聖女は絶望を許さない ー04ー
『ソウだよ、美しキ聖女。俺ガ魔王だ』
ニヤリ、とスライムが笑った気がした。
その水の塊には表情なんて何もないはずなのに。
この世界では誰も魔王の姿を見たことがない。
今まで魔王にまで行き着いたことがないのだ、幾人もの聖女が生まれてきて志半ばで死んできたから。
つまり彼はーーー
「聖女を探しに来るくらい、寂しかったの?」
ニケの頬を撫でていた魔王の手が、ピタリと止まる。
だってそうじゃない?
彼は散々「会いたかった」と述べていたのだから。
『…………マサカ。違ウ』
「というか私が小川で休んでいた時から側にいたのよね、ステータス感知に引っかかってたし。見てたってことでしょ?」
『見てナイ』
「もしかしてだけど、ここにいた蜘蛛を何処かに蹴散らしてくれたのもあなたかしら?私がさっき後退できなかったから」
『違イマス』
嘘、下手くそか。
ニケが呆れていると、ルーカスが頭上に「?」マークが浮かべているような顔をしていた。
魔王の言葉はニケの頭に直接飛び込んでくるので、ルーカスには聴こえないのだ。
「ルーカスにもわかるように話してあげて。できるでしょう?」
『ドウして、俺ガ……』
「じゃあもう私のこと、触らせてあげない」
こんなことをいって魔王に効果があるとは思えなかったが、物は試し。
ニケは自分の頬を撫でていたヒトの形となっている魔王の左手から逃れ、ぷいっと顔を逸らす。
するとあからさまに、左手はショックを受けた様子だった。
漫画だったならば「ガガーン」とでも効果音が飛び出しているだろう。
『魔王デある俺二、コンナコトで欲求ガ通ルとデモ思うナヨ……』
水面のようなスライムの身体が波打つ。
ゆらり、と揺れたと思うと形が変わり、肩より上だけがヒトの姿と変わった。
浅黒い肌に茶色の髪をした、ハンサムな顔の男性かが現れる。
切れ長の瞳がスライムの身体と同じ水色なところだけが、唯一彼がそのスライムであると示している。
正直、それ以外は全くヒトと変わらない。
「これならばヒトでも俺様の言葉がわかると……」
「いや!!!!!ヒトになってんじゃん!!!!!」
「ルーカス、ちょっと」
「ご主人が触らせないっていったらヒトになってんじゃん!!!」
我慢できなかったようで、ルーカスが思いっきり叫んだ。
ルーカスからしたらそりゃそうだよね、魔王だってわかったスライムと自分をヒトに戻した主人が謎に言葉を交わし合ってて。
どうした!?と思っていたら魔王がヒトの姿になったんだもんね、意味わかんないよね。
私も意味がわからないけどね!
