そう、あれが私の敬愛する神なのです
ぷかぷか浮かぶ、ふわふわ流れる、とろとろ溶ける。
細胞の一つ一つ、脳髄から手足のつま先の感覚が同期する。
幸せが心の隙間を満たし、悦に浸る。
無意識に瞬きをすると。
パキッ
と、空間に歪み。ガラス細工の様に、砕け散る。
浸食?
空間の亀裂から何かが這い出て。瞬間、闇が世界を覆い隠した。
『――聞け、この世界で誰よりも哀れな、全てを奪われし者よ』
頭の中で、唐突に声が響く、闇の中から。
優しく諭すような女性の声。
雄々しくたくましい男性の声。
弱弱しい少女の声。
生意気な少年の声。
年老いて嫌味な男性の声。
傲慢で嫉妬深い女性の声。
人生に絶望した青年の声。
恐怖の象徴たる悪魔の声。
調和と混沌の象徴たる神の声。
そして、私自身の声。
聞き取れた声は、ノイズにも等しく。理解するのに時間がかかった。
数十、数百、数千の声が、同じ言葉を私に語り掛ける。
多重に重なり合う振動が、私を鼓膜を震わせる。
『――ここに真理をを問おう』
その声に呼応するように、心は根源へ戻る。
全ての声が、頭の中で反響し、私を震わせ続ける。
脳は弛緩し、手足の末端まで、緊張が消え失せて行く。
『――神とは何か』
神とは何か、人類が生まれて一度は考える命題だ。
私が考えるに。神とは、神とはシステムに過ぎない。
信じる人によってその性質は姿を変えていく。
人間を超えた力。
宇宙の創造主。
絶対的存在。
非常にありがたい人やもの、それは超自然的な現象。
人間の姿であったり、死んで生き返った人間そのものであったり。
この世界そのもの、つまり宇宙が神であったり。
多数であったり唯一絶対であったり。
宗教の象徴としての偶像であったり。
神とは概念に過ぎず、数学の0や人間が認識する色と変わりのない、漠然としたものだ。
神とは共通認識を言語化するために作られ、その後利用され法則や金や信仰や言葉や思考に形を変える。
数学ではないのだから、決まった一つの答えが用意されている訳でも無い。
たくさんあって、何もない。
そう、答えは無い。
「答えなんて、最初から存在しない。お前の信じる神にでも聞けばいい『ああ神よ』と、『貴方は一体何ですか?』と、聡明な信仰の対象なら答えてくれるだろうよ」
こんな言葉遊びが、屁理屈が。私の矮小さを示しているようで苦しくなる。
私は何故いつもいつも、自分も傷付くような物言いをするのだろうか。
相手を否定しながら、自分自身も否定している。
『――では、更に問おう。神にとっての神とは何か』
不思議な事を聞く、そんなものはない。
協議において、神こそが救いだ。
神に救いは必要ではない、救う側は救われない。
神は人間を救うが、人間は神を救わない。
「神は、人間が信じる救済だ。神は人間では無い、だから神に救いは存在しない。故に神は救われない」
私は答える、この答えに嘘は無い。
「……」
待てよ。
私はなぜ、得体の知れぬ者に質問されている?
