隷属する我が肉体
鼓膜が地面からの振動で震え、音が聞こえる。
小鳥のさえずり、車輪の音、金属が擦れる音。私の音。
鼓動の音、呼吸の音、それらすべてが振動となり、この世界の全てを作り出す。
金属と木造の扉が、自身の重みによって唸る。
鎖が引っ張られ、私も引っ張られる。
ぞろぞろと死体たちが隊列をなす。
そして、私も並ぶ。
かつてないほどの一体感を感じる。
単一の個体を維持しながら、集合体の生物へと。
歩き出す。どこに向かうのだろうか。
うなだれているからだろう、自分の足首以外見えない。
足の裏の感覚が変わった。
石と草と土の、あたたかな地面から。冷たく、つるつるとした石の地面に変わった。
裸足には、その冷たさが痛さにも感じられる。
周囲は、嫌に静かだった。布の擦れる音ばかりが聞こえる。
手前の人間の背中に、頭が当たる。どうやら止まったようだった。
頭を上げるが、私は景色を見ようとしなかった。
現実がぼやけている。
それが何が原因なのか、考えようともしなかった。
手首が少し痛い。手枷と肌が擦れて赤くなっている。ああ、それにしても寒い。
列を先導していた男が、何かを言う。
耳では聞こえているのに、頭が認識しようとしない。
それでいい。
別に聞かなくたって、この列に付いて行くだけでいい気がした。
中央には、長方形の台座が鎮座していた。人が一人、寝れるほどの広さ。
順番に、列の先頭が台座に寝かされているようだ。
白い修道服の二人組が、台座を覗き込んでいる。
まるで手術中の様に見えた。それもそのはず、上座の白い修道服の手には、ひどく無機質な短剣が握られていた。
儀礼的というか、およそ何かを切る為に作られたとは、一目見ただけでは信じられない程の。そんなチープさだった。
一体何をする気だろうか。宗教儀式のおままごとだろうか。あほらしい。付き合いきれるか。
私は一刻も早く無になりたいんだ。消え去りたいんだ。考えていたくないんだ。
赤い光。台座から、いや寝かされた肉体から閃光が漏れる。
血管のように、赤い光が蠢く。光が這い廻り、昆虫の捕食の様にも見える。
苦悶の表情をあげている。初めて無表情な亡者たちの人間らしい表情を見た。
徐々に発光が収まり始め、苦悶の表情から安堵の表情に変わる。
なんだこれ。化学反応?何かの演出か?
経験の無い光景にたじろいだが。頭を横に振って、考えないようにする。
好奇心よりも、倦怠感の方が上回ったら、途端にどうでもよくなる。
神は怠惰を嫌います。思考こそが神が与えた恩赦なのです。
必死に考えないようにしていたが、どうやら我慢の限界だ。ああ、くそ。
では、神があんなにも素晴らしいのかについて考えましょう。
それは、私たちをお救いになるからです。
この苦痛だらけの現実から、救い出さしてくれる、唯一絶対の救世主なのです。
私達の人生について、三つ確かなことがあります。
私達は、いつかこの世を去ります。
『人間には一度死ぬことによって死後に裁きを受けることが定まっているように』(へブル人への手紙 9章27節)
私達は、いつこの世を去るかわかりません。
『明日の事を誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ』(箴言 27章1節)
私達は、死後には永遠の世界に入ります。
『この人たちは永遠の地獄に落ち、正しい人たちは永遠の天国に昇るのです』(マタイの福音書 25章46節)
では、救いへの道とはどのようなものなのでしょうか。
そう、神が最初に創造された人は、罪が無く、神と交わりながら生きてきました。
『神は愛だからなのです』(ヨハネの手紙第一 4章8節)
人は自分の力で救われることができません。
