聖女は死を選んだ ーAnother01ー
ジョゼフィーヌ・マルは聖女である。
国からも認められ、歴史の本にも名前が刻まれている。
美しい黒髪に焦げ茶色の瞳は、今や国中の女子の憧れ。
ジョゼフィーヌがお披露目された時、この国で黒髪がブームになったことは記憶に新しい。
ジョゼフィーヌの隣にはいつも、この国の王子ケリー・グランツがいる。
美しい金髪の青年もまた、女性の憧れの的。
聖女様と美しい王子のカップルの動向はいつだって注目を浴びていた。
ジョゼフィーヌ・マルは聖女である。
その能力が不安がられていたって、彼女は聖女である。
彼女が何故かほとんどの魔女と同じように、『呪われた子』の呪いを完全に解くことができなくたって、彼女は聖女である。
彼女が何故か回復魔法を使えなくたって、彼女は聖女である。
彼女は聖女である。
だってジョゼフィーヌの他に、魔獣と化した王子ケリーを見分けたものはいなかったから。
彼女は彼女は彼女は、彼女はーーー
ジョゼフィーヌ・マルは聖女である。
本当に?
オスカー・エバンスは要塞学園の中にある自室にて、ぼんやりとそんなことを思っていた。
こんなことを思っていると知られれば不敬罪として逮捕されるだろう、学園をほとんど追い出されかけていたあの少女のように。
今まで一度だって、オスカーはジョゼフィーヌのことを疑ったことなんてなかった。
例え彼女が自分の母を助けられなかったとしても、悪いのは理性を失って母を喰らいかけた自分なのだから。
聖女としては半人前だから回復魔法が使えない。
そう告げるジョゼフィーヌの言葉を信じていた、この国にいる全ての人間と同じように。
疑うわけもなった、あの姿を見るまでは。
「…………」
オスカーはそっと、自分の首を触る。
自分では見れないが、そこには紋章がある。
ジョゼフィーヌ・マルの紋章。
彼女のイニシャルとユリの花が咲き誇る。
それは聖女ジョゼフィーヌのパートナーの証。
呪いを解かれた時、呪いを解いてくれた人の紋章が首筋に刻まれる。
そしてパートナーに選ばれると、首筋の紋章には色がつく。
そのユリの花は黄色だった。
ユリなんて、聖女のイメージにピッタリだとオスカーは思ったものだ。けれど……
歴代の聖女達の紋章には、花の他に鐘があったという。
この世界では鐘の音は神の声を表す。
紋章は生まれた時に神から与えられるものだし、今までの聖女の紋章に鐘があったからといってジョゼフィーヌにもあるとは決まって来ない。
それでも、紋章は神からの贈り物だ。
「……あの女は確かに、回復魔法を使っていた」
昨夜は恐ろしいくらいに月が輝いていた。
不穏な風が要塞学園の窓を叩き、魔女達も怯えて誰も森に出ようとしなかった。
半人前ゆえに神の声をはっきりとは聞けないジョゼフィーヌでさえも、神が怒っているといったほどだ。
「きっとニケのせいよ」
「あの子がまた何かやらかしたんだわ」
要塞学園の大食堂で誰かが囁く。
至る所からクスクスと笑い声がする。
名前を告げられた少女は大食堂の隅で身を小さくし、ただ俯いていた。
ジョゼフィーヌは頷きこそしなかったが、彼女が浮かべる意味ありげな笑みには同意が示されていることは誰にでもわかる。
少女達は「ほらやっぱり」なんていって、また笑った。
この空気は苦手だと、オスカーは思う。
幼馴染のケリーも苦手なようで、聞こえていないふりしていた。
この学園では何か悪いことが起こると、全てある少女が原因だといわれ悪意が向けられる。
それはいつからだろう、オスカーにはわからない。
しかしオスカーが『呪われた子』となり、この学園に入った時には既にそうだった。
ニケ・ヴィクトリア。
辺境にある田舎貴族の一人娘。
水の魔女の末端。
桃色の髪に紺色の瞳をした、儚げな少女。
彼女と初めて会った時のことをオスカーは未だに覚えている。
要塞学園に来てすぐのことだった。
廊下を歩いていると水がこぼれる音がした。
誰かがバケツでもひっくり返したか、と確認に行くと桃色の髪の少女がびしょ濡れだった。
少女の前にはバケツを持った魔女がひとりと、クスクス笑う魔女が数人と、そしてジョゼフィーヌ。
彼女達は笑っていた。
随分と楽しそうに。
その笑い声に込められた悪意に気付かぬほどオスカーは子どもでもなかったし、だからといってスマートに助けられるほどに大人でもなかった。
「何をしている?」
ただ、そう尋ねた。
オスカーの首の紋章を見て、 魔女達は気まずそうに視線を交わし合う。
その隙をつき、オスカーは少女に声をかけた。
