているのであって、誰もいないここではそれは有り得ないのだ。
そんな言い訳をしている場合ではない……。
ああ、脳みそもおかしくなってきた。
情緒が不安定すぎるぞ。
とりあえず、濡れた体を落ち葉で拭いておこう。
文明人なら汚いだの、不清潔だの言ってやめるだろうが、虫と土汚れに不快感を持てるほどの社会性は今必要ではない。
湿っていない落ち葉を使って、ある程度の雫を拭き取る。
さあ、木材を取りに行こう。食べ物は川にある、川魚だ。
川魚を取る道具がない。手で取らなければならない。川に直で入れば濡れるのは必然。
だから火が必要なんだ。
調理と、暖を取れる。
だからまずは木材だ。頭に回す栄養はカットだ。
枝を拾う。
枝を拾う。
一か所にまとめる。
枝を拾う。
持ちにくい枝を拾う。
まとめた場所に枝を投げる。それを5往復程度した頃だろうか。
この行為の、重大な欠陥を発見してしまった。
私は火を起こしたことがない。
そりゃあ知識では知っているけど……。そもそも記憶喪失なんだからやった記憶がないのは当たり前なのだ。
でも、なんだかできる気がしたんだよ。
どっちにしろ火が起こせなければ、飯も食えなくて凍えて死ぬんだ。やるだけやるしかない。
なるべくまっすぐで太過ぎない枝と、大きめの枯れ木を持ってきて組み合わせる。
枯れ木を尖った石で削る。直径2㎝程度のへこみを作る。
その枯れ木のくぼみに、尖った石で削った木屑を入れる。
真っすぐの枝の先端を、枯れ木のくぼみに差し込み枝を回す。
これはキリモミ式と呼ばれる着火方法だ。
摩擦で着火させる方法なのだが、よほど熟練していなければまず火は付かない。
まず脇を絞め、くぼみに枝を押し付けて思いっ切り擦る。
擦りながら、手が上から下にスライドし切ったら、もう一度上から下に。
数十回やると手の皮が剥がれてくる。ヒリヒリ痛い。
痛みに負けじと、擦る力をさらに込める。
折れないように、細心の注意で力を込めつつ最大の力で擦る。
二十分ほど擦り続けた頃だったろうか。枝の先端と枯れ木のくぼみから、白い煙が立ち上り始めた。
よし!よしよしよし!
ボロボロになった手のひらから棒を放り出し、身を乗り出す。
火種が消えないようにしながら、必死で落ち葉をかき集める。
両手いっぱいの落ち葉に火種を落したら若干の空気の通り道を残しつつ、手で包む。
そこに息を吹き込む、直接ではなく少し距離を置いて、なるべく吹く息が散らないように集中させる。
両手に包んだ落ち葉から、白い煙がモクモクと立ち上る。
そこから、小さいながらも確かに燃えている炎が浮き上がる。
焦りながらそれを落ち葉の上に置き、あらかじめ折っておいた小枝を上からかぶせる。
成功。
後は簡単だ。
火を絶やさないよう、大きめの木で火を押しつぶさない様に、うまく骨組みを組んでいく。
小枝に火が移り、枝と木を燃やし始める。無風だったが、なんとか火は移ってくれた。
風があると消える心配があるが、程よい風なら空気を炎まで送り込んでくれるので、時には重宝するのだ。
ぱちぱちと火が爆ぜる。
落ち葉は木に比べて、水分量が高いのだろうか、煙は絶えることなく立ち上っている。
程よい火の大きさになってきた。炎を見つめていると、心なしか少し安心する。
やっと取れた心の休息に安堵する。
不定形な炎が揺れ、私を照らし、温めてくれる。
野ざらしの肌に炎は、少し熱い。
そうだ、飲み水をつくらなきゃ。
火は起こした、後は水を沸騰させて飲める水を作る。
何か、水を入れる入れ物を探さなければならない。が、都合よく金属の器があるとは限らない。
だから、焚火の中に川で軽く洗った石を3つ程ぶち込んでおく。
これを何に使うと言うと、器に入れた水の中に、熱々になった石をぶち込むのだ。
すると100°には至らないものの、水は雑菌を殺す程度の温度に上昇する。
金属の器でなくても飲み水が作れるという訳だ。
昔の人はやはり発想力というか、モノの視点のスケールが違う。
あのボロ布は乾いているだろうか。
生地を触ると、べちゃべちゃに濡れていた。
仕方が無いので、焚火の近くの木の枝に吊るして日光と炎で乾かすことにした。
水の入る何かを探しに、周囲を散策する。
足の裏と手のひらがすりむけているのか、豆が潰れているのか。少し歩くと、空気や土が傷口に染みる。
歩きながら、神殿であったことを思い出す。
一体あの儀式は何だったのだろうか。
あいつら修道服――、聖職者だろうか、枢機卿か?
