第16話 『バカップル、米焦がす』
「せやなー、じゃあ、ほたるんとみずっちゃんにはコッヘルでお米炊いてもらおうかな? これ何気に一番時間かかるし」
そう言って八十田先輩は、私に底深の鍋を渡した。ちゃぷんという水温が内部で鳴る。
「……? あれ、もうお米は水に浸けてあるんですか?」
「せやでー。キャンプ場着いてからイの一番に。お米って長時間水に浸けとかないと芯飯になってまうからなぁ。どや、みずっちゃん? ウチの名采配。有能やろ?」
そうですね、と愛想笑いで返した。いつも思うが、一言多い。残念系な先輩である。
「そいじゃ、あとはガスバーナーで炊くだけやで。頼んだで~」
先輩は、そう言って私の肩を叩くとテントの方へ去っていった。
どうやら、イチカと他の料理の準備をするらしい。
そして炊事場で私とほたる、セッティング済みのシングルバーナーが取り残される。
「……ほたるん、炊いたことある?」
「ん……なんとなくだけど分かるよ……たぶん、たぶん」
なぜ二度言ったし。一抹の不安を感じてしまうではないか。
しかし、そろそろ日暮れも近い。さっさと取り掛かるほかない。
私は、先輩から貰った『炊き方メモ』をもう一度確認した。
「えーと、まずは……コッヘルを沸騰させて――」
しゅごっ!!
「なあっ?!」
すぐ隣りで巻き起こった爆炎に思わずのけぞる。
ほたるがバーナーを点火したのである。彼女は慌ててツマミを捻り、火力を抑える。
「ごめん……! いきなりやっちゃった……。これ、最初の火力調節が難しいんだよね……」
「なんだよー。もー、心臓止まるかと思ったじゃん」
「ご、ごめんね……」
ほたるの声が若干震えた。瞳が潤んでいる。
「わぁあー?! 嘘っ、嘘だよ! 全っ然、平気だから! だから……ねっ?? ほら泣かないで、ほたる?」
手でバッテン作って、彼女の頭をなでなでしてあげた。
「うん……ありがと、みずき。……私も気を付けるね?」
「そうだね! 一緒に頑張ろ! うん!」
私の激励に、ほたるの不安げな表情は和らいでいった。彼女はどうも普通の子より感じやすいところがある。迂闊な発言は気を付けるべきだろう。
「あかん、おもろすぎるわ……あの二人……。まるで、退屈せんな……」
立花みずきと三日月ほたるから数十メートル離れたテント設営地。
そこから炊事場をコソコソ窺う八十田ゆめは、けらけら笑っていた。
「ちょっ?! やとっさん、何してんスか?! さっさとリンゴ切って下さいよ! もうクランブル出来たんスけどぉ?!」
シングルバーナーに載せたフライパンで、炒め物をしていたイチカが声を荒げる。
焼き付いて焦げ目のついたクランブル(小麦粉、砂糖、バターをそぼろ状にしたもの)が、香ばしい匂いを放っている。
「あー、今するわー」
「んなっ?! ちょっとまだ半玉しか切ってないじゃないスカ?! 何してんスカ?!」
「野鳥の会や!」
「見え透いた嘘、止めて下さいよ! ただの覗きっスよねぇ? 仕事して下さいよ」
「もぉー、イチカやん厳しいわぁ。ウチもあんな風に百合百合キャピキャピやりたいねん~」
なはは、と笑いながら言ったが、イチカの目は冷たげに細くなる。天真爛漫な普段とは考えられないような表情。
「あ、すまん……。そんな露骨に嫌そうな顔はちょっと傷つくかなーって……」
「さっさと切れよ」
「はいぃ……すんまへん……」
※
日が傾き、空が夕焼けに染まり始めた頃合い。
コッヘルの蓋から水が噴きこぼれたので、バーナーの栓をいくらか閉めた。火力が目に見えて弱くなる。
「あ。みずき、たぬきさん……」
不意に隣りのほたるが、炊事場の向こう、雑木林の辺りを指差した。
「ホントだ……」
四足歩行の全体的に黒っぽい動物が、何かに噛みついている。
「やめやがれです! 服を引っ張るなです! あっち行きやがれです! おめーは、テトの鍋にされたいですか?!」
巫女装束の小柄な少女が、たぬきに裾を引っ張られていた。
金色の長髪頭からは三角の耳が生え、お尻からはふさふさした尻尾が伸びている。
「……きつねさんもいるね」
「うん、いる……ね。って――」
九条山の例の妖怪じゃねーか……。
何でこんな所に居んの?
