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この不条理な異世界で  作者: 和仮名
第一章 この輪廻転生の先で
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何者かの産声

 川のせせらぎが聞こえる。

 木々が幹と枝と、葉を揺らしてザザザと嘶く。

 穏やかな時間。

 聞こえる自然の音達は静かに、ただそこに居て私を見守って。

 私は安堵の渦の中に、ただ身を委ねた。


 ここは天国なのだろうかと、錯覚するほどの安寧。

 大いなる母という名の、大地の腕に抱かれるが如く。

 それはまだ、人としての姿を持っていなかった頃の……。

 原初の感情であった。

 生まれてきた事を祝福され、そして世界に愛されている事が肌で分かる。

 そんな穏やかな感情。

 誰にでも死と生だけは平等であり、それ故に尊い。

 それは私にも、そして貴方にも。

 私は、誰とも知らぬ大いなる母を愛し、愛された。

 いつまでも味わっていたい余韻。

 いつか終わってしまう余韻。

 いつだって終わりから始まる事が、余韻なのだ。


 私は今にも終わりそうな、か細い抱擁を必死に掴もうと手を差し伸べる。

 しかし、まるで逃げるかのように安堵は失われてしまう。

 私を後悔と懺悔が満たしていく。

 心が擦り切れていく。

 それにつれて、意識が覚醒し始める。

 私は……この世界に否定され、疎まれ、しかしそれ故にこの大地に立つのだ。



 朦朧とした意識の中で、私の脳は地面に寝ている事を、認識し始めていた。

 やわらかい風が、私の頬をなぜる。

 体を芋虫の如く蠢かせて、立ち上がろうとすると、頬に付いていた土や石がポロポロと落ちた。

 頭が朦朧としている。

 初めは、寝起きだからだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

 なんだか身体の調子もおかしい様だ、どこか怪我でもしているのかとも思ったが、出血は認められない。

 この朦朧は、頭でも打ったか、悟りでも開いたか。

 ……思い出せない。ここで寝そべっている原因になった記憶も見つからない。

 そもそも、ほぼ全ての記憶が、全く無い。

 私はどこで生まれ、どこで育ち、何を見て、何を考えていたのか。

 私が、私たる。その構成要素がごっそりと消えて無くなっていた。

 

 こんなもの、恐怖以外の何物でもない。

 目の前がぐるぐると歪み、三半規管が悲鳴を上げていた。

 口元に手を当て、吐き気をこらえる。

 私は脂汗を流しながら、必死に冷静になろうと、解決策を模索し始める。


 この朦朧の原因は、心因性のストレスなのだろうか。少なくとも、頭部に出血の跡や痛みは見られない。

 私は、医療の知識を少しだが心得ている、という事か?知識と記憶は別なのか?

 知識を学んだ記憶は欠落しているのに、知識それ自体は存在しているという、奇妙な感覚に戸惑いながらも、必死で思考を巡らせる。


 私が置かれている状況について、まとめなければならない。

 

 背筋を伸ばして立ってみると、心なしか身長が低くなったような気もする。

 体も弱弱しいというか、線が細く、今にも折れてしまいそうだ。

 目に髪がかかる。前髪を払いのけると、後ろ髪は足首辺りまで伸びているのが見えた。

 生活するのに明らかに不便だろ、これ。


 どうやら以前の私は奇人か変人のようだ。普通、伸ばしても肩までぐらいなものだろう。

 それに、これも驚くべき事であるが、髪は透き通る様な白髪であった。

 白髪?白髪は有り得え無いだろ白髪は……。

 これは夢なのか?現実なのか?


 ……信じれないことだが、事実として受け止める他ないだろう。

 


 その1、アルビノである可能性

 アルビノとは遺伝子疾患であり、メラニンが先天的に欠乏する病だ。

 肌は病的に白かったり、視力が弱かったり、どこかの国の呪術の道具に使用されたりと、あまりいいイメージは無い。


 その2、人種的に白髪である可能性

 よくは知らないが、確か北欧や欧州では、生まれつき頭髪が白くなるというのを聞いた事がある。

 この情報はそこまでの信用度ではないが、候補には入れておこう。

 

 その3、頭髪を染めている可能性

 色を抜いたり白色に染めたり、これは先天的なものでない分可能性が高い。


 その4、ストレスによる可能性

 ストレスで頭髪が白くなったりする場合があるらしいが、実例を知らないので可能性は低いだろう。


 なぜ、記憶がないのに髪の色の理由を考えているのだろうか。混乱しているのだろうか、思考のベクトルが定まらない。

 私は、考えが迷子になる事が苦手なのだ。もう考えるのはよそう。


 麻袋の様な、繊維の荒いボロボロの服で、脂汗を拭う。

 随分とサイズの大きい服だ、肩がはみ出てしまっている。

 肩の幅も狭く、腕も細い。


 何故か、脚は裸足だった。

 私は、ここまで来るのに裸足できたのか?

 こんな……山の中に……。

 山の中……?

 ……どこだ?ここは。

 ぐるりと、まわりを見渡してみると、辺りは砂利や、土や、草や、木々。所々に、デコボコした岩もある。

 人の通る道が無い。山道は無いのか?

 下山しようにも、ここまで来た道の記憶も無く、記憶を頼りに下山や登山をすることもできない。

 

 記憶喪失で遭難って、かなりヤバいんじゃないか?

