第7話 『狐巫女の正体』
「まさかラムネなんかで機嫌なおしてまうなんてな~」
ティアドロップのサングラスをかけた八十田先輩は後ろをぽてぽて付いてくるゆかを振り返りながら苦笑した。
これでパイプをくゆらせていたら、例の司令官を彷彿とさせるな……と思いつつ私も妹を尻目に頷き返す。
「所詮こどもです……」
ゆかは、メッシュの袋に5本くらいのラムネを入れたものをぶんぶん上機嫌に振り回していた。
「そうやねぇ。けど、おっぱいはみずっちゃんよりも、ゆかちゃんの方が……あいたたた」
「貧乳をバカにするのはこの口ですかぁ??」
わりと腹が立ったので、先輩の頬を思いっきり横に引っ張った。
司令官の見る影もない。やっぱり、この人はそういうキャラとは程遠かろう。
と、そのとき。
「あの……八十田先輩。イチカ……ちゃんはどうしたんでしょうか? その……集合場所の駅にも居なかったみたいなんですけど」
隣りをさっきからずっと黙って歩いていたほたるが、不意に口を開いた。
たしかに、ほたるの心配ももっともだ。今朝はAM7:30に九条駅改札口に集合のはずだった。しかし、イチカだけ出発の8:00になっても現れなかったのだ。先輩の指示で出発してしまったが、よかったのだろうか。
「ああ……そういえば、まだ二人は知らへんかったねぇ。ま、着いてから教えたるさかい」
八十田先輩は、含み笑いと共に扇子をばふっと広げるのだった。
※
「ここは……」
「神社っぽいね、おねぇ」
立ち止まった私の横で、二本目のラムネ瓶を空にしたゆかが首をかしげた。
「きゅう、じょう、じん、じゃ……」
鳥居上に書かれた『九条神社』という漢字をほたるが一文字ずつ読み上げた。
「ほたるん。これ、『くじょうじんじゃ』って読むんだと思うよ」
「ええっ! う……ぁ。そ、そうなんだ……。ごめん……」
赤面して俯くほたる。可愛いなぁ、まったく。
「じぃっ」
ほくほくしていると、隣からゆかの刺すような視線を感じた。
スルーで流した。
「ほらー、三人ともー。本殿はこっちみたいやでー」
石畳の向こうで先輩が扇子をふわふわ振っている。
結構大荷物の少女三人がのっそり動き出した。
「これは……」
「結構立派だなー」
「くじょうじんじゃ……」
私、ゆか、ほたるの三人は、思い思いにその一軒家ほどもある木造建築物を見上げた。
「建立されたんは、もう奈良時代まで遡るみたいやねぇ」
キャップとサングラスを外し、ザックも下ろした先輩が汗を拭いながら、教えてくれた。
私たちも彼女に倣って、帽子を脱いで荷物を下ろす。
きゅぽん。
間抜けな音と共に三本目のラムネ瓶をゆかが開けた。
「ゆかぁ。あんた、そんなに飲んでると後でおトイレ行きたくなっちゃうよ。私が買っといて言うのもなんだけどさ……」
「えー、でもラムネは冷えてるほうが美味しいもん。それに、さっき入口にトイレあったし……。登る前に行けばいいでしょ? んくっんくっ……ぷあー」
あっという間に飲み干してしまったゆかは、もとのメッシュ袋に空瓶を放り込んだ。
ちりん、と涼しげな音が響いた。
そのとき。
どぉん。
皆が驚いた。ほたるに至っては腰を抜かしてへたり込んでしまった。
お腹に響く打楽器特有の低音。
どんどんどんどんどん…………
これは……
「わ、和太鼓……?」
ゆかが呟いた。そして、ピタッと音が止む。
本殿の内部で誰かがトタトタ駆け回る足音が聞こえた。
ガラッ。
そして賽銭箱の障子が突然、開いた。暗がりから妙ちくりんな恰好の人間が姿を現す。
