「引っ越し祝い」第一話
強引に有給をもぎ取って、統太は訪問のほぼ一月後の週後半に引っ越しを決行した。荷物はあまり多くはない。間借りをするといった感じなので極力運び込む物を少なくした結果でもあった。律子があまりの少なさに煩く言っていたが、実家に戻った時に使う物も置いておいて欲しいと話すと、納得したように引き下がった。
レンタカーを借り受け自宅から荷物を持ち出す際に、律子が見せた淋しげな姿には心が痛んだ。だが、留まる訳にはいかない。離れていた方がいい関係もあると自分に言い聞かせ、統太は和馬と共に実家を後にした。車が見えなくなるまで手を振りながら佇む母の姿は、強く記憶に残るだろう。
新居の駐車場では家主の大隅が出迎えてくれた。昼過ぎの指定した時間よりも早く降りて来たらしい。駐車するワゴン車の中を大隅は無邪気な様子で覗き込んだ。だが急に表情を曇らせため息を吐く。
「遠慮してるんですか」
ワゴン車の荷物を目にし、大隅が不満げに口にしたのだ。
何でそんなに不満げなのか判り兼ね対応に悩む。持って来たものは基本的に衣類のみで、大きめのダンボールが3つ。それを入れる小型の箪笥と簡易クローゼット。他は仕事がらみの書類やノートパソコンくらいである。和馬の遊び道具は絵本と大型のブロック。それでもダンボールが2個も増えない。かなりコンパクトに収まっている。訪問時に見せてもらった間取りだとまだまだ余裕があるのだが、居着いてしまえば自然と荷物も増えるだろう。だから今はこれくらいの方がいいのではないだろうかとも思う。
「何だか余所余所しい感じがして切ないですね」
大隅が再び溜息を吐いた。
反論したいと腹の底から思うが、家主に文句を言うのもどうかという自制心が足を引っ張る。
「別に遠慮とかは無いです。余所余所しいと言われても、まだ互いに深く知り合っているわけではないですから」
出来得る限り真面目にやんわりと不平を伸べてみた。顔を向けると大隅と目が合う。そこに面白そうな色を見て取り、統太はやられたと思った。
「大隅さん、面白がってるでしょ!」
そうだ、この人はこういう人だった。
真面目そうに見える分、からかってる時でも真剣に言っているように感じるので性質が悪い。気を使って真摯に応対した自分が馬鹿だった。初対面の席でそんな人だと理解したのにうっかりしたと、自分を叱責する。控えめに声を出して笑う大隅に統太は釘を刺した。
「そんな風にからかうと嫌われますよ。判り辛いですから」
言いながら後部座席のチャイルドシートから和馬を抱き上げ大隅に預ける。扱い慣れぬ様子で大隅が抱き取ると和馬が不安がって泣きだした。いつの間にか大隅の横に来ていた梅子が慌てる大隅に抱き方を指導する。
「これからは大隅さんにべったりと懐くようにしないとね」
にっこりと笑いながら言う梅子に大隅が困ったように頭を掻いた。表情が緩んでいる気がしないでもないが、指摘するのも大人気ないと思い、統太は見て見ぬフリを決め込み荷物を降ろしにかかった。
「台車がありますよ」
神木が手伝いに顔を出した。
手際良く台車を転がし荷降ろし中の統太に近づく。
「助かります。数が少ないんで借りて来なかったんですよ」
ダンボール箱を台車に積みながら礼を言うと神木がにっこりと笑った。
「その代わり、後で和馬くんと遊ばせて!!」
休日に子供たちの相手をしていると聞いてはいたが、それは子供好きだからのようだ。触りたくて仕方が無いのか、神木は統太に台車を託した後、大隅の周りをうろうろしている。この間の印象と違い、何となく幼い感じがして微笑ましい神木に、つい笑ってしまった。
統太が笑みを浮かべながら梅子と大隅の間に入るに入れないでいる神木の姿を見ていると、その陰からぬっと人影が現れた。
「――手伝いに来ましたけど、何かありますか」
大隅が和馬を抱き、あやしながら向き直ると言った。
「アキバさん、いい所に来ましたね」
「桜庭です」
律儀に訂正し、眉をやや寄せて大隅を見てから、桜庭が統太の前にやって来て、台車のダンボールとワゴンの後部に積まれた荷物を見て首を傾げる。