 もう自分がだれで、どこから来たのか、なんて余裕のあることを考えている場合じゃあ無いかもしれない。

 まごうことなき、生命の危機。

 遭難に記憶喪失、ダブルパンチで来やがった。不安だ。


 ……まあ、いいか。

 人間は、耐えられないほどのストレス環境に置かれると、あっさりと適応できてしまうのかもしれない。

 焦ったところで、状況が好転するワケでも無し。冷静になろう。

 とりあえず今は、安定した衣食住ができる安全な場所を見つけなければならない。

 ここは日本なのだろうか、はたまたイスタンブールか、カルフォルニアか、まさか火星ってことはないだろう。

 とりあえず息はできる。この広大な宇宙の中、地球で目が覚めて良かった。そう思うほかない。


 たしか、飲料水を三日飲まなければ、脱水症状で死ぬ。

 この山で、三日以上の長期戦を覚悟するなら、水の確保が最優先だ。

 この気温ならば、全力で走ったり、飛んだりしなければ、水分は出て行かないだろう。

 そうか、温度的に熱帯や亜熱帯、寒帯なんかでは無さそうだ。

 うららかな日差しと、自然を呼ぶ風や、草木のさざめきなんかは日本の春を思わせる。

 多少の懐かしさを感じた。もしかしたらここは、日本なのかもしれない。

 そう思うと希望も湧いてくる。


 外国の巨大な山の面積に比例して、遭難死亡確率は高まっていくだろう。

 逆説的に言えば、日本国内の小さい山ならば、助かる見込みはある。

 ポジティブシンキングは緊急時には大切な事だ。


 だが、時間は待ってくれない。遭難時の初動は重要だ。


 状況の推理は封印、脳みそは何も考えないようにする。

 歩こう、山は下るより登れと、知識人も言っていた。

 川を目指そう、そう都合よく川があるかはわからないが、探さないよりマシだろう。

 足の裏が、小石でゴツゴツしていて鈍い痛みを感じる。

 なんだか体のバランスが悪い。


 体が一回りも、二回りも、小さくなった様な奇妙な感覚のせいで、うまく歩けずふらふらとよろける。

 歩くとは、ここまで難しいことだったのか。


 おぼつかない足取りで進むと、小石に足を取られて転びそうになる。

 なんとか立て直そうと、腕を広げてバランスを取ろうとしたのだが、無念、泣く泣く尻もちをついた。

「ひゃぁ!」

 尻もちをついた先には、鋭利ではないにしろ、十分に痛覚を刺激する石が鎮座していた。

 

 なんということだ、私が女のように悲鳴を上げるなど。

 別に男女差別ではないが。男が、女のような高い声でひゃぁ!などと声を上げるなど情けなさすぎるではないか。

 よろける手足で、ゆっくりと立ち上がる。

 歩こう……。


 コケない様に、なるべく平らな道を行こう……。

 もう考え事はさんざんだ、答えの出ない問題など誰が好き好んで解くか。

 くそっ。

 鬱屈だけが溜まっていく。


 木の根っこを跨ぎ、目印に木の枝を何本か折りながら進む。

 歩き始めてまだ数十分というところか、息がかなり荒くなってきた。

 脳が酸素を求めている。

 肺から心臓へ、そして血管へ、ポンプの様に、酸素が送られるイメージをする。

 そうすると、息苦しさが紛れるような気がした。

 ……気がしただけで、苦しさは紛れなかった。

 どうやら私は、運動が苦手なようだ。

 ……どうでもいい。


 それから日が傾くまで、休むことなく歩き続けた。

 足の裏は、慣れないことをしたせいか、はたまた裸足だったからであろうか、擦り剝けていて、血豆が潰れ、鼓動のリズムに合わせてジンジンと痛んだ。

 道中、代わり映えのしない景色に、飽き飽きしながらも歩き続けた。

 日中から夕暮れまで、道なき道をよくもまあ歩いたと、我ながら思う。

 世界裸足登山機構があったなら、私になんぞ賞を寄越していただろうな。

 このまま前人未到の無期限断食裸足登山でもして、ギネスブックに名でも残してやろうか。くそったれ。

 鼻先から汗が垂れる。汗をかくほどに。

 どれほど歩いていたのだろうか。

 頭を上げると、空は一面の橙色であった。その夕焼けの景色に、なぜか心奪われて立ち止まった。

 夕焼けを見た瞬間、悲しさが私を包み、気力が失せていく。    

 

 もう帰りたいとさえ思った。

 帰る場所も覚えていないのに?


 孤独感に押しつぶされそうになり、涙腺が緩みだす。

 もしかしたら私以外の人類は死んでいて、この孤独感はそのせいなのか、なんて飛躍した考えを持つほどに、精神的に疲弊していた。

 私は堪えていた感情が、涙という形に変わり、心からこぼれるのを感じてしまった。

 最初の一滴が出てしまえば、もはや決壊したダムの如く。泣き狂った。


 こんなエネルギーを消費する余裕はないというのに。

 きっとこの状況が不安で不安で、強がって隠していた感情が頭を出したのだろう。

 時に、感情は理性では抑えきれなくなる、人間としてはそれが当然であった。


 私は、親を見失い、迷子になった子供が如く、わんわんと泣きじゃくる。

 なんと情けないことか。

 私は自分の感情すら傍観した。

 

 私は、理性の中に引きこもり、自分自身を赤の他人の様に放置した。

 私の理性は、なんと無責任で身勝手なことか。


 残ったものは、後悔と、悲しみと。そして、不思議な充実感だけだった。

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