何といったかは覚えていない、多分「大丈夫か」なんて何でもないことをいったのだろう。
少女の紺色の瞳がオスカーを見た。
頰を濡らすのは水か、それとも涙か。
オスカーにはわからなかった。
ただ彼女の瞳を見たその瞬間に、オスカーは生まれて初めて女性のことを「美しい」と思ったことを覚えている。
エバンス家は代々優秀な騎士を排出する、王国きっての名門一族。
王子ケリーとオスカーは同い年ということもあり、幼馴染という間柄なほどだ。
そんな一族の三男であるオスカーは、今までもたくさんの美人を見てきたし、ありとあらゆる美しいものだって見てきた。
それでもーーー
今まで見てきた何よりも、誰よりも。
その少女は美しい。
世界の全てが色褪せてしまうくらいに。
「彼女、火の魔法を失敗しちゃって。服を燃やしちゃったから水をかけてあげたのよ」
オスカーの腕に誰かが絡みつく。
まるで蛇のように、ぴったりと。
「聖女」ジョゼフィーヌだ。
彼女はにっこりと微笑んで、「ね」と魔女達に同意を求める。
魔女達は口々に同意したし、実際ニケのローブには焦げた跡があった。
「私達が水をかけてあげなきゃ危なかったわよね、ヴィッキー。あ、ヴィッキーって彼女のあだ名なの」
「……ええ」
ジョゼフィーヌは今度は少女に同意を求める。
紺色の瞳を揺らしてから、少女はそっと頷いた。
ずぶ濡れのまま、恐怖すら覚えるくらい少女は美しく微笑む。
「私、出来損ないで……ジョゼフィーヌ様が助けてくださったんです」
「ええそうなの。私が助けたのよ。ねぇヴィッキー、まだ私、あなたからお礼を聞いてないわ」
聖女は貼り付けた笑顔で告げる。
少女の紺の瞳が大きく見開かれた。
美しい少女の顔が歪む、屈辱だといいたげに。
彼女は何かいい返そうと、口を開いた……
「…………ありがとう、ございます」
結局、彼女がいったのはそれだけ。
ジョゼフィーヌに強引に連れられ、オスカーはその場を離れる。
後ろから魔女のひとりが「まーーた見えないお友達を見てるんじゃねぇよ。気持ち悪い」と怒鳴る声がした。
そして少女の、今にも消えそうなほどか細い「ごめんなさい」という声も。
「変わっている子なのよ、あの子。本当はとっても良い子なんだけどね」
オスカーの腕にぺったりとくっついたまま、ジョゼフィーヌは笑う。
何故かとても嬉しそうに。
楽しくて楽しくて仕方ないって顔で。
オスカーは初めて、女性の笑顔が醜いと思った。
聖女様になんてことを思ってしまったのだろう。
その感想は一瞬で打ち消した。
昨夜は、月が恐ろしいくらいに輝いていた。
自室に戻ろうとしていたオスカーは月を見上げるために顔を上げ、そして見てしまったのだ。
高い塔から、誰かが飛び降りた瞬間を。
真ん中に行けば行くほどに安全だといわれる要塞学園の一番外。
魔獣に襲われることも多々あるその高い塔に追いやられているのは、ニケしかいない。
ならば身を投げたのはあの少女だ。
気がつけばオスカーは学園の外に飛び出していた。
出来損ないのニケは今まで学園の外に出たことがない、パートナーだっていない。
彼女は特に攻撃魔法が苦手だと噂を聞いたことがあった、そんな彼女に森はあまりにも危険だ。
例えあの高さから身を投げたら生きている可能性なんて、ないに等しいとしても。
そしてオスカーが見たものは、
月夜に照らされた美しい少女の姿。
見えない何かを掴んで抱きしめ、火龍に回復魔法をかける姿。
ボロボロになりながらも生きている少女の姿。
危険すぎて王宮の兵士さえも、ジョゼフィーヌすらも近づかない洞窟に消えていった少女の姿。
止めることはできなかった、恐ろしくて。
だってーーー
思ってしまったのだ、もしも。
もしもあの少女が本物の聖女ならば。
ニケ・ヴィクトリアが聖女だとしたら。
「この国は恐ろしいことをしてしまっている」
オスカーだって見て見ぬ振りをした。
あの美しい紺色の瞳から逃げた。
助けることができたはずなのに、しなかった。
神の愛子を痛めつけ、死を選ばせた。
それはきっと許されぬことではない。
ジョゼフィーヌ・マルは聖女である。
本当に、本当にそうなのだろうか?
この国は罪を犯している。
きっと、それはやってはいけないことだった。
この国には、聖女の名を騙る魔女がいる。
そして最も恐ろしいことに、そのことに自分以外誰も気づいていない。
黄色いユリの花言葉は「偽り」。
その花は、自分にも刻まれている。
第1章完結です!
次は2章です!
ブクマも評価も本当にありがとうございます!!