第29話 『学問の神様にお願いします』
「いいなぁー、みずき先輩とほたるんは週末登山かぁーっ」
登山部部室のベンチに寝っ転がりながら、九条イチカが唇を尖らせた。ちらっとデスク作業をしている部長に目をやる。
「今年の予算だと、このキャンプギアとか良さそうやなぁ。ふー」
登山部部長、八十田ゆめ。彼女は山岳カタログを眺めながら淹れたてのホットココアを啜る。イチカの独り言を気にも留めてない様子だ。
「週末登山かぁーっ! うぁーっ、良いなぁーっ! 裏山っすぃぃぃ! フゥウウウウウッ↑」
「あーもう、やか、ましぃ! このアホンダラぁっ!」
額に血管を浮かせた八十田が、消しゴムを投げつける。
「あだぁっ」
イチカの額にクリーンヒットした。
「せんぱーい。拙者、遊びに行きたいでござるぅ」
かつて日本にここまで大和魂の抜けた侍がいただろうか。イチカは、ベンチに仰向けで寝転がり手足をぶらぶらさせている。
「ウチ、これでも受験生やねんけど」
「やとっさんは、大学の推薦取れるっしょ? 生徒会長パワーで、どこ大もKOっしょ」
シュシュッとイチカが虚空に猫パンチ。八十田は、呆れたように眉根を寄せた。
「学問の神様が聞いたら怒られそうな発言やな……」
「自分には笑いの神様がついてるんで! そんなことより、今週末どこか行きましょうよー! うがぁー」
「あー揺らすな揺らすなぁ。はぁー、しゃあないなぁ……」
おもむろに八十田がスマホの画面をイチカの眼前に見せる。地図アプリが起動されており、『太宰府』という地名がピン立てされている。
「なんすか……? ふとし……サイフ?」
「イチカやんは、全国のふとし君に謝罪しーな。正しい読みは『だ、ざい、ふ』や。もうちぃと、漢字の勉強もしぃひんとな」
「へー。そこって、何が有名なんすかー?」
先輩の咎める声をものともせず、イチカは聞いた。八十田は、彼女の『なんすかぁ⤴︎』という聞き方に、神経を逆なでされる気分だった。
「有名なんはなー、まさに『学問の神様』が祀られてる神社があるところなんやなー。国立博物館も近くにあって歴史の勉強になるでぇ??」
理性でイラを抑え、太宰府の良さを紹介する。しかし、口元が若干ひくつく。
「えーっ?! 勉強とか絶対やだやだヤダーッ! うぁだだだ……」
大声で嫌がるイチカを、容赦ない頬っぺたピンチが襲った。
「今、イチカやんに1番必要なことやろ。ちなみに、みずっちゃんとほたるんは、学年10番以内から落ちたことがないみたいやで? あないな感じでもやることはやっとるっちゅーことやな」
「なるほど。二人共ヤルことはヤッてんすね」
「ほんま思考がおっさんのソレやな」
「けど、センパイ。やっぱり、勉強だけのためにお出かけってなんかつまらなくないっスか? やっぱご褒美的なものがないとっ!」
「梅ヶ枝餅。餡子を、餅生地で包んだ特産品。めちゃ美味い」
「お……」
イチカの動きが停止する。
「太宰府北部の宝満山ふもと。カフェレストランで食べられるランチ。ハンバーグに、オムハヤシ……まさにこの世の楽園」
「おお……」
八十田の言葉に美味しいお昼を夢想する。
「宝満山にあるかまど神社近くの温泉! 駅チカの豚骨らーめん! 最高や!」
「うぁおおお! 行くっス! 行きたいっスぅぅう!」
拳を振り上げ、イチカ大興奮。
「ふっ……口ほどにもあらへん後輩や……」
したり顔で八十田はココアの残滓を啜った。
※
みずきとほたるが週末デートを楽しんでる同じ日。太宰府駅前。
「外国人多っ!」
駅舎に降り立ったイチカは第一声、そう零した。普段の生活では聞き慣れぬ言語が飛び交っており、異国のような空気がある。
「福岡の有名な観光名所の1つやってん、外からの観光客が多いのは自然やろー」
八十田ゆめは、いつものゆるゆるコーデで優雅に改札の人混みをくぐりぬけていく。
「それにしても人の数がエグいっすよぉ~」
ゲンナリした顔でイチカは、八十田の後ろをついて行った。実家が田園豊かな場所にある彼女にとって、人混みは苦手なのだ。
「すぐ慣れるさかい。ほら、開けた所に出るで~」
駅のロータリーを抜けた右手に、パッと開けた通りが現れる。イチカの暗い顔が華やいだ。
「おおっ! なんか賑やかっス!」
「ここが大宰府随一の表参道やな~。色んな土産品売っとるでー」
大きな鳥居の先に、様々な出店が軒を連ねている。
『いらっしゃーい。梅ヶ枝餅、1個130円でーす』
ちょっと通りを進んだ所に、いきなり『梅ヶ枝餅』と描かれたのぼりが旗めく。
「やとっさん、やとっさん! うめがえもち! 食いたいっス!」
「いきなりやなぁ。先に参拝してお昼食べた後のほうがええんとちゃう? ここでお餅食べ過ぎると、お昼入らんかもしれへんで」
「えー、確かにそうですけどぉ」
イチカが不服そうに唇を尖らせる。
しかし、そんなお店の前で迷う二人に店員さんが、ダメ押しの一手。