「はぁはぁ……よくぞ参ったッス……チガッタ……参ったな! 九条山に挑むセンパ……イケネ……挑戦者たちよ!」
その人間はキツネのお面をつけており、人相が判然としなかった。
仙人じみた語り口だが、声音は明らかに私たちと同世代の女の子特有のものだ。というか、この声どこかで……。
「巫女さん……?」
ほたるが首を傾げる。たしかに、そのようにも見える。
社殿でよく見る紅白の和装。
しかし、私の知っている『巫女』というのはこんなにアクティブなものだっただろうか。
たぶんさっきの和太鼓もこの人間が打っていたに違いないのだ。
それが証拠にかなり息が上がっている。
「イチカちゃん。そろそろお面取ってくれへんかいな? はよ出発せな暑なるで」
八十田先輩がニマニマ笑いながら言った。
キツネ巫女からぎくり、という擬音が聞こえた。
ああ、そうだ。この声はイチカのものだ。既視感のようなものにようやく焦点が合った。
「もー! 八十田さん言わないでくださいよー!!」
お面の下から、見慣れたハーフの顔が現れた。
「えぇっ?! イチカちゃんだったの?!」
ほたるが一番驚いていた。どうやら気付いていなかったらしい。
まぁ、私も途中まで誰だか分かんなかったけど。
「おねぇ、あの女誰?」
ゆかが私の肩を揺らした。
「うちの部員のイチカちゃん。あんたの一個上よ」
「ふーん……。まぁ、いいや」
何が良いのだろうか。そんな私の心配をよそに、イチカは暗がりにすごすごと帰っていく。
まるで春だと思って洞窟の外に出たら、まだ冬だと分かったときのクマのようである。
「出発の前にこれだけやらせて欲しいっす」
そう言って彼女が運んできたのは四つの三方(神前にものを供える木製の台)だった。
台の上には何か粉末のようなものが載せられている。
「イチカちゃん……。これ……何?」
「塩っす」
ほたるの質問にイチカは胸を張って答えた。
巨乳に巫女服がぐぐっと押し上げられていた。ちょっと不快に思った。
「塩……? 何のためにですか?」
ゆかが三方に載せられた粉をしゃがんで見ながら顔を上げる。
「清めのためやな~。九条山は神聖な所さかい、入山前に下界の穢れを落とすんやで」
妹の質問には、先輩が答えた。
「そうです! ですからっ! えいっ」
「きゃっ」
イチカは目の前の塩を鷲掴みにして、ほたるにぶっかけた。
懐から大幣を取り出し、何やらむにゃむにゃ唱える。
同じことを私とゆかにも行った。
「さて……最後は八十田さんだけですね」
「お手柔らかに頼むわぁ」
「了解っす。えいっ」
そして、事件は起こった。
「げっほげっほ! わぁあああ! なんやこれぇ?! はっ、ふしゅっ! くしゅっ!!」
千鳥足になりながら、咳とくしゃみを繰り返す先輩。
あ、転んだ……。
「ふしゅっ、はっくしゅっ! 目がぁ~! あかんっ、目がぁ~!! 」
若干、オモシロイ光景に見えなくもないが、粉を撒いた本人たるイチカは青ざめている。
「あ、あ、あれ……? おかしいッスね……。もしかして、センパイには他の人よりも沢山の穢れが……」
「部長! 大丈夫ですかっ?! い、今、水を持ってきますね!」
冷や汗をかいたほたるが手水場の方へと走っていった。
私とゆかは茫然と八十田先輩の舞踊を眺めていたが、ハッとなったゆかがそのへんに置かれた三方に近寄った。紙片の上に残った白色ではない少し灰色っぽいものを持ち上げる。
ぺろっと味見。
「おねぇ、これコショウだ」
先輩の投げた扇子がイチカの顔面にクリティカルヒットした。