第2話 『山の非常食・フリーズドライ』
「う……ん、あれ。私……」
ずいぶん長いこと眠っていたような気がして、気だるい身体を起こす。
「あ、やっと起きた。グッモーニンッ★ みずきせんぱーい」
背後から随分かしましい声がして、何じゃ?と振り向けば知らない金髪少女がそこに居る。ハーフの少女らしく、スタイルが良い。ジャージを丸く盛り上がらせる双子山がさっきからたゆんたゆん弾んでいる
未知の人種に若干の不安を感じていると、その『金髪』は椅子でぶらんこさせながら、にかっと笑った。
「やっはぁー、ほたる先輩から聞きましたよぉ。私たち登山部に来てくれた助っ人さんなんでふひょね? もーうほたるんもそふひふことは早ふ言っへほひいんでふよね~」
彼女は、『ジップバッグに入った湯気のたつもの』を口いっぱいに詰め込んで、フォークをゆらゆらと虚空に振る。
「……それ、何?」
まだ入部すると決めたわけではないが、それよりも私の注目は金髪が食べているものに釘付けとなった。
「名前とか聞かないんですね……。あ、これは登山用の非常食です。先輩も食べてみますか?」
金髪は苦笑しながら、パックを持ち上げてみせた。
袋には『えびぴらふ』と描かれており、そこから湯だった海産物の匂いが漂ってくる。即断した。
「食べる……!」
「ち、近い……。顔が近いです、みずきさん……! 分かりましたから! そこで、ちょっと待っててください!」
金髪にベンチへと押し戻され、大人しく待つことに。
彼女はロッカーに歩み寄ると、中からいくつかの同じような銀パックを取り出す。
そして、それらを長テーブルに並べた。
「どれにしますか? これ登山グッズ専門店の『リゾットシリーズ』なんですけど。テイストが色々あって、カレー味、ガーリック味、コーン味……梅しそ味なんてのもありますよ?」
「エビピラフは?」
「さっきので売り切れっす」
悪びれる様子もなく、チロっと舌を出された。
「ふぅん?」
食べたかったものが得られず、つい意地悪な反応をしてしまう。
私の反応に、イチカはちょっとだけ申し訳なさそうな表情をつくった。
「……すんません。そんな顔しないで下さいぃ」
「まぁ、タダご飯だしね。じゃぁ、私はこの『リゾットシリーズ・シーフードカレー』にする」
「ほほう……。その心は?」
「海老が入ってるから」
「どんだけエビピラ食べたかったんですか……。けど、リゾットも結構美味しいんっすよ! 少々お待ちくださいね、お客さん!」
酒場の店主みたいな喋り方で、イチカはクッキングへと移る。
まぁ、料理といっても……。
私はカレーではないその他のリゾットシリーズのパックを手に取った。
表面に書いてあるではないか。
『熱湯3分で簡単出来上がり』
ジョボボボボ……
間の抜けた電気ポットの排湯音が響いた。
「おまちどう」
イチカは、なるべく袋の端を持って長テーブルへと載せる。
顔を近付けてみると、たしかに国民的料理の香ばしい匂いが袋の周囲に立ち込めていた。
どうやら、チャックの締めが甘いらしく、小さな湯気が立ち昇っている。
「せんぱい、もう良いっすよ」
「うん……むひっ」
「今笑いました?」
「いいや」
訝しげなイチカからプラスチック製のスプーンを受け取る。
機能性に優れたもので柄の方はフォーク形状になっていた。
「いただきまふ、うまうま」
「言い終わる前に食べてるッ……! 味の方はどっすか。因みに一袋400円っす」
フリーの両足をぶんぶん振って回答とした。
「美味しかったんですね、いやー良かった良かった。あ、私イチカっていいます。ヨロシクッス」
適当に相槌を打って私は空っぽになった袋に目を落とした。
「山に行ったときの食事は皆こういうのを食べてるの?」
「あー……いえ、普段はちゃんと食材持って行って作ってますね。先月の新歓登山では、先輩たちがパエリア作ってくれたんすよぉ」
「ふーん、いいな。パエリアか……」
「……先輩も入部すれば、食べられますよ?」
顔を近付け悪だくみめいた瞳を向けてくるイチカ。
うへぇ、と思いつつ顔を逸らした。けど
「……まぁ、悪くはないかも」
「そっすか。良かったらご一考下さいね。あ、先輩LINKとかやってます? ちょっと登録させて頂きたいんですけど」
イチカはスマホのホームを開くと、緑色のアイコンをタップする。
見慣れた友達一覧が表示された。なんか500人近くいたんだけど……。
半ば信じられない思いをしながらも、自分も懐からスマホを取り出す。
「げ……」
変な声が出た。
――未着信履歴 8件
全部同一人物からだ。
画面上部に表示された時間は、17:40
やべぇ。
「カレシさんっすか?」
硬直していると、私のスマホ画面をのぞき込んだイチカが不思議そうな声を上げる。
「違う、断じて。ごめん、私もう帰るわ。今日はごちそうさま」
「え、あ、はい……。どういたしま――」
イチカのセリフを最後まで聞き終わらないうちに、出口へと向かう。
「あっ」「きゃ!」
扉を開けると同時に誰かとぶつかった。女の子、背中に大きなバックパックを背負っている。彼女は、ずりおちたキャップの下から私を見上げ、瞳を揺らす。
「あ、みずき……ちゃん。もう帰るの?」
尻餅をついたほたるを引っ張り上げて、スカートの埃を払う。
バランスを崩しそうになって、少々よろめいた。
「っとと……ほたるん、めんご。私、人待たせてるから。部長さんによろしく言っといて」
早口にまくし立てて、さっさとその場を後にした。
無意識の内に彼女のことをあだ名で呼んでいたことには、そのとき気付かなかった。
※
「ほたる先輩、トレーニングおつっす。これ飲みます?」
イチカは扉付近で立ちぼうけになっている先輩にスポドリの入った紙コップを差し出す。
「ほた、ほたるん……みずきちゃん……入部、してくれるんだ……」
しかし、頬を上気させた先輩はぼうっと、一人の少女が走り去った方向を眺め続けていた。全くこちらに注意を向けてくれない。
「せんぱーい! ほたるせんぱーい! ……ダメだこりゃ」
イチカは溜め息をつき、えびぴらふの残りを口に流し込むのだった。