なんてな。
どちらにせよ宗教系信仰者の、なんらかの組織による儀式か何かに、巻き込まれたって言うのが大筋だろう。
問題は。
――そう問題はあいつらが使っていた謎の術だ。
氷の槍、稲妻、どちらも詠唱?によって作られていた。
非科学的で常識的じゃない光景は、まさしく寓話やフィクションにしか存在しない荒唐無稽なものだった。
魔法か?存在するはずがない
神に。死なないもう一人の自分。
それから魔法と。埋め込まれた短剣。
あれはいったい何だったんだ。
胸を撫でる、傷一つない表面には全く刃物が埋め込まれた跡は見えない。
理解できないことが多すぎる。
運良く助かったが、途中で乱入してきた集団は何だったのだろうか。
奴らが聖職者だとすると、他の宗教の信者とか敵対する組織だろうか。
よくわからない、知らないことが多すぎる。
一回起きたことを整理しよう。
まず、神が私をこの世界に転生させた。
次に、短剣を埋め込まれた。
おそらく、予定や予測された現象じゃなかったようだ。それは憶測だが。
次に抗争が起きた。よくわからない魔法の様な何かで戦っていた。
その後、滝に落ちた。
で、生きてる。
まず大前提として、地球には魔法は無い。その現象も、語られるべきはフィクションで、リアリティーなんて毛ほども無いのだ。
まるでファンタジー世界だ、ありもしない物が存在しすぎている。
脳が理解を拒んでいる。
予想外のことには、経験は役に立たないのだ。
歩を進める。
迷わない様に川下へと歩く。
入れ物なんて都合よくある訳ない。
探すんなら運よく野垂れ死んだ人間の遺品とか。ファンタジーなら冒険者かな。
いいだろう、ファンタジー前提でこの世を考えてやるよ。
冒険者なら、野営する最低限の装備くらい持っているだろ。
探すだけ探す。
飲み水が確保できなかったら川魚でも捕まえて、焼いて食うさ。
「んぁ?」
何か落ちている。骨だ。
これは、何だろう動物の骨だろうか。
骨が五つに枝分かれしている。
人間の手の骨は見たことがないが。
多分これは人の手の骨だろうと容易に想像できる
拾い上げると、繋がっていた関節から骨がポロポロと落ちた。
まともな精神状態だったら、驚いて飛び退くくらいはしたかもしれないが、もう殺した死んだには慣れてしまって、反応することもおっくうに感じられる。
いや、慣れたというよりも麻痺している、といったほうが正しいかも。
目の前には、胸ぐらいの高さがある岩。
大きな岩の裏にまわると、倒れた状態で骨と骨が繋がった形の白骨死体があった。
ボロボロの布切れと、状態のいい防具が残っていた。
特に驚きは無い。
どうやらこの世界は、死体も血も暴力も、日常茶飯事らしいから。
だが、何とも言えない気分になった。悲しみとも、哀れみとも違う。
奇妙な感覚。
この慣れの果ての生前が、どんな人生を歩んだかなんて一切知らない。
何故死んだのかなんて、一切わからない。