「珍しい、じゃれてるみたい。きつねとたぬき同時に見られるなんてツイてるね」
頭の中が大混乱の私と対照的に、ほたるは随分落ち着いている。
彼女は、おもむろに首から下げていた一眼を、その珍妙な光景へと向けた。パシャシャシャッと連続シャッターが切られる。
「あ、あの~ほたるん? あのきつね見て何か思わないの?」
「うん? 可愛いよね? キャンプ場で見られるとは思わなかったけど……」
そうじゃなくて……ほら、もっとこう……あるだろう。
と、ツッコミを入れたくなったが、ある考えが浮かんだ。
そう、もしかしたら、彼女には本当にアレがただのキツネにしか見えないのかもしれない。
「だとしたら、なーんか妙な気分……」
私は一人ごちて、またコッヘルの監視任務に戻った。
先輩のメモによると、内部の音がブクブクからグツグツに変わると炊き終わりに近いらしい。
「たっ、助けやがれなのです! 無視するなです! そこに居るのは、ミズキサンではないのですかぁ?!」
遠くで暴れる狐ロリ娘が助けを求めてきた。私の名前を知っているということは、やはり例の妖怪本人のようだ。
「なぁー……めんどくさい……」
※
「はぁはぁ……まったく、ひでぇ目に遭ったですよ……。みずきさんが居なかったら、今頃あの暴漢タヌキに全身ひん剥かれてたところですよ」
木の枝でたぬきを追い払った後、テトはぶつくさ文句を垂れながら炊事場までついてきた。相変わらず可笑しな口調は治っていないようだ。
「わぁー、きつねさんだぁ。なんか人馴れしてるね?」
私の隣に立つ妖怪を見て、ほたるが不思議そうな表情を浮かべる。
やはり彼女には、普通の狐にしか見えてないのだろうか。
「えへへ、かぁいい~。マシュマロとか食べるかなー」
ほたるはそう言うと、袋から駄菓子を取り出した。
どうやら、麓のスーパーで買ったものらしい。
彼女から差し出されたものを見て、テトは不可解な顔をする。
「なんです? このまっしろは?」
「あー、マシュマロってお菓子だよ。美味しいぞ」
私が口に放り込んでデモってやると、テトも真似して食べた。
「う、うめぇのです……」
もっちゃもっちゃ咀嚼しながら、彼女は感嘆の声を漏らす。
も、もう一個!と言っては食べ、あっという間にマシュマロを平らげてしまった。
「ちょっと、テト……。お前は遠慮ってものを知らんのか……?」
「むふふふ、人間界にはまだまだテトの知らない食いもんが沢山あるみたいです。今日は、新たなる発見の日ですよ!」
私の咎める声には耳も貸さず、彼女はその場でクルクルとターンした。
「こら、聞け」
「さてさて、テトにまっしろを献上した人間さんたちには何か褒美をくれてやらないとですね? テトに出来る範囲で、お礼に何でも叶えてやりますよ」
「え?」
「……?」
おぉ、何だかいきなり凄い提案が来たぞ。しかし、きつね語を解さないほたるには上手く伝わってないらしい。私が通訳してやると、彼女は目を見開く。
「ほんと?」
「ふっふん、山神に二言はねぇのです。さっさと望みを言うがいいですよ」
「じ、じゃあ……! 恋愛関係もおっけいかな?」
興奮気味なほたるは、そう尋ねてちらっと私の方を見た。
おい、まさか……。
「ヨユーです」
「で、出来るってよ」
「やった!」
そして彼女は普段あまり見せない晴れやかな笑顔と共に、お願い事を口にする。
「じゃあ、みずきちゃんとケッコ――」
「あー! すっごく大事なお願い事を思い出したー!!」
大声で被せ、ほたるのトンデモウィッシュを封殺する。
