第9話 『九条山の神隠し ―狐少女現る―』
「……そういえば、みずき先輩は知ってますか?」
登山道に戻って二時間、急な登りを過ぎ、少し傾斜がなだらかになった所でイチカが口を開いた。経験の浅い私とイチカはグループの最後尾を歩いており、先頭はほたると八十田先輩が進んでいた。
例外的に、初心者のゆかが地図を片手にトップを歩んでいる。
どうやら、おもらしの汚名を読図で挽回しようと試みているらしい。しかし、ほたるや先輩のアドバイスを貰っては頭上に疑問符を立てるというザマである。
「知ってるって何を?」
オウム返しに尋ね返した私に、イチカは犬歯を見せながら、にひっと笑う。そして、不意にその顔に不吉な色が乗った。
「この山……実は出るんですよ……」
「……で、出るって何が……?」
分かり切った問いを返してしまう。喉を冷たいものが流れた。
「ユーレイっすよ、ユーレイ。それも子供の」
「へ、へぇえ……まっさか、そんな子供騙しな……」
一笑に付して話を切ろうと試みた。実のところ、個人的にそういう恐怖系ストーリーが苦手なのだ。あんまり、進んで聞きたいと思うものではない。
しかし、イチカは話を終わらせてくれなかった。
「いえ。冗談じゃなく、マジなんですってこれが。ウチってほら、登山口で神社やってるから、毎月のように登山客から聞くんすよ。仲間が神隠しに遭ったって……」
「ひっ……」
ゾクッ、と背中を氷柱で貫かれたような感覚に陥る。
「みずき」
「ぎゃッ!!」
突然、肩を掴まれ全身を鳥肌が覆った。心臓をばくばく唸らせながら振り返る。
「あ……えと、だいじょーぶ?」
ほたるだった。
「どないしたんや、えらい大きな声上げて」
「おねぇの悲鳴なんてレアだなぁ」
八十田先輩とゆかも少々驚いているようだった。
「ぷっくく……みずきセンパイ……何その反応……。くすくす、今までで一番おもしろいっ……ぬはは」
隣りでイチカが腹を抱えながら苦悶していた。
首筋と両耳がじわっと熱くなる。
不意に頭に誰かの手を乗せられた。
「何か……怖いことでもあったの?」
ほたるが私の顔を覗き、頭を撫でながら言った。
今度は別の意味で顔が熱くなった。
※
わりとシャレにならない事件だったと今、振り返る。
白昼夢と言われるとそのような気もしてくるが、しかし、たしかに私はソレを見たしお喋りもしたのだ。幻覚幻聴と言われるとやはり今でも首を傾げたくなってしまう事件だった。
「ほぇー、それでイチカやんは狐のお面をつけとったわけや」
扇子でシャツの内側に風を送りながら、八十田先輩が感心したような声を上げた。
「ぷぁっ。はいー。この辺で神隠しに遭った人たちがみーんな、狐の妖怪に会ったっていうもんなんで。まー、一種の信仰みたいなもんですかねぇ」
アクエリアスのキャップから口を離し、イチカは口を手の甲で拭いながら言った。
先輩曰く、山頂まではまだあるらしいが、私たちは登山道脇に適当に広がったスペースを見つけ二度目の休憩に入っていた。その間に各々(おのおの)給水したり、休んだりと時間を有効活用している。
「おねぇー、なんか顔真っ青だよ? 大丈夫なの?」
「大丈夫……大丈夫……」
手ごろな岩に腰掛けて、私はゆかをいなした。しかし、口では平常を装っているものの、実のところだいぶ参っていた。イチカの神隠しの話が気になり、登山そのものに集中ができない。精神的疲労が肉体的疲労に追い討ちをかけ、いささか疲れた。
そんな私の不安を察してか、ゆかは、ごそごそとザックからタッパのようなものを取り出した。
「おねぇ、ぼくおいなりさん沢山作ってきたんだ。一個食べない? 元気でるかも」
