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コレクティブハウス  作者: 芹沢 忍
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「予期せぬ出来事」第五話

 賑やかに勢多親子を歓迎し騒いでいた共有スペースには、大隅と慎之介だけが残っていた。間接照明が淡く灯る中、床に直に腰を下ろし、二人でちびりちびりと酒盃を呷っている。


「おめぇも難儀だな」

 真面目な様子で慎之介が大隅をみやる。

「貴方に言われる筋合いはありません」

「本当は同居が嬉しいんだろうに」

「――」

 頑なな表情のまま大隅が一気に盃を干した。

「あんまり距離を空けてると二の舞になるぞ」


 大隅を心配しての慎之介の言葉であったが、今はあまり大隅の胸に響いていない様子だ。余程の頑固者だと慎之介は困ったように笑う。


 こんな素の表情で大隅と酒を飲めるようになるまでには時間が掛かった。思い返して苦笑する。「似非(えせ)臭い顔しやがって!」と大隅を住人の前で怒鳴ったのは半年程前だったろうか。


 この住居の計画に賛同し参加したのは二年にも満たない。そう、ここは実験的に開始された企画物件だったのだ。定年退職をし、程々の仕事口が決まった慎之介は退屈していた。そんな時にこの物件を見かけ、元来面白がることが好きな慎之介は、梅子に懇願するように引っ越しを持ちかけた。今では良い選択だったと自負している。


 賛同者と一緒に住み始め、一部を除いた住人が打ち解けるのに半年。深く関わるように親交が深まるのに半年。話し合い、決まりを作り、身内のようになるのに半年。その中で、ずっと仮面をつけたような大隅に慎之介の苛立ちは徐々に募っていた。それが爆発したのが半年ほど前だ。食事会の日であり、皆が集って食事の後に団欒をしている席であった。


「お前は何でいつもそうなんだ!」


 テーブルの向かいに座っている大隅の事務的な笑いや態度が、その日は妙に気にかかった。意見を押さえて周りに迎合している。それが嫌なのだという態度が僅かに漏れているように見えた。下手なサインを出している。それが気にかかったのだ。


 大隅が見せる態度はいつも中途半端であった。宗谷夫妻のように一切関わりたくないと、入居の途中から交流を拒絶する人間ならこんなに憤ったりしなかった。光林のように付き合いが不器用ながら本心では人の輪に入たがる人間は判り易い。大隅は親しみの持てる外交的な態度を取りながらも、何処かで一線を引いて、踏み込む一歩手前で、踏ん切りがつかずに迷っているように見えた。


 教え子の中でも時々見かけた一番面倒なやつだった。彼らは大抵、何かしらの問題を抱えており、臆病な気質が他者との間に壁を作っていた。人が信じ切れず、どうしてもそれ以上近付けない。そんな子供が時折見せる姿が大隅に被った。


 大声を出す慎之介の様子に、その場にいた住人が驚いた。一番初めに立て付いたのが意外にも桜庭であった。


「いきなりなんですか。人付き合いのペースや距離は人それぞれでしょう」


 自分から人に接触しようと引き籠っていた実家を離れた桜庭は、ある意味大隅に一番近い状態だったのかもしれない。自分を重ねて感じた思いを口にしたようだった。


「解かってるけどよ、こっちが見ていて痛てぇ」


 公の場でいつも穏やかに笑んでいた大隅の口元が固く引き絞られる。

 彼の中の何かを突いたらしい。


「貴方に何が解ると言うのですか」


 大隅の棘のある言い方は、今まで聞いたことが無いくらいに冷たい声音で響いた。感情的になっている分、今までよりはマシだと慎之介が笑む。桜庭も慎之介の様子に何かを察して口を噤みその場から引いた。