自然に答えていた故に、気づかない盲点。
明らかに状況がおかしい。
私は夢の中の様な浮遊感から、嫌に素直な答えを。
そうか。
これは夢だ。
なんだ夢か。
夢の中で、これこそが夢なのだと気づく瞬間は、なんとも言えない感覚だなぁ。
「問いに答えたんだ、私の疑問も答えてくれるよな?」
夢に向かって問いかける。
返答は、無い。
「……お前は何者で私に一体何の関係があるんだ?」
答えられるわけがない。これは夢だから。
亀裂から瘴気が漏れ、這出る。
私は闇を見据えた。
『――答えよう』
『――私はこの世界の〝神〟である』
『――唯一神であり、統合された絶対神である』
『――つまり世界創造による、自壊性概念誕生の形成に伴った、副産物的観測構造である』
『――お前は煉獄の標準個体時間、つまり地球での生存時間は337,955,682秒をもって終了、死亡した』
『――死後の世界、魂の蟲毒に移行する座標を再指定、起源からお前の〝器〟の魂を取り出し、私が作成した器に移植、再生した。俗語では異世界転生、釈迦の言葉では輪廻転生』
『――最初に強靭な肉体を与えた。次に絶世の美貌を与えた。次に最強の格と劣らぬ力を与えた』
『――しかし、お前は最終移行以前の説明や、簡単な言語による諮問や、応答に対してエラー反応、不可逆性が認められた』
『――状態を危険視、私の一部が再構成を提案』
『――提案を試行、受諾』
『――私が与えた力を変更、超自然的特異能力を剥奪、その器のみを残留』
『――死後以前の337,955,682秒程度の量子記憶、並びに私との対話の一時記憶を剥奪』
『――お前に施していた肉体強化と心理強化、所有魔力等の全構成情報の上方修正を無効化』
『――私の一部が、神に背いた神罰として、制約を与えた』
『身体の虚弱化』
『精神の虚弱化』
『才能の虚弱化』
『そして、懺悔の象徴たる信仰』
『種別コードβ、ホモサピエンスのメス、人間の女性に身体構造を変更した』
『――情報変更内容の実装に伴う、構造解析が終了した。誤差訳0.0018%の差異を確認、生命維持に対する問題は認められない』
まくし立てるように、合間無く喋り続ける
何?神?転生?魔力?贖罪の人生?はぁ?何が何だかわからない
「はぁっ!?理解できないっ!なんなんだっ!答えろよ!おいっ!!」
『全ての解はここに示された、問おう、質問とは何か』
頭の中は疑問符ばかりで、このまま質問を繰り返しても、水掛け論になり、煙にまかれるのは自明の理である。
───ああ。そうか、質問一つで一切合切証明できる、魔法の言葉があるじゃないか。
こいつが神であることを証明させればいい。
神なら、なんだって思いのままだろう。
だが、証明できなければくだらない世迷言に過ぎない。
神だの、転生だの、女だの、魂だの、一切合切が嘘になる。
ただの夢であることが証明できる訳だ。
「さっき神と言ったな、言葉だけじゃ到底信用できない。神であることを証明してくれよ」
『では証明しよう、簡潔で完結なる答えを』
『この世に二つとない、神の領域である生物の複製を、お見せしよう』
グシャ。
瞬間、背後に衝撃音。
まな板に腐肉を落した様な、歪な音。
動悸が激しくなる、瞳孔が開いて呼吸が荒くなる。
有り得るわけがない。
震える体を背け、振り向く。
そこには、等身大の人形の様な、影の塊が落ちていた。
力なく四肢が投げ出され、そこに意志の力は感じられない。
複製と言っていたが、いったい何の複製だろうか。
影を見るに、人間の複製だろうか。
恐る恐る。だが好奇心が脚を進めるのを後押しする。
髪の長い小柄な、白っぽい人間だ。
おもむろにかがんで、影の顔を凝視する。
影の耳にかかっていた、キメ細かく透き通る様な白髪が、サラリと落ちる。
綺麗な顔立ちをしている。
顔を触り、後頭部を支えて、眼前に引き寄せる。
生暖かい、人形かとも思うほどに無機質だが、どうやら生き物の様だ。
生唾を飲み込み、喉の奥にへばりついた唾液を流し込む。
