「予期せぬ出来事」第四話
夕方近くまでコレクティブハウスに留まり、散々遊び倒して眠ってしまった和馬を背負って統太は帰途に着いた。帰りがてら集っていた住人を思い返しながらゆっくりと歩く。
慎之介は予想以上に子供の扱いが上手かった。理由を聞いたら小学校の教師だったと言っていた。妻の梅子とは職場結婚らしく、何気に惚気られ、少し羨ましい気分になった。
光林は鞄職人。有名なブランドで技術を磨き、今はネットでオーダー品の受注を受けている。人気らしく予約待ちも多いらしい。清香はホームページ管理で受注業務担当。自分でも布の小物を作って販売していると嬉しそうに話していた。
彰人は郵便局員で窓口担当をしているようだ。史子は何と翻訳家だ。主にドイツ語の児童書を翻訳していると言っていた。三人の子供を見ながらの仕事は大変じゃないのかと聞いたら、協力的な住人がいるから平気だと笑っていた。
桜庭は漫画家だが、頭に売れないと付いている。掲載雑誌名は知らなかったので、リアクションに困ってしまった。
神木は印象通り。外資系の貿易会社でバリバリ働いているらしい。出張も多いが、休みの日などは良く子供達と遊んでいるようである。
高井戸夫妻は以前かなりやんちゃをしていたようだ。会話の端々に名残りがが交ざる。響は自動車修理工らしく、車の修理は安くするよと、しっかり営業された。春佳は近所のスーパーのパートだと言っていた。
宗谷夫妻は正直どんな人物であるか判らない。食事が終わると素早く共有スペースを立ち去ったからだ。歩が名残惜しそうに部屋を後にしていたのが印象的であった。
それから大隅。会社の社長だったらしい。これは慎之介が耳打ちして教えてくれたことだ。本人は何故だか自分の事をあまり語りたがらない。部屋の間取りを見せてもらった時も、家族や経歴のことを一切口にしなかった。
「一緒に暮らすのに、何で教えてくれないかな」
事情があるのかもしれないが、気を許してくれていないのではないかと不安になる。徐々にでも打ち解けて行けるといいのだがと、和馬を背負い直しながら、統太は沈み行く夕陽を見つめて歩いた。
家に着いたのは日が殆ど落ちた頃だった。律子に文句を言われると覚悟していたが、今朝の崇彦の言葉が効いたのか、顔を顰めてお帰りと言っただけであった。拍子抜けして居間へ行くと、崇彦がソファで寛いで本を読んでいた。近寄ってその背に話しかける。
「父さん、俺、和馬とこの家を出るよ」
少し間を置いてから崇彦が本から目を上げずに応えた。
「母さんの事が原因か」
大きく溜め息を吐いて崇彦は呟くような小さな声で続ける。
「その方が和馬の為には良いだろう」
出された言葉に統太は泣きそうになった。
今朝も思ったが、父は自分たちを見てくれている。安堵感と感謝とが胸に募る。黙ったまま何も言えずに立ち尽くしてしまう。父は振り向かずに統太へ語り続けた。
「母さんは、お前が結婚するとなった時、ショックが大きかったんだ。ずっと統太のお嫁さんになる子と、ああしよう、こうしようと、楽しみにしていたのに、いきなり顔合わせで、孫がもう腹にいて、その上、お前はすぐに家を出ただろう。文句を言いたくなる気持ちも理解してやって欲しい」
語られる言葉を噛みしめる。父にも思う所は有るのだろうが、母と違い決して押しつけるような言い方はしない。その分、統太の心には言葉が染みる。
崇彦がゆっくりと本から目を上げ振り向いた。
潤みかけた瞳を見据えられる。
「ここを出て暮らせるのか」
覚悟が出来ているのか、とも聞かれた気がした。
和馬と二人きりであれば無理だと首を振っただろう。だか、先程出逢った人々の中であれば何とかやっていけると思っている。やってみる覚悟も出来た。だから大きく頷いた。あそこだったら大丈夫だ。
当初感じた不安感など忘れたように統太は力強く頷いていた。振動で背中の和馬が小さく愚図る。
「早く降ろして寝かせてあげなさい」
苦笑しながら崇彦が促すので、和馬を起こさぬようにそろりと移動する。居間の出入り口まで行くと、律子が硬直して立っていた。
「あんた、和馬と家を出るの。しかも私が原因なの」
強張った顔で自分を見つめる母の視線は胸に刺さった。目が合わせられず無駄に視線を泳がせる。空気が張り詰めヒリヒリと痛いくらいだ。下手に口を開けば、また、言い合いになってしまう。互いにそれを避けたいのか、言葉を発する事なく向かい合ったまま動けずにいた。
「統太ももう親だ。息子だからと言って我儘を言うのは止めなさい」
「でも――」
崇彦が諌めるように告げると、それ以上、律子の言葉は続かない。統太の横を黙って通り過ぎ、萎れたような姿で崇彦の元へと向かう。その通りすがりに統太は「ごめん」と小さく謝った。
互いに張っていた意地や見栄を今更取り消すことは出来ないが、これからは崇彦の助けを借りながら改善して行けるだろう。
振り返ると崇彦と目が合った。
力強く頷く姿が見える。
その姿は統太に任せておけと言っていた。