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第21話 『むりする先輩、いじわる後輩』


 『林道第三ひびき山浮嶽線』の出合いを抜け、また登り、渓流の橋を渡った先で2回目の小休止をとった。


「べ、ベンチ……! はぁ、へぁ……はふぅ……」


 私は目の端に、手頃な木製ベンチを見つけ倒れ込むように座った。ザックも一緒に下ろす。

 私一人ぐったりする中、目の前では九条イチカと三日月ほたるが立ったまま話し込んでいた。二人が一緒に見ているのはビニールバッグに入れた地図。


「さっき林道出合いを抜けてー、右手に沢があるから、今はだいたいこの辺りッスかね?」


「うん……。たぶんもうちょっとで『イオの滝』が見られるんじゃないかな」


 どうやら、周辺の地形をもとに読図で現在地を把握しようとしているらしい。

 二人共、まだ全然息が上がってないようで、肩を上下に揺らしてるのは私だけだ。


「はぁ……ダメだ……私」


 自分のあまりの体力の無さに落ち込んでいると、八十田(やとだ)ゆめが私の顔をのぞき込んだ。


「みずっちゃん、ちょいと疲れたんやない?」


「せんぱい……。あの、足引っ張ってすみません……」


 私が頭を下げると、八十田は微笑んで隣りに腰掛けた。


「まずは水分補給をしっかりしとき。登り始めの今はまだキツいやろけど、あと少ししたら楽なると思うで」


「そうなんですか?」


「ホンマホンマ。びっくりするくらい身体が軽なるから。せやけど、汗かくから水分はちょこちょこ摂らなあかんで~」


 彼女の言に従って、ザックの500mlスポーツ飲料を少し口に含んだ。心持ちか少し楽になった気がする。

 一方の八十田はザック胸元に括られたチューブを(くわ)えた。彼女の吸い込みに合わせて内部を何かの液体が動いた。


「あの……先輩、それ何ですか?」


「ん? あー、これ『ハイドレーション』って道具やねん。チューブのもとに飲料容器がついてるねんけど……」


 歩きながら水飲めたら便利やん?と言われ妙に納得してしまった。

 たしかに、歩行中にわざわざ重いザックを下ろしては中からペットボトルを取り出すとういうのは、面倒くさい。ザック外側のポケットにセットできれば良いが、残念ながら私のにはそんな機能がないのだ。

 

「よかったらみずっちゃんも飲んでみぃひん? 初ハイドレーション」


「えっ、いいんですか?」


「ええよ~。勝手が良かったら買うのも手やと思うで」


「じゃ、じゃあちょっとだけ頂きます」


 どんな感じなんだろ。

 そんな思いで先輩の胸元付近のチューブ口を(くわ)えた。

 

 とくっ。


 あまり吸い込まなくても、液体が口の中に流れ込んだ。

 中身は柑橘系のスポドリだった。

 たしかに、これを歩きながら都度飲めたら快適かも。


「たーんとお飲み。ばぶちゃーん」


 初めての体験に夢中になっていると、突然八十田が甘い声で私の頭をなでなでした。ビクッとして、距離を取る。


「ちょっ?! ヘンなことしないで下さいよ!!」


「なはは。しゃーないやろ。可愛い女の子が必死に自分のアレ吸ってたら、なんや母性本能が――」


「アレとか言わないで下さい! 本気で気持ち悪いです!」


「あーっと……なんやろ。みずっちゃんに気持ち悪がられるのも、ず、随分オツなもんやな」


 自分の身体を抱いて罵ったが、八十田はそれを意に介した様子はない。余裕そうに扇子で自分をあおいでいる。

 本当にこの人は……。ちょっといい人かも、とか思った自分が馬鹿だった。やっぱりただの遊び人じゃないのか。

 セクハラ紛いの行いに憤慨していると、白い手が私の肩を抱きとめた。見上げれば、若干不機嫌そうなほたるの横顔が。


「八十田先輩、みずきをあんまり虐めないで下さい」


「ほーいほい……以後気を付けるさかい、堪忍なー。にはは……」


「はぁ……。みずき、こっちおいで」


 おちゃらけて笑う彼女に、ほたるは嘆息して私を少し離れた木陰に引っ張っていった。




「みずき、疲れてたんだね。ごめん、気付かなくって。(こく)なことしたね」


「ほたるんが謝ることじゃ……」


「ううん、実は登山前に先輩から言われてたの。みずきがバテるかもしれないから、ちゃんと様子見といてって」


「そ、そうなの?」


 思わぬ事実に驚く。しかし、それが本当だとしたら、まったく一筋縄ではいかない人だ。おふざけと真剣さが同居した人間。それが八十田ゆめという人格なのだろうか。だとしたら、ちょっと言い過ぎたのかな。


