第10話 『九条山の神隠し ―いと寂し、狐少女なのです―』
「て、テト……?」
何のことやら分からず聞き返す。すると、狐娘はジト目で不機嫌そうに唇を尖らせた。
短い腕を組み、ツーンとした態度を見せる。
「おめぇもテトの名前を知らないですか? まったく……近頃の人間さんは信仰心が無さすぎです。やれやれなのです」
わざとらしく首を横に振った。不遜な態度だが、愛くるしい見た目が災いして、何かのギャグにしか見えない。
「信仰って……つまり、貴女はこの山の『神様』なの……?」
妖怪、という露骨な表現は彼女の機嫌を更に損ねそうだったので避けた。
しかし、この判断が意外に好プレーだったらしく、テトはむふーっとご機嫌そうに鼻を鳴らした。
「如何にもなのです。テトは、九条山の山神様なのです」
「そ、そうなんですか……」
山神様と名乗るにしては、随分と若々し過ぎないか。それも少女というよりは幼女に近い。
『コスプレ迷子』と言われた方が納得いく。
語尾とかめちゃくちゃ丁寧語だし……。
「……分かったら、さっさと目を閉じるのです。人間さんがテトと目を合わせて会話なんて、無礼にもほどがあります。あと、この耳と尻尾は飾りじゃないのです! 話し方は癖です! 悪いですか?! こんにゃろー」
テトはソッポを向きながら、むっくり膨れた。その間、ほたるからは全く手を離さないので、恐らく私が目を閉じた隙に連れ去ろうという魂胆があるようにも見える。
ていうか、心の中読まれちゃったよ……。
他の皆はどう思ってるんだろうか。
と、周囲を見回すと
『…………』
ゆか、ほたる、八十田先輩、イチカの四人全員が物言わぬ石像のように固まっていた。
「……っえ?!」
異変はこの四人だけでない。落下する落ち葉はぴたりと止まり、舞う鳥は位置を変えず、世界は無音に閉ざされている。
――時間が止まっていた。
やべぇ、ガチの神様じゃん……。これは下手な対応をしてはダメなやつ。
しかし、いちいちこちらの疑問に答えてくれる辺り、きっとわりかし親切。
なれば……
「あ、あの……なんで彼女を連れてこうって思ったの、かな……?」
何が地雷かも分からないので、慎重に言葉を選びながら問う。
「ふんっ。人間さんに答えてやる義理はないのです!」
このクソガキ……。肝心な質問には答えないのか。何とか理由を聞き出せれば、打開策も思いつくものなのだが。
若干、ビキっていると不意に山神様が後ずさった。
「うぬぬ……」とこちらを睨みつつ、警戒心を強めている。
「ど、どうしたの……? テトちゃん??」
険悪な空気を察して、笑顔を取り繕った。しかし、彼女の畏怖は取り除けず。
「お、おめぇから何だか邪悪な気配を感じます……!! はっ!! まさか……まさかテトをお鍋にしてペロリとしようとか思ってやがらねぇですか?!」
テトに抱いた微量の悪感情がまるまる伝達してしまっていた。しかも過剰に、悪い方向へと。
「んなっ、ま、まさか! 食べるわけありませんよ! それに狐鍋とか絶対マズいでしょっ! たぬき鍋ならいざ知らず……」
言った後でしーん、と静寂が降りた。さっきまで騒がしかったテトが急に黙り込んでしまう。やらかした、と空気で察した。
「うっ……、ぐすっ……。えうっ……」
小刻みな嗚咽が目の前の山神様から漏れる。眼が微妙に赤くなっていた。ぽたぽた涙も落ちる。
「うぅっ……、テト……はマズくなんか、ない……。たぬき鍋なんかと比較するな……です……ぐすっ」
「わーっ! ごめんごめん!! うん、私ホントは狐鍋大好き! 貴女のことも今すぐ食べちゃいたいくらい! ホントに!」
すると、突然テトがほたるから手を離し私にずいっと近付いてくる。何をしでかすかと思ったら、いきなり尻尾でモサっと叩かれた。