『今、ちょうど出来たてアツアツが上がってますよ~。お嬢さん方~』
見事な術中にハマり、イチカが10個、八十田が5個のお買い上げと相成った。表面が、パリッとしているが内側はビョーンと伸び、餡子がたっぷり詰まっている。熱々は、かなり美味しい。
「それにひても……はむはむ……梅ヶ枝餅ばっかっふね……」
「せやなぁ……むはむは……。まぁ、美味いからええねんけど」
2人で表参道を食べ歩きながら、お店の軒先を観察する。数あるお店の7割方が梅ヶ枝餅を売り出しており苦笑しかけた。きっとそれだけ売れるのだろう。
「にしても、中身が餡子のところばかりっスね。こういうお菓子ってカスタードとか生クリームとか、色々バリエーションがありそうな気もするんスけど」
「頑なに餡子推しやな~。まぁ、お店によって餡の配合とか、餅の厚みとか、串に刺してあったりとか色々違いはあるみたいやけどな」
店ごとの微妙な違いを八十田は分析するが、不意に「あ」と漏らす。
「どしたんスか?」
「あそこのお店、梅ヶ枝餅と一緒にお抹茶飲めるやん……。あそこで買えば良かったわぁー」
「出た、和式人間。自分は、抹茶とか苦くて飲めないんでいいっス」
「抹茶も飲めへんなんて人生の99%は損しとるんちゃう? ほんま可哀想やわ」
99%は個人的主観で盛り過ぎだろうが、1割くらいは損かもしれない。甘味には、あの苦味が効くのだ。
「自分、抹茶オレは飲めるんで」
「あんなん、ただの変な緑色したジュースやろ」
あま味×あま味のダブルコンボが八十田には理解できない。
「あーっ! 抹茶オレ馬鹿にしましたね?!」
「事実やん。口の中が砂糖地獄になるから、和菓子の横とかよう置かれへんわ」
「はい出たぁ。他の価値観を受け付けない頭の固さ。いーだ、モテない原因っすよー」
あま味×にが味のダブルコンボがイチカには理解できない。
「関係あらへんわ。イチカやんは、大衆文化に毒されてバカになっとるで」
「バカで大いに結構でーす。自由な生き方ができる現代文化こそ至高でーす。そういう先輩は、作法でガチガチに縛られた伝統の中で窮屈な思いすればいいっすよ」
「分かっとらんなぁ。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶんや」
「はぁー?? つっまんなーい。マジ頑固」
「なんやねん、このアホタレ」
などとやり合っている内に、太宰府天満宮境内に入っていた。二人の眼前に、見慣れぬ銅像が鎮座している。
「牛や」
「牛っすね……」
水牛のような立派な体躯。他の観光客は、その傍で写真を撮ったり、お願い事をしながらその身体を撫でたりしていた。どうやら『撫でる』という行為に、意味があるらしい。
「ぬはは。イチカやんも、この牛ちゃんの頭撫でたら頭良くなるんやあらへんの?」
冗談混じりに八十田は、イチカを小突く。
「私はそんな神頼みをする人間ではありませんので」
「言ってることとやってることが真逆や……」
真顔で牛の頭をこすり続けるイチカに、突っ込まずにはいられなかった。
撫で牛を通り過ぎると、情緒ある池が広がっていた。桜灯篭の立った赤橋が架けられており、そこから遊泳する鯉を眺めたりできる。
「あ。やとっさん、やとっさん。あそこ何かやってるっす」
「んー? ほんまや。何やろ」
イチカの指差した対岸に目を凝らすと、東屋のような建物が。日陰に、大勢の社会見学らしき高校生の一団。彼らの前で、江戸町民のような恰好のおじさんが何やら一芸を披露している。彼が扇子のようなものを宙に放り投げたり、広げたりしては、それに夢中になる高校生たちが歓声を上げている。ベンチに座るイイ感じな男子生徒と女子生徒は、梅が枝餅を半分こにして秘密のお喋りに興じていた。
「はは……。なんか羨ましいっす。理想的な青春――あむっ――眩しいっす」
「むぐむぐ……んくっ。高校生同士の恋愛なんてな、所詮、遊びや遊び。卒業してしまえば、ただの春の夜の夢なんや」
赤橋のてっぺん。女子高育ちの拗らせ女子2人で食べる梅が枝餅は、しっとりと舌に沁みる。
「甘いっす……」
「甘いなぁ」
池にこぼれ落ちた餅くずを、小さな錦鯉が攫った。
「せーんぱい」
「?」
不意に呼ばれた八十田が顔を向けると、金髪ボブの生意気な後輩がにぃっと笑顔を作っている。あざと可愛いとは、このことだろうか。
「けど、私は先輩とこうしてお出かけできることが、何よりも楽しいんですよ」
「……へぁ」
唐突なカミングアウトに、八十田は変な声を上げた。面を下げて、無邪気な後輩のほっぺを触る。
「イチカやん……」
むにぃっとイチカの表情筋が引っ張られる。
「いや、なんでツネるひぃ……」
「それは反則や」
八十田は、赤ら顔を隠して悔しげに言った。
本殿の方からガランガラン、と誰かが鐘を鳴らす音が聞こえた。