と、同意を示さざるを得なかったが、魔王の顔が赤くなっているから勘弁してあげてほしい。
なんかよくわからないが、寂しすぎて自分から聖女を探しにきたりするくらいなんだし。
「別に聖女を触りたくてヒトの姿になったわけではない」
「聖女????誰が??」
「私に会いたくて探していたことはわかったんだけど、いつどこから見てたの?」
顔を赤くしていた魔王はなんとか持ち直し、キリリと引き締まった顔で言い返す。
いや、それは嘘だわ。
絶対に触りたかったからヒトの姿になってくれたんだわ。
約束を果たしたからいいだろう、とでもいうように、魔王の手はニケの頬を撫でているし。
ニケは黙って受け入れることにした、確かに約束を果たしてくれたわけだから。
とりあえずルーカスの疑問はスルーしよう。
聞いていればわかることだし。
ハンサムな顔となった魔王は、「別にお前に会いたかったわけではない」とか呟きながらゆっくりと視線を逸らしていく。
「私が身投げするところ、見てたのかしら」
「え?ご主人、身投げしたの?」
「あの高さから飛び降りるなんて馬鹿のすることだ!俺様がいなければ助からなかった!」
「ああ、あなたが助けてくれたのね。通りで怪我がないと思ったわ」
しまった!といいたげに魔王が眉を寄せた。
あっさりと認めてしまった自分に嫌気がさしたようで、「ああああ」とかいって唸っている魔王を尻目に、ニケはルーカスに簡単に経緯を説明する。
経緯といっても「イジメられていたのを苦にして飛び降りたら助かったので開き直り、絶対に復讐を誓って今は超元気」という嘘と事実を織り交ぜたものだが。
「お前らがなかなか、俺様の元まで来ないからいけないんだろうが!」
「逆ギレよ、逆ギレだわ、ルーカス」
「聖女が来るのを俺様は何百年も待っていたんだ!あまりに来ないから身体がもたないと、不老不死ともいえるこの身体に変えて……それなのに!せっかく生まれてきた聖女が!自殺しようとしていたから!!」
「しようとしてたわね、確かに」
「助けざるを得ないだろう!?」
「ただの良い人じゃない。ありがとうね」
「こうなってくるともはや哀れだね」
何故全部いってしまうのか。
いってから気づくのか「ああああ」と頭を抱えている魔王に、至極冷静にニケとルーカスは淡々とチャチャを入れる。
この隙をついてさりげなくルーカスに腕を引っ張っるよう指示してみるが、そこはさすが魔王だけあって抜けなかった。
「お前は!聖女は俺様と対決し、そして俺様に敗れて死ぬのだ!!それ以外で死ぬのは許されない!!それなのに……!今までの聖女ときたら……!!」
どういうわけか、ニケのランクはSSS。
つまりこの世界の難易度もそれ。
魔獣の強さもそれに準ずるわけだ。
ニケが生まれるまでの世界ではどうなのかわからないが、もしもずっとこの世界がSSSだったならばそれ以外のランクの聖女にとっては敵が強すぎたのだろう。
そうでなくとも、未だに魔王に会ったことがある人をニケは見たことがなかったし。
つまり彼は、本当にずっとずっと待っていたのだ。
自分を倒すために聖女が現れることを。
それなのに誰も彼の前にはやってこない。
誰も彼を倒そうとはしてくれない。
(まぁだからといって聖女に自分から会いにくるのはどうかと思うけどね)
しかし、そういうことならば……
「ねぇ魔王。私とあなたは仲良くなれるわ、きっと」
「ご主人。何いってんの。気でも触れたの」
ルーカスに「静かに」とジェスチャーし、ニケは魔王を見上げた。
彼のスカイブルーの瞳をしっかりと見つめる。
「寂しかったんでしょう。私があなたの友達になってあげるわ。たくさん話しましょうよ、色んなところに行きましょう」
「とも、だち……」
魔王が繰り返す。
水面のままの身体が、動揺するかのようにゆらりゆらりと揺れている。
「だからこの世界の呪いを解いてくれないかしら」
だって友達だもん。
それくらいはしてくれるでしょ?
ニケはあくまで何でもないことを頼むように告げる。
別に何でもないことだ、呪いを解くなんて。
そう受け取ってくれるように。
しかし魔王の身体は、大きく波打った。
萎んでいた悪意がぞわりと広がり、ヒトの身体を成していたものが水面に戻っていく。
ハンサムだった顔がスライムに戻る。
「お師匠様の呪いを!!恨みを!!俺様が晴らさずして誰が晴らすというのだ!!!馬鹿にするな!!」
洞窟内に魔王の叫びがビリビリと広がる。
ルーカスが顔を真っ青に変え、何とか腕を抜けようと身体を捻るのが見えた。
このままじゃダメだ。
未だ辛うじて残るヒトの手に手を重ね、ニケは握りしめた。
ここで魔王を取り逃がすと、次はいつ会えるかわからない。
せめて何かを知っておかなければ。
情報でも、何でもいい。
「あなた、本当は呪い、解けないんでしょう!」
ニケは思わず叫んでいた。