ドラゴンさん、生活する。
二部構成です。
午後、作り過ぎてお持ち帰りを許された焼き菓子を私が部屋で食べていたら、ドアがノックされた音が響いた。返事を待たずに人が入ってくる。返事を待たず、返事をしないのがこの世界のマナーらしい、貴族たるもの淑女も紳士も、常にそう在れ、と言う教えだとか。まあ実際の所、お互いの気配りがあって成立するマナーらしいが。入ってきたのは赤い仕事着を来た旦那様、そう、お嬢様の父親であり、この家の主人、今の私の保護者でもある。あ、ちなみに私は鏡台の椅子に横向きに座り、窓から外を眺めつつ、焼き菓子を食べていた。背もたれがあるから椅子に普通に座れないのだ、尻尾が邪魔をする。
慌てて立ち上がるも、尻尾が引っかかって椅子を倒してしまった。
「ごきげんよう、だんなさま、ようじ、です?」
何事もなかったように笑顔で挨拶をする、バレないようにこっそり尻尾で椅子を直す。
「御機嫌よう。おお、器用だな、尻尾で物も持てるのか」
やっぱりバレてた、恥ずかしくて下を向いてしまう。
「なに、娘に合う椅子を用意できないのは私の落ち度だ、気にする必要はない。さて、私がここに来た要件だが…と、しまった、最初に言ってしまったな…まぁ、とりあえず、こっちに座りなさい」
あまりにも自然で、聞き流してしまうところだった。娘に合う椅子?とりあえず初日にも座った位置に腰掛ける、旦那様には一応お付きの兵士は居るが、私が剣を向けられることはもう無い。
さて、娘とは…?
「ドラゴン殿がもし良かったらなんだが、私はドラゴン殿を私の娘にしたいと考えている」
「むすめ、にする?」
「そうだ。つまり、ドラゴン殿に、ユーフィミアの妹になって欲しいんだ」
旦那様は馬鹿なのだろうか?どこの世界に、ドラゴンを娘にする人間が居るというのか、しかも、素性不明の正体不明、尻尾は生えてる羽もある、角までしっかりだ。
過ごした半年で解った事だが、この家は貴族だ。ル・レーデン家、元は一商家から身を起こし、大陸を渡り、商会になり、貴族にまで成り上がり、領地と、[ル]の位を授けられた、叩き上げの上流階級だ。目の前に立つ旦那様(名前はグラッシャス・ル・レーデンと言うらしい)は、2代目で、奥様に早逝なされている。
そしてこの世界には残念ながら、ドラゴンはいない…とされている。伝説上の、夢物語の生き物だ、と。読んだ絵本にも出てきた。そんな生き物を娘に?貴族社会どころか人間社会から叩き出されるのでは?と思った言葉を、なんとか伝える。もどかしい、ドラゴンなんだからテレパシーでも使えたらいいのに。
「え…めいわく、かける、わたし、ドラゴン、だんなさま、きぞく、ひと、まわり、みんな、たいへん」
伝わったのか、旦那様が立ち上がり、テーブルを回り込み、私の前に目線を合わせるようにしゃがみ込み、私と目線を合わせてくる。
「大丈夫だ、私は父と一緒に世界を回った。獣人が政をしている国もあった、人と狼人が結婚して家庭を持っている国もあった。なら、角も尻尾も些細な事だ。それに何より…」
「なにより?」
「ユーフィミアがな、お嬢様って呼ばれたくない、としつこいのだ、妹みたいに接して欲しいと、一緒に食事をとりたいと、うるさいのだ。なら、家族になってしまえばいい。なに、君の事は7月ほど見ていたが、ただの女の子だ、君の眼には邪悪も破壊も宿ってはいない。…そして何より、私は君の父になりたい。親の愛を知らぬ一生など、それはとても悲しいものだ。約束する、私の子に貴賎は無い、ユーフィミアの妹として、平等に愛を与えることを約束しよう。どうだ、私の娘になってくれないだろうか?」
私の人生に、父は居なかった。今生の話では無い、前世の話だ。父と母は若くして結婚し、私が産まれた。父は最低な男で、酒とタバコとギャンブルを繰り返し、給料は全て自分で使い果たした。私を殴り、閉じ込めた。私が3歳の時、父は倒れた、末期の肺ガンだったそうだ。母は治療と婚姻関係を放棄し、私を連れて埼玉にある叔母のアパートで暮らし始めた…。