「自分の話しをしないヤツが偉そうに言うな。解って欲しかったら話せばいいだけじゃねぇか」


「――私は解って欲しいなんて」

 そこで大隅の言葉が詰まる。

 ようやく思い至ったらしい。


 そうだ、気付け。溜め込み過ぎてておかしくなる前に。

 築いた壁は厚くなれば自分を潰す。

 子供達もそうだった。

 身体を病んで心を病んで学校を変えた。

 伸ばした手を振り払い壁の中に逃げ込んだ。 


 今の大隅は逃げていない。少し、ほんの僅かであるが前に出ていた。慎之介は大隅を挑発するように対峙した。


「大人しく調子を併せてるだけじゃ、何かあっても気付いて貰えねぇぞ。孤独死なんて嫌だろうが」

 大隅が睨み返してくる。言い返したくても言い返せない。そんな感じだ。


 後ろの方で人が動く気配を感じる。部屋の住人達が静かに移動しているようだ。目の端で確認すると先導しているのは梅子のようである。気を利かせてくれたのだろう。これでは益々女房殿に頭が上がらなくなるなと思いつつ慎之介は妻に感謝する。これで思う存分大隅に言ってやれる。そんな意地の悪い気分が擡げていた。

 大隅は住人の移動には気付いていないようである。目は慎之介を睨んでいるが、実際は自分の内面に必死で向き合っているのだろう。言葉が出て来ないのは葛藤の現れだと慎之介は思った。


「信用出来ない」

 大隅から出たのはその一言だった。


表情に反して小さく消え入りそうな声であったため、慎之介は一瞬耳を疑った。


「何か言ったか」

 イラつくように言葉で大隅を揺さぶる。

 この時、部屋に居たのは、大隅と慎之介の二人だけであった。


「他の奴らは部屋を出てる。普通に喋れ」


 やや語気を緩めて大隅を促すと、我に返ったように大隅は部屋を見回し力を抜いた。人が居ないのを確認すると、しっかりした声で慎之介に告げた。


「信用出来ない。誰もかもが」


 そこから少しずつ語られた事は互いの胸に収めてある。やたらに口外するものでもなかった。ただ、梅子にだけは話しておくと大隅に許可を得てから、遣り切れない思いを抱えて自宅へと戻った。


 自宅に戻ってから心配そうに待っていた梅子に大隅の事を話した。それから慎之介は自信の無い口調で梅子に聞いた。


「やり過ぎたと思うか」


「傍から見てればやり過ぎかもしれないけどね。ここの住人は多分あれで良かったって思ってるんじゃないの。女性の間でも話題になってたからね。これでもう少し大隅さんも腹を割って付き合ってくれるようになるんじゃないのかしら」


 笑って応える妻を見て、大隅は安堵で力が抜けた。座椅子の背凭れに寄りかかり、ようやく出された湯飲みに口を付けた。


「見てるといつもハラハラするような対応して。本当に困った人だね。そんな所が好きな私も、まぁ、困った人間なんだろうね」


 梅子の不意の発言に慎之介は派手に噎せ込んだのだった。


 大隅の様子に変化が見られるようになったのは、その日から少し過ぎての事である。自分の意見をはっきりと口にするようになった。良く喋るようになったし自然な笑顔も増えた。慎之介には時々本音をぶつけて来るようにもなった。完全にではないが、頑なな心が解けたようである。そのことが慎之介には嬉しかった。


 盃を片手に暫し過去に浸っていた慎之介に大隅が零すように呟いた。


「二の舞ですか」


 大隅は盃を握り込み痛みに耐える様な表情を浮かべている。大隅がここに来た経緯を知っているだけに、慎之介は余計な事が言えないまま時間だけが過ぎた。


 二人がやって来るのに長い時間は開かない。それまで大隅がどう考えて行くのか、慎之介は、大隅の気持ちが落ち着くなら、聞ける限り話しを聞いてやろうと決意して傍で静かに酒杯を重ねたが、その日はそれ以上の話しは無かった。


 二人とも黙ったままで飲み続け、珍しく空が白み始めるまで互いに立ち去ることはなかった。

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