「これだけですか」
「そんなに少ないですかね」
大隅にも遠回しに荷物が少ないと指摘されたので、ほんの少し気にかかる。
「自分は資料が膨大にあったので、引っ越し業者から『本当に一人暮らしなんですか』と嫌な顔をされたんですよ」
桜庭が小声で告げながら頭を掻いた。そんな仕草も何だか若者っぽい。
「本が多かったんですか」
職業が漫画家だからやはり写真集などが多いのだろうと思い聞いてみたのだが、返ってきたのは意外な内容だった。
「本もですが、モデルガンとか空母や戦艦なんかの模型が多いんですよ。小さいけれど人体模型なんかもありあすし。ミリタリー関係の作品を描いてるので、どうしても必要なんですよねぇ」
そう言って桜庭は大きく息を吐いた。
どんなものだと想像してみると少し怖い。目の前の俯き加減な桜庭の、暗く翳った瞳が何だか恐ろしく感じてくる。年齢不詳な外見も恐ろしさを演出している気がして統太はぶるっと身体を震わせた。
桜庭にやや引き気味の統太の気分を払拭するような明るい声がした。神木だ。
「生年月日っていつですか?」
逃げ出すようにして意識が桜庭から神木に向かう。質問に誰のだろうかという疑問がまず浮かび、子供好きの神木のことだから和馬の方だろうと考え、神木に問い返した。
「和馬のですか?」
「いえ、統太さんの方」
いきなり名前で呼ばれて自分が赤くなるのが判った。どういう意味で聞いてきたのかと考えを巡らせながらも口では素直に自分の生年月日を答えている。答える統太の近くでこれみよがしな大きな溜息が聞こえた。桜庭だ。舞い上がっているのを見て呆れているのかもしれない。尚更顔に血が上る気配がした。
「あの、何で生年月日を――」
心の中に多少の期待があるのは否めない。ドギマギしながらも勇気を出して聞いてみた。すると神木が満面の笑みで答えた。
「仕事で市場調査をする時があるんですよ。年齢や性別、時には星座別にアンケートを取る時があるの。その時は協力をお願いしたいなぁと思って」
全く色気の無い即答に拍子抜けした。意識し過ぎた自分はかなり間抜けかもしれないと統太は項垂れ、桜庭が背中を慰めるように軽く叩いてくるその行為で輪を掛けてヘコんだ。
「あの人は無意識ですから始末に負えませんよ」
悟ったような桜庭の口調が気になったが、追求する気分にはなれなかった。
統太は無言で箪笥を運ぶためにワゴンの後部に身体を潜り込ませた。勿論、頭を切り替える意味合いの方が強い。こそこそと逃げ出すように見えるのは承知しているが、羞恥心に煽られ人目を避けるような行動をつい取ってしまった。
――変に意識して舞い上がってるなんて、何やってんだぁ!!
車内で突っ伏すようにして自分を叱責していると、ふと前方から視線を感じた。顔を上げると和馬を抱えた大隅が覗き込んでいる。表情からは何を考えているかは判らないが、こんな状況下では空気を読め! と叫んでしまいたい。苛立ちで震えそうになる身体を宥めて箪笥に手を掛けてから統太はにっこりと笑う。その笑顔は自分でも判る程に顔が引き攣っていた。
そんな統太に和馬がフロントガラス越しに一生懸命に手を伸ばしていた。息子が真剣な表情で手を伸ばすので何事かと心配になり、統太は和馬の元へと動いた。
大隅が身を乗り出す和馬をあやしながら近づく。
「和馬くんがお父さんを探してましてね」
良く見れば和馬が半泣きの状態でぐずっている。
「とーたぁー、あー」
統太の顔を見るなり自分の腕の中で泣きだした和馬に面食らって、大隅が救いを求めるような顔をする。その陰から呑気に春佳と慎之介が現われ口出ししてきた。
「やっぱりパパがいいんだね」
「そりゃぁ、そうだろうが。慣れないジジイよりは女や身内がいいわな」
「でもさ、私が抱っこしようと和馬くんに『おいで』って言ったら首振って拒否されたんだよ。おっちゃん、それってどうよ?」
「派手な頭の姉ちゃんが珍し過ぎるんじゃねぇのか」