『救われるために何をしなければいけませんか』(使徒の働き 16章30節)
『人は……、行いによって義と認められる者は一人もいないからです』(ガラテヤ人への手紙 2章18節)
『すべてを。疲れた人、重荷を背負っている人は私のところに来なさい。私があなた方を休ませてあげます』(マタイの福音書 11章28節)
神は、すべてを救ってくださるのです。
大いなる神に祈りを捧げて、ひとつになりましょう。
こぶしを開いて、両手を指と指の間に這わせる。これがスタンダードな祈祷の所作なのです。
右手は私、左手は神です。それを額に近づけて、私の穢れを祓います。
すると、それは救いになります。
修道服の一人が近づいて来ました。
顔については、目元まですっぽり隠れていて、いかにも修道服な帽子を被っております。
「敬虔な信徒よォ、お前は一体何に祈っているんだ?ブフッ、まさか奴隷の神かぁ?うン?」
彼が聞きます、なので私は答えます。
「それは、唯一絶対の救済をお与えくださる神様です」
修道服はその答えに満足したようです。口元を歪めて私の腕を引っ張ります。
「アッハッ!!!ハレルヤァ!いいねェ!君はとてもとてもラッキーだ!神に愛されていると言ってもいい!今後の奴隷人生にその信仰に相応しい鎖をお前に進呈しようじゃないかッ!全ては神の御導きなのですァ!さあ!諸君も祈るのですゥ!親愛なる神の心である鞭を受け罰を受け入れるのですゥッ!!」
彼は、次々と列の一人一人に鞭を浴びせます。
私も罰の償いを受けました、背中に受けた鞭の衝撃は、ヒリヒリして少し熱を持ちます。
どうやら彼も大いなる神の信徒だったようです。その腕力からは、ナイフかフォークしか握った経験がないようなか細いものでしたが、私には思慮深く力強く思えました。
「来いッ!この豚が!!」
無理に引っ張られます、少し痛いです。
台座の前まで牽引してもらいました、台座にはまだ誰かが寝ています。
誰かの胸元にはナイフによる裂傷は見ることができず、代わりに赤い刺青の様な物が刻み込まれていました。
奇妙なものです。これが最近の神への、祈りの儀式なのでしょうか。
寝かされた誰かは、奥の部屋からやって来た。ふくよかな修道服と身長の低い修道服に運び出されて行きました。
よく見ると台座には人型のくぼみがあって、そこに寝るようです。
私は、すこし横を向いて寝ました。
すると荷車に乗っていた、美しい女性と目が合いました。
彼女は哀しそうな同情するような、それでいて切り捨てるような瞳をしていました。
私はその瞳を、吸い込まれるように見つめ返しました。
先ほどまで修道服は何かの準備をしていましたが、終わったようです。
おもちゃのナイフを携えて、私の視界を遮ります。
私はナイフを見ます。よく見ると、骨の様にも、石の様にも見えます。
形状は簡素で、宝石や金属の装飾は一切付いていないのでした。
その無骨さは、離れて見ていた時よりも何十倍も鋭く、今にも私を刺し殺しそうです。
少し憧れます、私もこの短剣の様に付属的装飾ではなく、その在り方だけで、充分であると。認められるようなそんな人生が。
ですが、私はもう少しで神に救われるのです、この地獄で贖罪を終えれば必ず救われるのです。
少し怖いですが、私の心の中に巣食う信仰心で満ち足りています。
鼻先がかゆい。
指を動かそうとしたけれど、根が張ったように腕が動かない。
「ねぇ、とっても鼻が痒いんです。どうにかしてくれませんか?」
修道服は私を一瞥して、短剣を振りかぶる。
そんな短剣を、逆手持ちで振り下ろしたら危ないでしょう。
やめてください、怖いです。
本気で振り下ろす気でしょうか?
冗談ですか?