「みずき、これ食べない?」


 不意に目の前にジッパー袋を差し出された。中身は、ドライフルーツのようなもの。アプリコットやいちじく、デーツ、ドライフルーツ、その他色々……。


「どれも甘くって……んくっ、おいひーよ? 疲れもとれるし」


 いいの?と首を傾げると、ほたるはこくこく首肯した。


「じゃ、じゃあ一口貰うね??」


 適当なフルーツを口に放り込む。じわっと肉厚な果物の汁が広がった。糖度の高いソレは、さっきまで感じていた身体の重さを和らげていく。


「どう? 美味しいでしょ?」


 ほたるの問いに私はこくりと頷く。


「うん……。とっても」


「もう少し、頑張れそ?」


「うん」


「よかった。がんばろーね、みずき」


 そう言って私はほたるからぎゅむと抱き締められた。あったかい。さっきまでの不安が、安心感に置き換わる。


「ありがと、ほたる」


 そう伝えると、ほたるが天使のように微笑んだ。







「やとっさーん、まぁーたみずき先輩に嫌われちゃいましたねぇ」


 ベンチで一人ぽつんと座っていると、金髪ショートの少女がけらけら笑いながら近づいてきた。


「何を言うとるんや、イチカ。みずっちゃんのウチへの好感度は今の所、プラマイゼロやで。しっかり調整できとるわ」


 澄ました顔で言い切る私に、九条イチカは意地悪げに目元を浮かせた。


「アハハ、強がらなくってもいいんスよ~。やとっさん、実はショック受けちゃったっしょ? みずき先輩に思いのほか気持ち悪がられて。調子に乗り過ぎちゃいました?」


「……」


「にひひ。アタシは知ってるんすよ。冗談だったつもりが、あんなに嫌がられるとは思わなかったんスよね~。加えてほたるんにまで軽蔑されちゃって。けど、本当は本気で心配してたんスもんね。色々と裏目に出ちゃったっスねぇ……」


 こうだよね、ああだよね。イチカの言葉が的確に弱みを突いていく。小馬鹿にしながら慰めるという凶悪なやり方。


「ぐずっ……イチカぁ……あんた、ホンマに性格悪いわぁ……」


 せきを切ったように、目元からぽろぽろ涙がこぼれ始めた。


「やとっさんって結構泣き虫ちゃん? 最高学年だから、結構、ムリしてんじゃないッスか?」


 発達気味な犬歯をのぞかせた後輩に、優しくなでられる。


「うるさいぃ……うぇぇ……」


「ほらほら、泣かないでせんぱい。もぉー、せんぱいは、『おばぶちゃん』っすか?」


 妙に強調して、イチカが問いかける。さっきの当てつけだ。


「ちゃうわ。ぐすっ、おのれは傷口に塩を塗り込む気かぁー……」


「アハハ。やとっさんって生徒会長とか部長とかやってる割に結構ウブなトコありますよね。線引きが分かってないってゆーか。けど、ソレが一周回ってなんか可愛いなぁって思って。今のせんぱい、とってもイジメ甲斐があるんスよ?」


 両頬をイチカの両手で包まれる。あまりに良いように扱われて、かなり腹が立った。


「うぅ、うるさい!」


「3年生が1年生に甘える光景っていうのもなかなかオツなもんッスね」


「イチカぁ!」


「あいやー。せんぱいが怒ったぁ」


「アンタなんか大っ嫌いや……」


「あぁん、()ねないで下さいヨー。アタシは、そんな先輩のこと入部以来ずうっと好きッスよ?」


「へ?」


 一瞬、何かの聞き間違いかと思った。しかし、それは彼女の次なる発言で保障される。


「雰囲気もへったくれもないッスけど、アタシの一世一代の告白ッス」


「え、ええ? え??」


 脳の処理が追い付かない。


「昨日のキスの責任とって下さい」


 しかし、イチカの眼は本気だった。


「あ、あかんって。女の子同士は……」


「みずき先輩とほたるんは付き合ってるみたいッスよ?」


「こ、校則やと生徒は公明正大な付き合いを……」


「アタシは本気ッスよ? そんな規則に縛られるとでもお思いですか?」


 次の瞬間、がっちり両手首を掴まれた。目の前にはすっかり発情した後輩の顔が。シトラスの香りが広がっていく。鼻と鼻がくっついた。そして、いきなり。


「あむっ」

「んんー!?」


 彼女の脳内を電撃が走る。柔らかい女の子の唇。それが自分の唇を甘噛みしている。ムニムニと妙な感触が敏感な所を攻める。快感の波に(さら)われ視界がブラックアウト。全身の力が脱けてしまった。


「はぁ……はぁ……」


 荒い息継ぎと共に身悶えする。女の子のキスってこんなに気持ちいいものなのか。それとも気になっていた相手から貰ったから……。


「ぷあっ……。……アハハ、みずき先輩たちにこんなトコ見られたらどうしましょうか。後輩に虐められる先輩を見て、あのお二人はどんな風に思うんでしょうね? 気になりますねぇ? そう思いません??」


 瞳に邪悪な光を灯しながら、イチカは間近で私を見つめる。もう、ほとんど馬乗りの状態だ。あの二人はそう遠くまで行ってない。もうすぐ戻ってきてしまう。これ以上は。


――ざくっ、ざくっ。


 案の定、二人が戻ってくる足音がし始めた。


「続きは下山してからっスかね」


 そう言ってイチカは名残惜しそうに私のあごを(さす)った。


「イチk――ふむっ……?!」


 何か言おうとしたら、唇に人差し指を押し当てられる。


「後で、いーっぱい可愛がってあげますからね。逃げちゃヤですよ。せん、ぱい♪」


 ちゅっと軽い口づけを額に貰う。

 こうして、私は半ば強引に九条イチカの恋人にされてしまった。

 


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