だが、きっとその最期は、誰にも看取られることは無かっただろう。
死体が白骨化する程の年月。だいたい七年から八年間も野ざらしで放置されていたんだ。
土葬も火葬もされずに、ここに放置されていたのだろう。……少し吐き気がする。
下ばかり向いていたら、気分に陰りが出るばかりだ。
頭を上げると、木と木の間に括りつけられている乾いたクラゲを何重にも引き裂いたような、赤いボロ布が張ってある。
死角になっていて、回り込まなければ気が付かなかった。
ボロ布を手で払う。
またしても引き裂かれたか乾いた海藻の様なボロ布、こっちは地面に敷かれている。
「センスのいいウェルカムマットだな」
誰も聞いていない冗談が、木漏れ日の中に寂しく消える。
そのマットの上へ、大きめのバッグと、少し歪んだ鍋と、鞘に納まった剣が鎮座していた。
まさしく、ファンタジーだな。
都合よく、実に都合よく鍋まである。
嫌な事尽くしの毎日だが、たまにはいいこともあるじゃないか。
「ふう」
ホッとしたら、脚から力が抜けた。脚が生まれたての小鹿の様に震える。生後1時間ってところだ。
視界の端にちらつく剣を一瞥し、剣に手を伸ばす。
西洋剣じゃないな。すらり、と鞘から刀身を引き抜き、劣化や歪みは無いか確認する。
直刀ではなく曲刀、だが癖のある曲がり方ではなく、より芸術的な曲線。
「これは……」
日本刀じゃないか。反りと鍔があるのが特徴的だ。
鍔と留め金は金属製で、鞘も柄も黒一色だ。
流石に、持ち手の柄は皮か布製なのか、劣化しているが使えないことは無い。
光を反射して妖しく光る刀身に、吸い込まれそうになる。
切っ先から鍔まで走る妖艶さは、魅了されてしまうほどの美しさを持ってた。
「おっと……」
こんなことをしている場合ではない。日本刀にロマンを馳せる前にさっさと水分を取らないと。
ずっと前から、のどが砂みたいにカラカラだ。
ひしゃげた鍋を手に取り、骸の根城を後にする。
少しばかり余裕が出たからか、骸にハンドサインを送って篝火に戻った。
土埃だらけのひしゃげた鍋を川で洗い、それから澄んだ水を掬う。
焚火にぶち込んで後は待つ。
鍋の外面の水滴が一気に蒸発し、火の勢いが弱まる。
あー!
急いで鍋の取っ手を掴んで引き寄せる。
あ、あぶないあぶない。
これが消えたら命の危機だ。
薪にした枝を、消えない程度に篝火に突っ込と、数十秒したらなんとか持ち直してくれた。
ふぅ。
今度は慎重に置こう。沸騰の吹きこぼれで消えなきゃあいいけど……。
水の温度が沸点に達するまで胡坐をかいて待つ。
暇だ。暇なのは良いことだ。
どうせ数分後にはまた忙しくな。る
労働の火照りと喉の渇きが、ピークに達する。
早くしてくれ……。
熱湯を冷ます時間も入れると、当分飲み水にはありつけそうにない。
鍋の中に閉じ込められた水が、沸き踊りだす。最初は粒の様だった沸騰が、波のように不規則に湧き上がる。
もういいよな?もういいよな?