春佳はポニーテイルにした金茶の髪をラメ入りの整髪剤で整え、派手なリボンで飾り立てていた。服装はキャミソールにAラインの肩出しチュニック。耳・首・手首にはゴテゴテとしたアクセサリーが連なっている。それらが発てる音に和馬は抵抗してると思ったが、面倒な議論になりそうなので口に出すのは控えた。
春佳と慎之介が互いにじゃれ合うように言い合っている間に、統太は大隅から和馬を受けるべく手を伸ばした。
「和馬、おいで」
出された掌に和馬が指を絡ませる。抱き上げるには絡んだ指が危ないので、見かねた梅子がやってきて、そっと指を外してくれた。大隅の腕から和馬を受け取り、愚図る和馬を抱き締める。
「どうした。不安になったのか」
頭を撫でてやっていると、急にズシンと重みが増した。どうやら眠ってしまったようだ。力の抜けた身体は起きている時よりも重い。抱え直しても身動きせずに眠る和馬に自然と周囲の視線が集まる。
「眠かったんですね」
大隅が溜息を吐くように言うと、梅子が正直な感想を漏らした。
「大隅さんに抱かれて緊張してたんじゃないのかしら」
不本意げな顔をした大隅を尻目に、梅子は夫の慎之介に声を掛けた。
「引っ越しの荷物はあまり無いみたいだから、あんたは部屋に戻っててもいいわよ」
「おい、せっかく来たんだから追い払うような事を言うなよ」
困ったように慎之介が頭を掻く。
「おっちゃんは賑やかな所が好きだからね。邪魔しなければいてもいいよ」
「悪ガキは黙ってろ!」
茶化すような春佳に慎之介が文句を言う。
「荷物運びはアッキーで充分じゃん」
「桜庭ですってば」
ブツブツとガキ扱いされた春佳が呟くように言った台詞に桜庭が、やはり律儀に訂正を入れる。
「おう、今この建物にいる男では、アキバが一番若い男だからな。それは当然だろう」
「――平日の昼間に残ってるのは年寄りだけですからね、男は」
「うぁ、偏見を持ちやがって!」
「そんな口論はどうでもいいですから、アキバさん、統太さんと一緒に荷物を運んで下さい」
不毛な遣り取りを始めようとした桜庭と慎之介に大隅が口論の打ち切り宣言をした。
「違いねぇ!」
「――」
笑い飛ばす慎之介と黙り込む桜庭の対照的な様子に神木が笑う。
「女性陣は夕食の用意でもしながら和馬くんを見てますよ。慎之介さんもこちらに加わってください。大隅さんと統太さんと桜庭さんは荷物の運び込みと片付けでどうですか」
テキパキと場を仕切るように神木が告げた。
そんな所によろよろと史子が乗り込んで来た。
「ごめんなさい。手伝わなくて」
よれよれなその姿に驚いて目を見張る。
「締切近いんですか」
間髪いれずに聞いたのは桜庭だった。問いに力なく笑いながら頷き史子が愚痴る。
「人気シリーズだから発売日は延ばせないって、翻訳急かされてるのよ」
「それは災難ですね」
裏に何か含みがあるような会話である。互いに渋い顔をしている所を見ると、畑は違うが同業の身である二人には通じるものがあるらしい。
「史子さん、お疲れー」
「あら、やつれちゃって。また無理して寝てなの?」
「仕事大変だったら遠慮なく言って。今週末だったら食事と子供たちの面倒は見れますよ」
春佳、梅子、神木の順で女性達が声を掛ける。
返事をするのも億劫そうにし、手をひらひらと振りながら、ふらつく足取りで近くの自動販売機へ向かう史子を見て、思わず口にした。
「大丈夫なんですか、あの人!」
それ程に前回会った時と様子が違う。
騒ぎたてる統太に桜庭がきっぱりと言い切った。
「物書き関係者はああいうものですから気にしない下さい」
桜庭の冷静な口調が慣れ切った習慣である事を物語っていた。物書きとは相当タフでなければやっていけない職業らしい。あんな状態で子供を三人育てている史子に統太は尊敬の念を抱いた。自分はああまでして和馬を育てて行けるだろうかと、自信が挫けそうになる。
「神木さんの提案通りに進めてもいいでしょうかね」
マイナス方向に引かれかけた統太の意識を大隅が引き戻した。
その場にいる銘々が賛同の意を唱え、一先ず和馬を寝かせるべく先日訪れた共有スペースに移動した。