怖いです。死ぬのですか?死ぬのは嫌だ。まだ死にたくない。せめて死に場所くらい選びたい。
「かっ、勘弁してっ……」
精一杯の愛想笑いを、修道服に送ったが。
「アッハァ!俺は勘弁はしたことはねェなァ!!」
彼は思い切り、短剣を振り下ろして来ました。
ああ、あああ。
映像がコマ送りになる。
鼓動がゆっくりになる。
頭がだんだんマヒしてきて、神に祈りを捧げたくなる。
ゆっくりと、白い短剣が私の皮膚を破り、肉を割き始める。
ドクン、と
その鼓動を合図に、全身が沸騰する。
同時に、突き立てられた短剣の接着部から。閃光――ドス黒い血の様な光が、拒否反応のように辺りを照らす。
これは比喩でも何でもない、文字通り私の血液が沸騰している。
「――――――――――ッ」
悲鳴が声にならないほどの激痛。
動かない体を必死に動かそうと、痛みから逃げようと、体が跳ねる。
ズブズブと短剣が私の皮膚を通過し、脂肪を通過し、筋肉を通過し、肺を通過し、心臓に到達する。
「オイ、なんかおかしいぞッこいつの反応普通じゃない!この光はなんだッ!?ヤバいぞ中止しろ!――オイ!聞いてるのか!!」
太った修道服が、嫌味な修道服に怒鳴り散らす。
「ッわかってる!今抜こうとしてんのによォ!引ッ張られるみてェになッて抜けねェンだよォ!!!」
「馬鹿ッ!今すぐに手を放せ!!」
「やってンだよ!!でも手が離れねェ!!どォすんだよォ!!手が熱ィンだよォ!!死ぬほど熱いんだよォ!焼けてるみてェに熱いんだよォ!!!」
修道服の腕から、浮き出た血管から血液が膨張して、歪な噴水の様に血が噴き出る。
「ヤベェ……。ヒヒ、俺ぁ死ぬかも……」
修道服は白目をむいて倒れた。
短剣を握る手が弱まり、刺す力もないのに関わらず、私の胸に吸い込まれる。
「大丈夫かっ!?オイ起きろよ、オイ!」
瞬間に。
私の中で沸騰していた光が、台座を這い、地面を這い、一気に放出された。
台座が崩れる、地面に亀裂がはしり、崩壊が始まる。白桃色の世界が歪む。
阿鼻叫喚の中で、感情が戻り。笑みがこぼれる。
こんな状況なのに。窓の外で遊ぶ子供を見ているような、慈愛に満たされていた。
さっきまでと打って変わって体が軽い。心もいつの間にか、軽快になっていた。
何でもできそうな気分だ……。
耳鳴りがする。今すぐにここを出よう。
嫌な予感は見事に的中した。
「スムテ・ォアニン・オァリンイニェ・イトア!」
くぐもった謎の詠唱は、壁の向こうから神殿内を響かせるほどの声量で発せられた。
爆音。
白桃色の壁が爆散した。
四散した壁の穴から、ゾロゾロと。奇妙な長い棒を持った連中が顔を出してくる。
「まさかっ……ここがバレたのか……?」
壁から先陣を切った男が、杖を掲げ叫ぶ。
「フォ・ネール・デ・ピァシクェル!」
奇妙な棒が振動したかと思うと、大気中の水分が収束し、急速に凍結し、氷の槍を放つ。
とっさに頭を守り、屈む。
殺される。
どうやら状況は、相当に滅茶苦茶になってきている様だ。
逃げないといけない。
「畜生ッ!敵襲だ!動ける奴から迎撃に入れ!!各員、聖骸術で反撃しろ!」
「神の信徒に歯向かう猿共が!神の導きを教えてやるァ!!!」
「クソッタレェ!求道者たる我らに仇なす者達を神雷で打ち払えッ!創世の楔よッ!」
爆発、衝撃、粉砕。その応酬の繰り返し。空気を切り裂く破裂音で、鼓膜の奥が痛くなる
必死に体を起こして全力疾走する。
こんな奇怪な集団の抗争で死んでたまるか。
「トゥ・アンクル・リラ・フュリ・アレス!」
状況は分かっていない、やることはわかってる。
全力で走って外に出て、逃げる。
「迷い無き信仰を我が手に!戒めの鎖となりて不浄を粉砕せよ!!」
迷っている暇はとうに無い。迷いは後からぐだぐだと考える。
「あぁ、次から次へとドンパチやりやがって。徒競走の合図にしちゃあ派手すぎないか」
自嘲的な独り言も、今や無意味だ。走り出す、思えば走ってばかりだな。
崩れたガレキと、ひび割れが、裸足に突き刺さって死ぬほど痛い。破傷風になっちまうぞ。
出口へ一直線に突き進む。肺が痛い。
出口から、修道服の増援が大量に押し寄せて、行く手を阻む。
リスキーだが、このまま突っ切って脱出するしかない!
「イル・ステュ・ウィリン・デル・イトア!」
崩壊と爆裂。内側から、破裂するように爆発四散する。
出口は崩壊し、ガレキの山と化す。
爆風と破片から体を守ろうと、反射的に頭を右手でで守る
当然、そんなことで爆風は防げるはずもなく。体ごと吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。
何とか受け身が成功した。が、ダメージは計り知れない。良くて全身打撲に、裂傷に、内出血だろうか。
「あぁっ!なんだよくそっ!!」
爆裂した神殿の破片で塞がれてしまった、とても人間一人が通る隙間は空いていない。
プランBだ。違う出口を探すしかない。
兵国感覚も無く、耳鳴りの中で、体を起こしながら無理やり走り出す。足が重い、鉛の様だ。
意識が朦朧として来やがった。
「ラ・ドゥ・フェ・ファルタウス!」
氷だか、雷だか、炎だか、爆発だかの応酬で。神殿の倒壊は秒読みであることくらい、建築物に詳しくない私にもわかる。
出入口は封鎖された。突入して来た大道芸人が破壊して開けた穴は、集中砲火で危険すぎる。
奴らは光の膜みたいなもので、修道服からの攻撃を防いでいる。が、私にそんな器用な特技は無い。
何かないか、脱出方法は!