私は父というものがわからない、だから…答えあぐねる。
「わかる、ない、です、かぞく、ちちおや、なにも…」
何故だか、眼に涙が溢れる。父にされた様々な暴力による恐怖を思い出したからか、それとも、旦那様の優しい言葉に困惑したせいか…一度溢れると、涙は止まらない。
「ごめっ…なさ…だんなさま…わかる…ない…」
私を見つめる旦那様が、ゆっくりと両手を開いて、私を包み込んできた。
「大丈夫、今はそれでいいんだ。これから、時間をかけて解っていけばいいんだ」
そこから私は、ずっと泣いていた。視界の端に映るヴィスも、旦那様に付いてきた騎士も、泣いていた気がする。龍の涙にはもらい泣き効果があるのかもしれない…。
ひとしきり泣いたところで、テーブルに戻った。いつの間にか私の隣にお嬢様が座っている、いつ来たんだろう。
「養子縁組をするにつき、一つ決めなければいけないことがある」
「きめる、もの、です?」
「そうだ、君の名前だ。いつまでもドラゴンさんと呼ぶ訳にもゆくまい」
「なまえ…」
繰り返すと、隣からお嬢様が声をかけてきた。
「私ね、ずっとあなたの名前を呼びたかったんだ。あなた、とか、ドラゴンさん、じゃなくて、私の妹の、可愛い尻尾と羽のついた女の子の名前を」
「私が勝手に名付けようかとも考えたが、折角だ、君の話している言葉…ドラゴン語かね?まあ、そこから名前をつけたいと私は考えた」
「ドラゴンご…」
日本語、なんだよなぁ。
「私は君に、[緑]と名前を付けたいと考えたんだ。君のその尻尾の美しい鱗の輝き、宝石のような細やかな緑、まさに君を象徴する名だ。そこでだ、君のドラゴン語で、緑とはなんと言うのか教えて欲しいんだ」
ドラゴン語で緑…でもこの鱗の色、緑って感じではないよなぁ。エメラルドグリーン?でもドラゴン語って言われたからなぁ…日本語で、美しい緑…。
「翡翠、きれい、みどりを、翡翠、いいます」
「ヒスイ、ヒスイか!いい名だ!今日から君は、ヒスイ・ル・レーデンだ!」
「ヒスイちゃん!可愛い!いい名前!いいなぁ、ドラゴン語!いつか教えてね!」
お嬢様に抱きつかれる。そして恐らく世界で私1人しか使わないドラゴン語、教えてもしょうがない気もする…。
「ありがとうございます、です、だんなさま、おじょうさま」
と、口に出してから気付いた。お父さん?お姉ちゃん?あれ?なんて呼べばいいんだろう。
「まずは言葉からかなぁ…ね?父さん?」
「そうだな、地頭はかなり優秀な様だ、すぐ慣れるだろう…なあ、ヒスイ、私はヒスイのお父様、だ、ユーフィミアはお姉様。うん、これから、だな」
◇◇◇
春咲きのバラが咲き、ラッツベリーが実を付ける頃、私は屋敷での3度目の春を迎えていた。
「翡翠お嬢様、おはようございます。今日も早起きですね」
私が窓辺で中庭の景色を眺めていると、いつの間にか部屋に入ってきていたメイドのサーナが話しかけてきた。
「おはよう、サーナ。今日もいい朝ですね。ドラゴンという生き物は、陽の光に敏感なようです、太陽が出ると、やはりすぐに目が覚めてしまいます」
え、誰だコイツって?私だ。あれから、言葉の教師が付き、作法の教師が付き、勉強の教師が付いた結果だ。この3年で私は、立派な貴族令嬢として完成させられた。備考として、話し言葉はこのお嬢様言葉しか教えられていない。
「確か、本来ならドラゴンとは暗い洞窟や地の底で生活する生き物と伝承にはありましたね、翡翠お嬢様がお辛いようでしたら、窓を板張りにすることもできますが」
「まあ、私にお寝坊さんになって欲しいのですか?ふふ、大丈夫ですよ、この通り健康です。尻尾の鱗にも艶がありますし、顔に隈もありません」
「なら、良いのですが…、もしお辛いことがあったら、いつでも申し付けてください。そのための私です」
「ありがとう、サーナ、頼りにしています」