焚火から鍋を取り出し、岩の上に置いて冷ましておこう。
さて―――。
次は食料だな。
「残業代は出るのかねェ」
悪態をつきながら、川に脛まで浸かって素手で魚取りをしている。
目で認識する瞬間まで、姿を現さない魚を苦労して見つけたら、太陽の方向に注意する。
私の影が、魚の直下に被ると、一目散に逃げられてしまう。今さっきそれで一匹逃した。
気づかれなくても、またしても一苦労が待っている。魚の体はぬめりがあって、素手でただ掴むだけじゃ捕まえられない。
魚に逃げられない様に、親指を魚の口に突っ込むと同時に人差し指と中指をエラに差し込む。
それを一呼吸の内に、正確に。気取られることなくできなきゃいけないんだから、重労働だ。
五匹中三匹は逃がした。が、二匹は捕まえた。
素人にしては上出来、これもビギナーズラックというやつだ。
生き物に都合よく、エラに穴なんて開いてるわけない。指で力いっぱい掴むが、うまく握れなかったり、エラが硬かったり、暴れて逃げられたり。そう思い通りにはいかないものだ。
とは言え幸運だ、疲弊しきっているのに、これだけ動けるのは脳内物質が一役買っているのだろう。
魚二匹を捕らえた訳だが、よく考えたら入れ物が無い。
鍋は冷ましている熱湯で一杯だし、地面に素置きして汚れるのもいただけない。
しょうがないので最後の策である。人道的にも倫理的にも絶対にしてはいけないことだが、生きるという、生命にとって最大目標である行動を、妨げることは出来ない。
無念の中、果てたであろう元人間の骸骨を覚えているだろうか。その骸から、頭蓋骨を頸椎から引き剥がし、顎を引きちぎって、川の水で内部を洗う。
元は目玉が収まっていたであろう二つの穴に、ちょうどいい大きさの丸い石を差し込んで簡易的に埋める。
そこに魚二匹をぶち込めば、即席の非人道的な特性魚籠の完成である。生きるためだ、許せ。
というか正直、人の頭蓋骨を洗って入れ物にするとか、普通の神経じゃ考えられない。
うーん。
ここは、脳内物質の異常分泌のせいにしておこう。
うん。
魚取りに使った体力、もとい濡れた手足と跳ねた水滴のせいでまた体温が下がっている。
再度、焚火で体を放射熱で温めるのだ。
ああ、ヤバい。凍えそうだ。
あのボロ布。干しておいたじゃないか、流石に乾いてるだろう。
触ると、完全ではないが、一応乾きはしてる。
それと枝から抜き取って体と髪の先端を軽く拭く。
随分と長い間川に流されていた髪は、ギシギシと音を立てそうな勢いで痛んでいた。
髪が長いってのも、随分と面倒なんだな。手入れが必要だし、なにより邪魔だ。女の子も意外と苦労していたんだなぁ……。
全身拭き終えたら、またビショビショのボロ布と化したので、また干しておいた。
いつまでたっても全裸だと、流石に体がこたえる。
予想以上に服ってやつは防御力が高いんだな、環境から。
体毛の代わりに、他生物の毛皮と糸と人類の知恵を獲得した祖先は、たぶん天才だな。
まあ、その人類の知恵の結晶も、今は着用できない訳だが。
骸骨の所にも服はあったが、劣化し過ぎて繊維が絡まっているだけのボロ屑だ。干乾びたクラゲみたいな布。体に巻き付けても、少し動けば引き裂けてしまうだろう。
そういえば骸骨は防具をつけていた。お世辞にも西洋騎士の様なフルメタルプレートじゃあ無いが。
胸当てと腰当でも、着ればいくらかマシになるだろう。
放置してあった、ぬるめにしては熱い水を一口飲む。防具とバッグと、一応剣も回収しておこう。
水、いやお湯を飲むと、久しぶりの水分で喉が少し痛い。
何日ぶりの水だろうか。脳天から脊髄まで熱々に熱した鉄棒で貫かれた様な感覚に陥って、脳内物質に溺れる。
死体へ向かう。
骸骨から鎧を引っぺがすときに、状態の良かった骸骨を滅茶苦茶にしてしまった。
バッグも剣も結構重かった。それに加えて胃と背中がくっつきそうなくらい空腹だってのに、こんな大仕事をしたのが馬鹿だった。
後悔の中で鍋を引っ掴み、溺れるように水を食らう。
髑髏に入れた哀れな魚どもには、磔と火炙りの刑に処す。尻尾から背骨に沿って鋭い小枝を差し込み、篝火にかざす。塩は無いが、これが世に言う焼き魚だ。