割れた天井、塞がれた出口、蹂躙されている修道服、恐怖に怯える亡者、とても登れそうにない高さの窓、四散したガレキ。
どうする、何か考えろ!こんなところで死にたくない!
必死に周囲に視線を配る。
発想を逆転させるんだ。
あいつらは壁を爆発させて入ってきた、出入口は爆発で塞がった。爆発は壁を壊すほどの威力だ。
なら、そいつを利用してやればいい。
どうやって撃たせる?それは決まってる。修道服どものフリをすればいい。だが、私は修道服を着てない。
じゃあ、一体どうする。
敵に敵と誤認させる方法は、この緊迫した混乱の中で考え付くのは!
ああくそ、やるしかないのか。
大きく息を吸い込む、膨らみ切った肺がジクジクと痛む。
「聞け!!!神の救いの手を払い除けた悪魔ども!!!!聖骸術の秘術にして史上最大の神の威光をその身でもって示すがいい!」
聞きなれない単語をなんとか繋げると、集団の一人が、大きな杖をこちらに向けて振り向いた。続けざま叫ぶ。
「我は絶対の神なる十八の柱の一角!!血の契約、魂の盟約!破滅の円環を奈落へ永久に示せ!!我が最大聖骸術をっ!貴様らを打ち破る楔と化せェっ!!!!!」
こっちを見て、悪魔は杖を振り抜く。
「イニェイル・スムテ・フェリラ・バル・イトア!!!」
馬鹿が乗って来やがったぁ!間抜けが!こいつを避ければいい!避けるんだ!
──どうやって避けよう。
ああ……。
避けるところまで、考えてなかった。
「だあああっ!!!」
その場に飛び伏せて対爆姿勢を取り、耳を両手で塞いで口を開ける。
すぐそばの壁に、着弾した。爆風で紙のように壁が吹き飛ぶ。
耳鳴りがする、頭の奥が重い。
景色が、白黒になる。ぽっかり空いた穴に、視界が吸い込まれる。
壁と共に地面も崩れ、体がガレキと共に重力で転がり始める。
そうか、私は倒壊して傾斜した床を滑っているのか。床を滑り、加速する。
そりゃあ、あれだけの大爆発があれば、地面くらい崩れるよなぁ。
「ちょっとこれは、マジでヤバいんじゃないかぁぁあぁ!」
滑り落ちる途中、眼下に広がるのは絶壁の崖。
なんで崖に建てるんだよ!!!!予想しとけよこういう事態をぉ!!!
「あああああああああ!」
崖際でギリギリの飛翔を見せるが、対岸には到底届かない。
吸い込まれる。こうなったら空だって飛んでやるよ。
落ちる。落下する。加速していく。
絶対に死んだ。
もうこれは疑いようもなく死んだ。
落下地点から50mほどあるだろうか、地面の反射で太陽の光が目に刺さる。
はぁ?いやいや地面は反射しないだろ。
ってことは。
水か!
早とちりしていた、これは崖じゃなく滝!!
まだ、助かるかもしれない……。希望ゼロよりかは、いくらかマシだ。
高所からの着水の衝撃は、殆どコンクリートにぶつかるのと同じらしい。
ああ、やっぱ死んだ……。
だってコンクリートだぜ、潰れて死ぬよなぁ普通。
ああくそ。
一応、死ぬ覚悟だけはしておこう。
下側から風が吹くなんて、なかなか無い経験ができてよかった。
最後に鬱屈を打破できてよかった。
死のうと思って生きるより、生きようと思て死ぬほうがスッキリできる。
くそったれ。ああ。
無理だ。
あああああああああああああああああああ!!
「怖いい!怖い怖い怖いいいいいい!!嫌だぁ!
誰か助けてくれぇっ!!ぶつかっ」
水没音と破裂音が聞こえ、意識が吹き飛んだ。