朝の会話を終えると、朝の身支度が始まる。まず、サーナが用意した今日の服を着せられる。私も慣れたもので、まず服に引っかからないように角に薄いタオルを巻いてから、頭を通し、腕を通し、羽を通し、羽を通し、腕を通し、これでやっと服が着れる。ちなみに服は特注品だ、羽を出す穴に尻尾のスペース、尻尾が動いても裾が必要以上に持ち上がらないように作られた、青色を基調とした大人しい感じのするドレスだ。そして角のタオルを取り外してから、サーナが髪を梳いてくれる。最初の頃こそ角の存在で悪戦苦闘したものだが、今は慣れたもので、櫛を斜めに持つ形で、すっすと手際よく髪が整えられてゆく。
あれから3年、ドラゴンにとっての3年がどんなものなのかはわからないが、一応目に見える程度には成長しているらしい。12歳程度だった私の容姿は、14歳程度には変わっている気がする。あと、髪も多少伸びた、今は肩より少し下くらいだ。
朝の会話に身支度を終え、食堂へ向かう。今日は3日ぶりにユーフィミアお姉様がお帰りになられているので、足も弾む、尻尾も動く。そしてサーナに怒られる。
「翡翠お嬢様、尻尾が感情のままに動く事は、はしたない事です」
「あ、はい…」
テンションダウン、しょぼくれる。尻尾も下がる。それを見てまたサーナ何かを言いかけたが、それ以上怒られる事はなかった。
ユーフィミアお姉様は今、お父様の跡継ぎとして近隣の領土に顔を広げている真っ最中だ。私と初めて会ったあの日、馬車が襲われていたあの日が、実はお姉様の初めての外商体験だったらしい。二つ隣の村まで岩塩を買い付けに行くお仕事体験、本来なら万事滞りなく済むはずだった…のだが、不運が起きた。お嬢様の馬車は、犯罪ギルドに目を付けられていたのだ。
あの時お嬢様を襲った犯人は、犯罪ギルド[ロゥ]の特級構成員の可能性が高いと、お父様が話してくれた。大陸全土を縄張りとし、裏の仕事で世界を牛耳ろうとする…つまり、マフィアのような奴らだそうだ。そして特級構成員とは、電撃作戦を主とするロゥの最高戦力の一員らしい。トリオで常に行動し、奇襲と連携を得意とする1流の闇のハンター、その力はS級の冒険者と比べてもヒケを取らない、まさにこの世の魔物に次ぐ驚異の一つである、らしい。私的な感想としては、すごく弱かったけどね。尻尾ベチーンで飛んでったし。
あと、そうだ。あの時瀕死になっていた男の人は、レーデン家の直属の護衛部隊の隊長さんで、名前はギュードン、初めて名前を聞いた時は思わず笑ってしまった、だって、発音もまんま牛丼だったんだよ…。そんで、そのギュードン、龍の生き血で生き返った男として、領内ではちょっとした有名人だ。なんでもあの時には、不意打ちで右腕を肩から切断されかけ、毒矢を3本受け、呪いのスクロール(スクロール=魔法が刻まれた巻物。巻物に充填された魔力分、刻まれた魔法を行使する事ができる)を叩き込まれていたらしい。むしろあの時まで生きていたものだ、と感心したよ。あれから心配になって何度か様子を見に行ったけど、不老不死にはなっていないみたいで安心、とりあえず龍の生き血の一滴はエリクサー代わりにはなるみたいだ。
思い返したりしているうちに、食堂に着いた。豪華な調度品が散りばめられた部屋に、ガラス製の長テーブルが一つテーブルは30人ほどが同時に座れる大きさをしている。テーブルの上座には既にお父様が腰掛け、本を読んでいた。待たせてしまっただろうか。
「お父様、おはようございます、お待たせしてしまいましたでしょうか?」
「おはよう、翡翠。そんな事はないさ、それにほら、ユーフィミアなんてまだ起きてすらいないらしい。今頃、メイド長と戦争でもしてるんじゃないかな?」
「お姉様は朝に弱いですものね、ふふ。会えるのが楽しみです」
私の話を聞いてにこやかに笑うお父様、うん、幸せだなぁ、これ。
「おお、そうだ。折角だ、ユーフィミアが来るまで、社交界の話でもしようか」
「社交界…ですか?ええと、それは…」
社交界、言葉としては聞いた事がある。貴族が貴族社会に慣れるため、年に二回王都の社交場で開催される儀礼だ。