「テト、明日雨が降るんだよね、この辺。だから、それを晴れに出来ないかな!」
「ふむん……ちょっと難しいですけど、まぁ出来ないことはねぇですよ」
「さすが神。じゃあそれで……!」
よし、このまま有耶無耶にしちまえ。そう考えた私が愚かだった。
「待って、みずき。これは私の権利だよっ」
思いのほかほたるさんが、食い下がって来たのである。
「ほたる? いやでも、今スンゴイこと言おうとしたよね?」
「凄くないもん。そもそも、私たちはそういうことを最終目標としたお付き合いじゃないの??」
「いや、けどなぁ……。そうは言ってもねぇ……」
色々段階を踏み飛ばしているような気がする。
しかも、そんなお願いで成就させてしまうのは粋ではないというか……。
「…………分かったよ。じゃあ、みずきがお願い事を決めて良いよ」
うーんと熟考していると、ほたるが折れてくれた。
「え? いいの?」
「うん」
こうして、私のお願いがテトに聞き入れられることになった。
しかし、テトが雑木林の中に消えて居なくなると、ほたるが妙なことを言い始める。
「だから、今度はみずきが私のお願いを聞いてね」
「え」
なるほど、そうきましたかー……。
「えーと、な、何をすればいいのかな?」
「一分間、ほっぺにチューして」
「え?!」
正面から私を見据える彼女は、真面目にそんなことを言い出す。
しかしその頬には若干、朱が差している。おいおい、さっき私と結婚したいとか言ってた奴がこんなことで……。
「みずき、顔……真っ赤だよ?」
「なっ?!」
彼女の指摘でようやく気付く。冷静に分析している場合ではなかった。
頭がフットーし始めている。
「みずき、はやく」
「じ、じっとしてるんだぞ……」
「わかった」
ほたるの両肩を掴む。華奢な、しかし確かな体温を感じる。吐息が目の前に。額が少し汗ばんでいる。私も緊張で息が上がる。
ええい、もうどうにでもなれ!
「んっ」
「ひぁ」
……………。
近い近い近い。
コッヘルが煮立つ音も、木々が騒ぐ音も、名の知らぬ鳥が鳴く声も。
全てが無音に。
聞こえるのは、ほたるのふーふーという息遣いと私の心臓の音のみ。
同級生の女の子に私は、キスしている。
彼女は、黙って私を受け入れてる。
自然と二人の両手が繋がれた。
指を絡め合って、互いの感情を確認する。
なんか、すごく安心した。
「みずき、私のこと今も……好き?」
小声でほたるが、問うてくる。
「うん……。好き……」
「えへっ。私もね、みずきのことが――」
「焦げとるで~」
「「?!」」
私もほたるもビックリして離れる。
炊事場のすぐ外に八十田先輩がいた。肘をついてニマニマ笑っている。
見られた。私がほたるにキスしてる所を。
そして聞かれた。私の告白を。
「あぁっ?! みずき、ご飯が!」
「え?」
ほたるの悲鳴でようやく気付いた。コッヘルから焦げっぽい臭いが立っているのだ。
「だぁああ?! ヤバい!」
急いで、バーナーの火を消す。
そして、蓋を開いて中身を見た。
ほたるが心配そうに、私を窺う。
「みずき、どう?」
「あ……ギリ大丈夫……だった……みたい」
どうやら、焦げてたのは底に接してる一部だったらしい。
しかし、ホッと一息ついたのも束の間、先輩が痛烈におちょくってきた。
「むはは、恋焦がすみずっちゃんは、お米まで焦がしてまうんやな~。なんつって~」
「っ……!」
柄にもなく頭に血が昇り、先輩を追いかけまわしたことは反省している。