がぱっと開かれたタッパの中からお酢の香りが広がる。
お腹がきゅっと引っ込むような感覚に陥った。そういえば、そろそろお昼どきだ。
ゆかからタッパを受け取り、黄金色の揚げ寿司に手を伸ばそうとしたとき――
「みずっちゃん、お昼ご飯は山頂で食べるからね。今食べちゃうと、後がキツいでー」
先輩からやんわりと制止が飛んだ。
仕方ない、ここは我慢しよう。ゆかは何か言いたげだったが、八十田先輩には強く出られないらしく、しゅんと肩を落としてしまった。
「ゆか。これ、ありがとね。あとでいただくから」
ゆかの頭をひと撫でして、タッパは自分のザックにしまった。キャップの下からのぞくゆかの顔はぱっと晴れていた。普段から何かと問題を起こしがちな妹だが、こういう素直なところは正直可愛らしいと思っている。
「アレ……? みずきセンパーイ??」
不意にイチカが素っ頓狂な声を上げた。
「ん? 何?」
「あの、ほたる先輩の姿が見えないんですけど……」
「はい?」
何を言っている。さっきからそこに居るではないか。
私が視線を薙ぐと、山道脇で木に背中からもたれかかっているほたると目が合った。
「え?」
読図をしていたほたるが解せない表情で、イチカを見た。しかし、イチカの瞳にはほたるの姿は、まるで映っている様子でない。
「……え?」
困惑気味のほたるがこっちに視線を寄越した。いかにも私、困ってますと言いたげな表情だ。
恐らく、またイチカのおふざけであろう。さっき先輩にしごかれて、まだ懲りてないのか。やれやれ手のかかるったらありゃし――
「ほんまや。ほたるん、どこ行ったん? みずっちゃんさっきまで隣りに居ったんとちゃう? 見てへん?」
先輩が、不思議そうな顔で私に問うてきた。
は――。先輩までもおかしなことを言い始めたぞ……?
頭がちょっとずつ混乱し始める。
なんだろう、二人して私をからかっているのだろうか。
「あり? ホントだ。おねぇ、ほたる先輩、さっきそこに居たよね?」
ゆかが数メートル離れた木立の根本付近を指差した。
「ゆ、ゆか……。アンタまで、え? 何言ってんの?」
そうだ。彼女の人差し指の延長線上には、今まさにほたるが立っているのだから。
彼女は、皆の異常にウロウロあわあわ、とぎこちない動きを披露している。
――いや、違う。異常なのは……。
「み、みずきちゃんッ?! な、なんか居るッ?!」
ほたるの悲鳴に、私は目を瞠る。
何だ……、確かに何かが居る。
半透明で小柄な人間?が、こちらに背を向け彼女の手を引いているではないか。
明らかに、連れ去ろうという意図が見てとれる。
「なっ、ななな、何?!」
ピタリ。
私の大声に、不意にその人間の動きが止まった。
半透明な姿に色が乗り、実体化した。ソレは私を見て、不思議そうに首を傾げる。
「……?」
私よりも一段と背の低い少女。人間の幼い子供のような容姿。しかし、黄金色の長髪には、頭部から狐のような獣耳が生えている。加えてお尻からは、もさっとした尻尾までが生えており、とても同じ人間とは思えなかった。
そうだ――これは、イチカが九条神社で披露していたあの狐巫女に似ている。
まさか、これが神隠しの妖怪だとでも言うのか。
信じられない事態。彼女の危機なのに、動きが止まってしまう。
その小さな少女は長い前髪の間から、翠の瞳をのぞかせ、こちらをじぃっと睨んでいる。視線と視線をまじ合わせた状態がたっぷり30秒は続いた。
そして不意に、小さな口がぽつりと動く。何だか、むすっと怒ったような口調だった。
「おめぇ、なんでテトのことが見えてるです?」




