反転倒錯のユニヴァーサリズム
階段と靴の裏が打ち合わさり、地下室に反響していた。
来たか、魔女が。
重そうな扉に鍵が差し込まれ、金属同士が擦り合って不協和音を奏でる。
魔女が部屋に入ると、開口一番で悪態をついて来た。
「浮かない顔をしているねぇ。今日は凄く良い天気なんだよ?こんな日にしみったれた顔をしないでくれるかな?」
「……今日が何の日か知っているか?」
「んん?近頃まるで会話をしてくれないから、声帯でも潰れたのかと思っていたよ。……それで、何の日か、だって?妙なことを聞くね。特別な日じゃあないよ、今日はね」
「今日はな、……あんたの審判の日だ」
「……どういう意味カナ?一体どうやって、手足の自由も無いキミが、生前の行いを審判し、天国か地獄行きかを決められるっていうんだい?なぁんにもできやしない、キミみたいな蛆虫がサ」
「あんた、私を弟に似てる。って言ってたよな?この実験だって弟の為だったんだろ?」
「何が、言いたいんだい」
空気が張り詰める。さっきまで魔女に張り付いていた薄ら笑いが消える。言葉を間違えれば、どうにかなってしまうような。
「弟を愛しているか?今でも」
「キミ、魔術鍛錬が嫌になったのかい?拷問の方がお好み?」
魔女はおもむろに水瓶を掴むと、わざわざ私に見えるようにコップに注ぐ。水責めをするぞ、という脅しで恐れさせようとしている。私は無視した。
「……愛しているか?」
「──愛していたさ。たった一人残った、私の家族だったんだ」
「では、自分自身は愛しているか?弟が愛した自分を」
「ああ」
「そいつは違うな、アリシア・ベルフェゴールさん」
「……写真を見たんだな?いつかな?ああ、そういえば廊下に飾ってあったっケ」
そう。長い廊下にあった額縁に、おそらく家族全員の名前入りの肖像画が飾ってあった。こいつの<実験>の初等魔術理論の時に覚えた読み書きを駆使して、記憶を頼りに言語化したのだ。
「もう一度聞く。弟を愛しているか」
「クドイね……、何があっても家族の絆は揺るがないよ」
「アリシアさん。あんたどうして右利きなんだ?肖像画じゃあ左利きだったろ?わざわざ矯正でもしたのか?」
「急におしゃべりになったと思ったら、なんなのカナ。……そうさ、矯正したのさ」
「髪の色は?肖像画じゃあ、もっと明るい色だったけれど」
「……絵描きが間違えたのさ」
「目の下のホクロは?絵じゃあ目立つところにあったよね」
「……何なんだ。その口を潰されたいのかい?今までは壊れないように手加減していたけれど。もっと痛めつけて!壊されたいのか!?」
過剰に興奮したアリシアが私の喉を掴む。
「ゲフッ。弟のルイスくんだっけ?左耳だけ少し歪んでいたよなァ。それも絵描きのミスかっ?」
「───ッ。……黙れッ!この蛆虫!お前はただの検体なんだ!意見することは許さない!耳障りだっ!」
「そうさァ!最初からあんたはアリシアさんじゃあ無かったッ!あんたの髪の色も!利き手も!消えたホクロも!耳も!全部ッ!!弟のルイスの特徴なんだからなぁっ!!!!!」
そう。こいつは魔女なんかじゃない。なぜ姉の姿をしているのかは知らない。なぜ自分をアリシアと思い込んでいるなんか知らない。
だが、妄想で作り上げた人格は脆く、それ故に付け入るスキがある。
潰されそうになる喉笛を、握られながらも必死に振動させると、手が緩み、ルイスは膝から崩れ落ちた。
息を整え、喉に詰まったタンを吐き出す。
「違う。私はアリシア。ルイスの姉。僕はルイスじゃない。私はルイスを愛してる。あの子の病気を治す。治療法を見つけるために頑張ってきた。デタラメだ。そんなの世迷言だ。嘘だ。あの子の為ならなんだってできる。だから、私はアリシアなんだ……」
ルイスは頭を抱えてぶつぶつと独り言を言い始め、よろけ始める。
まだだ、まだ終わってもらっちゃ困る。
「ハハァ……天国の姉ぇちゃんが泣いてるぜェ?シスコンの倒錯野郎は気持ちわりィってなァ!!!ひ弱なひ弱なルイス演じるアリシアちゃんはァ!!!自分の存在を否定して罵る奴にィ!!!殴る気力もありませェん!!!オラオラァ!!女装のカマ野郎ォ!!悔しけりゃ殴ってみろよッ!!ぶっ殺すつもりでよォッ!!!!!!」
ルイスは立ち上がる。それまでの女性らしい出で立ちはどこへやら、一歩一歩を確実に踏みしめる。
私を睨みつけて離れない。瞳は据わっている。瞳孔は開き、怒りで震えている。
こぶしを振り上げたその瞬間──。