「こ、この嘘つき! やっぱりテトを食べようとしてるじゃないですかっ!」
め、面倒くせぇぇえええ! どういう回答を望んでんだコイツは?! いい加減、我慢の限界だぞ、オイ。額に新たな筋が立ち始めたとき――
「……? 人間さんの荷物から何だか香ばしい匂いがします……」
不意にテトが私のザックを、すんすん嗅ぎながら瞬きを繰り返した。
「匂い……? 何か入れてたっけ?」
不可思議に思いつつザックの中身を漁る。
「ふぉあ! そっ、ソレです! それ!!」
立方体のものがザックの中から覗いたとき、不意にテトが興奮しながら叫んだ。
彼女が指さしたのは、手ぬぐいで包まれたタッパの箱。
「? 食いものしか入ってないけど……」
包装を解き、がぱっとタッパの蓋を開く。
いなり寿司特有のお酢の匂いが周囲に充満した。
「……っ」
テトがぴーんと背筋を伸ばす。何だか恍惚とした表情を浮かべていた。
「ちょっと……大丈夫?」
「だっ、大丈夫なのです! あっ、あの!! それはもしかして、『おいなりさん』でしょうか?!」
「え? そうだけど……」
「ミズキサン!!」
がしっと腕を掴まれた。私のほうが上背なので、テトは見上げる恰好になる。
真っ直ぐな翠眼が光を放ち、何かを望んでいた。
「ああ。欲しいの?」
物凄い勢いで頷かれた。
「ま、いいけど」
タッパをテトの目の前に差し出す。彼女の瞳がいっそう輝きを増した。
そして、それを――
「ただし、ほたるとの交換って条件つき」
寸前で取り上げた。面白いことに、テトの目からハイライトが消えた。
「ななな、卑怯ですっ!!」
「卑怯なもんか。これは公平な取引だよー。第一、ほたるは私のものだし」
赤くなって両腕を振り回すテトから、距離を取りつつ私は眉根を上げた。
「く、くぬぅ……。しょうがありませんね。分かりました、ソレを頂いたら、ほたるさんはお返ししましょう……」
非常に悔しげに、渋々とテトは約束してくれた。
嘘をつくような相手には見えなかったので、私も
「交渉成立ね」
テトにいなり寿司をあげた。ゆかは私のために作ってくれたみたいだが、こればかりは許してもらおう。
「はぁーん……! うめぇです……。しっとりした皮から出汁が染み出して、酢飯と絶妙なハーモニーを奏でてますっ。舌に残る余韻が田舎の懐かしさを感じさせやがります……! もごもご」
頬をハムスターみたいに膨らませながら、食レポみたいなのを始める狐の神様。
ふっくらした尻尾が右に左に揺れていた。
髪の間から伸びた二つの獣耳は毛がふさふさで、すごく柔らかそうだ。
……ちょっと撫でてみたい。
「ね、ねぇテトちゃん……? 少しだけお耳触ってもいい?」
口元に米粒をつけた狐神に大きな目でこっちを見た。
「もぐもぐ……優しく扱うのなら……もぐ、構わねぇですよ。ごくん」
お言葉に甘えて早速触ってみた。ちょこっと耳に触れると猫みたいにぴくっと動いた。ゆっくりと頭に手を乗せると、思ったより体温が高いことに気付く。ふかふかな感触が低反発な抗力を返してきた。
一瞬にして、ハマッた。
「はぁー、なんか、めっちゃ落ち着くわぁ……。家で飼いたいよー」
「……なんだか複雑な気分なのです……」
微妙な表情でテトが耳をへなっと落とした。
タッパの中身は既に空っぽである。三十個近く入っていたと思うが、全て平らげてしまったらしい。やはり神様は胃袋も神がかっている。
「さて……じゃあ、約束通り、ほたるを返してもらいましょうか」
指についた寿司汁を舐めるのに夢中になっている神様に、手を出す。
時間は止まったままで、ほたる始め、他の登山部員たちも動かない。
「むぅ……しかたがありませんね。まぁ、でも山神様は約束は守るですよ」
お尻をはたきながら、テトはうんしょ、と立ち上がった。