贖罪の調理方法も、人間に置き換えるとなかなか残酷だな。それに愉悦は感じないが。
尻尾が炭になった頃、やっと中まで火が通った。やはりカロリーのあるものはうまい。
一、二分もせずに、焼き魚二匹を平らげてしまった。
気づくと辺りは夕焼けだ、もう一刻もしたら暗闇に落ちるだろう。
そういえば、骸の宿にあった荷物の中身を見ていなかったな。日が落ちて見えなくなる前に確認してしまおう。
頑丈な作りのカバンを引っ張り出す。ベルトループで頑丈に封されたカバンの口を開き、中身を取り出した。瓶や、缶や、紐や、手帳や、箱なんかが入っていた。
人の文明、とりわけ衣食住が確立されている村や町の情報なんかを収集するのに役立ちそうなものばかりだ。
小瓶八つに、謎の文字が印字された銀の缶、鞘付きの使い古されたナイフに、革の表紙の手帳、ランタン、万年筆に、空になったインク瓶、リボンで包装してある薄い箱。
その中の一つを手に取る。謎の文字が刻まれた缶。
ぐるぐると回して何か読める文字が無いか探す。が、徒労に終わる。
パッケージの文字は少なくとも日本語ではないようだが……。
英語とも、ロシア語とも、中国語とも違う。流石に外国語は読めはしないが、何語かぐらいはわかる。だが、印字された文字はまったくの初見だった。
首をかしげても、読めないものは読めない。諦めて次に行くことにする。
大型ナイフを手に取る。この中では比較的状態がいい。黒い刀身が夕日に照らされて妖しく光る。両刃で軽い、これは使えそうだ。
次だ。手帳を手に取り、パラパラと数枚めくってみる。
インク汚れが付着している。一見すると落書きの様に見えるが、よく見ると文字だった。
う~ん読めない。
仕方ない、次だ。
コルクで栓された小瓶を手に取る。栓を抜き、小口に鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。
腐っている。透明だし、水だろう。少し舐める。
「おぇ」
やっぱり腐っていた……。
他の瓶の中身も改めたが、全て腐っていた。調味料か何かだったんだろう。
他の小瓶よりも、厳重に栓止めされている小瓶を見つけた。針金で小口とコルク周りを縛ってあり、中身の液体は琥珀色だった。不純物も少し混ざっているのか、濁っている。
針金をほどく、コルクをひねり、琥珀液と対面する。
臭いは……無臭だ。しかし、何だこれは。
劇薬か?コルクが溶けていない以上、硝酸とか溶解系の薬ではないようだが。
おそらく薬か毒薬だろう。薬にしては粘り気が無い、さらりとした溶液。
う~む謎だ。
地面に少し垂らしてみる。
…。
特に変化は無い。
手帳にかけてみると、背表紙が濡れた。
……。
また、特に変化は無い。お手上げだ。
もういい、寝よう。
今日は疲れた。
最後に残った包装された箱を開いて、寝ることにした。
十字に結ばれたリボンを適当にほどき、紙の包装を破く。箱を開くと、布だろうか、綺麗に畳まれた布は、服の様だ。
ワンピース型のドレスで、裾にはフリルがあしらってある。どうやら女性用の衣服だ。
……?
持ち主は、骨格からして男のはずだが。
女装趣味でもあったのだろうか、保存状態は良く、何年も放置された様には見えないほどである。
手触りも良く、その純白のドレスを着てみると、少し小さいが、ぴったりとフィットした。
はは。この時ばかりは自分が女の体であってよかったと思う。
男の体じゃあサイズも合わないうえに、滑稽な姿になっていただろうからな。使えるものは使う。
日はとっくに落ちて、このままじゃあ低体温症で死んでいた所だ。死ぬよりはプライドを捨てるほうがマシだ。
死ぬよりひどい目なんてそうそうない。死の恐怖は、ついぞ人間の進歩では打破できなかった領域だ。人間はできるだけ死のリスクを恐れ回避しようとする。
なんて考えていたら、だんだんと眠気のまどろみが襲う。
瞼が重くなり、感覚が遠のき、ぼんやりとしてくる。
地面がごつごつとして、冷たい。
木々のざわめきを聞きながら、私は眠りについた。