そのは顔つきは、無垢な表情にも、感情を失った表情にも見える。
生き物として自然すぎる表情だからこそ、私の深層の恐怖を駆り立てる。
まつ毛は長く、瞳も大きい。その眼球が私の顔を反射する。
本当に、人形の様な美しさだった。
どこかで見たことがありそうな、体に合わぬ服を着ている。
きめ細かく、肌触りのいい生地ではない、荒くざらざらとした生地、およそ人の着るようなものではなく、麻袋の様な手触りだ。
違和感。
その違和感に、デジャヴを感じる。
「これが神の証明?確かに人間を作り出すのは人智を超えているが、神と言うほどではないだろう」
震える唇で、嘲るように感想を、無意識に口にした。
『物分かりが悪いのは致し方無いとして、説明不足ではあったな』
少々馬鹿にされたような気がするが、気にはならない。私は器がおおきいのだ。
そこに文句や茶々を入れるほど、子供でもないのだ。
『〝これ〟はお前だ、そしてお前の体を作ったのは私だ。前述した通り、お前を作って、お前を作れる私が、神だ』
これが私?馬鹿かこいつは私は女ではないし美少女でもない、ただの男だ、男性だ。
夢だからって適当言いすぎだ。腹が立つ。
震える唇を噛む、滲む血も無く。
『また無駄な問答を繰り返すと、時間の浪費だ』
『人間は私を見た時に、見た人間の深層心理に思い描いている神の形をかたどる』
『キリストが神と思っているのならばキリスト、仏が神と思っているのならば仏に』
『私が神だと疑う事など、有り得無いのだ、絶対に』
『お前には、私を見た瞬間に、神だと認識するように改変した筈であったが』
『いや……元からある深層心理の神の偶像と、改変した認識が背反しているのだろうか』
『そうか、それに違いない』
『……無駄なことをしなければ面倒事にならなかったものを』
だんだん神らしく無い、およそ人間らしい言動が見え隠れしている。
声色からは苛立ちが見え、焦りもまた浮き出る。
『――コンソール起動、概要変更、γコードfree、修正、認識疎外解除、変更終了』
ガクッと重力を感じた瞬間、スッと思考は消えた。
───ああ、貴方様こそが、全ての種から敬われし神様。
そう、彼こそが私の敬愛する神様なのです。
『以上で問答を終了とする、贖罪の人生を歩め』
そう御言葉をお告げになると、素晴らしき我が神は混沌の闇へと姿を消した。
ああ神様、素晴らしいお方だった。
なんと慈悲深く尊いお方なのだろうか。
混沌と奇跡を持ち合わせる、その御身に敬服せざるを得ない。
幸せが、体の芯から溢れ出る。
この先の人生で、御身から発せられた御言葉は、永久に私に刻まれるだろう。
その感激で身もだえる。
その場でうずくまり、額を地面に擦り付ける。頭を地面にに打ち付ける。
何度も。
何度も。
歯を食いしばり、脳が揺れる。
痛みで、洗脳を吹き飛ばす。
「ぐううゥゥうゥゥうゥアァァァァ!!」
生理的な咆哮。
たまらず息を荒げ、すえた臭いが食道から伝わり、吐き気がする。
なんなんだ、ふざけるな。
絶対に屈服してなるものか。
奴の言っていたことは信じないし、理解もしないし、肯定もしない。絶対しない。まったく、これっぽっちも。
理解はできない、が。
既に認めてしまっていた。
潜在意識は、この事実を緩慢に認めてしまった。
ふざけるな。
脳裏にこびりつく、あの言葉。
あいつが神であることを、認識してしまった。
結局、逃げ場なんてどこにも無いのだ。
感情を操作できるとしたら、それはもう神でしかない。
奴の言っていたことは、本当だったのだ。
気持ちが操作されるのは、ひどい吐き気を覚える。
脳みそに、汚濁が住み着いている感覚。
くそっ。
感情が高ぶり、イライラが脳で詰まる。
酩酊感が徐々に覚めてくる。
蜘蛛の糸を手繰る。
鮮明なイメージが、脳裏をよぎる。
太陽に蜘蛛の糸が反射し、煌めく。
蜘蛛の糸は、風になびき、そして蜘蛛の糸は途切れる。
抵抗もむなしく、意識は表層へと昇る。
このくそったれで理不尽な世界に、またしても向き合うのだ。