「そう、社交界だ。私は3月後の社交界に、ユーフィミアと翡翠、2人を連れて行こうと考えている」
「ええと、でも、それは…」
繰り返すが私はドラゴンだ、尻尾も羽も角もある。どれ一つとってもまごう事なき異形だ、なんとなく社交界とかはヤバそうな空気を感じる。
「何、怖気付く事は無い。最初こそ奇異の目で見られるだろうが、それもすぐ止む。なんせ翡翠、お前は我がル・レーデン家の次女、私の大切な娘だからだ。立場と身分がハッキリしていれば、少なくとも表立って嫌悪や敵対をしてくる馬鹿は居ない、安心したまえ」
お父様の言葉から30秒ほど、私が返事を言い淀んでいると、凛とした声が食堂に響いた。
「お父様もハッキリ言ったらいいのに、レーデン家を敵に回したら領地の商家が逃げるから、誰もわざわざレーデン家を敵に回したりなんてしない、って。あ、おはよう、翡翠、3日ぶりね〜」
振り返るといつの間に来たのか、お姉様が食堂に入ってくるところだった。
「あ、お姉様、おはようございます」
とりあえず冷静に返す、尻尾も振らない、よし、完璧のはずだ。
「翡翠は今日も可愛いなぁ、そんなに喜んじゃって、お〜よしよし」
頭と角を撫でられた。何故バレた、まさかドラゴンはサトラレだったりでもするのか。
「僭越ながら翡翠お嬢様、羽根でございます」
羽根か。くそぅ。
お姉様の撫で回しが落ち着いた頃、お父様が話を続けた。
「まあ、社交会については心配しなくても大丈夫だ、全ては私が取り計らう、心配は無用だ。…さて、次だ。社交会の準備と並行して、翡翠には社会に出るための勉強もして貰うつもりだ」
「社会に出るための勉強、ですか…?」
「そうだ。マナーや常識の勉強は今までと継続、そこから、3つほど新たに学んでもらうことがある」
「3つ、新たなお勉強…」
また勉強が増えるらしい、以前の私なら泣いて拒否の構えを見せていたかもしれない。だからが、今の私にとって記憶するタイプの勉強はさほど苦では無かったりする。何故ならこの身体、ものすごく記憶力が良いのだ。本を読めば内容は全て覚えられるし、マナーも1度眼で見ればそれを完璧に模倣する事ができる。今の私が元の世界に戻ったら東大だってなんだって受かる気がする。
「まず1つが社会情勢、周辺の貴族の名前や力関係、王族の歴史、またそれらの周辺国との関係など、だ。社交会に出るには1番重要だな、優先して取り組むように。次が魔法術、最後が護身術だ。…護身術の優先順位は1番低くても大丈夫だろう、魔法術は社交会までには最低限身に付けるように」
気になるワードが出てきた、魔法術。
この世界には魔法がある、それは火を出すものであったり、水を出すものであったり、攻撃から身を守るものであったり、人の心を詠むものであったり、その種類は多岐に渡る。いつかはその時が来るだろうな、とは思っていたが、ついに魔法に触れる日が来たようだ。
他2つの勉強はなんとでもなるだろう、記憶系は問題無し、護身術は…むしろ必要あるのか?
「社会情勢などは引き続きメイド長に、魔法術は講師を呼んである、護身術はギュードンを講師とする、怪我をしないように努めるように」
と、お父様が話を締める。
「父さん、1つ聞きたい事があるんだけど…」
何故か怯えたようなお姉様が手を挙げて発言する。
「もしかして、講師って、ベルクが来るの?」
一呼吸置いてから、お父様が気持ちの良い笑顔で口を開いた。
「そうだ、彼女は若いが信の置ける素晴らしい魔導師だ。ユーフィミアにも話があると言っていたな、折角だからお前も淑女の何たるかをしっかりと叩き込まれておくように」
あ、お姉様が真っ白になって椅子から落ちた。なにそれ怖い、ドラゴンすら受け入れるお姉様がコレって、一体どんな人が来るんだ…?
次話で新キャラを出したい都合上、二部構成の形となりました。
活動報告(と言う名の執筆したりして思った感想)もホロっと書いておきます。




