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コレクティブハウス  作者: 芹沢 忍
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「アヤシイ貼り紙」第二話

 土曜の昼前。どこへ出かけるのか母の律子(りつこ)がしつこく聞いてくるのを適当に捌きながら、統太は玄関で和馬に靴を履かせていた。


 久しぶりに父親と二人で出かけられるのが嬉しいのか、和馬は外出を伝えた後から、ずっと機嫌よくニコニコとしていた。それが律子の気に障ったらしい。統太が知る限り、和馬は律子に対してこのように笑ったことは滅多に無かった。統太に言わせれば自業自得だが、それが律子には解からないようである。


 人の機微に気付けない自分の母親を見ると心に冷たいものが宿る。それがまた律子を苛立たせて行くのは判っているが、身内に対しての感情は隠しきれるものではなかった。互いの態度が、近頃は、強固で息苦しい苦痛なものに変わっている。

 和馬は二人が対峙している場面に出くわすと萎縮して寄りつかない。家の中は和馬にとっても居心地の悪さが日々増していた。


 土間との段差に腰掛けた和馬は、表情を消し、靴を履いた足をぶらぶらと揺すっている。統太と律子はそんな子供に気付かず、やり取りを続けていた。


「どこに行くかくらい教えてくれてもいいでしょう。本当にあんたは頑固なんだから!」

 イライラした律子が声を荒げた。


 家を出るための新居の下見だなんて言えるわけが無い。

 言ったらこの場で延々と管を巻かれる。


 ――気を使って黙っているって、何故この人は気付かないのだろうか。


 胸にそんな考えを抱いた統太は、黙って和馬の横に座り、靴紐をゆっくりと縛って平静を保とうと努めていた。


「何か悪いことでも考えてるんじゃないでしょうね。もしかして、あの女の所へでも行くのかしら」


 元妻のことだ。厭味を言うかのように投げつけられた台詞に、神経を逆撫でられ、それまで黙っていた統太は耐えきれずに低い声を発した。


「休日に親子で近所へ行くだけだって言ってるだろう。母さんがそんなだから息抜きに行くんだよ」

 売り言葉に買い言葉だ。事態が悪くなると判っているのに止められなかった。


「何ですって?!」

 律子の顔付きが険しくなる。ヒステリックに喚き始めるだろうと統太は覚悟したのだが、律子の甲高い声が響く前に、家の主が割って入ってきた。


「いい加減にしないか」

 助け船を出したのは統太の父の崇彦(たかひこ)だった。


「でも――」

 言い募ろうとする伴侶を制すようにして崇彦が言った。


「しつこい。和馬を見ろ」

 それでようやく気付いたのか律子が押し黙る。表情で狼狽えているのが判るが、統太はそんな律子を冷ややかに見るだけだった。


「統太。お前は母さんにはっきりと言え。一番初めに、たまには二人だけでゆっくりと出かけたいと言えば、母さんも意固地に追求しなかっただろうに。そうしないと無駄に和馬に皺寄せが来るぞ」


 崇彦の言う通りだった。

 見ていないようであるが、しっかりと見ている。


 それなら(こじ)れる前に助けてくれても良かっただろうにと、統太は心中で愚痴った。甘えた考えだとは解っているが、思わずにはいられなかった。苛立った気分をすぐに治めるのは難しい。


「和馬。行こうか」

 しょげかえったような和馬を促し手を握ると、統太は逃げ出すように家を出た。


 自分でも気付かないうちに和馬を傷つけている。

 統太の気持ちは焦っていた。


 ――このままではいけない。


 気持ちに合わせるように足が早くなるのを止められない。家から離れて気分を落ちつけたい思いで歩調に拍車が掛かっていく。


「やだ!」

 激しい和馬の声で我に還った。

 見ると和馬は顔を真っ赤にして息を切らし、目には涙が滲んでいる。


 ――何やってんだ、俺は!


 襲ってくる後悔に蒼褪める。しゃがみ込んで顔を合わせるが、和馬は歯を食いしばり俯いてしまった。


「ごめん、和馬。ごめん――」


 和馬の手が拳を握る。それを統太に何度もぶつけてから和馬は統太にしがみ付いた。声を出さずに泣いている。やんわりと抱き締めてやると、堰を切ったように声をあげて泣き出した。


 未熟な自分に腹が立つ。

 自分の子供染みた親への反発が

 和馬を不安にさせている。


 抱き上げ和馬の背中を撫でる。伝わってくる身体の震えに胸が痛んだ。泣きたい気持ちで統太は腕に力を込め和馬を抱き締めると、ごめんと小さく言葉を繰り返す。全力で泣いていた和馬は、嫌がるように腕を突っ張っていたが、繰り返される言葉に次第に抵抗を弱め、終いには統太の首に抱き付き、小さくしゃくり上げるようになった。しゃくり上げる途中途中で嫌だと切れ切れに訴えた言葉が胸を刺す。


「そうだな。俺も嫌だな。和馬も嫌だったんだな」

 息子のくぐもった声を胸に受け、統太は天を仰いだ。


 ――また和馬を見れていないのか。


 妻と別れた理由がやはりそれだったのに。

 胸に苦い記憶が過ぎった。

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