「ねぇ、そういえばなんでほたるを拉致ろうと思ったの?」
「ふ、ふんっ。答える義務はないのです」
相変わらず、意地っ張りだ。
まぁ、そこまで興味もないので、これ以上の追及はやめておこう。
「……で、ですがおいなりさんが美味しかったので、みずきさんには特別に教えてやるのです」
ツンデレか、こいつは。獣娘で巫女でロリでツンデレで。大きなお友達が大好きな設定盛沢山である。
テトは、腕を組みつつ頬は少し朱に染めながら語った。
「テトは友達が欲しかったのです!」
「は?」
「だから、友達です! 友達! お話し相手が欲しかったのですよ!」
「はぁ……、そうなんですね。しかし、なんでまた……」
そんなことのために人を拉致したりするだろうか。
解せない表情になっていたのだろう。テトはそんな私を見て、残念そうな面持ちだった。
「分からないでしょうね、おめぇには。毎日、毎日、藁人形とお喋りしてても全然楽しくないのですよ」
そう言うと、テトは懐から藁で作られた人形を取り出した。
顔のところに……誰かの写真が貼ってある……。
胸の辺りには……何かが刺さっていた痕跡が……。
「ねぇ……、ちょっと、それ……まさか自分で作ったの……?」
自作であれば、趣味が悪すぎである。
しかし、私の質問にテトは眉根を寄せた。
「そんなわけあるかです。この前お散歩してるときに、『ゆーとさん』が木に釘で打ち付けられてるのを見つけたです。持ち主が分からなかったので、テトが貰いましたです」
無知ってこえーなー。っていうか、『ゆーとさん』って……。なんだ、そのリアル過ぎるネーミングは……。実在する人物じゃねーだろうな……。
しかし、怨恨込められたその『ゆーとさん』とやらも彼女に拾われてきっと幸せでしょう。なむなむ。
「……んで、その喋らない人形に飽きて生身の人間を攫うようになった……と?」
「ゆーとさんはときどき喋りますよ? だいたいいつも『痛い痛い……』って呻くだけですけど……」
人形を撫で回しながら、テトは小首を傾げた。
「…………」
そんなわけあるかです。当たり前のように言ったテトにゾッとしてしまう。夢にまで血まみれのゆーとさんが出てきそうで困る。彼女の妄想だと信じたい。
「無駄話が過ぎましたですね。そろそろ『時止めの呪文』が切れますので、テトは帰りますよ」
人形を懐に仕舞うと、テトはくるっとこちらに背を向けた。何となくその背中には寂しさを感じる。
たぶん、神様と言うくらいだから悠久に近い時を一人で過ごすことが多いのだろう。それは想像するだけでも辛い孤独だ。
「ね、ねぇテトちゃん?」
「何ですか」
「よかったらたまにお姉さんがお話し相手になってあげようか?」
「何を言ってやがるんですか……? 貴女は……」
本当に何を言っているのだろう、と自分でも思う。しかし、このまま彼女を一人ぼっちにして忘れ去る気にはどうにもなれなかった。
「……第一ですね、どうやってテトとお話しようとお思いなんですか。テトはすまーとふぉんなんて持ってないんですよ。いちいち九条山まで会いに来てくれるのですか?」
「え……いや、それはその……」
ごめん、それは面倒くさい。とは、言えず口ごもる私に、テトは小さく笑った。
「……心配してくれて、ありがとうございますなのです。……それじゃあ、お言葉に甘えて……もし、お話がしたくなったら、テトの方からみずきさんの所に赴くのです」
少々不安げに、構いませんか?と尋ねてくる彼女に私は笑んで頷いた。
テトも笑った。
「ふふっ。さようなら、みずきさん。今日は貴女とお話できて楽しかったですよ。山頂まではもう少しなので頑張って下さいです」
彼女は小さく手を振ると、霧に紛れて私の前から立ち去るのだった。




